122 / 147
第七章
ビュクシ攻防戦3
しおりを挟む
「フン、何もわかっておらんようだな。貴公らの罪は、必要なことを何もしなかったという無作為の罪だ。庶民の苦しみを放置せず、適切な策を講じておればこのようなことにはならなかった」
ところが事実を淡々と突きつけた途端、小癪にもヴァインベルガーは反論してきた。
「君、それは違うよ。彼らはみずからの力の無さゆえに、窮乏したのだ。自力で生きられなくなった者を我々行政官が保護する必要はない。人間は努力すれば何とかなるはずなのだ」
しかも一転して妙にいきいきとした口調である。
――まだ余力が残っておるではないか。
議論をする気のなかったアドルフも、行政官の吐いた寝言は潰しておきたくなった。
「つまり貴公を責めるのはお門違いだと言いたいのかね?」
「そのとおりだ」
「ならば、物価上昇を招いた指導者も責めることにしよう。王統府も評議会も同罪である」
そうつまらなそうに吐き捨てた途端、行政官の反論はぴたりと止んだ。痛いところを突いたのだろうと思いつつ、アドルフは皮肉げな顔をこしらえつつ物静かに言った。
「急に黙り込んだな。上司に罪をなすりつけるのは嫌いか?」
相手を煽るようなひと言だったが、それでもなおヴァインベルガーは言い返さない。あと一押しで彼の心は折れるだろう。冷めた心で判じとったアドルフは、人質であるローゼの首筋に剣の刃を押しあてる。
「娘を傷つけるな!」
アドルフの動きを見たヴァインベルガーは反射的に金切り声で叫んだ。しかしアドルフは余裕を湛え、相手の増長を打ち砕くべく地獄の底から響いてくるような声を発した。
「黙れ。我に命令する資格など貴公にはない」
その魔神のごとき声にすくみ上がったのか、行政官たちは態度を豹変させた。
言い訳がましかったヴァインベルガーは机にむかって一心不乱にペンを走らせ、悲痛な表情で正式な統治権委譲書を完成させた。
面倒なことに、背後から書類を奪い取ったリッドはそれをすぐ封筒にしまうことはできない。生乾きの状態ではインクが滲んでしまうからだ。
「これでひと仕事終わったな」
大事な文書に風を送りながら、リッドが言った。
「うむ。まあな」
小さく頷くアドルフだが、満足感に浸る暇はなかった。
魔導師でないことを理由にヴァインベルガーらを助命すべきか否か。もはや用済みだが、占領後のことを考えると役人は残しておきたい。だとすれば、生かしておく価値はある。
迷ったとはいえ、五秒も経たずに結論を出した。この魔人族の父娘は殺さずにおき、行政官執務室に監禁するという結論を。
自分たちはその見張りをして、戦況を見守り、しかるべきタイミングで部隊の兵士たちと交代する。答えの決まったアドルフはそれをリッドに告げ、ローゼには命令を発した。
「こちらに背を向け、父親を抱いて前へ進め。ゆっくりとだ」
アドルフの記憶のなかには、特定の民族から市民権、のみならず生存権を奪った過去が眠っており、数多の光景のひとつが一枚の写真のように目の裏に浮かんだ。
「リッド。こいつらを拘束する魔法を用意しろ。死なない程度のものを頼む」
また人使いの荒いやつだ、といった呆れ声が戻ってくると思っていた。実際、リッドはそれに類することを口にしかけたかもしれない。
だがアドルフは、彼女のそんな軽口めいた返事を聞くことはかなわなかった。なぜならその瞬間、庁舎の外で「ドン」と空気が押し潰されるような音がしたからだ。
同時に衝撃波が背後から押し寄せ、割れた窓ガラスから眩い光が差し込んでくる。それは部屋全体を衝撃と共に照らし出す強烈な西日のようだった。
ビュクシを急襲してから、体感時間にして一〇分近くは過ぎていただろうか。その間も戦闘を示す音は断続的に外から聞こえていた。
特に対鉄兜団の主力であり、縦陣攻撃を担う〈空飛ぶヒトデ〉と、彼らの発する独特の鳴き声に変化がなかったことから、アドルフは戦況は急襲時と変わらず、相手を押し込んでいると思っていた。
