上 下
48 / 147
第二章

軍法会議11

しおりを挟む
「ならば多数決をとろうではないか。もう審議は尽くした。アドルフの主張を認め、彼やノインの嫌疑を晴らすべきだと思う者は挙手して頂きたい」

 法廷を強引に締め括ろうとして目をぎらつかせたカフカ。その動機をアドルフは寸分違わず予測することができた。

 おそらく司祭は、口数こそ多くなかったが、権力の有無は判然としないが権威を有しているのだろう。その証拠にもう一人の裁判官、すなわちミシュカ副所長は急に判断を迫られ、泡を食ったような顔つきで言葉を失っている。司祭と所長の判断が食い違い、どちらに味方すべきか答えが出ないのだろう。

「どうしたミシュカ、悩むことではあるまい。私は君の地位をどうにでもできるのだぞ」

 ついにカフカは実力行使をほのめかした。だが彼の発言は同時に司祭の逆鱗に触れる。

「法廷の私物化がすぎるのではないか、裁判長。それはさすがに公正さを欠くぞ」

 険しい表情を浮かべ、ラグラウ司祭がカフカを咎めた。しかし彼とてその程度の反論は想定の範囲内であったに違いない。

「審議は尽くしたと言っただろうが。公正さはそれにより担保されたのだ。これ以上、法廷をいたずらに長引かせる意味はない。アドルフか私か、どちらを選ぶか決を採る」

「いいだろう、私はアドルフの言い分に一票入れる」

 決然と言った司祭が顔の横に右手を掲げた。カフカの専横に逆らった形だが、問題は残りのミシュカだ。

「副所長。いまさっきは心にもないことを口にした。私は君の働きを買っている。いずれ外地に転任することとなったとき、後任に就けるほど信頼できる部下は君しかいない。その事実をよく考えて貰いたい」

 一度は脅迫しながら、あっさり手のひらを返して懐柔する態度に出たカフカ。飴と鞭の使い分けは権力者の常套手段だ。そのことをよく知るアドルフは、カフカの手綱裁きに感心しつつも、それ以上発言を許せば勝訴が逃げていくと直感的に判じ、壇上のミシュカへ声を放った。

「どのような判断を下そうとも、公正にやって貰いたい。さすれば、貴公がどのような結論を下そうとも受け入れる覚悟が我にはある。裏を返せば、不公正な判断はその身にはね返ってくるぞ」

 土壇場に立ちながらも、毅然とした声色でアドルフは述べた。それを受け憤然としたカフカが声高に言った。

「裏切りは許さない。私の主張を支持するなら、その身で示すのだ」

 もはや強引な押しつけだが、なりふり構っていられないのだろう。現にミシュカはその怒気に圧され、浮かした片手を俯いたまま引っ込める。

「フン、良い判断だ。国家反逆罪の適用でノイン、アドルフ両名の処刑が決まった。これで閉廷だ」

 裁判長のカフカが木槌を叩きつつ判決を諳んじ、軍法会議は彼の願望に沿う答えに着地した。その判決はすぐさま傍聴席に動揺を呼び込み、不本意な結末になったことで囚人の多くが不満を覚えたことが判じとれた。

 そして何より、被告人席のノインは雷に撃たれたように震え、その場にしゃがみ込んでしまった。言葉の応酬にのまれ、存在感を失っていたフリーデは、ノインの様子を哀しげな目で見つめるのみだった。

 しかし肝心のアドルフだけは違った。彼は弁護人席を一歩も動かず、腕を組みながら悠然と虚空を見つめ、閉廷の声が聞こえなかったかのような態度をとる。

 判決に不服なのは明らかだが、相変わらず感情の読めない顔だった。よく見れば、口許にうっすらと笑みを浮かべており、やがてアドルフは騒然としはじめた教会内を揺るがすような声を静粛に放った。

