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第一章

少年期9

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「おや、君たちか。何の用だい?」

 院長先生の奥さんに鉢合わせたフリーデとアドルフは、彼女のあとを付いていき、先生の書斎へと足を踏み入れた。その開口一番、ゆったりしたローブを羽織った院長先生は、むかっていた机から視線を離し、二人の顔を交互に見つめた。

 突然押しかけたにもかかわらず、嫌がる雰囲気はなく、おかげでアドルフも、ここに来た目的を遠慮なく告げられた。

「率直にいうと、我とフリーデは昨日の授業で先生の話したことにショックを受けた。亜人族は差別されているという告白だ。しかしそれを聞き我々は、容易く屈服する気もないという結論に到った。フリーデは軍人になる夢を見ておるのだから当然の話だ。ところが先生の話に刺激された連中は、やり場のない怒りをフリーデや我にむけ、ヒト族の子供らがそれを背後で煽っておる。根深い差別は一足飛びに改善されんだろうが、せめてこのトルナバで不当な扱いを撤廃させたいと我らは誓い合った。その後ろ盾になって頂けないだろうか?」

 伝えたい思いはやまほどあり、アドルフの説明は思いのほか長いものとなった。

 たいする院長先生の反応だが、表情を一切変えず、アドルフの話に小さく頷き、身ぶりで相槌をうっていた。そしてアドルフがひと通り話し終えると、穏やかな表情を真顔に変え、何を思ったか、椅子に座ったまま頭をゆっくりと下げた。

「どうやら昨日の話は時期尚早だったかもしれない。心の準備ができていない状態で口にすべきではなかった。いつか伝えなければならなかったという考えで、結果として君たちを不当な目に遭わせた。ヒト族の子供といえば、町長の息子のヤーヒムだろうね。彼らのことは念頭になかったし、それは私のミスだ。素直に謝らせてほしい」

 院長先生は、子供側の反応を読み違えていたのか。いずれにしろ、予想外の謝罪に隣のフリーデが思わず何かを言いかけた。

 しかし先生には、さらに発言の続きがあるらしく、ゆっくり頭を上げたままの視線はアドルフ、フリーデの両名に注がれた。

「そんな私に言えた義理ではないが、軍人になる夢は諦めなさい。私は聖隷教会が唱える天賦説を拒み、夢の大事さを説いてきた。しかしそれは、昨日の授業で言ったとおり、手にした自由の範囲でのみ有効だ。私は《主》が全てを決定しているという天賦説には反対の立場だが、あたかも運命のようなものが存在しうると同時に思っている」

 そこまで言い終えると、院長先生は小さく息を吐き、重々しい調子で残りの言葉を放った。

「私が信じる運命とは、あくまで具体的な人間関係の間に生じるんだ。《主》は全能ではない。運命を生み出しているのは我々人類だ。かなわぬ夢を抱くなら、目の前の壁というめぐり合わせ、自分が直面した運命を変えなさい。それがきわめて困難だと思えばこそ、私は君の夢を否定する。フリーデ、アドルフ。君たちを子供扱いしないからこそ、少々厳しいことを言った。私を恨んでも構わないよ」

 さぞ衝撃を受けているだろうとアドルフが隣を見ると、フリーデが口をへの字に曲げ、何ともいえない表情をしていた。納得したのか、反発を覚えたのかわからない表情。しかしそこにわずかな揺らぎを感じとったのか、先生はもう一度べつの言葉を重ねた。

「逆にいえば、《主》が決めていないからこそ、運命は変えることができる。私がフリーデなら、べつの夢を見つけ、運命に抗うだろう。幸い君には魔法のセンスがある。冒険者になっても新たな〈開拓〉の最前線に立てる。軍人だけがその担い手ではないよ」

 その発言を聞き、アドルフは感心してしまった。まるでフリーデがエミーリアの伝説に触発されたのを知っているかのごとき発言だったからだ。こういう一を聞いて十を知るかのごとき知性が院長先生の真骨頂である。

 とはいえアドルフ自身は、このとき以前とは違った角度である事実を看破した。やんわりとフリーデの夢を潰しにかかった院長先生の立場も、聖隷教会の敬虔な信徒にすれば、きわめて冒涜的であること。