だが、外で大きな爆発音がしたことを受け、リッドが表情を曇らせた。彼女はアドルフとは逆に、破壊された窓の外に顔を向けている。その目許には謎の発光を浴びて深い陰影が刻まれていた。
「何が起きた?」
窓の外に奇妙なものが見えたのだろう。リッドは声を失っていた。
アドルフは知らなかったが、彼女が見たのは〈爆縮〉という魔法の放つ閃光だった。
首を捻って振り返れば、すぐさま見てとれたはずだ。窓の外では想像をはるかに超える陰惨な光景がくり広げられていたことを。
人質を抱えるというきわめて窮屈な姿勢だが、彼はもう戦況を自分の目で見ないことには気が済まなくなった。
ローゼは恐怖で固まり、アドルフにしがみつく邪魔以外の何物でもなくなっていたため、このときばかりは床に投げうった。どうせ抵抗などできまい。
ようやく体の向きを変え、窓に駆け寄ったアドルフが見たものは、対人戦闘の枠に収まらない規格外の殺戮だった。目を灼くような光の中心にあるのは魔法の生み出した火球であろうか。それがエディッサの体を内側から破壊し、巨大な触手を根こそぎ引きちぎっている。
「あれは〈爆縮〉だ。普通の魔導書には載っていない、外典と呼ばれる書物にのみ記載されている魔法。国防軍によって管理されている、一般の冒険者には禁忌に属する魔法だ」
深刻そうに説明をつぶやくリッドの声は、はたしてアドルフの耳に届いたかどうか。Sクラスの位階を得ながら、魔法体系にはさらに深淵なる奥行きがあったこと。彼がその事実を咀嚼するより早く、なぶり殺しにも似た戦闘はクライマックスを迎えた。
瞬きをした視線のその先で、魔獣の吹き出した大量の血が辺り一面に豪雨のごとく降り注ぐ。真っ赤に煙る周辺の大気。虐殺の規模が大きすぎて、それは人類がいまだ経験したことのない新たな自然現象にさえ見える。
「よかったな、アドルフ。防塵マスクを装備しておいて」
目許を曇らせたリッドはマスクを口許に押しあてながら、こわばった声で話を続ける。
「大規模な〈爆縮〉は原因不明の毒をばらまく。本来なら対処のしようもないところだが、防塵マスクがあれば戦闘を継続できる。お前の判断がこんな形で役に立とうとは」
リッドの口ぶりは予定にない幸運を物語っていたが、危険な魔法と差し引きゼロにできると判じるほどアドルフは能天気ではない。
窓の外に広がる凄然とした景色を眺め、彼もマスクを引き上げながら、息をのみつつ思った。
――敵はあんなものを使えたのか。
衝撃の最中に彼が感じとったのはむしろ誤算だった。鉄兜団がどんなに精強でも、わずか一撃でエディッサを葬り去る輩がいるとは思わなかったのだ。
ここで彼は、敵方が住民保護を軽視していた兆候を想起するが、こんな魔法を城内で発動させるつもりだったことを目の当たりにすれば確かに辻褄は合う。
敵はいざとなれば街ごと道連れにする気なのだ。アドルフにとって想定外な戦闘力の発揮は、彼らの本気に火をつけてしまったからに他ならない。
情況の急変に歯噛みしたアドルフが眼を凝らすと、オレンジの火柱が城内の外れに見えた。いまの爆発とその余波によって街の一角が延焼したようである。
アドルフは瞬時にビュクシの地図を思い浮かべた。そこは街の西端にあたり、収容所から離れた場所だが、むろん土地勘はある。住宅地はなく、ビュクシにとって交易以外の一大産業、すなわち金の精錬所が置かれた場所だ。
しかしアドルフがこのとき抱いた懸念はそれが焼失することにはなかったし、住民がかろうじて虐殺をまぬがれたことにもなかった。
ビュクシを占領し、後に統治するうえで、破壊されては困る場所はいくつかある。その筆頭格こそが、近隣のトルナバにも供給している食糧の大貯蔵庫、つまりは穀物倉庫の一群に他ならず、それらの建物は同じく街の西端に位置していた。
偶然の産物かもしれないが、魔法が生み出した爆発は、崩壊したエディッサが四散した結果として最悪の場所へ飛び火してしまった可能性が高い。
とはいえ敵が街の安全を保障するつもりがない以上、起きてしかるべき事態と言えよう。
――半ば確信犯であろな。焦土さえ恐れず、我の邪魔をする気か!
