氷剣の皇子は紫水晶と謳われる最強の精霊族を愛でる

梶原たかや

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1話◆白皙の紫水晶

閉幕

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「居合わせたのがアシュフォード侯爵閣下で助かりました。この規模の賊の略奪で、被害がこんなにも小さく済んだのは閣下のお陰です」
 馬車の中に隠れていたのは、トーチェス伯爵夫妻と先日社交界デビューを果たしたばかりの若い令嬢であった。怯えきった三人を丁寧に騎士団所有の大型馬車へと案内し、その肩に毛布を掛けてやってから、カイは駆け付けた一隊の隊長に現場でのあらましを報告がてら伝え、その的確で迅速な一連に非常に感謝された。しかし賞賛にカイは苦笑を返す。
「俺だけではきっと気付かないか、もっと犠牲が出てしまってからの交戦になったと思う。これだけ早く収束出来たのは彼のお陰だよ」
 少し離れた場所でぽつんと佇むイルを示してカイは微笑むが、示された隊長は怪訝に眉を寄せて戸惑いを見せる。
「精霊族……ですか……?」
 あからさまな侮蔑とまではいかないが、凡そ謝意を表す対象にはならないような目付きで彼はイルを見遣る。その視線にカイは何も言えず、一礼して立ち去る隊長を複雑な気持ちで見送るしかなかった。彼が居なくなってから暫し、少し遠巻きにこちらを窺っていたイルにカイは近付いていく。イルが気を張っているように感じられたが、近寄っても逃げる素振りは無い。どうも周囲にカイ以外の人間がいることを気にしている様子だった。張り詰めた空気を纏いながらイルが口を開く。
「……あまり俺を話に出さない方がいい」
「そうは言っても、賊に気付いたのが君なのは事実なのだから……」
「事実がどうあれ、人間が俺を認めることは無い。……黙ってお前の手柄ということにしておけ。俺の所有者はお前なのだから、俺が動けばお前の功績になるのは当然だ」
「…………」
 イルの言うことは、きっと世渡りとしては正しい。けれど釈然としない。渋面で押し黙るカイを暫し眺めていたイルが、ふと纏う空気を和らげてカイに片手を伸ばす。
「……そんなに真面目じゃ、生き辛いだろ」
 とんと肩に手を置く相手に、つい先ほど王太子と会話していた際にイルに対して思ったのと同じ台詞を言われたことに、カイは苦笑した。
「君ほどじゃないと思うよ」
 車体や車輪が傷付き斜めになった馬車を牽引し、伯爵夫妻を保護して賊を捕らえ、周囲の片付けを迅速に進めて、騎士団の一隊は速やかに撤収していく。当事者ではあるが、一通りの報告をその場で済ませてしまえば改めてカイが騎士団屯所へと赴く必要も無く、カイとイルは川辺の草原で、遠ざかる一隊を見送った。二人は一隊が見えなくなると、夕闇が訪れ始めた川辺を馬の手綱を引いてゆっくりと歩きだす。すぐさま馬を駆って屋敷に戻れば良いのだが、何となくそうしたくてカイは馬に乗らなかった。カイが歩けばイルも無言で同じように歩き始める。
「あれだけ自然に動けるというのは、やっぱり騎士団に居たからなのか」
 馬を引いて歩きながら何となしに問い掛ける。賊の討伐に関しての一連が非常に円滑で、彼が戦闘能力に長けているという以上に、追跡から包囲、人質の保護から敵陣殲滅といった流れに対する経験の豊かさが感じられた。そして人間に対して良い印象も感情も持っていないであろう彼が、特段命じられなくても人間を助けるなどという行為に騎士団に居た以外の理由が見えないというのもある。
「……そうだな」
 ぽつりとイルが答える。
「それも有るし、今は騎士団所属のお前が俺の主だから、騎士団絡みになるような案件ならお前の殊勲になるかもしれないと思ったまでだ」
 並んで馬を連れながら、イルは続ける。
「今までもそんな程度の感覚で賊や魔物を退けてきた。……誰かに恩を感じられているだなんて思いもしなかった」
 お前みたいに、と呟いた声は風に融けたが、カイの耳は逃さなかった。
「……もしかして……思い出したのか、イル」
 立ち止まるカイに続いてイルもその場で歩みを止める。数歩遅れたカイを振り返るイルの輪郭が、群青に変わる直前の夕焼けに染まる。
(――――ああ、この顔だ)
 カイは目を細めて彼を見つめた。暗がりの中から両親の躯に護られながら見つめた顔。周囲の大人が次々と屠られ、幼いながらも死を悟った絶望的な心を昭然たる生に繋ぎ止めた顔。謝意を伝えたくて、もう一度会いたくて探し求めた顔が目の前に在る。
「……お前はあの時、半壊した馬車の中に居た生き残りの子供なんだな」
