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恋の棺
しおりを挟む「悪魔だ死神だ騒ぎ立てるから、どんな大男かと思えば、まさかあのような男だとは」
客室の簡素なベットの上で、杏樹はふぅとため息をつく。あの禍々しい空間の持ち主なら、さぞ高等な悪魔かと思いきや、出迎えたのは大男でも邪悪な悪魔でも動く骸骨でもなく、身長の割には痩せた男だった。みた感じ、三十代前半くらい。もしかしたらもう少しいっているかもしれない。思わず拍子抜けしてしまったほどだ。
「まぁ、ただの男というわけでもないでしょうが」
こびりついた血の匂い、ぽつぽつぬぐい切れてない薄い血痕、憎悪怨念その他諸々。五人十人、もしかしたらもっと? 様々な血の匂いがあらゆる部屋からただよっている。
今杏樹が座っているベッドの上からも、強い恨みが感じられる。どんよりとした空気で、健全な人間なら数時間もいれば精神を病んでしまうだろう。杏樹は、「普通の人間」ではないから、その辺は別に心配する事はないが。
……さて、どうしましょうか。
あの男が悪魔ではない以上、杏樹に手出しは無用、あくまで祓い屋というのは、「人ならざるモノ」を祓うだけであって、けして中年の殺人鬼を殺すような便利屋であるというわけではない。かといって、このまま無事に屋敷を出られるはずもないだろう。多分ここでおやすみしたが最後、「死神」が魂をとりにくるなんて算段。そもそもここまで無差別に人を殺すのだから、何か理由があるはずだ。ただの快楽殺人鬼ならこうはいかない。それを探してみるのも、少しはいい暇つぶしになるだろうし。
「食事ができたぞ……食べられそうか?」
「あ、すいません」
「いや、こんなところに人が来るのも久々で……つい、作り過ぎてしまったんだ。沢山、食べてくれ」
何より、この男の、張り付つけたような笑顔を、爽やかな声を態度を、全て暴いてみたくなった。
二人で向かい合って食事をする。決して豪勢な食事というわけではないが、新鮮な素材を使っているのであろう食事はおいしかった。彼のマナーは洗練されていて、見ていてほれぼれしたほどだ。それに、会話をすればするほど、引き込まれているようで、杏樹は新しいおもちゃを買ってもらった子供みたいな気持ちが抑えられなくなった。もっと、遊びたい! せっかく手に入れた玩具を、箱の中にしまっておくような幼児はいないだろう。じっと観察してみると、男はとても美しいことに気付いた。さらりとした金色の髪は見た目年齢の割には艶がある。伏せられた瞼から覗く生気のない瞳は、珍しい緑色。ゾクゾクとさせられるような、硝子玉でもはめこまれたような、己を昂らせるソレ。端麗な顔立ちもそうであるが、わかった。何かに焦がれる男というのは、とても美しい。この男をここまで美しくしたのは、一体誰なのだろうか?
ある種の一目惚れだった。
この男のすべてを知りたい。すべてを奪いたい。すべてを犯してしまいたい。
金色の髪のような金縁のショウケースに飾っておくなんてそんな勿体ないこと。杏樹にとってはおいしいものは食べたくなるのと同じ感覚だ。完成されたものほど壊したくなる。そう結論付けて、杏樹は硝子のコップをとった。
「……あぁ、確かに、一種の淫魔と言われても納得いきまんすね」
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもありません」
水を飲み干して、綺麗な笑顔を浮かべた杏樹の脳に浮かぶ考えを、男はきっと知らない。
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