悔しげな歯軋りが止まらないアドルフをよそに、飛び散った火焔がこちらにも向かってきた。それでもアドルフは、破壊された窓の位置から動くことができなかった。
魔獣三体を用いた強襲という敵の裏をかくような真似をして戦況を優位に進めた反面、相手が本気を出せばこちらの都合など容易く吹き飛んでしまう。
作戦を台無しにするほどの魔法を発動した者はいったいどこにいるのだろう。アドルフは崩れゆき形を失ったエディッサの周りに鉄兜団の魔導師を探した。
視線をひっきりなしに動かしていくと、エディッサのはるか上空に一機のチェイカが見えた。操縦者は鉄兜団の一般的な軍服とは異なり、鮮血のように真っ赤な制服をまといつつ金色に輝く兜を被っていた。おまけに二つにゆわえた病的なまでに白い髪をもち、不気味なことこの上ない。
だがアドルフにはその風貌に強い既視感があった。まだ囚人の頃に接点があった辺境州総督パベル殿下も、その操縦者と似通った容姿だった。だとすれば、いま〈爆縮〉なる魔法を発したのは王族の一人かもしれないということだ。
もっともパベル殿下と異なる点はあった。必死に眼を凝らす彼の目に映ったのは、その団員が女で、まだ子どもと呼んで差し支えないほど若く幼かったことである。
――あんなくそガキに我は弄ばれておるのか。
心の内で吐き捨てた瞬間、アドルフはある錯覚を感じた。十中八九ありえないことだが、彼はそのチェイカに乗った幼女と目が合った気がしたのだ。数百メーテル以上離れた空の高みから、彼がくそガキと呼んだ魔導師が自分の心を見透かし、笑っているように思えた。
まるで顔面に挑戦状を突きつけられたような気がした。こうした感じ方はもちろん思い込みとしか言いようがない。それでもアドルフの心に火を焚きつけるには十分であったようだ。
「相手が王族となれば敵に不足なし」
決然と述べた言葉は、彼の意図に反して声になっていた。もはやヴァインベルガー父娘の処遇でまごついている場合ではない。自分たちも討って出なければ。いまはあの危険な敵魔導師を叩き潰すことが先決であり、さもないと魔獣の威力は無力化され、取り返しのつかないことになる。
「このまま行くのか?」
アドルフが踵を返した姿を見てとって、リッドが物問いたげな顔で言った。
「優先順位が変わった。行政官の部屋には鍵でもかけておけ」
身柄を拘束するという方針を覆して、アドルフはせっかちにも一人で公邸執務室から出ていってしまう。残されたヴァインベルガー父娘は、幸いにも唖然としたまま反抗の意志など微塵も感じられない。リッドはそれを眺め納得したのか、ドアに〈施錠〉の魔法をかけ、足早にアドルフの後をついていくのだった。
すぐさま追いついた彼女にたいし、アドルフは言った。
「翼竜で安全な場所へ移動しろ。そこで態勢を立て直し、我はあの〈爆縮〉魔法を放った魔導師を討ち果たす」
その命令はいくらか無謀さを含んでいたが、参謀役であるはずのリッドは特に反論を述べなかった。
ところが事実を淡々と突きつけた途端、小癪にもヴァインベルガーは反論してきた。
「君、それは違うよ。彼らはみずからの力の無さゆえに、窮乏したのだ。自力で生きられなくなった者を我々行政官が保護する必要はない。人間は努力すれば何とかなるはずなのだ」
しかも一転して妙にいきいきとした口調である。
――まだ余力が残っておるではないか。
議論をする気のなかったアドルフも、行政官の吐いた寝言は潰しておきたくなった。
「つまり貴公を責めるのはお門違いだと言いたいのかね?」
「そのとおりだ」
「ならば、物価上昇を招いた指導者も責めることにしよう。王統府も評議会も同罪である」
そうつまらなそうに吐き捨てた途端、行政官の反論はぴたりと止んだ。痛いところを突いたのだろうと思いつつ、アドルフは皮肉げな顔をこしらえつつ物静かに言った。
「急に黙り込んだな。上司に罪をなすりつけるのは嫌いか?」
相手を煽るようなひと言だったが、それでもなおヴァインベルガーは言い返さない。あと一押しで彼の心は折れるだろう。冷めた心で判じとったアドルフは、人質であるローゼの首筋に剣の刃を押しあてる。
「娘を傷つけるな!」
アドルフの動きを見たヴァインベルガーは反射的に金切り声で叫んだ。しかしアドルフは余裕を湛え、相手の増長を打ち砕くべく地獄の底から響いてくるような声を発した。
「黙れ。我に命令する資格など貴公にはない」
その魔神のごとき声にすくみ上がったのか、行政官たちは態度を豹変させた。
言い訳がましかったヴァインベルガーは机にむかって一心不乱にペンを走らせ、悲痛な表情で正式な統治権委譲書を完成させた。