 十二年前、隠居した元アシュフォード侯爵が住まう別邸に、爵位を継いだ息子夫婦が子供と共に訪れた。和やかな早めの晩餐の後、日が暮れぬうちにと本宅に帰還する途中で、侯爵夫妻と幼い息子の乗る馬車は賊の襲撃を受け、夫妻は御者や護衛諸共帰らぬ人となってしまう。あわや幼い跡取り息子も、と思われたその時、すぐ近くを帰投中であった某師団の精鋭斥候部隊が駆け付け、かろうじて息子は保護に至ったという事件が有った。行きずりの盗賊ではなく、堅物の元侯爵のやり方を逆恨みしたとある貴族が画策した犯行だったという一件で、侯爵家断絶の危機を救った師団長が非常に高く評価された。けれども、一介の賊とは異なり悪意を持って計画的に行われた襲撃がそう簡単に察知されるとは思い難く、そうなるとどうやって暗殺の現場を感知出来たのかは、今回の件を鑑みると自ずと見えてくる。
「……有難う、助けてくれて」
 喉元に迫る凶刃を弾き落とし、一瞬で状況を覆した鮮烈なうつくしい姿を昨日のことのように覚えている。
「君にとっては、数ある事件の中の一つだったのかもしれないけれど、俺は命を救ってくれた君のことがずっと忘れられなかった」
 唯一の生存者ということで騎士団には何度か調書を取られたが、記憶の中の鮮明な恩人の姿をどれだけ訴えても、誰も何も答えてはくれなかった。騎士団に籍を置くようになってから自分の事件を洗い出しもしたが、己の調書も駆け付けた斥候部隊の報告も綺麗に残っているのに、一番最初に助けに現れた彼の人のことだけは一切が記載されていなかった。団服を着ていたでもなく、斥候部隊の到着とほぼ同時にその姿が見えなくなったため、彼が騎士団と繋がっているという発想も無い。記録が無ければもうお手上げで、彼が人間とは異なる種族、精霊族らしいと判ってからは、騎士団保管の事件記録よりも精霊族を扱う闇取引の方に視線を向けるようになった。考えたくはなかったが、もしも彼が捕縛されることが有れば、必ず大手筋の競売に姿を見せると思ったのだ。かくして幸か不幸かその目論見は当たる。
「君を探す過程で、名前くらいしか知らなかった精霊族のことを知った。……差別は勿論、高値で取引されていることも、隔離されていて普通に出会えるものでもないことも。君の言う通り俺には知識が無い。王太子殿下に教わったこともまだまだ少なくて、断片的でしかないのだと思う。……それでも、君を含めた精霊族に手を差し伸べたいと思っている。……君に救われたみたいに」
 思えば、為す術もなく死を待つだけだった自分の人生を変えてくれた彼に、憧れを抱いたのかもしれない。彼を探しながらも、いつか会えたときに恥じない自分であるよう、己を磨くことに努めた。この命が、侯爵家の跡取りとしての存在がこの世に望まれ生き延びたというなら、権力も財力も惜しまないと決めた。救われた憧れに倣い、自身も救う側になりたいと思ったのだ。
「手を貸してくれないか、……イル」
 改めて片手を伸べる。王太子の執務室ではすげなくあしらわれたし、今も特に返事は期待していない。ただ、彼があの時も今も、自分の言葉を無下に扱う人ではないことは理解している。自分の気持ちを整理し、伝えるべくカイは言葉を紡ぎ、手を差し出す。
「…………」
 だが、今度は様子が違った。一馬身ほど開いていた距離を詰める形でイルがゆっくりとカイに近付き、対する手を伸べたのである。握手する形となった手元へと目を伏せていたイルが、軽く目を瞠って自分を見つめるカイへと視線を上げる。
「お前がどんなに真面目でも、貴族が果たすべき奉仕とやらの域を出ないと思っていた」
 正義感が有り、真面目な人物だというのは解る。解るからこそ、その正義感が追い求める清廉潔白な貴族像を目指しているに過ぎないのだと思った。在りたい自分になりたいがための課題として精霊族救済を選んだのなら、自分が本気で寄り添わずともすぐに挫折すると踏んだ。彼は今まで精霊族と縁が無く、現状も実態も詳細を知らない。生半可な気持ちで首を突っ込んでも続かないと思った。
「……覚悟が有るんだな、俺達に関わることに」
 助けられた命を賭して、助けてくれた人物の種族と向き合う。シンプルだが強い決意は、自分が補佐をしてやることで折れぬ強さを得られるような気がした。イルの問いに、カイはしっかりと肯く。
「それなら、俺は知恵を貸す。……その背を守る」
 執務室で聞いたのと同じ言葉。けれども、カイには漸く彼に認めてもらえた気がして目を細める。
「有難う。……これからよろしく、イル」
 夜の帳が下り、街道の空には星が瞬き始めていた。
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