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第二章

衝突4

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「待ってくれ、いまヒト族が収容されると言ったな。それはどういう意味だ?」

 舌鋒鋭く迫るアドルフに口撃を避けられないと悟ったのか、ゼーマンはこちらを一瞥しながら短い言葉で切り返す。

「……優秀な亜人族を解放しながら、不心得者なヒト族を収容する。上層部がそう判断したんだ。オレは詳しいことは何も知らねぇ」

 ゼーマンはそう言ったきり、口をつぐんだ。
 彼の本心は当然わからない。公平に見れば、ゼーマンは口を滑らせただけに映る。ただひとつ明白なのは、今後ヒト族も収容政策の対象になるということだった。

「なぜヒト族が収容されるのかね?」

 さらに追撃をおこなうアドルフだが、正直答えはないと思っていた。そして答えは得られなくても、すでに重要な証言を手に入れていると感じていた。

「貴様の知るべきことじゃねぇよ」

 やはりゼーマンは吐き捨て、回答を拒絶する。想定内の反応だ。

 ――こやつめ、ノインの命を天秤にかけて我を追いつめた気でいたようだが、立場が逆転したな。

 アドルフは小さくつぶやき、心の奥で勢いを取り戻す。

 なぜ彼が勢力を盛り返したのか、普通は気づきにくいことかもしれない。だがここで、アドルフがその前世で収容所建設の指揮を執った極悪人であることを思い出してみよう。

 悪は悪のみちに通ずる。自分に敵対する人間からあらゆるものを奪い尽くしたアドルフ・ヒトラーだが、収容所は決してただの刑務所ではないのだ。

 社会に害をなす者を閉じ込め、彼らのもたらす悪影響を体制側がコントロールするために造る。強制労働を課したり、ガス室送りにするのはあくまで管理手段のひとつに過ぎず、副産物である。

 だとすれば、ヒト族はいったい何をしでかしたのか。亜人族収容の理由は、敵国であるムスカウ共和国と通じたスパイの摘発だった。しかし同じような理由をアドルフは日々陰に隠れて目を通した新聞に見つけた記憶がない。

 ――ということは、ヒト族が収容される原因は機密事項なのだな。状況が見えてきたぞ。今後何らかの理由でヒト族の収容者が増える。そうなると収容所が手狭になるため、危険性の低い亜人族には解放を与え、危険性の高い亜人族はガス室送りにする。きっかけはゼーマンが隠したヒト族収容の原因だ。ノインが処刑されるという話も、玉突きの結果起こる事象に過ぎん。

 先ほどまでの迷いが晴れ、アドルフの思考が鮮明になる。理由こそわからないが、魔人族の支配する社会は動揺しているのだ、ヒト族の収容をはじめねばならないくらい根底から揺さぶられている。

 ならばノインの処刑に関しても違う見方ができるのではないか。三年まえの法改正を今回反映することになったとゼーマンは言ったが、ようするにヒト族を収容するための人減らしが目的だ。決してノインに咎があったことが原因ではない。

 そこまで考えを進めるとアドルフは、自分の解放とノインの処刑という天秤のはかりが絶対的なものではないという認識に到り、それを踏まえるなら、一度は不可避と思ったノインのガス室送りを一気に覆せると判じた。

「貴様はおそらく出世を約束される。流れは止められねぇんだ。だとすれば受け入れろ」

 先回りしようとするアドルフに気づかないのか、ゼーマンは月並みなことをつぶやき、一周遅れのやり取りに会話を引き戻そうとする。むろんアドルフは、その言動に追従するわけがない。

 ふと視線が合ったフリーデとディアナが心配そうな顔を彼にむけ、いまにも「大丈夫なのか?」という声を発しようとしているのが目に入った。しかしアドルフは、あえて何もいわない。

 ノインの処刑を覆す方法はすでに見いだした。思考と行動を分離できるアドルフには造作もない芸当だったが、あとはそれを伝えるタイミングだけだ。

 沈黙はおよそ一〇秒近く続いた。それはゼーマンを焦らせるには十分であったらしく、彼は無意識で歯軋りをした。

 その小石を噛み砕くような音が合図となった。心持ち胸を張ったアドルフは、周囲の目を引きつけるように指を立て、甲高くしゃがれた声を船上に響かせた。

「ノインの処刑の是非を検証すべく、少尉の地位に即して軍法会議の開廷を要求する。下士官以下の兵士に関する開廷には将校以上の地位をもった軍人の申請と、その部下である者三名の支持、及び上官一名の認可が必要だったな。アドルフ班は我の味方だから、あとはゼーマン主任、貴公のサインが必要である」

 まったく唐突な申し出だったのだろう。アドルフが控えた手札を切ってもゼーマンは戸惑いの色を隠さず、ろくな反応も返してこない。

 たいするアドルフはゼーマンの表情を眺め、超然とした顔つきで要求の続きを語りだす。

「我はノインが反体制分子の親族であるという理由だけで彼女が殺されることを承諾できん。ニミッツ先生が本当に反体制分子であったかも曖昧だし、親族まで巻き込むことにも納得がいかん。だがもし、あらゆる法的な手続きが公正なものであると判じたときは、ノインの処罰をあまんじて受け入れよう。我にとっても苦渋の決断だ、開廷を支持して貰えないか?」

 ここまで語り終えるとゼーマンはようやく事態がのみ込めたのか、苦虫を噛み潰したような顔になって眉毛をつり上げた。

 当然のことながらゼーマンは、軍法会議の開廷など断ろうと思えば断れたはずである。収容政策の変更という任務を携えている彼は、ノインを救うような裁判の開廷などはねつけてしまえばいいはず。

 だがことはそう簡単ではないことをゼーマンは理解しているだろう。少なくともアドルフはそう感じとり、自分の正しさを再認識した。

「貴様、オレが断ったときはカフカ所長に頼み込むつもりだな?」

 短く言い放ったゼーマンの台詞。それは寸分違わずアドルフの思惑を語り尽くしていた。

 そう、忘れてはいけないことだが、アドルフは歴代の収容所幹部たちに認められた結果、少尉という特別な地位に就くに到った。つまりアドルフを取り巻く人間関係において、収容所の幹部たちは一枚岩というわけにはいかないのだ。ゼーマンが拒んでも、所長であるカフカが承認すれば軍法会議は開かれる。そしてノインの処刑が本当に妥当なのかあらゆる角度から検証されるだろう。

「カフカ所長以外にも、候補は何人もおる。もし法廷を有利に進めたいなら、貴公が承認する側にまわり、みずから検事を務めるほうがよいのではないかね?」

 そう、開廷を認めた上官は、法廷の構成に影響を与えられる。できるだけフェアな配置にすることもできれば、自分の意に染まった者を裁判官に送り込むこともできる。

 むろんアドルフは、ゼーマンがこの収容所内でどういう勢力図を作っているのかは承知していない。王都から来た特使という立場を使い、すでに全体を掌握しているのか。その辺りも不透明だ。

 しかしアドルフにとってこのタイミングで、軍法会議を開かせる狙いはもうひとつあった。一旦収容所に戻って熟慮を重ねると逃してしまう事案があるのだ。

 軍法会議の開廷は最短で三日後と内規で決まっている。きょうが十一月四日の金曜日だから、開廷を急がせれば来週の月曜日、ちょうど今月の七日に法廷を開くことができる。

 そこにどんな意味があるのか、ゼーマンは気づいていないように映る。彼はカフカ所長に申請するという別の手札に気をとられ、逃げ場のない判断に追い込まれていた。

 その証拠にゼーマンは、軍法会議の開廷そのものを食い止められないことに苛立つばかりで、有能な官吏としての姿を失い、獣のように唸っている。

「チクショウ、ナメやがって……」

 悔しげな叫びを押し殺し、その表情は瞬く間に紅潮していく。

 ――これは勝負あったな。次は当日の戦いか。

 相手の返事を待たず勝利宣言をつぶやいたアドルフは、朝日の輝く東の空を落ち着き払った顔で悄然と見上げた。
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