また、恋をする

沖田弥子

文字の大きさ
14 / 39

サヤ 1

しおりを挟む
「さあ、むこうへ……」

 そのとき、屋敷の奥から軽妙な足音と共に、聞き覚えのある声が響いてきた。

「竜神様が来ているの? わたしに会いに来てくださったのかしら」

 鈴を転がすような楽しげな声は、沙耶のものだ。
 玄関に現れた沙耶は一目見て上等とわかる桃色の着物を纏い、綺麗に髪を結い上げていた。瞳をきらきらと輝かせて、まっすぐに那岐を見る。
 けれど那岐は、沙耶の存在など気にも留めずに冷然と踵を返した。

「ではな」

 敷居を跨いだ那岐は振り向くことなく、門へ向かっていった。鮮やかな鉄紺の羽織の背中が遠ざかっていく。
 沙耶はあからさまに落胆した顔を見せた。それから彼女は、私にきつい眼差しをむけてくる。那岐に見せた華やいだ表情とはまるで別人だった。

「え……沙耶? どうかしたの?」

 彼女は何も言わずに身を翻して、屋敷の奥へ引っ込んでしまった。
 沙耶が私に対して、あのような冷淡な態度を取ったことは一度もない。これが夢なら、現実での経験が反映されているはずだ。もしかして私が沙耶に、冷淡に扱ってほしいと望んでいるとでもいうのだろうか。そんなはずないのに。
 縦縞の着物の女性は、茫然と佇んでいる私を叱りつけた。

「サヤ様に、気安く話しかけるんじゃないよ! おまえは村長の娘のサヤ様と話せるような身分じゃないんだよ」
「……はい?」

 沙耶はこの屋敷に住む、村長の娘のようだ。
 正確には、夢の中での配役ということになるけれど。
 ということは、私は……

「あのう、私は、何者なんでしょうか?」

 それはひどく間抜けな質問だったに違いない。
 訊ねられた女性と村長は呆れた顔をした。
 村長は嫌なものを見るように顔を顰めて、私を指差す。

「おまえは竜神様の生贄だ! それだけは肝に銘じておけ」

 ――イケニエ。
 川で溺れかけたとき、子どもたちが囃し立てていた言葉が蘇る。
 生贄というのは、神に捧げる供物のことを指す。昔は人柱として橋に人間を括りつけて、神に祈願したという。つまり私は神様に願い事を叶えてもらうための供物という役割なのだ。
 そうだった。私は、生贄のニエ。
 どうして忘れていたんだろう。なんだか記憶が曖昧で、よくわからない。

「つまり私は……竜神の那岐に捧げられる生贄ということ?」
「そうだ。あの御方はこの地に長くいらっしゃる神だ。竜神様の加護がなければ、我が村は水不足で暮らしていけんのだ。おまえはそんなこともわからんのか」

 水不足の村は竜神の加護を求めている。
 竜神を信仰する村。それは図書館で見つけた蔵書に書き記されていた。
 村長は縦縞の着物の女性に、きつい調子で言いつけた。

「さっさとこいつを連れて行け! 表口が穢れないよう、綺麗に掃き清めておくんだぞ」
「はい、旦那様。ほら、おいで」

 猫の子のように、女性に襟首を掴まれる。私の着物から滴り落ちた水滴で、それまで立っていたところだけが丸く濡れていた。
 屋敷の敷地内にある離れに引き摺られていき、そこでようやく襟首を解放される。
 樹木に陰る小屋のような離れは、狭い戸口をくぐると、人ひとりがやっと立てる土間がある。土間の向こうにはすぐ畳の部屋があり、隅に畳んだ布団と長持が置かれていた。
 たったそれだけ。
 あまりにも殺風景な場所に、私は瞳を瞬かせる。
 ここは稀に使用する休憩所だろうか。なぜ、ここに連れてこられたのだろう。

「あのう……ここは……?」

 疑問を投げられた女性は先程の村長と同じように、穢らわしいものを見るような目つきを私にむけた。

「おまえの住処に決まってるだろう。どこまで呆けているんだか」
「え……ここに住むんですか?」
「旦那様に感謝するんだね。身寄りのないおまえを引き取って、飯まで食わせてくださってるんだ。まあそれも、生贄になるまでのことだけどね」

 馬鹿にするように鼻を鳴らして、女性は母屋への道のりを戻っていった。 
 とりあえず部屋に上がってみる。狭い部屋なので、ひとり分の布団を敷けばいっぱいになるくらいだ。畳は随分と古いものらしく、色褪せて表面が所々剥けている。布団に触れてみれば、薄い綿入り布団は湿気を含んで重かった。

