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第二章

軍法会議10

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「――話はまだ終わっておらん!」

 声の主はもちろん、アドルフである。

「この期に及んで何を言うか。もうとっくに終わっている」

 カフカが呆れ顔をこしらえ、口許には嘲るような笑みが浮かんだ。しかしアドルフは、ただ漫然と彼らの応酬を眺めていたのではなく、やがてこぼれ出るだろうカフカの失言を待っていたのである。

「フン、馬脚を現したな、カフカよ」

 彼が浮かべた表情は傲慢そのもの。言葉遣いも変わり、突然の豹変に傍聴席からざわめきが沸き起こる。隣に立つフリーデも、目の色を変えてアドルフを見た。

「……馬脚だと?」

 ひとりだけ冷静さを保つカフカだが、引っかかりを覚えたのか憮然とした声を放った。これを正面から受けとめたアドルフは、壇上のカフカを睨みつつ罵声に近いものを浴びせかける。

「我が貴公の思惑に従わないと見て、虚偽の罪をでっちあげたな。連座制など笑止千万。そもそも我は罪に問われるどころか、トルナバでの収容に際して国に貢献しておる。むしろ勲章を頂きたいほどだ」
「勲章がほしいだと? 何を寝ぼけたことを言っている。君は罪人に落ちたんだよ、もう閉廷だ」

 カフカは木槌を叩き、アドルフの発言を封じようとした。しかし彼の勢いはとどまることを知らない。

「まだ続きがある。何を隠そう、ニミッツ氏を収容した魔人族に売り渡したのはこの我だ。国家反逆罪どころか、味方を売って国家に尽くしたことの何よりの証拠だ」

 アドルフの陳述は、ほどよい加減に荒々しく、同時によく通る声だった。その表情は、心のあり様が読めない感情を欠いたものへと変化していく。したがって応じるカフカも、得体の知れない様子に苛立ったのか、腹から絞り出すようにアドルフを激しくなじった。

「でたらめを言うな! 先ほども言ったとおり、私は当時トルナバにいたのだぞ。お前が我々に手引きをしたなどという覚えは一切ない」

 もちろん、そうした反応はアドルフの狙いどおりである。だとすれば当然、彼の話には続きがあった。

「なるほど、カフカよ。貴公は我がニミッツ氏を売り渡したことを覚えておらんと言うわけだ。しかしわずか一〇分ほど前まで、貴公は自分がトルナバの収容に関わったことすら忘れておった。同じように我の関与も忘れているのだ。みずからの記憶違いを理由に我の主張を否定することはできん」

 このひと言は、狙い澄ました決定打だった。さながら研ぎ澄ましたナイフのように、アドルフの主張はカフカの心を貫いた。
 その証拠にカフカは何かを言い返そうとしながらも、軍服の胸元を掴みとり、端正な顔を紅潮させていくばかりだ。

「どうなんだ、裁判長?」

 傍聴席は騒然としはじめ、そのざわめきを打ち消すように隣り合ったラグラウ司祭が乱暴に問うた。

「何度も言わせるな、でたらめだ!」
「馬鹿を言え。真実である」

 泡を食って否定をくり返すカフカにたいし、アドルフはきっぱり言った。そしてそれは、傍聴席に座るパベル殿下へむけた言葉でもあり、彼はここぞとばかりに勝負に出た。

「ノインの手前黙っていたが、我は知っておったのだ。ニミッツ氏が大金に目の眩んだ強欲な人物だと。資産家でありながら、さらなる金を求め、ムスカウの示す報酬に転んだのだ。彼は守銭奴だった。いつも金庫を大事そうに抱え、我々〈施設〉の子供らよりも金を愛していた」

 こうしたアドルフの口撃は、ひとつの意味を有していた。それは、自分が国家反逆罪を被るに値しない潔白な人物だと証明し、なおかつそれを法的に証明すること。これらの目的を達成するべく、彼は激しい口調で詭弁を真実だと思わせるような弁論術を駆使する。

「我は当時、魔人族の到来をいち早く察知してニミッツ氏の逃亡を助けられる立場にあった。しかし我は彼を裏切った。ニミッツ氏が守銭奴だと理解しておったからだ」

「記憶にない!」

 守勢にまわるはめになったカフカは首を横に振って言う。だが――。

「忘れてなどいなかったはずだ。覚えていながら、我の利用価値を考慮し、わざと記憶をなくしたふりをして公正な軍法会議の私物化を図ったのだ、貴公は」

 みずから悪人の汚名を着るという大胆な行動によって法廷の流れを一気に変えてしまったアドルフ。とはいえ彼の反撃はそろそろ終りを迎えていた。

「裁判長の悪だくみが明らかになったようだな。すでに述べたとおりノインの父は強欲な守銭奴で、子供たちへの扱いもそれはひどいものであった。そして我の想像では、親が子を精神的に支配した場合、国家反逆罪の連座制は適用されないことになっておるのではないかね? 子供を平気で虐待するような親は親ではないからだ。つまりノインは――」

 全てを見通すような顔で、アドルフはその発言の続きをゼーマンに託した。

「き、貴様の言うとおりなら、罪には問えない……」

 苦虫を噛み潰したような表情で、肩を落としながらゼーマンは言った。しかしその声が人々の耳に届くかどうかのタイミングで、悪あがきをする咎人のようにカフカが声を唸らせた。

「虚偽の申し立てで私を潰そうとしてもそうはいかんぞ。第一、証拠がない。君が強弁する当時の様子も私の記憶になく、かろうじて残っている記憶とも食い違っている。連座制を解除する条件も、私の記憶に存在しない限りおいそれと認めるわけにはいかない。すでに述べたとおり、ノインにくわえ、アドルフの罪を認めるべきだ。そして両名に処罰を下すのだ」

 アドルフの反撃は相手に十分な余裕を与えない速攻だったが、必死に体勢を立て直したカフカは極力、平静を取り繕って左右の裁判官たちを見た。

 さすがは収容所の頂点に立つ男の面目躍如といったところだが、アドルフの見立てによるとカフカはすでに詰んでいた。その予測を裏づけるかのように、憐れみのこもった顔でラグラウ司祭が言った。

「これまで法廷はおおむね公正に行われてきたが、不安定な部分もあった。それは、ニミッツ氏が国家にあだなす人物であったかどうかだ。検事はそれを完全に立証することができず、アドルフの記憶は証拠がない。彼の発言を退ける裁判長の意見はもっともだ。けれど私はアドルフの告白に真実味を感じとった。なぜならこの法廷を公正なものにすべく心を砕いてきたのは私たち裁判官でも検事でもない、弁護人であるアドルフだ。彼は裁判長の示した妥協案をのめば解放を得られる立場だった。しかしそれを拒んだ。そのような者が嘘をつくとは思えない」

 少々長い弁舌だが、司祭はアドルフの支持を高らかに表明した。とはいえ彼女の存在が裁判の行方にどれほどの影響力をもちえたか、傍聴する亜人族はおろか、アドルフですら疑問を抱く。

 そしてその危惧は現実となった。
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