面倒なことに、背後から書類を奪い取ったリッドはそれをすぐ封筒にしまうことはできない。生乾きの状態ではインクが滲んでしまうからだ。
「これでひと仕事終わったな」
大事な文書に風を送りながら、リッドが言った。
「うむ。まあな」
小さく頷くアドルフだが、満足感に浸る暇はなかった。
魔導師でないことを理由にヴァインベルガーらを助命すべきか否か。もはや用済みだが、占領後のことを考えると役人は残しておきたい。だとすれば、生かしておく価値はある。
迷ったとはいえ、五秒も経たずに結論を出した。この魔人族の父娘は殺さずにおき、行政官執務室に監禁するという結論を。
自分たちはその見張りをして、戦況を見守り、しかるべきタイミングで部隊の兵士たちと交代する。答えの決まったアドルフはそれをリッドに告げ、ローゼには命令を発した。
「こちらに背を向け、父親を抱いて前へ進め。ゆっくりとだ」
アドルフの記憶のなかには、特定の民族から市民権、のみならず生存権を奪った過去が眠っており、数多の光景のひとつが一枚の写真のように目の裏に浮かんだ。
「リッド。こいつらを拘束する魔法を用意しろ。死なない程度のものを頼む」
また人使いの荒いやつだ、といった呆れ声が戻ってくると思っていた。実際、リッドはそれに類することを口にしかけたかもしれない。
だがアドルフは、彼女のそんな軽口めいた返事を聞くことはかなわなかった。なぜならその瞬間、庁舎の外で「ドン」と空気が押し潰されるような音がしたからだ。
同時に衝撃波が背後から押し寄せ、割れた窓ガラスから眩い光が差し込んでくる。それは部屋全体を衝撃と共に照らし出す強烈な西日のようだった。
ビュクシを急襲してから、体感時間にして一〇分近くは過ぎていただろうか。その間も戦闘を示す音は断続的に外から聞こえていた。
特に対鉄兜団の主力であり、縦陣攻撃を担う〈空飛ぶヒトデ〉と、彼らの発する独特の鳴き声に変化がなかったことから、アドルフは戦況は急襲時と変わらず、相手を押し込んでいると思っていた。
だが、外で大きな爆発音がしたことを受け、リッドが表情を曇らせた。彼女はアドルフとは逆に、破壊された窓の外に顔を向けている。その目許には謎の発光を浴びて深い陰影が刻まれていた。
「何が起きた?」
窓の外に奇妙なものが見えたのだろう。リッドは声を失っていた。
アドルフは知らなかったが、彼女が見たのは〈爆縮〉という魔法の放つ閃光だった。
首を捻って振り返れば、すぐさま見てとれたはずだ。窓の外では想像をはるかに超える陰惨な光景がくり広げられていたことを。
人質を抱えるというきわめて窮屈な姿勢だが、彼はもう戦況を自分の目で見ないことには気が済まなくなった。
ローゼは恐怖で固まり、アドルフにしがみつく邪魔以外の何物でもなくなっていたため、このときばかりは床に投げうった。どうせ抵抗などできまい。
ようやく体の向きを変え、窓に駆け寄ったアドルフが見たものは、対人戦闘の枠に収まらない規格外の殺戮だった。目を灼くような光の中心にあるのは魔法の生み出した火球であろうか。それがエディッサの体を内側から破壊し、巨大な触手を根こそぎ引きちぎっている。
「あれは〈爆縮〉だ。普通の魔導書には載っていない、外典と呼ばれる書物にのみ記載されている魔法。国防軍によって管理されている、一般の冒険者には禁忌に属する魔法だ」
深刻そうに説明をつぶやくリッドの声は、はたしてアドルフの耳に届いたかどうか。Sクラスの位階を得ながら、魔法体系にはさらに深淵なる奥行きがあったこと。彼がその事実を咀嚼するより早く、なぶり殺しにも似た戦闘はクライマックスを迎えた。
瞬きをした視線のその先で、魔獣の吹き出した大量の血が辺り一面に豪雨のごとく降り注ぐ。真っ赤に煙る周辺の大気。虐殺の規模が大きすぎて、それは人類がいまだ経験したことのない新たな自然現象にさえ見える。
「よかったな、アドルフ。防塵マスクを装備しておいて」
目許を曇らせたリッドはマスクを口許に押しあてながら、こわばった声で話を続ける。
「大規模な〈爆縮〉は原因不明の毒をばらまく。本来なら対処のしようもないところだが、防塵マスクがあれば戦闘を継続できる。お前の判断がこんな形で役に立とうとは」
リッドの口ぶりは予定にない幸運を物語っていたが、危険な魔法と差し引きゼロにできると判じるほどアドルフは能天気ではない。
窓の外に広がる凄然とした景色を眺め、彼もマスクを引き上げながら、息をのみつつ思った。
――敵はあんなものを使えたのか。