 天賦説とは、ひらたくいうと「置かれた場所で咲く」ことを求める。人間は《主》に下された運命をまるごと受け入れ、その導きに従って生き、決して抗ってはならないという考えだ。

 その意味では、いずれ聖隷教会に目をつけられ、先生やその教えを学んだ自分たちに累が及んでも不思議はない。だが心配を挙げていったらきりがない。人生にはさまざまなリスクが埋まっており、それらは地雷として、だれかが踏めば爆発するようにできている。ひとはいまできることを全力でこなす他ない。

 そんなことを思いついたアドルフの横で、深い頷きを見せながらフリーデが言った。

「ゴールが同じなら、何者になるかはさほど重要ではない、と先生は考えているのか?」
「そうだね、そうとも言えるね」

 ふたりの考えが一致したところを見届け、アドルフはもうひとつの本題を口にした。

「フリーデよ、思い出せ。お前は夢を叶える一方で、このトルナバを覆う差別を変えねばならん」
「忘れてないさ」

 きっぱりと言い返し、フリーデはこぶしに力を込める。こちらはこちらで、相当腹に据えかねているのだろう。院長先生も話題の転換に反応し、今度はアドルフのほうへ視線を移した。

「差別を変えねば……か。アドルフは図書室の本以外に興味がないと思っていたよ」

 冗談めかして表情を崩すと、先生は矢継ぎ早に質問を口にした。

「私の発言をきっかけに、規模こそ小さいが迫害が生じたのはわかった。それを変える後ろ盾になってほしいという話だったね。具体的にどうすればいい?」

 賢い人間はときに単刀直入に話す。無駄話を許さないその様子を見て、アドルフは問題の本質だけを端的に答えた。

「願いはふたつある。ひとつは何が起きても味方をすること。もっとも不正義と戦うにあたって我は暴力を用いないから、そこは安心して貰いたい。くわえてもうひとつの願いは――」

 アドルフはここで一拍置き、切り札を述べるかのごとく落ち着いた声を放った。

「先生の娘、ノインを借りたい。彼女に協力させるよう、説得して貰いたいのだ」
「そんなことでいいのかな?」

 最後の願いはちょっと目的が掴めなかったらしく、院長先生は戸惑いを浮かべたが、アドルフにとってそれは想定内だったので、

「むろん、ノインの助力以外は求めん」

 彼はきっぱりとした口調であらためて念を押すのみだった。

「わかった、ノインには私のほうから話しておく」

 先生はその持ちかけに深くは立ち入らず、結論のみを承諾した。しかし問題解決にむけぐいぐい突き進むアドルフの考えを肝心のフリーデは把握しておらず、会話に遅れをとった彼女は眉尻をつり上げ、怖い顔で言った。

「待ってほしい。どうしてノインが必要なんだ?」

 聞き方によっては、目的も不明な女を新たに仲間へ引き入れることへの反発に見えたが、アドルフの目にはさほど重要なことに映らない。

 自分たちの差別を解消するためには、多数の人間を巻き込み、ダイナミックな動きをすることになる。その入口でいちいち目的を語り、手品のタネを明かしていくときりがないのだ。
 よってアドルフの返答もじつに淡白なものとなる。

「正解へ到る扉は正しい鍵があってはじめて開く。ノインはそのための鍵だ。なに、じきに必要性がわかる」
「勝手に決めるなよ。少しは相談くらいしてほしい」

 依然として不満を述べるフリーデだが、その口調はだいぶ大人しめになった。

 そう、全ての地図はアドルフの頭のなかにあり、それを他人と完全に共有する必要性はない。この異世界にアドルフが二人いる意味はないのだ。

 また同時に彼は、院長先生の後ろ盾とノインの協力を約束させたことで早くも〈計画〉の成就に確信を抱いた。
 もとより誇大妄想的なきらいのあるアドルフだが、まったくの無根拠で行動を起こすことはない。言い換えれば、勝算はあるのだ。そして彼がたちむかうべき試練、すなわち運命は、院長先生も言ったように《主》の与えたものとは限らない。

 つまり変えようと思えば変えられると見なすべきなのだ。その揺るぎない摂理を胸に刻み、目の前にある階段と、そこに鎮座する柱ををイメージしたアドルフは、心のうちで毅然とした決意を唱えた。

 ――運命よ、そこをどけ。我が通る。
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