また、恋をする

沖田弥子

文字の大きさ
36 / 39

竜宮神社 2

しおりを挟む
 マーガリンとジャムの瓶を私のほうに押しやる。

「メールで見た。パンにはマーガリンとジャムの両方をつける。太るぞ」
「ご心配なく。勉強して解消するね」
「よく言うよ」

 またふたりで笑い合いながら、和やかに食事を摂る。
 そういえば、メールのやり取りの中に朝夕のメニューを報告したことがあった。
 西河くんはよく覚えているんだなと感心しながら、私はパンにジャムを塗る。

「人の記憶って、五分しかもたないんだってさ。印象深いことはどうして記憶に残るかというと、脳内で繰り返しリピートするから忘れないんだよ」

 ハムエッグの黄身を突いた西河くんは、まるで自分が発見した説のように自信たっぷりに解説する。

「ふうん……。じゃあ私のカフェラテ好きは、西河くんにとって記憶に残る印象深いことだったの?」

 それこそどうでもいい情報だ。
 西河くんは楽しそうに笑った。

「文字の情報って記憶に残りやすいよね。意味不明なものとか、特に」

 カフェラテが意味不明だったとは思えないけれど。
 保健室で西河くんは、「ただ気づいてほしかった」と話していた。
 彼は私に何を気づいてほしいのだろう。
 私はまだ、西河くんの名前を、呼べない。



 そこはかとない苦い思いをカフェラテで押し流したあとは、竜宮神社へ向かうため、一晩お世話になった西河くんの家を出た。
 私は昨日の学校帰りのままなので制服だけれど、宮司への取材の申し込みという名目があるので制服で良いと思える。西河くんは私服だけれど、白のシャツに黒のスラックスというコーディネートで、限りなく制服に近い服装だ。
 駅前のバス乗り場から、神社へ向かうバスに乗り込む。
 車内は空調が効いているためか涼しい。
 私たちはふたりがけの席に、隣り合って腰を下ろした。

「西河くんは、竜宮神社に行ったことあるの?」

 彼は迷いなく神社行きのバスに私を誘導した。西河くん自身は参拝したことがあるのではないだろうか。
 窓から射し込む夏の陽のもとで、西河くんは光を撥ねる睫毛を瞬かせる。

「あるよ。何度も」
「そうなんだ。私もテレビの特集では見たことあるんだけど、行くのは初めて」

 竜宮城があるという投稿のもとに取材したバラエティ番組だった。
 浦島太郎のお伽話とは関係がありませんでした、という結論で締めくくられていたけれど、竜神伝説については番組の趣旨とは異なっていたのか、紹介されていなかった。

「竜宮城に引っかけて時々話題になるんだよね。でもこぢんまりとした神社だから、竜宮城をイメージして参拝に来た人はがっかりするみたいだよ」
「へえ。竜宮城は海の中にあるんだから、地上の神社が竜宮城のわけないのにね」
「あはは。竜のおかげで水害に遭った村っていう話よりは、夢を持てるんじゃないかな。なんにしろ、参拝客が来てくれるのはありがたいことだよ」

 話しているうちに幾つかの停留所を通り過ぎる。
 やがてバスは竜宮神社近くの停留所に辿り着いた。
 私たちがバスを降りると、すぐ傍に朱塗りの鳥居がそびえ立つ姿が見えた。ここが竜宮神社らしい。閑静な住宅街にある、聞いたとおりのこぢんまりとした神社だ。少々の石段を上れば、手前に社務所がある。奥には社が建てられている。どれも一般的な造りで、確かに竜宮城のイメージには程遠いだろう。テレビで話題になれば参拝客も押し寄せるのであろう神社の境内には、人気がなかった。朝早いせいかもしれない。

