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2.伊勢くんが書いた小説「ダークムーンを救え!」
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ヒノモトの国、イセの里。
代々すぐれた神官や巫女を生んできたトバ家の屋敷は、ざわついていた。
なにかがあったらしい。母屋の中でも一番奥まったところにある、おれの部屋まで、不穏な空気が流れこんできていた。
開けはなした窓の外を見た。もう日が落ちかけて、うす暗くなっている。
握っていた小筆の先を硯にかけて、机から離れた。
襖を開けて、広々とした廊下に出る。廊下の先に、トバの家長であるフソウさんの姿があった。
「マサト」
挨拶をする前に、フソウさんの方から呼ばれてしまった。
「なにか、ありましたか」
「ああ。お前に話がある」
「はあ……。なんでしょうか。おれの部屋でよければ、お入りになりますか」
「そうさせてもらおう」
もう六十を過ぎているはずだけれど、フソウさんはかなり若く見える。この人は、おれの義理の姉妹であるミカちゃんとミハルちゃんの祖父でもある。
古ぼけた畳の上に、イセ随一と呼ばれる神官が座りこんでいる。おかしな光景のはずだけれど、おれからすれば、そう珍しいことでもなかった。フソウさんは、なぜか疲れた時におれと話がしたくなるらしく、供もつけずに、ふらっと現れることがあった。
「お茶、いりますか」
「いや。いい。お前に頼みがある」
「ええですよ」
「話も聞かずに承諾してくれるのか」
「信頼してますから。……で? この、ざわざわっとした感じと、無関係ではないですよね」
「察しがいいな。ムサシの都のさる筋から、若い貴人の男性の受け入れを頼まれていてな。
訳あって、この里にしばらくとどまらせたいとのことだった。二つ返事で受けたが、わしとしても、なにぶん初めてのことで、浮き足だっていたんだが……。
先ほどお車が着かれて、その方をここに招いたのだ」
「そういう話なら、事前に知らせてほしかったです。これでも、使用人頭ですんで」
「すまなかったな。あまり人に知られては困ると思ったのだ」
「その話、ミカちゃんとミハルちゃんは?」
「知らせていない。これからどうするかは、他の者とも相談して決めようと思っている」
「そんで?」
「ガトウを世話係として紹介したのだが、あちらが嫌だと。年も行きすぎているし、話が合わないと仰られて」
「どうして、あのおっさん……やなかった、使用人でもない半端にえらい方を、そういう役目に回してもうたんですか」
「本人がやりたいと言って聞かなかった。それだけだ」
「断ってくださいや。そこは」
「反省はしている。そこで、お前はどうかと」
「おれ?! いきなり、そう来ますか。女中の方がいいと思いますが」
「いや。ともかく、会ってみてくれないか。どうも、話しぶりが妙に気さくで、お前に合いそうだと感じる」
「『気さくな貴人』ですか。『雨の日の洗濯』ぐらいの違和感がありますけど」
「軒下に干せばいい」
「そういうことやなくて、ですね……。まあ、ええですよ。
どこにおられるんですか? その、変わった方は」
「客間にお通しした。寝泊まりは、そこになる。お前も続きの部屋で暮らしてくれ」
「うわー。落ちつかなさそうですね。それは」
「そう言うな。里の者には、貴人だとは知られたくないと仰っている。お前と年も同じことだし、友人だと思って接してみたらどうだ」
「むちゃくちゃなこと言いますね。まあでも、わかりました。行ってきますわ」
「よろしく頼む」
「あなたは、戻らないんですか」
「少し疲れた。ここで休む」
「ええですけどね。暗くなったら、行燈をつけてください。火の始末だけは、気をつけてくださいよ」
「分かった」
フソウさんは、本当に休んでいくらしい。おれが身支度をしたり、筆や硯を硯箱に入れたりしてる間も、ぼんやりとした顔で座っていた。
紙束と硯箱と着がえを、革で作られた大きな鞄につめて、肩からかけた。ふり返ると、フソウさんは寝そべっていた。
「寝るんですか」
「ああ」
「ええですけどね。なにかあったら、呼びますからね」
「分かった、分かった。早く行きなさい」
「かなわんなー。そしたら、行きますわ」
客間の扉の前には、しぶい顔をしたガトウがいた。
じめっとした雰囲気のせいだろうか。まだ四十にもなっていないはずの男は、下手をすると、フソウさんよりも年上に見えなくもなかった。
「フソウさんから、世話係を任されました。入らせてもらいます」
「お前か。拾われた者の身には余る仕事だぞ」
「おれを嫌だと仰るようなら、また他の者に回るだけです。使用人か女中がする仕事を、都で衛士をされていた方が奪うのは、いかがなものかと」
「あいかわらず、よく回る口だな。マサト」
「おかげさまで。入ってええですか?」
「この中におられる。くれぐれも、失礼のないように」
