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2話◆ノヂシャに愛を捧ぐ
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その夜も少年は足を引きずるようにして螺旋の石段をゆっくりと上がっていた。長い階段にすぐ息が弾み、酷い折檻を受けて弱り切った体に負担が掛かるのをひしひしと感じる。痩せっぽちでいつもお腹を空かせている少年にとって、この長い螺旋階段を登るのは容易なことではない。それでも、登り切った先にある景色は、体に鞭を打ってでも焦がれ求めるほどに格別なものだった。吐く息は白く、歩みを止めてしまえばすぐに凍えてしまいそうな気温で、少年の着るものは薄く、他に羽織れるものが有るわけでもない。景色が寒さや空腹を満たしてくれるなどということも無いが、少年は一心に上を目指す。螺旋の石段を上がり切った塔の最上階は小さな庭園になっていて、据えられた木製のベンチから見上げる満天の星は、空から零れんほどに間近に感じられるのだ。
「…………あれ」
最上階に着いてみれば、こちらに背を向ける形でベンチに腰掛けている誰かの頭が見えた。この塔は父がたまに私的に使っているだけで、基本的に人が訪れることが無い。だからこそ穴場であり、父が来ない時間帯を見計らって出向いていたのである。それだけに思わぬ先客に少年は戸惑った。とはいえ、別に自分を差し置いてベンチに腰掛けていたとして、場所を取られたなどと怒るつもりも無い。ただ、誰も来る可能性の無い所に何者かが訪れている、その事実に困惑しているだけだった。少年は暫し何者かの後頭部を見つめていたが、意を決してそちらの方へと近付いた。
「――――っ……!」
声を掛ける前に、その人物は振り向いた。背後から近付く、少年が足を引きずる音に気付いたのである。その人物は弾かれたように立ち上がるとベンチから後ずさり、少年と距離を取って立ち竦んでいる。その容姿に少年は目を瞠った。
「……天使……?」
ふんわりと肩に触れる卵色の髪からは尖った耳先が僅かに覗き、白く滑らかな肌の手足に、背にはカササギのような形をした髪と同色の小さな鳥の翼。物心ついた頃に一度だけ見た記憶が有る、大聖堂の天井に描かれた神の御使いがこのような姿だった気がする。自身と年の頃はそれほど変わらないように見える少女。自分を見つめたまま小さく震える彼女に、少年は眉尻を下げる。
「驚かせちゃってごめんね。……他に人が居ると思わなくて」
意識してのことではなかったが、少年の声は穏やかで人の心を落ち着けるものだった。少女も例外ではなく、彼が自分に危害を加えるような輩ではなさそうだと判断すると、それ以上怯えて震えることも無かった。
「星を見ていたの?」
少年は柔く首を傾いで彼女を見遣る。少女は静かに肯いた。
「辛いことが有ったらここに来るの。……夜空にいっぱいのお星様を見ていると少し落ち着くから」
小鳥が囀るような愛らしい声音だが、語る内容は穏やかではない。少年は何も言えなかったが、緩と視線を下げると一人ごちる。
「そっか。……僕と一緒だね」
少年は少女との間に位置するベンチを見遣り、そちらへと片足を引きずりながら歩み寄る。音は少年が立てているのだと解ると、もう少女は怯えることも無かった。少年はベンチの半分を使って座ると、もう半分を示す。
「一緒に見ないかい。ほら、座って」
優しい声音は心にすとんと響いてくる。少女は素直にベンチに近付くと、空いているもう半分へと腰掛けた。空には満天の星々。寒さは相変わらずだったが、それもあまり気にならなかった。一人ではないからだろうか。二人はどちらともなくぽつりぽつりと他愛ない言葉を交わしながら、長い夜を過ごした。
「…………あれ」
最上階に着いてみれば、こちらに背を向ける形でベンチに腰掛けている誰かの頭が見えた。この塔は父がたまに私的に使っているだけで、基本的に人が訪れることが無い。だからこそ穴場であり、父が来ない時間帯を見計らって出向いていたのである。それだけに思わぬ先客に少年は戸惑った。とはいえ、別に自分を差し置いてベンチに腰掛けていたとして、場所を取られたなどと怒るつもりも無い。ただ、誰も来る可能性の無い所に何者かが訪れている、その事実に困惑しているだけだった。少年は暫し何者かの後頭部を見つめていたが、意を決してそちらの方へと近付いた。
「――――っ……!」
声を掛ける前に、その人物は振り向いた。背後から近付く、少年が足を引きずる音に気付いたのである。その人物は弾かれたように立ち上がるとベンチから後ずさり、少年と距離を取って立ち竦んでいる。その容姿に少年は目を瞠った。
「……天使……?」
ふんわりと肩に触れる卵色の髪からは尖った耳先が僅かに覗き、白く滑らかな肌の手足に、背にはカササギのような形をした髪と同色の小さな鳥の翼。物心ついた頃に一度だけ見た記憶が有る、大聖堂の天井に描かれた神の御使いがこのような姿だった気がする。自身と年の頃はそれほど変わらないように見える少女。自分を見つめたまま小さく震える彼女に、少年は眉尻を下げる。
「驚かせちゃってごめんね。……他に人が居ると思わなくて」
意識してのことではなかったが、少年の声は穏やかで人の心を落ち着けるものだった。少女も例外ではなく、彼が自分に危害を加えるような輩ではなさそうだと判断すると、それ以上怯えて震えることも無かった。
「星を見ていたの?」
少年は柔く首を傾いで彼女を見遣る。少女は静かに肯いた。
「辛いことが有ったらここに来るの。……夜空にいっぱいのお星様を見ていると少し落ち着くから」
小鳥が囀るような愛らしい声音だが、語る内容は穏やかではない。少年は何も言えなかったが、緩と視線を下げると一人ごちる。
「そっか。……僕と一緒だね」
少年は少女との間に位置するベンチを見遣り、そちらへと片足を引きずりながら歩み寄る。音は少年が立てているのだと解ると、もう少女は怯えることも無かった。少年はベンチの半分を使って座ると、もう半分を示す。
「一緒に見ないかい。ほら、座って」
優しい声音は心にすとんと響いてくる。少女は素直にベンチに近付くと、空いているもう半分へと腰掛けた。空には満天の星々。寒さは相変わらずだったが、それもあまり気にならなかった。一人ではないからだろうか。二人はどちらともなくぽつりぽつりと他愛ない言葉を交わしながら、長い夜を過ごした。
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