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第五章

事情聴取1

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 ルアーガとの戦闘は多くの損害をもたらし、生き残った者たちも大変な疲弊を強いられたが、なかでもアドルフの受けたダメージは彼を三日三晩、昏睡させた。

 直接の原因は、魔力の酷使である。彼は体内のエネルギーを残らずオドに転換し、ゼーマンを蹴散らしながら、同時にルアーガの攻撃を跳ね返した。

 より経験値の高い術者であったなら、エネルギーの配分や効率を適切にこなしたであろう。まかり間違っても生命力を使い潰すような真似はしない。

 結局のところ、問題は彼が魔導師として初心者であったことに起因していた。とはいえそんな駆け出しの術者がルアーガの唱えた〈爆裂〉を弾き返したのだから、称賛こそすれど、批判するにはあたらない。それどころか、魔導書を借りてたった半日でルアーガの攻撃を蹴散らすほどの〈反動〉を形成できたのは、クラスSの魔法を使いこなす者、すなわちデーシュトの名に値することを歴然と物語っていた。

 そんな彼が覚醒したとき、視線の先には見慣れない天井があった。ここはどこだろう。当然浮かぶべき疑問がアドルフを捉え、視線はさらに室内を見まわす。

「おっ、目覚めたようだな」

 傍らにいる人影が視界に入った。眼を凝らそうとすると、人影はみずから名乗りをあげた。

「私だ、アドルフ。司祭のリッドだ」

 同じ死線をくぐった味方がそばにいる。つまり自分は生き残れたのだろうか。

「ここはあの世ではあるまいな?」
「残念ながら現世だ。場所はビュクシにある診療所。世知辛い世界だぞ。病院の治療費がだいぶかさんでいるからな」

 リッドと名乗る人影が苦笑する声が聞こえた。

 診療所。治療費。そんな即物的な単語が耳に入ったことでアドルフは現実感を取り戻す。
 衣服に眼を向ければ、もう囚人の軍衣は着ていない。病人が身につける薄灰色のパジャマを身につけている。

 とはいえアドルフの関心はべつなところに向かった。病院の治療費。それはいったい誰が支払っているのだろうか。

「我は無一文だぞ。費用は借金となるのであろか?」

 セクリタナで医者にかかったのは〈施設〉で風邪薬を貰ったとき以来だ。

「安心しろ。当座の生活費も含めて私が立て替えている。お前も必要があれば言ってくれ」
「本当か? すまんな、リッドよ」

 ざっくばらんに礼を述べるアドルフだが、彼は自分が三日も眠り続けていたことを知らないため、共に〈積み荷〉の回収へ向かった仲間たちの動向もよくわからず、いまはリッドの存在だけが頼りと言えた。

「腹が空いているだろう。あとですぐ食事を用意させる」

 幾つかの疑問を思い浮かべた瞬間、嬉しい申し出がリッドの口をついた。確かにアドルフは空腹だった。それを自覚したとき、おもむろに腹が鳴った。意外にも元気な自分に驚き、ルアーガの攻撃を凌いだ以降の記憶を持たないアドルフはほっと息を吐いた。

「よし、できたぞ」

 視界が鮮明になってきた頃、ベッド脇に座るリッドの笑みが目に入った。アドルフは漠然と聞いた。

「何をやっておる?」
「糸がほつれていたからお前のマフラーを編み直していた。ノインは自分がやると言って聞かなかったが、彼女はフリーデとディアナに連れられ、トルナバに出かけた。解放を得たのだから、まずは冒険者登録をするために行ったんだ」

 リッドの話を聞き、アドルフのなかでもう一度疑問が浮上した。即座に気になったのは、パベル殿下との約束であった〈積み荷〉の捜索とその報奨金、及び解放についてだ。

「待ってくれ。我らは本当に解放を得られたのか?」

 彼の記憶はあやふやである。それを察したリッドは簡潔に事情を説明した。

「残念ながら〈積み荷〉の回収には到らなかったが、お前は〈死の森〉で遭遇したルアーガを見事に退治してのけた。現場にいた軍人が正直に話したのだろう、パベル殿下はそのときのお前の働きを認め、事前の約束どおり報奨金を支払い、その金で解放を得られたんだ」

 アドルフにとっては命を左右するほど重要な話だったが、目の前の作業に没頭していたリッドは両手を広げ、元どおりになったマフラーを見せびらかした。

「ほら見ろ、やればできるんだぞ」

 その様子を見たアドルフは「……うむ」としか答えられない。昏睡から目醒めたばかりの彼には死線をさまよった感覚が生々しく残っており、必然的にリッドとは温度差がある。だがそれは悪いことではない。

 命じられた任務は達成できなかったが、どうやら自分は他の形で成果をあげたらしい。思考がクリアになっていくにつれ、アドルフにも現実がのみ込めてくる。

 とはいえ、彼にとって優先順位の高い疑問はまだ幾つも残っていた。そのうちのひとつは口に出すのが憚られるようなことであるが、いずれ避けては通れない。

「ひとつ尋ねてもよいか。我の乗る飛空艇にはノインの元従者がいた。そいつはどうなった?」

 アドルフが訊いたのはマクロのことだ。彼女は十中八九、生きてはいまい。そうした記憶を裏づける答えがリッドから返ってきた。

「飛空艇からは二つの遺体が発見された。片方はゼーマンで、もう片方はお前の言うノインの元従者だ。後者はノインが引き取り、私が魔法で冷凍保存している。腐り出すまえに葬儀をあげてやらねばならないからな」

