氷剣の皇子は紫水晶と謳われる最強の精霊族を愛でる

梶原たかや

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1話◆白皙の紫水晶

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 忍び込んだときにそうしたように、金属を練り込んだ縄を尖塔に引掛けては古城の屋根を伝って進む。先に縄を使って移動してからついてきている筈の相手を見遣ると、縄など必要とせずに地上から城の屋根までの距離を一飛びにこちらへと追い付いてくることに面食らう。金髪の青年は改めて感じた。精霊族の身体能力は人間と比べて桁外れに異なるらしい。とはいえ感心しつつも気は抜けない。いつ彼が逃げ出したことに気付いて追手が掛かるか分からないからだ。彼を気遣いつつも今は出来るだけこの古城から距離を稼ぎたい。
「まだ少し走らせることになるが……、頑張ってくれ」
 古城の外まで出て、外壁の陰で金髪の青年は相手を見遣った。身体能力は高いと思ったが、持続力が無いのか精霊族は多少肩で息をしているように見えた。出来れば抱えて運んでやりたい思いも有ったが、こちらについてきていながらも怜悧な薄紫の双眸は未だに警戒を解かない。それはそうだろう、ひとまず脱出の為についてきてはいるが、名乗りもしない素性の知れない男に簡単に何もかも委ねるようには見えない。それならそれで良かった。むしろ脱出を手伝ったくらいですんなり信用されるよりは、途中で自分からも逃げ出すくらいであった方が良い。言葉にはせずともそんなことを考えながら金髪の青年は踵を返して再び走り出す。一拍置いて精霊族も走り出し、二人は古城をぐるりと囲む広い林の中へと潜っていく。
 ふと、古城の方から微かに金属を何度も叩く音やけたたましい笛の音が響いてくる。思ったよりも早く気付かれたらしい。金髪の青年は眉根を寄せて走る速度を増していく。視線だけで窺えば背後の彼も同じ速度でついてきている。だが肩で息をしていたことを思えばいつまでこの速さを保てるのか。後ろの彼が力尽きる前に目的地まで到達出来れば良いのだが。そう思っていた金髪の青年だったが、馬の嘶きが前方から聞こえたことにはっとしてその場で足を止める。必然的に後ろの精霊族も立ち止まると、二人を取り囲む形でぞろぞろと武装した者達が木々の陰から姿を現した。
「止まれッ!」
 指揮を執っているのだろう大柄な男が馬上から叫ぶ。金髪の青年は素早く左右に視線を走らせた。夜闇に紛れ定かではないが、恐らく人数は二十を超える。たった一人を捕らえるのに大仰な、と思うものの、それだけの人員を割いてでも取り返すだけの価値が隣の男には有るのだ。
「そいつは返してもらうぞ。……『店』の目玉商品盗み出して無事でいられると思うなよ!」
 男は宴の主催と繋がってでもいるのか、はたまた莫大な報酬でも出るのか。強い怒気を伴って言い放つと、それを合図にしてか二人を囲んでいた武装兵達が一斉に間合いを詰めて躍り掛かる。中央の金髪の青年が自らの長剣の柄に手を掛けたそのとき、紫の光が走った瞬間に周囲で火花が爆ぜ、数名の兵が悲鳴を上げてもんどりうった。
「……っ!」
 はっとして背後を見遣れば、芯を失ったかのように精霊族がその場にがくりと膝をつく。肩で大きく呼吸を繰り返す彼の額には夜目でも判るほどの汗が浮いており、傍目にも限界なのは明らかだ。魔法の威力も古城の舞台上で起こしてみせたそれとは格段に威力が落ち、足止めどころか目晦ましにすら程遠い。
 金髪の青年は精霊族を守るように彼の前へと立つと、腰に吊った長剣の柄に手を触れ、ゆっくりと引き抜く。闇に染まる紺青の刀身は優美な宝飾品を彷彿とさせるが、知る者はそれが凶悪な牙を持つと解っている。青年が何事かを小さく呟くと周囲の空気が微かに揺らぎ始める。だが気付かずに武装兵達は体勢を立て直すと間を置かずに再び飛び掛かろうとした。須臾、横薙ぎに蒼刀が振るわれたかと思うと、中央の青年二人を除く周囲が、罅割れた音を伴い人間諸共瞬時に凍り付いていく。
「まさか貴様……っ、……氷剣、……の……」
