また、恋をする

沖田弥子

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サヤ 2

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 辺りが白み始める暁の頃、私は目を醒ました。
 見回せば、昨夜と同じ粗末な部屋の中にいた。夢から醒めていない。夢の中で寝ていたということになる。ただし、いつもの悪夢は見なかった。
薄いのにとてつもなく重い布団から這い出す。お風呂などないので、体が痒い。私は長持を開けて別の着物を漁った。
 長持の中には幾つかの着物が入っていたけれど、そのどれもが擦り切れていて、古着のようだった。なぜか派手な赤い色の着物しかない。
 比較的生地の傷みが少ない着物を選んで着替える。帯を締め直すと、くうとお腹が鳴った。
 白粥しか食べていないのでお腹が空いている。

「夢の中でもお腹が空くんだね……」

 朝御飯は、いただけるのだろうか。もう白粥は勘弁してほしい。家ではカフェラテを必ず朝に飲む習慣があるので、マグカップにカフェラテを出してもらえないだろうか。ここは昔の日本のような雰囲気だけれど、夢なのだから、なんでもありではないだろうか。
 そのとき、昨日と同じ足音が響いた。
 無遠慮に引き戸を開けた女中は憮然とした表情で、岡持ちから取り出した椀を無造作に上がり框に置いた。椀には昨夜と全く同じ白粥が盛られている。しかも、昨夜よりさらに量が少ない。
 目を丸くした私は膝立ちになった。

「あのっ、少ないんじゃないですか!? 白粥!」

 指摘するべきところはそこではない気がするが、量が少ないのは死活問題だ。
 女中はもう私に目をむけることもせず、粗末な木の匙を畳に放り出した。

「朝はいつもこの量だよ。あたしら奉公人も同じものを食べてるんだ。旦那様がお決めになったことだからね」

 ぴしゃりと音を立てて戸が閉められた。
しばらく茫然として戸を見つめていた私は、やがて膝でにじり寄り、椀を手に取る。陽のあるところでよく見れば、それは米のお粥ではなかった。粒の形が違う。大根を刻んだものも混じっているようだ。食感が家で作るお粥とは違うので妙だと思ったけれど、麦に大根を混ぜ、さらに水で薄めたものらしい。
 これではお腹いっぱいにならない。でも、奉公人たちも同じものを食べているというのだから仕方ない。
 私は大根入りの冷えた麦粥を匙で掬い、口に入れた。満足感が味わえるように、何度も口の中で噛み締める。
自分の夢なのに操作できないなんて哀しい。
 けれど好きなようにできるなら、そもそも悪夢も見なくて済むだろう。
 簡素な朝食を終えると、私は空腹を抱えながらも母屋へ向かった。
 沙耶と話がしたい。
 昨日の彼女がなぜあのような冷たい態度を取ったのか、理由が知りたかった。
 小屋から伸びる細い道の向こうには、女中が利用するであろう母屋の裏口があった。引き戸を開けると狭い板の間があり、甕などが置いてある。

「すいませーん」

 声をかけたが返事はなく、人の気配がない。とても大きな屋敷なので、奥に誰かがいるのかもしれない。お邪魔しますと断りを入れて、私は母屋に上がった。
 雑然とした部屋を通り抜け、廊下に出る。辺りには納戸や作業場のような部屋が点在していた。
 奥のほうへ進めば、裏口から続く古びた廊下とは明らかに異なる黒塗りの廊下が現れた。磨き上げられた廊下には一片の埃もなく、壁際には椿の一輪挿しが掛けられている。廊下と部屋を仕切る襖には華麗な芙蓉が描かれ、金箔が散りばめられていた。
 いわゆる、お金持ちのお屋敷といった風情だ。
 感嘆の息を漏らした私の背後で、足音が鳴る。
 振り向くと、膳を掲げた老齢の女中がこちらを見て驚いていた。

「おやまあ。贄が、お屋敷に……。なんということだい」

 おばあちゃんを彷彿とさせる年齢の彼女なら、他の女中より親切に接してくれるかもしれない。
 私は彼女に沙耶の部屋を聞いてみることにした。

「お邪魔してます。沙耶の部屋はどこですか?」
「サヤ様の、お呼び出しか? 昨日、竜神様がいらしたな」
「はい。そのことも話したくて」
「こちらにおいで」

 案内されて、黒塗りの広い廊下を奥へ進む。
 沙耶から呼ばれたわけではないが、きっと沙耶は私に会いたいと願っているはずだ。昨日、冷淡な態度を見せたことは誤解だと信じたかった。
 やがてひとつの襖の前へ辿り着いた。廊下に膝を着いた老齢の女中は、桜の描かれた襖の向こうへ声をかける。

「サヤ様、いらっしゃいますか」
「……キヨノか。入れ」
「失礼いたします」

 キヨノと呼ばれた女中は指先をぴんと伸ばし、両手で音もなく襖を開ける。こなれた所作はまるで時代劇を見ているようだ。
 入れと言われたにもかかわらず、キヨノは襖を開けると、手を付いて頭を下げた。ひょいと首を出して、私は部屋の中を覗いてみる。
 い草の香りがする真新しい畳に、精緻な彫刻が施された卓や透かし彫りの行灯が置かれていた。重厚な箪笥には螺鈿細工が彩りを添えている。豪奢な部屋は、私が一晩過ごした小屋とは大違いだ。
 その部屋の卓の傍に、沙耶は座していた。
 若葉色に小花模様が散らされた可愛らしい着物を纏い、髪飾りに花簪を挿しているさまはまるで人形のようだ。

