緋黒の焔〜ヒトラー異世界戦記〜

影山ろここ

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第七章

オフラーナの伝書鳩1

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 アドルフの率いる軍勢がトルナバを発って二時間後――。

 ルツィエ・スターリン・バロシュはビロード織りのソファにもたれ込み、行政官公邸応接間の様子を紅茶片手に眺めていた。

 パベル、ルツィエ、行政官の三人が詰めた部屋。会議の結論は前日のうちに出尽くし、おかげで密閉した空間は息をするのもためらわれるほど静まり返っている。

 時刻は九時を少しまわった頃。ひとりルツィエだけがペンダントを弄び、薄笑いを浮かべている。他の二人は真顔で押し黙っている。

 状況を振り返るとこうだ。

 当初、行政府側は、相手のもくろみが賠償金のつり上げか、用地買収に絡む賄賂が目的だと思っていた。ところが、ビュクシの地区担当を任されたオフラーナの諜報員イングリッド・ラグラウ、通称リッドと呼ばれる女司祭を通じて、相手の望みは金にないことが明らかになった。

 では何が望みなのか。訳あってトルナバに滞在しているというこのオフラーナと伝書鳩によって連絡を取り合ったところ、衝撃の事実が判明した。

 トルナバの新町長に就いた男は、よりにもよってとんでもない野心を隠し持っていたのだ。賠償請求は形だけで、それを口実にビュクシで叛乱を起こし、亜人族収容所を襲撃しようと企んでいるのだという。しかも戦力増強のため、魔獣の活用策まで講じているらしい。

 ラグラウという女司祭はトルナバの新町長の側近になりおおせ、その配下として彼の懐に潜り込んでいるとのこと。本当だとすれば入手した情報に疑問の余地などあるわけがない。

 昨日の昼に行われた会談の場、オットー・ヴァインベルガー行政官から事情を聞かされたパベルは、衝撃のあまり痛恨の表情を浮かべ、その場に立ち尽くした。つねに先手を打たれ続けた行政府側を象徴するような展開に、言葉をなくしても当然と言える。

 しかし会談に同席し、その様子を間近で目撃したルツィエにとって印象深かったのは、彼の恨みがましい横顔ではなかった。驚くことにパベルは、すぐさま行政官であるオットーの委任を取りつけ、敵襲に備えた防衛作戦を立ち上げるべく、その差配へと頭を切り替えたのだ。

 王族が独断で軍を動かすことを認めた非常事態法に則り、鉄兜団の指揮権を真っ先にルツィエから譲り受け、昨夕の間に全ての兵士を招集し、事態のあらましを伝えた。概略だけでは要領を得ないだろうと考え、オットー同席のもと対応に苦慮している様を包み隠さず伝えた。

 そう、相手はもはや行政府にたかるトルナバの田舎者たちではない。確固たる計画にもとづき、意志をもって攻めて来る軍隊である。直面した有事の性質を迷いなく読み取った初期対応、ならびに慌てふためき指導部の判断を仰ごうとしなかった点はパベルを評価できる。

 そんな時間的余裕はとうの昔に潰えていたし、たとえオフラーナの情報網に便乗しても間に合わなかったはずだからだ。

 結果、次のような決定が下された。
 鉄兜団はビュクシ行政府所属の守備兵を戦闘部隊に組み入れ、敵の襲撃に対抗してこれを城外で迎え撃つ。また部隊の半数は、投入が予想される魔獣殲滅を最優先とする。

 ***

 パベルにその決定を告げられたルツィエも、他の鉄兜団員と同じく二四時間態勢の防衛任務に入った。オフラーナ要員のもたらした情報により、敵の襲撃予定時刻が翌日の午前一〇時頃であることがわかったものの、万が一に備えた命令である。おかげで睡眠は不足気味で、彼女は少々機嫌が悪い。

 にもかかわらず、薄笑いを顔に張りつけ、ひたすらペンダントを弄ぶ。同席したパベルたちは気づいていないが、このときペンダントからは奇妙な小声が聞こえていたのだ。ルツィエの耳にしか届かないかすかな音。彼女を管理する悪魔グレアムの声だ。

「フヒヒ。面倒事に巻き込まれたようだな。しかも原因は味方の怠慢」

 相変わらずの地獄耳だ。いつどこで、こちらの情報を察知しているのだろう。

 返事をかえすわけにいかないルツィエは黙って考える。確かにグレアムの言うとおりなのだ。そもそも相手の狙いは金目的と決めつけたのは思い込みに過ぎないし、初動の段階で行政官が指導部へ諮っていれば援軍を頼むことも可能だったはず。

 なかでも最大の怠慢は、彼らが自分の足許すら見ていなかったこと。ビュクシ城内には大量のビラが撒かれており、それはルツィエの指摘によって明るみに出た。お忍びの際、彼女はヒト族のなかでも最下層の住民に敵の主張が浸透していることを知った。そのとき受けた衝撃はビラに踊る文言が雄弁に物語っていた。

 ――連邦の統治者たる魔人族に必ずや神罰が下る!