衝撃の最中に彼が感じとったのはむしろ誤算だった。鉄兜団がどんなに精強でも、わずか一撃でエディッサを葬り去る輩がいるとは思わなかったのだ。
ここで彼は、敵方が住民保護を軽視していた兆候を想起するが、こんな魔法を城内で発動させるつもりだったことを目の当たりにすれば確かに辻褄は合う。
敵はいざとなれば街ごと道連れにする気なのだ。アドルフにとって想定外な戦闘力の発揮は、彼らの本気に火をつけてしまったからに他ならない。
情況の急変に歯噛みしたアドルフが眼を凝らすと、オレンジの火柱が城内の外れに見えた。いまの爆発とその余波によって街の一角が延焼したようである。
アドルフは瞬時にビュクシの地図を思い浮かべた。そこは街の西端にあたり、収容所から離れた場所だが、むろん土地勘はある。住宅地はなく、ビュクシにとって交易以外の一大産業、すなわち金の精錬所が置かれた場所だ。
しかしアドルフがこのとき抱いた懸念はそれが焼失することにはなかったし、住民がかろうじて虐殺をまぬがれたことにもなかった。
ビュクシを占領し、後に統治するうえで、破壊されては困る場所はいくつかある。その筆頭格こそが、近隣のトルナバにも供給している食糧の大貯蔵庫、つまりは穀物倉庫の一群に他ならず、それらの建物は同じく街の西端に位置していた。
偶然の産物かもしれないが、魔法が生み出した爆発は、崩壊したエディッサが四散した結果として最悪の場所へ飛び火してしまった可能性が高い。
とはいえ敵が街の安全を保障するつもりがない以上、起きてしかるべき事態と言えよう。
――半ば確信犯であろな。焦土さえ恐れず、我の邪魔をする気か!
悔しげな歯軋りが止まらないアドルフをよそに、飛び散った火焔がこちらにも向かってきた。それでもアドルフは、破壊された窓の位置から動くことができなかった。
魔獣三体を用いた強襲という敵の裏をかくような真似をして戦況を優位に進めた反面、相手が本気を出せばこちらの都合など容易く吹き飛んでしまう。
作戦を台無しにするほどの魔法を発動した者はいったいどこにいるのだろう。アドルフは崩れゆき形を失ったエディッサの周りに鉄兜団の魔導師を探した。
視線をひっきりなしに動かしていくと、エディッサのはるか上空に一機のチェイカが見えた。操縦者は鉄兜団の一般的な軍服とは異なり、鮮血のように真っ赤な制服をまといつつ金色に輝く兜を被っていた。おまけに二つにゆわえた病的なまでに白い髪をもち、不気味なことこの上ない。
だがアドルフにはその風貌に強い既視感があった。まだ囚人の頃に接点があった辺境州総督パベル殿下も、その操縦者と似通った容姿だった。だとすれば、いま〈爆縮〉なる魔法を発したのは王族の一人かもしれないということだ。
もっともパベル殿下と異なる点はあった。必死に眼を凝らす彼の目に映ったのは、その団員が女で、まだ子どもと呼んで差し支えないほど若く幼かったことである。
――あんなくそガキに我は弄ばれておるのか。
心の内で吐き捨てた瞬間、アドルフはある錯覚を感じた。十中八九ありえないことだが、彼はそのチェイカに乗った幼女と目が合った気がしたのだ。数百メーテル以上離れた空の高みから、彼がくそガキと呼んだ魔導師が自分の心を見透かし、笑っているように思えた。
まるで顔面に挑戦状を突きつけられたような気がした。こうした感じ方はもちろん思い込みとしか言いようがない。それでもアドルフの心に火を焚きつけるには十分であったようだ。
「相手が王族となれば敵に不足なし」
決然と述べた言葉は、彼の意図に反して声になっていた。もはやヴァインベルガー父娘の処遇でまごついている場合ではない。自分たちも討って出なければ。いまはあの危険な敵魔導師を叩き潰すことが先決であり、さもないと魔獣の威力は無力化され、取り返しのつかないことになる。
「このまま行くのか?」
アドルフが踵を返した姿を見てとって、リッドが物問いたげな顔で言った。
「優先順位が変わった。行政官の部屋には鍵でもかけておけ」
身柄を拘束するという方針を覆して、アドルフはせっかちにも一人で公邸執務室から出ていってしまう。残されたヴァインベルガー父娘は、幸いにも唖然としたまま反抗の意志など微塵も感じられない。リッドはそれを眺め納得したのか、ドアに〈施錠〉の魔法をかけ、足早にアドルフの後をついていくのだった。
すぐさま追いついた彼女にたいし、アドルフは言った。
「翼竜で安全な場所へ移動しろ。そこで態勢を立て直し、我はあの〈爆縮〉魔法を放った魔導師を討ち果たす」
