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第二章

軍法会議9

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「どうやら君と私の一騎打ちになりそうだな。ニミッツ殺害の嫌疑を晴らせとのことだが、ひとつ面白いことを教えてやろう」
「ふむ、面白いこと、とは……?」

 アドルフが肩をすくめると、カフカは急に愉しげな声で発言を続けた。

「記憶というのは面白い物だな。ニミッツに下した罰を思い出した途端、芋づる式に当時のことが甦ってきたよ。ニミッツは本業である金細工の取引を通じてトルナバのみならず、全国に取引相手をもっている男だった。彼はそのネットワークから情報を集め、とある商人に売っていた。その商人こそ、ムスカウの送り込んだ亜人、すなわち敵国のスパイだ」

 水が上から下に流れるような淀みない発言だったが、その内容は法廷に地鳴りのごとき衝撃を与えた。スパイ事件への関与が曖昧であったノインの父が、直接スパイ行為に手を染めていたという証言がなされ、その意味を読みとった者から順に声をあげた。むろん驚嘆どころの騒ぎではない。

「やはりニミッツの野郎が!」

 カフカの発言を受け、俄然勢いづいたのはゼーマンだった。ここぞとばかりに演台を叩き、溜め込んでいた欲求不満を爆発させる。

 そんなゼーマンの叫び声はしかし、傍聴席の騒音が掻き消してしまう。傍聴席にいるトルナバの亜人族にとって、院長先生は地元の名士であり、嫌疑はシロだと彼らは信じていたのだ。

 そんな囚人たちの本心を代弁するかのごとく、フリーデが声高に叫び声をあげた。

「――うそだ!」

 彼女は演台に拳を置き、鋭い目つきでアドルフを見た。彼に同意を求めたのだ。カフカはでたらめを言っており、その醜悪な抵抗をいますぐ叩き潰してほしいという願いを込めて。

 しかしアドルフは、院長先生の名誉に興味はないと言わんばかりに、

「ニミッツ氏がクロだとしても、ノインを罪に問うことは遡及法である」

 落ち着き払った声で、平凡な擁護を口にする。
 この陳述はしかし、これまで法廷を見ていた者にとって違和感を抱かせる。特に検事役のゼーマンは、アドルフの失言を見逃すはずはなかった。

「貴様は何を聞いていた。ニミッツの野郎が完全にクロなら、ノインは連座制で罪に問われるんだぞ」
「そのとおり。もし遡及法を退けたいのなら、弁護人は連座制の適用について疑問を示さねばならない。だがそれは無理だろうね」

 本来アドルフが言うべきことを先回りし、カフカが口の端をつり上げながら言った。しかし彼の発言はこれで終りではなかった。

「連座制と言えば、ひとつ思いついたことがある。ノインを罰するついでに君も罰しよう。反体制分子であるスパイを擁護し、傍聴席にいる囚人たちに誤った認識を植えつけようとした。国家反逆罪は連座制だ。君はニミッツの罪の連帯責任を問われる。どうだろうか、ゼーマン検事?」

「あ、アドルフを罪に……?」

 唐突な提案に、普段は粗暴で鳴らすゼーマンも慌てて声を失った。彼だけではない、ミシュカもラグラウ司祭もカフカを凝視して彫像のように固まっている。

 しかしアドルフだけは違っていた。彼はカフカの示した妥協案を何度も無視した。その結果、カフカが腹を立て、何らかの理由をこじつけ罰を下そうとすることは予想がついていたからだ。

 おそらく彼としては、カフカの手の内を全部引きずり出したいのだろう。あえて凡庸に振るまい、鋭い反論をくり出さないのはそれが理由だ。
 むろんそんな彼にも疑問はあった。具体的に言うと、国家反逆罪が問われる対象範囲だ。

「連座制を持ち出すのは結構だが、国家反逆罪の問われる年齢は何歳からかね?」

 アドルフが疑問をむけたのは、茫然とした様子のゼーマンだった。

「ね、年齢……? ちょっと待て、そう……確か一〇歳だったな」

 何とか答えを絞り出したゼーマンから目をそらし、アドルフは壇上のカフカを細めた目で見上げた。

「だとすると、ニミッツ氏殺害当時、我は八歳だった。責任能力がない」
「現在は一七歳だろう。成人して責任能力もある」

 カフカの反論は素早かったが、想定内だったアドルフは返す刀で言う。

「それは遡及法になる。法の適用は事件当時のものでなければならない」
「すでに議論した問題だ。国家反逆罪は遡及法が適用可能だ。君は罪に問われる。諦めろ、アドルフ」

 怒濤の口撃でカフカはアドルフを追いつめた。少なくとも、そのように見えたと思う。なぜなら二人のやり取りを注視していた囚人たちが、底知れぬ不安から嘆きのようなものを洩らしはじめたからだ。アドルフの反撃が思いのほか弱く、カフカの攻勢が的確なため、自分たちの味方であるアドルフが窮地に立たされたと判じたのだろう。

 そしてこれまでは囚人を煽る側にいたフリーデも顔を俯かせ、悲哀のこもった視線でじっと床を見つめるのみだった。
 ところがこの瞬間、たったひとりだけ流れに逆らう者がいた。裁判官席についたラグラウ司祭である。

「アドルフの弁護が国家反逆罪にあたるというのは釈然としない。彼は自分の仕事を果たしただけだ」

 彼女は毅然とした声で言い、隣り合わせに座るカフカを一瞥した。

 俄に外堀を埋められていくアドルフへの擁護としては、じつに明解な発言。だがそれでも、裁判の主導権を握ったカフカは動揺した様子など一切見せず、ラグラウ司祭の指摘を鼻であしらった。

「重要なのは結果だ。アドルフは少し意固地になり過ぎた。私は何度も落とし所を提案したが、それを拒んで収容当時の話を掘り返し私に不快を与えた。やり過ぎたのだよ、彼は」

 この反論に、こぶしを握り締めた司祭は何も言い返せない。押し黙ってカフカのことを睨み返すのみだった。

「反論できないようだな。だがそれでいい。君まで意固地になることはないんだよ、リッド」

 司祭を愛称で呼び、満足げにカフカが笑んだ。それは一種の勝利宣言に他ならないとアドルフは胸の内で感じとった。

 しかし、この程度で敗北を喫するほど彼は安い男ではない。その証拠に突如、地上を直撃する稲妻のような叫び声がした。
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