上 下
91 / 147
第五章

チョビひげ騒動1

しおりを挟む
 ちょうどそんなタイミングだった。フロアをつかつかと歩いてくる大男とリッドは目が合った。彼女は偶然にもその人物と面識があった。

「アドルフ。冒険者協会の職員が来たようだぞ」

 いち早く呼びかけてやると、ディアナ以外の面々がフロアのほうに顔をむけた。

「ハハハ。なんでこんなところにリッドがいるんだい?」

 男は朗らかな笑みを浮かべ、空いている席に腰をおろした。髪は暗めな茶褐色で、角も生えておらず、囚人でもないところを見るに、どうやらヒト族であった。

「やあ、ガンテ」

 旧知の間柄であるため、自然と手が出た。握手を交わしたリッドたちに全員の視線が集まる。

「俺様は辺境州東部の地区管長を務めるガンテ・シュペニアだ。よろしく頼むぜ、特にそこの新人冒険者君?」

 自己紹介をはじめた協会職員は雲をつくような大男であり、リッドとの握手を終えると申請者であるアドルフに向けてごつい右手を差し出した。

 ちょうどそのとき、ディアナが口を尖らして不満を洩らした。

「おっ、スープ皿に肉が残ってるぜ。勿体ないことすんなよ」

 リッドは知る由もないが、アドルフは基本的に菜食主義者だった。したがって彼が片づけようとした食器にはサイコロ大の肉片が二、三個転がっている。

「我はこういう肉は食えん。代わりに処理してくれ」

 アドルフが憮然として言うと、ディアナは最初からそれが狙いであったかのように、スープ皿を奪い取った。片手の空いたアドルフはガンテに顔をむけ、右手を差し出した。

「よろしく頼む、ガンテとやら」
「こちらこそ、アドルフ君。さてと、申請用紙の記入によるとあんたは孤児って話だが、なあに、冒険者登録するついでに好きな苗字を決めちまえばいいさ。気楽にいこうぜ、気楽に」

 すでに得た情報をもとに、流れる水のごとく会話を進めるガンテ。粗野な外見に似合わず、話し上手な男だ。そういう親しみやすい人柄はリッドをいたく落ち着かせる。

 アドルフが町民の目を気にしたことから明らかなように、ヒト族が亜人に抱く心理的な差別意識は無視できないものがある。しかし、相手がガンテなら取り越し苦労に終わりそうだ。

 安心したリッドは、何となく悪戯心を刺激され、悪ふざけのようなことが言いたくなった。

「ガンテはな、実はネコ科の生き物なんだ。マタタビを与えると喜ぶぞ?」

 冗談であることは明白だが、その発言にアドルフが食いついた。

「確かに。貴公はライオンのような顔しておるな」

 目尻を下げたアドルフは握手を解き、ざっくばらんな感想をガンテに述べた。
 戯れとしては際どいやり取りに、隣り合ったノインは「ちょっと、失礼じゃないの」と肘で小突くが、当人であるガンテは愉快げな顔でむしろ嬉しそうに笑う。

「失礼ってのはあれかい? 俺様のこと獣人だと思ってないかい?」
「えと、あの、そういうわけじゃ……」

 急に振られたノインは口ごもったが、それにはれっきとした理由がある。

 セクリタナにおける亜人族には、今は無きいにしえの魔法により動物や魔獣との混合を果たした獣人という種属がおり、たてがみを生やしたライオンのような風貌をもつガンテはまさにその獣人をここにいる者たちに彷彿させたのだ。

 しかし獣人は、亜人族のなかでもオーク以上の異端というのが一般的な位置づけ。人類として扱わず、研究対象としか見ない学者もいるくらいだ。

 よって本来、ガンテの外見をいじるのはタブーに触れるような側面をもつのだが、彼はこの手の冗談に慣れっこであり、「ぐわはは」と大笑いした後、ライオンのたてがみのような頭髪をかきむしりながら、愉しげにノインへ語りかけていく。

「驚かしちまって悪いな、お嬢ちゃん。けどよ、俺様がもし本当に獣人なら、亜人族として収容所にぶちこまれるどころか、物珍しさで狩人に取っ捕まってるだろうな。実際なかには野生化した連中もいるようだが、そいつらは人類とは異なる言語を話す。だからこうしてあんたと会話ができてるってことは俺様は獣人ではないってこった――と、ここまでがワンセットの説明だ。他に何か訊きたいことはあるかい?」