「どうせ夢なら、ふかふかの布団で寝たかったな……」

 見上げた格子窓越しに、夕暮れの空が映っている。私は、ふと気がついた。
 この夢は、いつ醒めるんだろう?
 いつもの焼死する悪夢は確かにリアルだけれど、そんなに長い時間のことではない。それとも夢から醒めてから短いと判断しているだけで、実は夢の時間は長いのだろうか。
 夕闇の迫る狭い部屋の中で、私は膝を抱えた。ただ、時が過ぎるのを待つしかなかった。



 結局日が暮れて夜になっても、状況が変わることはなかった。
 電気がないので暗闇の部屋の中では、木枠の窓から射し込む月明かりだけが頼りだ。窓には硝子がなく、風が直接吹き込んでくる。夏で良かった。冬だったら部屋が雪塗れになってしまうとぼんやり考えていると、小屋に近づいてくる足音が耳に届いた。
 立ち上がった私は土間に下り、引き戸を開ける。
 そこには、憮然とした面持ちの女性が岡持ちを提げて立っていた。先程の女性とは違う人だけれど、縦縞の着物に前掛けという同じ格好をしていた。どうやら彼女たちは村長の屋敷で働いている女中らしい。
 女中は岡持ちの蓋をずらして中から椀を取り出すと、ずいと私の眼前に差し出す。
 思わず両手で受け取ったその椀には、白い粥が盛られていた。

「え……もしかして、これが夕御飯ですか?」

 用は終わりとばかりに、女中は無言で母屋へ戻っていく。私は慌てて彼女を呼び止めた。

「あのっ……!」
「なんだい」

 鬱陶しげに振り向いた女中の私に対する態度は、昼間の村長や沙耶、もうひとりの女中とまるで同じだった。
 穢らわしい生贄。
 かかわりたくないという姿勢が露骨に現れている。
 意気消沈して肩を落とした私は、小さく呟いた。

「スプーンか割り箸、ありませんか……」

 椀だけもらっても食べられない。
 ああ、と気づいた女中は前掛けを探ると、手にした匙をこちらに放り投げた。
 危うく地面に落としそうになり、必死でキャッチする。体が傾いたため、もう片方の手で持っていた椀から白粥が零れ落ちてしまった。

「あっ……こぼれちゃった。すみません……」
「這いつくばって食べな」

 信じられないひと言を吐いた女中は、今度こそ暗い道を戻っていく。
 平淡に述べられた彼女の言いざまには侮蔑も嫌味も含まれておらず、さもそうするのが当然なので教えてあげただけという印象だった。
 生贄の私は犬猫と同じか、それ以下の存在なのだ。
 白粥はぐちゃりと形を崩して、土に染み込んでしまっている。とても食べられそうにない。
 私は大切に椀を持ち直すと、俯いて小屋の中へ戻った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

結婚する事に決めたから

KONAN
恋愛
私は既婚者です。 新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。 まずは、離婚してから行動を起こします。 主な登場人物 東條なお 似ている芸能人 ○原隼人さん 32歳既婚。 中学、高校はテニス部 電気工事の資格と実務経験あり。 車、バイク、船の免許を持っている。 現在、新聞販売店所長代理。 趣味はイカ釣り。 竹田みさき 似ている芸能人 ○野芽衣さん 32歳未婚、シングルマザー 医療事務 息子1人 親分(大島) 似ている芸能人 ○田新太さん 70代 施設の送迎運転手 板金屋(大倉) 似ている芸能人 ○藤大樹さん 23歳 介護助手 理学療法士になる為、勉強中 よっしー課長(吉本) 似ている芸能人 ○倉涼子さん 施設医療事務課長 登山が趣味 o谷事務長 ○重豊さん 施設医療事務事務長 腰痛持ち 池さん 似ている芸能人 ○田あき子さん 居宅部門管理者 看護師 下山さん(ともさん) 似ている芸能人 ○地真央さん 医療事務 息子と娘はテニス選手 t助 似ている芸能人 ○ツオくん(アニメ) 施設医療事務事務長 o谷事務長異動後の事務長 雄一郎 ゆういちろう 似ている芸能人 ○鹿央士さん 弟の同級生 中学テニス部 高校陸上部 大学帰宅部 髪の赤い看護師(川木えみ) 似ている芸能人 ○田來未さん 准看護師 ヤンキー 怖い

処理中です...