「とりあえず、お参りしようか」
「うん。五円玉あったかな……」

 小銭入れを探るが、五円玉どころか小銭が乏しかった。五百円玉がひとつと、一円玉が二枚しかない。どちらも賽銭箱に入れるのは、ためらわれる。

「ほら」

 西河くんが黄金に煌めく五円玉を、二枚差し出した。私はそのうちの一枚を礼を述べながら指先で摘まむ。

「ありがとう。あとで返すね」
「いやいや。こういうのは返さなくていいから。同時に投げよう」

 彼が大仰に振りかぶるポーズをしたので、私も五円玉を握った手を差し出す。
 ふたつの五円玉は、チャリンと軽い音を立てて賽銭箱に吸い込まれていった。

「ご縁がありますように」

 両手を合わせて祈る西河くんを真似て、私も手を合わせる。大勢の願い事を聞いている神様も大変だろうから、お願い事はしないでおいた。

「ほら、あれだよ」

 ふいに西河くんに指摘されて、瞼を開ける。
 彼は拝殿の奥に設置された神棚を指し示していた。

「あれって、なにが?」

 神棚にはお供え物である御神酒や鏡、三方に乗せられた品々が綺麗に並べられている。
 西河くんは、さらりと述べた。

「逆鱗。ちゃんとあるって言ったろ?」
「え……」

 私の目が三方のひとつに吸い寄せられた。
 白木で作られた台座の上に、お供え物としては不釣り合いなガラスケースが鎮座している。

「あれは……まさか!?」

 私は靴を脱いで拝殿に上がり、ガラスケースに近づいた。
 七色に輝く鱗が、そこにあった。
 那岐の逆鱗だ。
 そう直感した。
 那岐から婚姻の証として受け取り、サヤに奪われた逆鱗。
 私はスエードの巾着袋を取り出して中身を確認した。
 西河くんの逆鱗は、確かにここにある。双方は輝きも形も同じものに見えた。けれど逆鱗は二枚存在したわけなので、全く同一の品ではないということになる。
 驚愕している私のもとに、足音が近づいてきた。

「竜の逆鱗ですよ。美しいでしょう?」

 はっとして目をむければ、そこには見知った顔があり、私はまた驚かされる。

「茂蔵さん……!?」

 那岐を拘束した村人の茂蔵だった。
 彼は白衣に焦茶色の袴という装束を纏っている。神社の神主さんが着用する普段着の衣装だ。
 神主さんは柔和な笑みを浮かべて、朗らかな笑い声を上げた。

「はは、惜しかったですな。私の名前は茂樹です。本も出しているので、ちょっとした有名宮司ですよ」

 茂樹さんが手のひらで翳した棚には、『竜宮神社の成り立ち』というタイトルの書籍が飾られていた。私たちが図書館で借りたのと同じものだ。彼がこの本の著作者であり、竜宮神社の宮司である鑓水茂樹氏のようだ。

「失礼しました。私は県立中央高校二年の相原絆と申します。今日は総合情報部の活動で、鑓水さんにお話をお伺いに来ました」

 名乗った私は頭を下げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

旦那様、彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵夫人フルールは、夫である伯爵と愛人の秘書に長年頭を悩ませていた。 何度夫に苦言を呈しても「彼女は仕事において必要不可欠なパートナーだから」と一切聞く耳を持たない。 困り果てていたそのとき、彼女は突然前世の記憶を取り戻した。 このままだと夫と愛人の真実の愛の犠牲になってしまう。 それだけは御免だ。 結婚五年目にして、彼女はようやく夫を見限り、新たな事業を立ち上げた。 そして事業を成功させたフルールの隣には、いつも同じ男が立っていた。 その男は誰なのかと問い詰める夫に、フルールはニッコリ笑って言った。 「彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです」と。

完結·婚約破棄された氷の令嬢は、嫁がされた枯れおじのもとで花開く

恋愛
ティリアは辺境にある伯爵の娘であり、第三王子ガフタの婚約者であった。 だが、この婚約が気に入らないガフタは学園生活でティリアを冷遇し、卒業パーティーで婚約破棄をする。 しかも、このまま実家に帰ろうとするティリアにガフタは一回り以上年上の冴えないおっさん男爵のところへ嫁ぐように命令する。 こうしてティリアは男爵の屋敷へと向かうのだが、そこにいたのは…… ※完結まで毎日投稿します ※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿中

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

処理中です...