 さすが本職とあってか、遺体の処理まで済んでいるとはアドルフは少々驚いた。しかしそれ以上にマクロの死が確定した事実は彼の心を落胆させた。面倒くさいやつではあったが、まぎれもない同胞であった。それに彼女の生死に、部隊長である彼は責任を負っている。

「ところで他の面々は冒険者登録とやらに行ったようだが?」

 陰鬱としはじめた空気を嫌い、アドルフは話題を逸らした。とはいえ彼にとって、そちらの話題もまた看過できない要素を含んでいた。

 そもそも幼い頃からアドルフは、単純に冒険者を目指していたわけではない。天使の与えた啓示どおり、彼は冒険者として生まれ直しつつも、その先には《勇者》になるという目標があったし、何より異世界を自分の理想に染める崇高な目的があった。

 よって冒険者登録をしに行ったという仲間の話を聞き、アドルフは思ったのだ。フリーデたちは彼の思惑に反し、〈開拓〉の最前線に立つような職業としての冒険者になり、自分の想像とは違った道に足を踏み入れてしまったのではないかと。

 もっともそれは思い込みに過ぎない誤解だとすぐさま判明した。

「……ああ、その件か」

 編み直したマフラーを丁寧に畳みながら、リッドが疑問に答えてくれた。

「囚人だったお前には慣れないことだろうな。冒険者登録とは魔法を使う者が必ず申請する戸籍のようなものだ。収容所生活ではいざ知らず、解放を得た以上、外の世界では必ず通る道だ。この私だって成人前に登録を済ましている」

 リッドはそこから、事務的な態度で教えてくれた。専従の冒険者、つまりそれを仕事とする者にはべつの手続きが要ること。冒険者登録とは職業選択とは無関係であること。フリーデ以下三名はパベル殿下が直々に認めた解放許可状を携え、解放後の戸籍登録の一環として生まれ故郷トルナバの町役場に出かけたこと。

「なるほど、働き口を求めに行ったのではないのか。むしろ解放は着々と進んでおるわけだな」

 無事に誤解がとけ、アドルフは満足げに頷いた。仲間が道を誤ったわけではないことがわかり、安堵の気持ちさえ湧いたのだ。

 死闘を戦い抜き、せっかく得た解放だ。アドルフ自身、これからどんな選択をすべきかまだ即断はできないが、可能な限り仲間たちも正しい道を選んで欲しいという思いがある。

 そんなアドルフに感じるものがあったのか、嬉しさと苦悩が混じったような顔でリッドが思わぬことを口にする。

「彼女たちは本当によくやったと思う。私は戦い慣れていたし、お前はクラスSの魔法があったが、他のメンツは無い無い尽くしだ。特にフリーデのやつは、危うくルアーガを道連れにするところだったんだ。私が翼竜で吹っ飛ばさなければ、いま頃あいつは……」

 リッドは焦点の合わない眼でベッドを見つめたが、アドルフはそうはいかない。

「おい待て、何を言っておる? 道連れとは何だ?」

 我は関知しておらんぞ、と畳みかけたが、リッドは何とも言えない表情をこしらえて笑った。

「まあ、自爆攻撃だよ。精神に異常をきたすような状況だし、幸い未遂に終わったのだから、あまり詮索しないでやれ」

 俗にいう泣き笑いに近い顔で、瞳を潤ませたリッドが目尻を指で拭う。その心の内に分け入ることなどできないが、ルアーガとの戦闘中に相当なショックを受けたことはアドルフにも察しがついた。

 同時に彼自身も少なからぬ衝撃を受けたが、気持ちを静めて文字どおりいかなる詮索もおのれに禁じた。この話題に触れるなら、リッドではなくフリーデ本人に聴取すべきだと割り切ったのだ。

 それに死者と生者なら、どちらが優先かは言うまでもない。今回の戦闘を通じて二人の随行者を失ったことをアドルフは冷静に思い出し、そうした帰らぬ死者の処遇こそが目下最大の課題と判じたのだ。裏を返すと、彼はこの時点で普段の自分を取り戻していた。

「マクロの件は我が迅速に片をつけよう。ゼーマンのほうはどうなっておる?」

 最善策の計算をはじめたアドルフは、並行してリッドに問い質した。

「うむ、その件なんだが……」

 動揺した気持ちは落ち着かせたようだが、今度は宙を見つめだし、答えにくそうな表情をするリッド。焦らず発言を待つと、しばらくして彼女は歯切れの悪いことを言いはじめた。

「実はお前が入院した翌日から、ビュクシの捜査員がやってきた。どうやら殿下の命を受け、現地で起きたことを取り調べる任にあたっているようだ。収容所幹部、この場合ゼーマンの死についてお前に嫌疑を向けている。目を覚ましたらいち早く連絡をよこせと言い含められていてな、申し訳ないが指示どおりにしても構わないか?」

 リッドは告げ口をするような真似に自責の念を抱いているのだろう。言い終えると恐縮したように肩を縮め、目許に哀しげな色を浮かべた。

 しかしゼーマンの死を不審がられるのは、筋道で言ったら道理にかなっている。

「不安がるな。やつが死んだのは魔獣との戦闘に巻き込まれたからだ。堂々と捜査を受けるから捜査員とやらを呼ぶがよい」

 リッドを安心させるべく、アドルフはうそをついた。その発言の裏には、現場で起きたことを知る者はだれもいないという確固たる自信があった。

 現にリッドは疑いを差し挟むことなく、心から済まなそうに苦笑を浮かべる。

「本当に申し訳ない、気を遣って貰って」

 すくませた体を小さく折ると、リッドは席を立って病室を出ていった。
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