「最後まで公正さを欠いたまま導かれた判決など茶番である」
「そんな言い訳は通らん」

 アドルフの抵抗をカフカは握り潰した。少なくとも法廷内の権力関係でいえば、裁判官の下した判決に弁護人が抗う術はもう残っていない。

 しかしアドルフはまったく動じていないどころか、じつに尊大な様子でカフカを見つめ直した。まるで抵抗を止めなければ勝訴は転がり込んでくると言わんばかりの構えで。

「もう一度言う、閉廷だ。しぶとく居座るようなら衛兵を呼ぶぞ」

 自分の命令に従わない法廷の動きに業を煮やしたのか、権力を振りかざしてカフカが言う。その発言は文字どおり最後通牒に他ならなかった。しかしその直後、だれかの声が雑然とした法廷の空気を破った。

「いや、アドルフという亜人の言うとおりだ。この法廷は国家の法に照らし、国家のために行われていると見せかけながら、実際は裁判長の思惑に照らし、裁判長のために行われた。戯言はそこまでにしておくのだ」

 声には人間の特徴が出る。その発言は、名もなき囚人が述べたにしては驚くほど威厳があり、また耳を疑うほど品格に溢れていた。

 おそらくそのためだろう、閉廷を命じたカフカも動きを止め、怪訝そうに応じる。

「何者だ?」
「ほう、余の顔を忘れたか」

 そう言って声の主は、傍聴席から立ち上がって、前に進み出た。閉廷が告げられたとはいえ、傍聴席の人間が一線を越えるのは許されざる行為だ。

 しかしアドルフはこのときを待っていた。ずっと待ちわびていたと言っていい。想定外が起きたときの保険。理詰めで想定外は潰したものの、それでもエラーが起きるのが現実だ。その現実に対処するため、不条理の側に立たない人物を彼は求めた。言うまでもない、パベル殿下である。

 ちらりと傍聴席を見やると、席の奥からディアナが親指を立てていた。視線を戻すと、冒険者ふうの身なりをした若者が虹色に輝く白い髪をたなびかせて裁判官席へと近づく。

 その動きを訝しげに眺めていたカフカだが、若者が目の前に近づいた途端、急に裏返った声を出す。

「はっ!? こ、これは失礼いたしました、王子殿下!」

 カフカは耳慣れない言葉、すなわち魔人族の使うセルヴァ語を叫びだし、席を立ち上がって体を二つに折った。その動作を目の当たりにして、傍聴席の職員たちがざわつきはじめる。煩わしい喧噪が突如巻き起こったが、冒険者ふうの若者は空気を切り裂くように壇上を一喝する。

「囚人の上にあぐらをかき、思い上がりに染まって法廷を私物化する。そんな調子だから余が何者であるかもわからずうろたえるのだ。身の程を知れ、下郎!」

 アドルフはセルヴァ語を学習したことがあるため、発言の意味は伝わっていた。

 そして数瞬遅れで、裁判を引き取った若者の正体に確信を抱く。冒険者ふうを装っているが、彼はイェドノタ連邦でもっとも高貴な存在、王族なのだ。彼こそはアドルフが切り札として用意したパベル殿下に間違いない。

 弁論術にくわえ奇策も駆使しながら徹底的に攻め、カフカから不条理な反応を引き出したことが功を奏したわけである。パベルとおぼしき若者は顔色こそ普通だが、明らかに腹を立てていた。その証拠に裁判官、とりわけカフカの長身を睨みつけ、怒気をはらんだ声を教会中に響かせる。

「この法廷は余が、すなわち辺境州総督パベル・リブイン・バロシュが預かる。判決はやり直しだ。そこの亜人族、安心せよ。お前たちに下った罰は撤回される。死罪などもってのほかだ」

 決然と言った若者は腰に差した長剣を抜き、傍聴席を振り返って職員と囚人を黙らせた。おろおろと視線をさまよわせるミシュカに、痛恨の表情を浮かべるカフカがアドルフの視界に入る。

 二人の怖じ気づく態度を眺めたアドルフは人知れず自分たちの勝訴を確信し、心の底で喝采をあげた。
しおりを挟む

処理中です...