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第五章

リッドの内省2

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「さってと、飯食おうぜ、飯!」

 さすがに黙祷が長かったのか、祈りを終えた途端、ディアナがテーブルの皿にがっついた。その動きを合図に他の面々も組み合わせた手を解き、ナイフとフォークに持ち替えた。

 敬虔な祈りを強いた張本人であるアドルフは、手元の器にスプーンを伸ばし、香ばしく焼けた肉に目もくれず、スープを飲みはじめる。サリカアンスープという、酢漬けの香味野菜と発酵したクリームの酸味がきいたトマト煮込みだ。これもトルナバ料理の一種である。

「なるほど。滋味に富んだ味だ」

 同じスープを口に運んだリッドは、一瞬目を丸くさせた後、気づけば声を弾ませていた。酸味の利いたスープがこれほど舌に合うとは予想外な発見だったのだ。

「店がいいんだ。料理人の腕がいい。他の店だとこうはいかない」

 定番の赤茄子トマトジュースを片手に店を褒めるフリーデだが、リッドはそれに無言で頷き返すばかりで、スプーンを動かす手はまったく止まらない。余計な思考は吹っ飛び、食事に集中してしまう。

 そんなリッドをよそに、アドルフは新鮮な野菜をふんだんに使ったであろうサラダを頬張り、もぐもぐ口を動かしている。彼もまた、食事に夢中のようだ。

 やがてテーブルから声が失われ、ひたすら食器の擦れ合う音ばかりが響いた。料理人がこの様子を傍観していたとすれば、きっと満面の笑みを浮かべるだろう。それくらい彼らは時間を忘れて食事に没頭していき、時間はあっという間に過ぎ去ってしまうかに思えた。

 けれど一〇分ほど経った頃、不意に誰かの声が唐突に発せられた。

「ふむ。冒険者協会の職員が遅いな」

 声に反応してリッドが視線を上げると、約束が気になったのか、店の柱時計をアドルフが眺めていた。思い返せば、アドルフは協会に予約を入れ、リッドと合流した。きっとそのときに昼食を摂る予定である旨を告げ、そこに駆けつけてほしいと頼んでおいたのだろう。

「協会の連中は時間にアバウトだからな」

 少しばかり呆れた声で、リッドは相槌を打っていた。彼女自身も、冒険者協会の職員とは関わり合いをもっていたからだ。その結果出した時間にアバウトという評価は、実際的を射ている。協会職員の仕事は主に魔獣退治であり、人間相手の仕事はおまけみたいなもの。金を稼ぐ目的がべつにあると、他の仕事は手を抜かれるわけだ。

 ところで冒険者協会の特徴とは何か。

 リッドも魔導師の端くれであるから、冒険者登録はとっくの昔に済ませており、それがどのような性格の組織かも了解済みだ。

 特筆すべきものとしては、連邦国家が生まれる以前から存在していたことによる、国家からの独立性が挙げられるだろう。

 例えば囚人だったアドルフも、仮に脱獄をして冒険者登録を行おうとすれば、国家機関への通知義務がないため簡単にできてしまう。その独立性は、国家機関として吸収されてしまった聖隷教会よりも上だ。近代国家の文法に沿えば、協会のあり方は自治国に通ずる。

 したがって専従の冒険者が生計を立てるにあたり、これ以上頼りになる組織はない。もっともアドルフたちがそれを選ぶかは、いまのところ定かではなく、囚人時代の仕事を選び直し、日銭を稼ぐことに従事するかも不明だ。その辺りのことは、いずれ早いうちに聞き取りせねばならないとリッドは密かに思っている。

 そんな彼女が顔をあげれば、目の前のアドルフはワインとパンを口へと運び、無心に咀嚼をくり返していた。いつかは訊かねばならない疑問だが、それがいまでなくてもよいのは明かである。

 ――とはいえ、どのタイミングで訊くべきか。

 アドルフたちの行く末を案じるうえで、リッドには内心気がかりがあった。先日、ビュクシの捜査員と対面した際、アドルフは奇妙なことを口走ったからだ。

 ――確か、運良く解放を得た自分には収容所に残された亜人族の運命が託されている、などと大見得を切っていたな。

 そのときの様子を思い出したリッドの頭に、当時の気持ちが浮かぶ。あの発言は勢いで出た言葉なのか。それとも深い考えをともなった台詞なのか。答えはアドルフ本人に訊かねばわからない。

 しかし彼が出す答えとリッドが今後取るべき行動は無関係とはいえなかった。

 そもそもの話、囚人となった亜人族の解放は今回が初めてである。貴重な先例になることは確実であり、一方でリッドは彼らを後腐れない地点まで導いてやりたいと考えていた。まだ駆け出しの頃、貧者の救済事業に熱心だった聖隷教会の司祭としては実にまっとうな感情と言える。

 他方で彼女にはこれとはべつな動機が存在した。聖隷教会の司祭には、ごく一部に特殊な使命をおびた者たちがいる。それはリッドにとってまさに裏の顔といったような秘匿性の高い側面であったが、そちらの役割を発揮すべきかどうかは今のところ答えはない。

 なぜなら亜人族を援助するのとは異なり、こちらの目的はアドルフ次第であったからだ。本音をいえばリッドは、アドルフという男にひとかたならぬ興味を引かれていた。王族であるパベル殿下の無茶ぶりに応え、結果としてルアーガとの遭遇戦を制した。運だけであれほどの事はなせないし、間違いなく実力があったと見るべきだろう。

 司祭という立場で、高位の優れた人間とたくさん相まみえたリッドだから洞察できる。アドルフという男は将来、人の上に立つ資質をもった人物かもしれない。そしてその見立てが正鵠を射ていれば、彼女が属する連邦国家にとっても無視できない存在だ。

 リッドの裏の顔はあくまで秘密で、おいそれと表には現せない。だが亜人族全体を背負うと述べたアドルフのひと言が彼女の脳裏に焼きついている。悩んだときは直感にしたがうことさえ辞さないリッドは、それだけを根拠にアドルフへの支援を監視へと切り替えたくなった。だが同時に、必然性を感じなければ行動に移さない慎重さも捨てきれなかった。

 ――どんなに悩んでもこれは底なし沼だ。興味本位の買い被りかもしれない以上、現時点では様子見が最善の策だろう。

 答えの出ない内省に浸りかけたリッドだが、表面上は食事に没頭している。黙々とオニオングラタンに浸した白パンを咀嚼し、気づけば彼女は焼き焦げのついた器を空っぽにしていた。
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