 矢車菊の瞳と紺青の長剣を持ち、凍て付く息吹を操る貴公子然とした青年。その正体に気付いたらしき大柄な男が驚愕に目を瞠るが、抗う術も無くその表情のまま完全に凍り付いてしまう。周囲の兵達も同じように動きを止められていた。彼等が凍て付いたまま命を落とすか生還するかは彼等の生命力次第といったところ。屈強な者達が多く見受けられるので、恐らく命を落とすまではいくまい。相手方に正体を知られたことに関しては後々考えるとして、とりあえずこれで幾許かの時間稼ぎになり、同時に追手を放つことへの牽制にもなるだろう。青年は短く息をつくと長剣を鞘へと納めた。
「……『氷剣の皇子』、……か」
 背後でぽつりと呟く声。城中の牢獄で聞いたきりの甘やかな低音に金髪の青年は振り向く。精霊族は依然として膝をついて蹲ったままだった。見上げてくる紫水晶の双眸からも警戒は消えないが、少なくとも敵視はされていないようだ。訝るというほどではないが、相手からその名が零れたことが思いがけなくて、金髪の青年はぽつりと単純な疑問を口にする。
「……俺を知っているのか」
「そんな異名を持つ騎士がいると聞いたことが有る。……それだけだ」
 ただそれだけで、名前も容姿も素性も知らない。精霊族はかぶりを振る。金髪の青年は彼の正面で屈むと、そっと片手を差し伸べた。
「今のうちに。……決して悪いようにはしない……、どうか俺についてきて貰えるだろうか。……俺はカイ。君を解放に来た」
「…………」
 差し伸べられた手へと視線を落とし、精霊族は少し黙していたが、そう間を置かずに自らの片手を持ち上げて重ねる。
「――――……イル」
 ぽつりと告げられた言葉。それが彼の名だと理解して、カイはほっと息をついた。信用はさておき、ひとまず受け入れては貰えたようだ。ひんやりと冷たい相手の手を取って、立ち上がりがてらその手を引く。まだ本調子ではないイルに肩を貸す形で支えると、その場を後にして歩き始めた。凍り付いた周囲の所為も有るのかもしれないが、長く走っていながら体が冷たいというのが気になった。動物扱いするわけではないが、衰弱した生き物は出来るだけ早く温めた方が良いと聞く。早く戻らなければ、と思いつつもカイは相手の様子を窺いつつ慎重に歩を進めていく。
 凍り付いた下草を踏むと硬質な音が足元で響く。やがてその範囲を出て、尚も林を進むこと暫し。古城へと続く道や建物周辺には外灯が点在するが、その明りが及ばない、敷地の外ぎりぎりの半端な位置に小さな馬車が一つ停まっている。御者台には白髪交じりの榛色の髪を持つ初老の男。彼は不安げに周囲を見回していたが、夜闇に紛れながら近付いてくる二人の人影を見付けると、ぱっと表情を改めた。
「旦那様……、ご無事で何よりです」
「有難う、……待たせたな、マルク」
 御者台から降りた初老の男が、精霊族の青年を抱えるカイの代わりに馬車の扉を開けてくれる。カイはイルを伴って車内へと乗り込む。少し迷ってから、向かい合う席の後輪側へと相手を座らせ、進行方向とは逆を向く前輪側に自分が腰掛ける。馬車の扉が閉められ、御者が台へと掛ける振動が僅かに伝わって、すぐに馬車は進み出した。暗夜の道無き道を、小さな馬車はマルクの的確な操縦で迷い無く走っていく。窓から馬車の背後を窺っても更なる追手が迫っている気配は無さそうだ。
「もう大丈夫だと思う。……これから向かうのは俺の家だ。一息つけるよ」
 無理をさせて悪かった、と穏やかな声音で話し掛けるカイを精霊族の青年はじっと見据えていたが、やがて膝の上に置いた自らの手先へと眼を伏せたきり黙してしまう。流石に疲労も限界なのだろう。カイはそっとしておくことにして、窓の外の警戒に徹する。馬車はあらかじめ開け放っておいた裏門を難なく通り抜けると古城の敷地を出てひた走る。そのうちに窓を雨粒が叩く微かな音が聞こえてきた。遮る物も無く馬車を走らせるマルクには悪いが、とりあえずはこの雨が古城から何かが脱出した痕跡を隠してくれるだろう。
 深夜の煙る雨の街道を、馬車は密やかに走り続けた。
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