 目を白黒させたノインをよそに、ガンテが視線をめぐらせる。そのこわもてな横顔を、にやけた表情でアドルフが眺めていた。一連の悪ふざけに苦笑した様子の彼は、会話を軌道修正させた。

「ガンテよ、さっそくだが新しく苗字を設定したい。すでに決定案を考えてきておる。ここで受けつけて貰えるか?」

 懐からメモの切れ端をアドルフが取り出し、ガンテが受け取った。そこに希望する新しい姓がしるしてあるようだ。

「ふうん、ヒトラーか。珍しいね。発音はゲルト語っぽいけど綴りはセルヴァ語っぽくもある」

 アドルフはその姓がこの世界でどんな位置づけにあるか興味がないらしく、特に反応しなかった。また元々姓をもつノイン以外の仲間たちも関心はきわめて薄く、ガンテはガンテで事務的にその姓を用意した書類に書き込むのみだ。

「さてと、他に聞きたいことは? 人生一度きりの冒険者登録だ、あとでいじるほうが面倒だし、疑問があれば何でも言っときな」

 ガンテは大らかな調子で訊くが、アドルフは書類上のやり取りに不満はないようで、疑問を向けたのは冒険者協会が行う仕事についてだ。

「貴公らは登録業務の他にどんな仕事をしておるのだ?」
「ほう、そんなことが知りたいのかい?」

 ガンテは店員を呼び止め、飲み物を注文した。テーブルの上に代金である一〇〇クロナ貨幣を五枚積みあげ、その勢いでアドルフに向き直る。

「協会職員の主業務はな、魔獣狩りに従事する専業冒険者へ報奨金を支払うことさ。その申請受付と証拠物品精査に日々追われてる」

 ガンテは人差し指を立て、実例を説明した。ドラゴンを倒したときなどは証拠として牙が持ち込まれること。そしてそのサイズや種類から報奨金の額が変わったりすること。

 ではアンデッドモンスターのときはどうなるのか、とアドルフは訊いた。もちろんそこにも決まり事があるらしく、ガンテは身ぶりを交えながら説明を続ける。

「冒険者はやつらの装備品を奪い、証拠とするのさ。魔獣ごとに装備品や得られるアイテムも違うしな。そんでもって、最後は申請された物品をもとに俺様たちが判断するってわけ」

 当を得た説明にアドルフが何度か頷き返す。だが何を思ったか、突然べつの質問を発した。

「実はガンテよ、我々は先日、あの巨大竜ルアーガを討ち倒したのだが、そういうのも報奨の対象になるのかね?」
「ルアーガだと? 詳しく聞かせてくれよ」

 興味を示したガンテにたいし、戦闘に関する一部始終をアドルフは手短に伝えた。聞き役にまわっていたリッドはその意図をすぐに読みとったが、肝心のガンテは真剣な表情で聞き入った後、気の毒そうに眉をひそめて言った。

「その話だと、ルアーガを倒したのがあんたらか、それとも連邦の空挺兵か確定できねぇな。せめて証拠品があればよかったんだが、申請しても通らないと思うぜ」

 答えを聞き、あてが外れたとばかりにしょぼくれたのは、なぜかリッドのほうだった。アドルフはおそらく、ルアーガの掃討をタネに金稼ぎができると期待し、ガンテへ問うたのだろうが、都合の良い結果は得られなかったわけだ。

「……残念だったな」

 かける言葉を探してから、ありきたりな慰めしかリッドは言えなかった。ところがアドルフはと言えば、平然とした顔で口ひげをいじり、根拠のない余裕を見せつけてきた。

「金が入ればの借金をチャラにできたのだが。まあ返済プランはべつに考えるか」

 この言いぐさにリッドは少々頭に来た。返済を急がせる気はなかったが、報奨金が出ないと知って自分のほうが落ち込んでいることを理不尽に感じたからだ。

「ずいぶんご立派な様子だが、その自信はどこから来るんだ、アドルフ?」

 低めた声はおのずと刺々しくなるが、当のアドルフは無言で口ひげをいじり続け、リッドの問いかけを無視しているかのような態度だ。
 露骨にバカにされた気がして、リッドはついに口を滑らせてしまう。

「おい、答えろチョビひげ」

 文句を言い放った瞬間、リッドは慌てて口許を抑えた。いくら挑発的な雰囲気があったとはいえ、いらだちをぶつけて良い場面ではない。そのくらいの分別はリッドもわきまえており、露骨に「しまった」という顔をして恐る恐る正面に眼をやった。

 するとそこにいたアドルフは、なぜか満面の笑みを湛え、愉しげに表情を崩したのだった。
しおりを挟む

処理中です...