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第一章

少年期3

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 ところが院長先生の授業を聞き、将来をはっきり見据えたのは少数派だったようだ。一部の孤児は授業を終えたあとも気を落としたまま、鬱憤を溜め込んだように映った。

 なぜなら生意気盛りの男児の一部が、脚のハンデを理由に普段は相手にしないアドルフを邪険に扱い、乱暴な苛立ちをぶつけてきたからだった。

「のろのろ歩いてんじゃねぇよクズが!」

 むろんそんな真似をされても、実年齢ではるかに上まわるアドルフが腹を立てることはなく、彼は罵声を浴びせた連中を無視してまっすぐ図書室へむかい、放課後の読書をぞんぶんに楽しみだした。

 他の男子が外を駆けまわっているあいだ、彼は本の世界に没頭する。脚のハンデもあり運動ができないせいもあるが、その目的はもちろん、書物を通じてこの異世界セクリタナを知ること。〈施設に〉に入所して以来、毎日大量の読書をアドルフはおのれに課していた。

 こうした有益な環境は院長先生が与えてくれた。けれどアドルフが亜人族の差別をうっすらとしか理解していなかったことからわかるように、院長先生の蔵書には偏りがあり、年代でいえば新しい本より古い本が多い。特に多いのが、数百年以上むかしに書かれた古典文学。もっとも異世界の情報を集めると同時に、公用語であるゲルト語を学ぶことも重要な目的であったから、その意味ではいかなる本でも彼の血肉になった。

「ふん、これも恋愛小説だった。異世界の古典文学はなぜ色恋の話ばかりをテーマにするのだ?」

 一時間で一冊のペースで本を乱読するアドルフは、この日も瞬く間に三冊の小説を片づける。そしてぶつくさ独り言をいいながら誰もいない図書室を徘徊し、読み終えた小説を元の棚へ戻していく。

 つたない歩行をするたび、コツコツという音が、がらんどうの図書室に響き渡る。それは、アドルフが手にした杖が床板を叩く金属音であった。

 ちなみに図書室には四隅に設置された灯りがあり、間接照明のように辺りを照らしている。それらは、魔法と科学の融合を意味するコヴィエタという技術の結晶だ。

 そんな文明の利器のおかげで、彼は幼児期からずっと、純粋な夜を体験したことがない。後に知った事実だが、人狼は満月の光を浴びるとヒトの姿を失い、文字どおり狼男に変貌してしまう。そのことを踏まえた育ての親は、彼のそばにいつも灯りを置き、野蛮な獣と化すのを抑えていたらしい。同じことは〈施設〉でも引き継がれ、彼は月明かりをなるべく避け、満月の夜は早めに寝ることを指導された。

 なお真っ昼間から灯りをともす理由は、この図書室は地下にある空間で、元々は院長先生の蔵書を管理するための場所だったから。入所時の面談で早くも人並みはずれた利発さを示したアドルフを目にかけ、特別に使用許可をくれたのが図書室に入り浸るきっかけとなった。

 しかしこの部屋には鍵らしい鍵もないため、本当は〈施設〉の子供たち全員に解放されていると見なすことは可能だ。許可といっても口約束でしかなく、ようは貪欲に書物を、すなわち情報を求める者がアドルフの他にいなかったというのが真実のようだ。

 そんな彼が特に好んだのは、書物もそうだが、異世界に流通する新聞のたぐいだった。

 前世を過ごした世界に比べると技術の進歩が遅れており、活版印刷の技術はないため、アドルフの手にする新聞は木版印刷によるものだ。それでも週に一部は発行されており、値段は庶民が買える程度。発行しているのは隣接した城塞都市ビュクシの情報屋である。

 いまにして思えば、記事になる事件の多くは亜人族が関与したものであり、そこには明確な差別意識があったことは疑いがない。

 他方できょうの記事で目についたのは、王族のなかでも次期評議会議長の座に就く見通しになった、辺境州総督アラン・レオポルト・バロシュ殿下が、定例の全体会議のためにビュクシを訪問予定であること。ならびにジャガイモの促成栽培法が開発されたこと、そして魔法石の価格が依然上昇中であるというニュースだった。

 最初の記事にかんして、アドルフは「ようやくか」と思った。評議会議長の座は数人の王族がポストを争っており、その動向がかねてより注目されていたからだ。

 また最後について言うと、アドルフは一ヶ月前にも同じ記事を読んだし、記憶を遡れば、魔法石の高騰は半年前から断続的に報じられていた。きっと新聞の読者である層にとってそれは注目に値する情報なのだろう。

 ――ふむ、すぐには役立たんものだが、異世界を理解することは我にとって、ドイツの栄光を取り戻す第一歩だからな。

 おのれの秘めた心をさりげなくつぶやき、新聞の情報を頭に刻み込んだ後、アドルフはふと今しがた読んだ本の感想を思いつく。

 その本は物語の筋こそ平凡だったが、彼の知らない新規な情報が記されていた。何を隠そう、いまからはるか昔の時代において、短く刈り揃えられた口ひげ、すなわちチョビひげは、男性の偉大さを象徴するものとして扱われていたのだ。

 チョビひげといえばアドルフのトレードマーク。自尊心が高く、うぬぼれ屋の器質のある彼は、おかげですっかり上機嫌だった。

 そのときである。彼の両耳に、ひどく騒がしい音が飛び込んできたのは。
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