 自身が生ける悪魔のような存在だったルツィエにとって、人類は魔獣より遥かに恐ろしい生き物だ。けれど長期にわたる繁栄と平和にうつつを抜かしたこの世界の指導者たちは、そうした事実をすっかり忘れ去ってしまったようだ。オットーや副官のローゼ嬢などは、回収したビラを手にとり、未知の物体を目にしたような顔で絶句する始末だった。

 味方にとって唯一の好材料は戦争すら辞さない相手の構えに即応したパベルの働きだ。前述したとおり、ルツィエはその行動を評価した。

 パベルは無能ではない代わりに突出した力もない男である。そんな彼女の見立てに反し、大した時間もないなか、潔く腹をくくったことは感心さえ覚える。

 しかし正直を言えば、ルツィエは不愉快だった。パベルがこの事態にうろたえ、防衛作戦の指揮が自分にまわってくれば、自分が兄よりすぐれた魔導師だと証明できたはずだからだ。王位継承権の争いに勝つことは彼女が自分にかした義務である。パベルに活躍されては不都合なのだ。

 彼女のそうした心を見透かしたかのように、ペンダントのなかにいるグレアムが茶化した声で言った。

「貴様の長兄はただの人格者ではないな。ここ数日の動きを見る限り、やるときはやる男だ。ぼんやりしてると功績を独り占めされるぞ」

 的確な物言いは耳に痛く、ルツィエは反論できなかった。

 代わりに不快さを押し隠して得意の薄笑いを歪める。小さくつりあがった唇はだれに聞こえることもない呪詛を紡ぎだした。

 そのとき、ノックの音もそこそこに入口の扉が開かれた。応接間を占拠した臨時司令部にもう一人の主要メンバーが遅れて顔を出したのだ。オットーの副官を務めるローゼ嬢だった。

 早足で歩いてきた彼女にパベルたちの視線が集まる。顔をあげたルツィエの目に、それは期待と不安の入り混じった眼差しと映った。

 というのもローゼ嬢は、オフラーナ要員との伝令役を担い、トルナバから送られてきた情報を受け取るべく別の場所で待機していたのだ。

「そろそろ会議がはじまりそうだな。我輩は一時退散する。フヒハハ」

 沈黙が破られ、雑然としていく部屋の空気を察したのだろう。グレアムは益体もないおしゃべりを切りあげ、通信を断った。

 別れ際の挨拶を聞き届けたルツィエは、眠い目をこすりながらパベルたちのほうに顔を向ける。視線の先では、ローゼ嬢の動きに注目が集まっていた。彼女は両腕にそれを抱えていた。

 ――オフラーナの伝書鳩。

 ルツィエは昨日、同じものを見た。トルナバで敵軍に潜り込んだオフラーナ要員は律儀にも情報だけはよこしてきているのだった。そう、情報だけは。

 身を乗り出したパベルが、待ちきれないとばかりに問う。

「ローゼ嬢。その鳩はオフラーナ要員が送ってきた最新情報と見てよいのかね?」
「だと思います、殿下」

 入室の挨拶もそこそこに、ローゼ嬢は鳩の足に結びつけられた白い紙をほどいていく。彼女の手つきは慣れたもので、鳩が嫌がったり暴れたりしていないことからもそれは明らかだ。

 ちなみに彼女の抱えた伝書鳩は、羽の部分に血痕があった。とはいえ、元気よく首を動かしていることを見るに、治癒魔法で傷自体は治っているのだろう。

「クルッポー♪」

 臨時司令部に持ち込まれた鳩は緊張感もなくお茶目な鳴き声をあげる。その愛らしいしぐさを無視してパベルが言った。

「最新情報とやらを教えたまえ。相手のとる作戦は昨日判明したとおりなのか?」
「はい、まったく変更はないようです」

 ローゼ嬢は顔を上げ、パベルのほうを向きながら淡々と答えた。

「〈空飛ぶヒトデエディッサ〉という魔獣を用い、幼生を囮にして怒り狂った雌一体に突破を図らせる。最終的な方策はそれだけで、新たに追加すべき動きはないとのことです」

 その答えを聞き、パベルは安堵を思わせる息を吐いた。

 街ひとつ分隔てているわりに、オフラーナのあげてくる情報はめっぽう早く、昨日の段階でトルナバ新町長の狙いは丸裸にされている。魔獣。すなわちエディッサを自軍の戦力に組み込むことだ。

 敵が目をつけたエディッサは〈死の森〉に生息する魔獣のなかでも手強い部類に入る。図体が大きく、群れをなすこともあるが、単独での戦闘力も高い。訓練された魔導師でも、正面からぶつかれば間違いなく返り討ちに遭うだろう。

 だが裏を返していうと、攻撃に単調なところがあり、知能が劣るため、そこにつけ込む余地があった。少なくとも実戦経験のあるパベルは昨日の会議でそう言い、攻略に自信を示した。

「作戦に変更がないというのは朗報だな」

 案の定パベルは、ローゼ嬢の報告を歓迎した。表情こそ弛めないものの、引き締まった横顔は頼もしくすら感じさせる。

 実に忌々しいことだ。ルツィエの心はまたしても不快に染まる。そんな彼女の内面を知ってか知らずか、パベルは肩にそっと手を置いてきた。

「どうしたんだい、ルツィエ。唇を噛み締めたりして」
「いえ、べつに。何でもないわ」

 パベルの言いぐさは、年少の妹への優しい配慮だった。彼女は得意の薄笑いで応じるが、そこに普段どおりのルツィエを読みとったのか、パベルは小さく眉尻を下げ、温かみをはらむ声で言った。

「何も臆することはないんだ。相手の手口が同じであることを前提に、昨日提案したプランに少し修正を施してきた」

 司令官役が板についてきた自信に満ちる口調。その声にすかさず、行政官たちが反応した。

「プランに修正ですと?」

 腰を浮かしかけたオットーに「ああ、そうだ」と返し、パベルは各々が席を立つように促す。ルツィエも重い腰をあげたが、彼女の兄は真剣な顔つきに戻り、マップを呼び出す魔法を使ってビュクシ市の地図を目の前の空間に広げた。(続く
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