「沙耶、突然ごめんね。会いたかった」

 部屋に一歩踏み出せば、慌てたようにキヨノが裾を引いて引き留める。

「これ、おやめ。サヤ様にご挨拶なさい。勝手に部屋に入ってはいけない」
「あ……すみません」

 キヨノのように膝を着いて挨拶しなければならないらしい。
ここでは、沙耶は村長の娘で、私は生贄という飼われた身分なのだ。沙耶を、お嬢様として敬わなければならない。
 キヨノに従い、敷居の前に膝を着いた。羅紗の座布団に座した沙耶は憮然として、私を横目に見遣る。

「竜神様におぶわれてきたわね。あれはどういうこと?」

 冷たい声音で出し抜けに聞かれ、私は瞳を瞬かせた。キヨノにそっと、小声で囁かれる。

「はよう、サヤ様にお答えしなさい」
「あれは……私が川で溺れそうになってたところを、那岐に助けてもらったの。草履をなくしたから、おんぶしてもらって……」
「そんなことを聞いているのではない! おまえのような穢らわしいものが竜神様に触れたことへの申し開きをせよ、と言っているのよ」

 声を荒げた沙耶は憎々しげにこちらを睨みつけた。彼女が私に対して怒ったことは一度もないので、違和感を覚える。
 誰なんだろう。沙耶じゃない……?
 沙耶によく似た見知らぬ娘を前にして、私の背筋がぞっと冷えた。

「ごめんなさい……」

 謝罪したものの、沙耶は私への嫌悪の姿勢を崩さなかった。まるで悪玉菌がそこに存在するかのように、眉を寄せて直視しないよう顔を背けている。

「それから、わたしを呼び捨てにして良いと誰が言ったの。竜神様が真名で呼んでも良いとお許しになられたからといって、図に乗るな。おまえは村のため、竜神様に食ろうていただく生贄。口の利ける鶏ということを忘れるな」

 厳しい言葉を吐き捨てられる。私は衝撃のあまり、くらりと酩酊した。
 鶏と称されたこと以上に私の心を貫いたのは、彼女は私の知る沙耶ではないという事実だった。
 サヤのきつい表情、手厳しい言葉遣い。それは真から滲み出たものであると痛切に感じた。
 目の前のサヤは幼い頃からこの村で暮らし、村長の娘として傅かれてきたのだ。
 この世界は、本当に私の夢なのだろうか?
 私の知らない世界がまるで現実であるかのように広がっている。そして私は、そこに嵌められたひとつのパズルピース。
 茫然としていると、キヨノに小さく諭される。 

「サヤ様にお謝りなさい。男衆を呼ばれたら折檻される」

 折檻とは、棒などで叩くことだ。私は慌てて廊下に額を擦りつけた。

「申し訳ありませんでした、サヤ様」

 彼女は、親友の沙耶とは別人として接したほうがいい。たとえ私の夢であっても、私の常識は通用しないのだ。

「キヨノ。なぜわたしの部屋にそれを連れてきたの」

 私の謝罪を受け入れる気もないらしいサヤは、キヨノに問い質す。私がサヤの部屋に行きたいと頼んだからだ。キヨノに非はない。

「私が廊下でキヨノさんに頼んで……」

 始めに額ずいた姿勢から動いていないキヨノは、私の前に手を出して遮る。黙っているようにという合図だ。口を噤んだ私は深く頭を下げた。

「申し訳ございません。竜神様のことについてサヤ様にお話しなければと、わたしめがいらぬ気を遣ってしまったのでございます。老婆心ゆえのことで、どうかお許しくださいませ」
「もうよい! 早くそれをわたしの目の前から消せ」

 キヨノは丁寧に襖を閉めると、ようやく立ち上がる。私も俯いたままキヨノのあとに従い、裏口へ向かった。途中、他の女中とすれ違うと、私の姿を目にした彼女たちは眉根を寄せた。
 母屋へ上がり込んではいけなかったのだ。私の浅慮で、キヨノに迷惑をかけてしまった。
 裏の戸口に着くと、私はキヨノに向き合い、頭を下げた。

「すいませんでした。キヨノさんに迷惑をかけてしまいました」

 キヨノは懐に手を差し入れると、私の手のひらを取り、小さな包みを握らせた。

「おまえさんは可哀想な子だが、己のさだめを受け入れないといけないよ。さあ、お戻り」

 奥から村長の呼ぶ声がする。キヨノは素早く私を戸口の向こうに押し出すと、引き戸を閉めた。
 重い足取りで小屋までの道を歩いた私は、手のひらを開く。
 包みを開くと、白い粉のようなものが塗された練り菓子がひと粒。
 お腹が空いていた私は口に放り込んだ。仄かな甘みに、唾液があとからあとから滲み出る。キヨノの優しさが胸に染み込むようだった。
 己のさだめを受け入れる。
 キヨノから言われた言葉の意味を、舌で練り菓子を転がしながらずっと考えていた。 
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