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第二章

晩餐会3

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「なあ、アドルフ。お前は解放されたあと、どうやって生計を立てていくつもりだ?」

 ワインを軽く飲み干しながら、余韻を楽しむようにパベルが言った。アドルフはグラスに手をつけたが、それを口にすることはなかった。それどころか彼は一瞬、返答につまる。

 なぜならパベルの放った問いは、アドルフにとって非常に重い意味をもつからだ。何しろ彼は手持ちの金すらない。このまま解放されても丸裸で放り出されるのと同じだ。

 そしてその問いは、他の班員たちにとっても関心事だったのだろう。彼女たちは注がれたワインに眼もくれず、不安げな顔で視線をむけてくる。

 とはいえ本当のことを言えばアドルフは、軍法会議で勝訴したとき、もうすでに先の見通しをつけていた。完璧とは言えないが、現実味のある見通しを。しばらくしてアドルフは、その腹案を渋りながら口にする。

「解放後のことは、確かに問題である。大前提として我には先立つものがない。自由を得て、たとえば冒険者になれたとしても、金もなく仲間もいなければ、魔獣狩りもひと苦労であろ。だとすれば、ある程度の期間、収容所に残り、金と引き換えに労務を続けようと思っておる。抜群の利益をあげ、国への貢献に努めれば、ここにいる班員たちにも解放のチャンスがめぐってくるかもしれん」

 そこまで言うとアドルフは、班員たちをぐるりと見まわす。彼女たちはアドルフの発言に心底驚いたらしく、体の動きをとめ、眼を見開いていた。

「僕たちの仲間のままでいてくれるのか?」

 ぽつりと言ったのはフリーデである。

「そうだな。顔見知りのほうがやりやすい。技量も理解しており、融通も利く」

 アドルフの申し出はやや一方的なものだったが、恐らく是非もなかったのだろう。彼に視線をむけた班員たちはその顔を桜色に染め、ひどく感激している様子だった。

 他方でアドルフは、肝心の金儲け、すなわち労務の利益向上には並々ならぬ自信があった。その証拠に午前の軍法会議で、カフカは三年で利益を倍にしてみせろと言い放った。裏を返せば、アドルフならそのくらいの成果をあげられると人々は目しており、彼自身これまでの経験からそうする自信もあったのだ。

 よっていまのやり取りの結果、アドルフの先行きを心配したパベルは取り越し苦労ということになり、現に彼は分厚いステーキにナイフを刺し込み、血の滴る肉片を口に頬張った。

 アドルフたちもその動きにならい、肉を切り刻む。ところが先に咀嚼し終えたパベルが、思いもかけないことを口走った。

「……少し提案させて貰いたいのだが、もしたった数日で一年かけて稼ぐだろう金を手に入れられる、そんな法外な仕事があると知ったら興味を持つかい?」

 それはあまりに唐突な申し出で、さすがのアドルフも理解が覚束なかった。パベルはその隙を突く形で、淡々と話を続けた。

「むろん、興味があれば、の話だ。もしそれだけの金があれば、ここにいるお前の仲間たちを解放に導くことが可能になる」

 パベルはその発言を何の留保もなく言ったが、アドルフにとっては予想だにしない提案だった。

「仲間たちの解放とは、どういうことだ……?」

 想定外の連続に、アドルフは珍しく言葉を濁した。そんなアドルフに人々の視線が集中するものの、彼は気づかない。パベルの持ちかけた提案は、アドルフをひどく困惑させていたからだ。

 一年間の労務で稼ぐ金と言われたが、それは途方もない額であり、たった数日で手に入れられるというイメージを彼はもつことができなかった。

 仲間たちの解放もそうである。耳を疑う提案にアドルフはパベルの正気を疑ったほどだ。酒が入ったことから出たジョークの類いにさえ聞こえたのだ。

 とはいえ視野の広いアドルフは、前後のやり取りをつなぎ合わせることで目の前の疑問をあっという間に解いた。

 食事がはじまった頃、晩餐に誘った理由をパベルははぐらかした。けれど最初から彼は、この途轍もない金儲けを依頼するためにアドルフたちを晩餐に招いたのではないか。

 そうした理解を確かめようとした矢先、パベルはうまそうにワインを飲み干し、自分の提案に新たな発言を付け加えた。

「見たところ話がのみ込めたようだな、アドルフ。思えば午前の軍法会議では、利益さえあげれば国家への貢献とみなし、解放を与えるという話だった。だとすれば余の提案を受け入れ、金を稼げば、それと引き換えにお前の仲間たちも解放の列にくわえられる。なに、実はもう手はずは整えているのだ。お前に依頼する任務には、そこにいるラグラウ司祭の協力を仰ぎ、すでに快諾を得ている」

 パベルとの会話に集中し過ぎて失念していたが、視界の片隅で司祭はステーキと格闘中だった。その様子を一瞥し、アドルフは思い出した。この部屋で会った瞬間、彼女が奇妙な発言をしていたことを。

 ――この女司祭、魔法の腕があるとか無いとかぬかしておったな。

 そう、アドルフの頭のなかで、晩餐に呼ばれたときからの情報が、それぞれ意味をもった伏線として編まれていく。できあがったのは一枚の画布だ。

 魔法の力が要るということは、何か危険な任務を依頼されようとしているのだ。報酬の額からすると、途方もなく危険な任務を。

 そこまで認識を深めれば、パベルが後ろめたそうにしていた理由も合点がいく。途中から開き直ったように見えたが、この若者は薄々察していたとおり、悪人と呼ぶには善人すぎるのだ。本物の悪人なら他人の命や尊厳を平気で踏みにじる。それができないから、パベルはぎこちなく本心を隠したのだ。

 不思議なもので、相手の腹の内がわかってくると、それがどんなに危険でもなぜか安心感がこみあげてくる。想定外を潰して、想定内に収めた効果だが、依頼の全体像を掴んだアドルフは、自分の得た確信を物静かに問い質した。

「では話を聞かせて貰おうか、その金儲けとやらの話を?」

 疑問を発した瞬間、視線を動かすとフリーデたちがアドルフのほうをじっと見つめていた。パベルの話では自分たちも解放を得られるというのだから、全員緊張の面持ちだ。

 そんな彼女たちを横目で見て、アドルフはパベルのほうを向き直った。パベルは口許をナプキンで拭い、落ち着いた声でこう答えた。

「じつは今朝がた、余が管轄している区域で事故の一報が届いたのだ。事の性質上、みずから出動したほうがよいと考え、全体会議を優先したものの、明日にも事故現場へむかうつもりだった」

 そこまで聞いたとき、アドルフは即座に理解した。なにゆえパベルが冒険者ふうの装いをまとっていたのかを。
 合点のいった彼は心のなかで息を吐いた。他方で話を区切ったパベルはワインに口をつけ、それからすぐに発言を続けた。

「ところが、事情が変わったのだ。ビュクシに着いたとき、逼迫する危険度を考えれば代理を立てるべきだと部下が具申してな。それを聞き、収容所の囚人を借り受ける案が浮かんだ。いちばん優秀な者をつければ、余の代理人になれるのではないかと考えたわけだ。そしてお前は軍法会議でその優秀さを遺憾なく発揮し、余は感銘を受けた」

 パベルの発言を聞きながら、アドルフは思った。やはり彼が晩餐に招かれた理由は他にあったのだ。しかもその依頼は予想どおり危険なものだった。

 法外な金と仲間の解放を引き換えに、命懸けの任務に就かせられようとしている。しかしアドルフが押し黙っていると、パベルはその詳細を手ぶりを交えて語りだした。
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