「はい。失礼します」
声をかけてから、両開きの扉を開いた。
代々すぐれた神官や巫女を生んできたトバ家の屋敷は、ざわついていた。
なにかがあったらしい。母屋の中でも一番奥まったところにある、おれの部屋まで、不穏な空気が流れこんできていた。
開けはなした窓の外を見た。もう日が落ちかけて、うす暗くなっている。
握っていた小筆の先を硯にかけて、机から離れた。
襖を開けて、広々とした廊下に出る。廊下の先に、トバの家長であるフソウさんの姿があった。
「マサト」
挨拶をする前に、フソウさんの方から呼ばれてしまった。
「なにか、ありましたか」
「ああ。お前に話がある」
「はあ……。なんでしょうか。おれの部屋でよければ、お入りになりますか」
「そうさせてもらおう」
もう六十を過ぎているはずだけれど、フソウさんはかなり若く見える。この人は、おれの義理の姉妹であるミカちゃんとミハルちゃんの祖父でもある。
古ぼけた畳の上に、イセ随一と呼ばれる神官が座りこんでいる。おかしな光景のはずだけれど、おれからすれば、そう珍しいことでもなかった。フソウさんは、なぜか疲れた時におれと話がしたくなるらしく、供もつけずに、ふらっと現れることがあった。
「お茶、いりますか」
「いや。いい。お前に頼みがある」
「ええですよ」
「話も聞かずに承諾してくれるのか」
「信頼してますから。……で? この、ざわざわっとした感じと、無関係ではないですよね」
「察しがいいな。ムサシの都のさる筋から、若い貴人の男性の受け入れを頼まれていてな。
訳あって、この里にしばらくとどまらせたいとのことだった。二つ返事で受けたが、わしとしても、なにぶん初めてのことで、浮き足だっていたんだが……。
先ほどお車が着かれて、その方をここに招いたのだ」
「そういう話なら、事前に知らせてほしかったです。これでも、使用人頭ですんで」
「すまなかったな。あまり人に知られては困ると思ったのだ」
「その話、ミカちゃんとミハルちゃんは?」
「知らせていない。これからどうするかは、他の者とも相談して決めようと思っている」
「そんで?」
「ガトウを世話係として紹介したのだが、あちらが嫌だと。年も行きすぎているし、話が合わないと仰られて」
「どうして、あのおっさん……やなかった、使用人でもない半端にえらい方を、そういう役目に回してもうたんですか」
「本人がやりたいと言って聞かなかった。それだけだ」
「断ってくださいや。そこは」
「反省はしている。そこで、お前はどうかと」
「おれ?! いきなり、そう来ますか。女中の方がいいと思いますが」
「いや。ともかく、会ってみてくれないか。どうも、話しぶりが妙に気さくで、お前に合いそうだと感じる」
「『気さくな貴人』ですか。『雨の日の洗濯』ぐらいの違和感がありますけど」
「軒下に干せばいい」
「そういうことやなくて、ですね……。まあ、ええですよ。
どこにおられるんですか? その、変わった方は」
「客間にお通しした。寝泊まりは、そこになる。お前も続きの部屋で暮らしてくれ」
「うわー。落ちつかなさそうですね。それは」
「そう言うな。里の者には、貴人だとは知られたくないと仰っている。お前と年も同じことだし、友人だと思って接してみたらどうだ」
「むちゃくちゃなこと言いますね。まあでも、わかりました。行ってきますわ」
「よろしく頼む」
「あなたは、戻らないんですか」
「少し疲れた。ここで休む」
「ええですけどね。暗くなったら、行燈をつけてください。火の始末だけは、気をつけてくださいよ」
「分かった」
フソウさんは、本当に休んでいくらしい。おれが身支度をしたり、筆や硯を硯箱に入れたりしてる間も、ぼんやりとした顔で座っていた。
紙束と硯箱と着がえを、革で作られた大きな鞄につめて、肩からかけた。ふり返ると、フソウさんは寝そべっていた。
「寝るんですか」
「ああ」
「ええですけどね。なにかあったら、呼びますからね」
「分かった、分かった。早く行きなさい」
「かなわんなー。そしたら、行きますわ」
客間の扉の前には、しぶい顔をしたガトウがいた。
じめっとした雰囲気のせいだろうか。まだ四十にもなっていないはずの男は、下手をすると、フソウさんよりも年上に見えなくもなかった。
「フソウさんから、世話係を任されました。入らせてもらいます」
「お前か。拾われた者の身には余る仕事だぞ」
「おれを嫌だと仰るようなら、また他の者に回るだけです。使用人か女中がする仕事を、都で衛士をされていた方が奪うのは、いかがなものかと」
「あいかわらず、よく回る口だな。マサト」
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「この中におられる。くれぐれも、失礼のないように」
「はい。失礼します」
声をかけてから、両開きの扉を開いた。
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