その命令はいくらか無謀さを含んでいたが、参謀役であるはずのリッドは特に反論を述べなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【最強モブの努力無双】~ゲームで名前も登場しないようなモブに転生したオレ、一途な努力とゲーム知識で最強になる~
くーねるでぶる(戒め)
ファンタジー
アベル・ヴィアラットは、五歳の時、ベッドから転げ落ちてその拍子に前世の記憶を思い出した。
大人気ゲーム『ヒーローズ・ジャーニー』の世界に転生したアベルは、ゲームの知識を使って全男の子の憧れである“最強”になることを決意する。
そのために努力を続け、順調に強くなっていくアベル。
しかしこの世界にはゲームには無かった知識ばかり。
戦闘もただスキルをブッパすればいいだけのゲームとはまったく違っていた。
「面白いじゃん?」
アベルはめげることなく、辺境最強の父と優しい母に見守られてすくすくと成長していくのだった。
構造理解で始めるゼロからの文明開拓
TEKTO
ファンタジー
ブラック企業勤めのサラリーマン・シュウが転生したのは、人間も街も存在しない「完全未開の大陸」だった。
適当な神から与えられたのは、戦闘力ゼロ、魔法適性ゼロのゴミスキル《構造理解》。
だが、物の仕組みを「作れるレベル」で把握できるその力は、現代知識を持つ俺にとっては、最強の「文明構築ツール」だった――!
――これは、ゴミと呼ばれたスキルとガラクタと呼ばれた石で、世界を切り拓く男の物語。
僕だけレベルダウンな件〜敵を倒せば倒すほど弱くなるので、目立たずスローライフを目指します〜
小林一咲
ファンタジー
まったく数奇な人生である。
僕の名前は橋本 善。
正真正銘の日本人だが、今は異世界にいる。
理由なんてわかるはずがない。
死んだのか、はたまた何かの召喚に巻き込まれたのか。
僕には固有スキルがあった。
それは、スキル【レベルダウン】。
魔物を倒し、経験値を得るほどレベルやステータスがさがるというものだ。
だから僕は戦わない。
安心安全のスローライフを目指すんだ!!
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」
「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」
かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、
竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。
「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」
人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。
——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、
「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
※小説家になろう様にも掲載しています。
アルフレッドは平穏に過ごしたい 〜追放されたけど謎のスキル【合成】で生き抜く〜
芍薬甘草湯
ファンタジー
アルフレッドは貴族の令息であったが天から与えられたスキルと家風の違いで追放される。平民となり冒険者となったが、生活するために竜騎士隊でアルバイトをすることに。
ふとした事でスキルが発動。
使えないスキルではない事に気付いたアルフレッドは様々なものを合成しながら密かに活躍していく。
⭐︎注意⭐︎
女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結保証】僕の異世界攻略〜神の修行でブラッシュアップ〜
リョウ
ファンタジー
僕は十年程闘病の末、あの世に。
そこで出会った神様に手違いで寿命が縮められたという説明をされ、地球で幸せな転生をする事になった…が何故か異世界転生してしまう。なんでだ?
幸い優しい両親と、兄と姉に囲まれ事なきを得たのだが、兄達が優秀で僕はいずれ家を出てかなきゃいけないみたい。そんな空気を読んだ僕は将来の為努力をしはじめるのだが……。
※画像はAI作成しました。
※現在毎日2話投稿。11時と19時にしております。
※2026年半ば過ぎ完結予定→七月に完結(決定)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる