みちのく銀山温泉

沖田弥子

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あやかしお宿の若女将になりました

あやかしお宿の若女将になりました-3

「あやかしにも若いとか年を取っているだとか、年齢があるんですか?」
「もちろん。正確には死んで間もないという意味だな。だから怨念おんねんも強く残ってるはずだ」

 ぐっと、胸をふさがれたような思いがする。
 圭史郎さんは、あやかしは怨念おんねんから生まれるのだと先日教えてくれた。この世に未練を残したまま死んだ者が、復讐するためにあやかしになるのだと。

「まさか。そんなわけないですよ。だってコロさんはあんなに可愛いじゃないですか」
「見かけに騙されてるな。コロは毎日どこかに出かけてるだろ。あれは恨みを晴らしに行ってるのさ」

 圭史郎さんは、さらりと恐ろしいことを言う。コロさんは確かに日中は宿におらず、散歩に行くと言って出かけている。犬だから散歩に行かなければいけないのは当然だろうと私は思っていた。

「勘繰りすぎです。コロさんは散歩に行ってきますって、いつも私に言ってくれるんですよ」
「優香はあやかしのことをもっと知る必要があるな。そんなに言うなら確かめてみるか?」
「確かめるというと?」
「後を尾けるんだよ。明日、コロが本当に散歩に行ってるのかどうか、確かめようじゃないか」
「いいですよ。コロさんが恨みを晴らしてるなんてこと、絶対にありませんから!」

 毅然きぜんとして圭史郎さんを見上げる。
 圭史郎さんは口端を引き上げて、余裕の笑みを見せた。

「よし。負けたほうが、三遍回ってワンだぞ」
「望むところです!」

 圭史郎さんと勝負することになってしまったけれど、引く気はなかった。
 ほわりとした雰囲気をかもし出して、私に気さくに話しかけてくれるコロさんが、誰かに恨みを晴らすために日々出かけているなんて、そんなこと絶対にない。
 あやかしが生まれる理由だって、きっと圭史郎さんの大げさな解釈に違いないんだから。
 私は憤然としてきびすを返すと、客間へ向かった。


 翌日、銀山温泉は晴天に恵まれた。
 まばゆい太陽が山間から昇り、うららかな春の温もりで温泉街を包み込む。

「それじゃあ、散歩に行ってくるね。若女将さん」
「はい、行ってらっしゃいませ。コロさん」

 いつもどおり、コロさんは朝食を食べるとすぐに宿をあとにする。
 その背を見送ってから私は自室に戻り、大急ぎで私服に着替えた。鶴子おばさんには、お客様のことで圭史郎さんと外出しますと、すでに許可を得ている。
 急ぎ足で勝手口から表へ回れば、圭史郎さんはすでに軽トラックのエンジンをかけて待っていた。

「走っていったから見失うぞ。早くのれ」
「コロさんはどこに?」

 慌てて座席にのり込み、シートベルトを装着する。
 軽トラックを発進させた圭史郎さんは白銀橋しろがねばしの向こうを指差した。

「温泉街から出ていった。一八八号線を西のほうへ向かったな」

 銀山温泉から続く県道はほぼ一本道で、その向こうには尾花沢の街と大石田駅がある。街へ行くつもりなのだろうか。
 お客様を尾行するなんて良心がとがめるけれど、コロさんが嘘を吐いていないことを証明するためだ。
 圭史郎さんに、三遍回ってワンと言わせてあげるんだから!
 曲がりくねった山道を進めば、やがて全速力で駆けるコロさんに車は追いついた。

「あ……いた!」

 コロさんの尻尾と跳ねる後ろ足が見える。走るときは四本足らしい。

「周りの車より速いですね……!」
「犬が本気出したらあんなもんだ。随分と全力の散歩だな」
「そうですね。全力の散歩ですね」

 もう勝った気でいるらしい圭史郎さんを横目で見やる。
 確かに、ゆったりした犬の散歩という感じではない。コロさんは何か目的があって、どこかへ向かっている。一体どこへ行くつもりなんだろう。
 幸いと言うべきか、全速力で走るコロさんは後ろからついてくる私たちには気づかなかったようだ。
 車は街を通り抜けて、駅近くまで来てしまった。この辺りは電車を利用する人が行き交うため、人通りも多い。コロさんは迷いのない足取りで大石田駅前へ辿り着いた。

「大石田駅まで来ちゃいましたね。ここで恨みを晴らすわけですか」
「そうだな。恨みを晴らすわけだな」

 棒読みで返した圭史郎さんは、軽トラックを駅から少し離れた路肩に停めた。
 大石田駅に来るのは、東京から新幹線でやってきたとき以来だ。なんだか懐かしい気がする。
 コロさんはどうするのかな。
 どきどきしながら見守っていると、足を緩めたコロさんは駅の前に座った。
 きちんと足を揃えた犬のお座りだ。コロさんは顔を上げて、微動だにせず駅を見つめている。

「あのポーズ……なんだか忠犬ハチ公を思わせますね」
「動かないな。何やってんだ?」

 駅を出入りする人々に、あやかしであるコロさんの姿は見えない。
 だからみんな素通りしていく。コロさんの存在を気に留める人は誰もいない。
 コロさんは同じポーズのまま、ぴくりとも動こうとしなかった。
 ただひたすら前を向いて、駅を見つめていた。
 停車して、発車する電車。そのたびに駅を出入りする人々の流れだけが、時が過ぎたことを伝える。

「……もう昼だな」
「……そうですね。コロさんに動きはありません」
「腹減ったな。帰るか」
「負けを認めて三遍回ってワンと言いますか」
「……もう少し待つか」

 座席を倒した圭史郎さんは昼寝の体勢に入った。

「動きがあったら起こしてくれ。おやすみ」
「おやすみなさい。いい夢を」

 圭史郎さんが立て始めた寝息を聞きながら、私はコロさんの後ろ姿を見つめる。
 まっすぐに伸びた背中からは確固たる意志が感じられた。
 コロさんは、誰かが電車からりてくるのを待ってるのかな。
 忠犬ハチ公のように。
 ハチのご主人様は病気で亡くなったから、帰ってくることのない人をずっと待ち続けていた。
 ハチは、ご主人様が死んだことを本当は知ってたのかな……
 知っていても、来ない人を待てるものなのかな。
 コロさんは若いあやかしだと圭史郎さんが言ってたけど、元々はコロさんもどこかの家の飼い犬で、ご主人様もいたのだろうか。
 幾度も電車は停車して、りた人が駅を出て行く。
 けれどコロさんは、じっとして動かない。
 やがて日は傾き、辺りは暮色ぼしょくに包まれた。

「ふわあ……よく寝た」
「おはようございます。いい夢、見れましたか」

 ようやく昼寝から目覚めた圭史郎さんは体と座席を同時に起こす。彼の髪にはひどい寝癖がついていた。

「いい夢なんか見られるわけないだろ。……おい、まさか、朝からずっとあのままっていうんじゃないだろうな」

 座ったときから全く動いていないコロさんを見た圭史郎さんは驚きの声を上げた。

「そのまさかです。私がまばたきをしている間に、コロさんが動いていなければの話ですが……。私の足も限界です……いたた」

 車の座席に一日中座り続けていたので、体が強張こわばっている。足は相当むくんでいた。
 私が脹脛ふくらはぎを揉みほぐしていたそのとき、視線の先で、ふいにコロさんは立ち上がる。

「ふあっ⁉」
「足揉んどけ。もう帰るぞ。俺の負けでいいよ」
「ち、ちが、ちがうんです。コロさんが、動きました……!」

 私たちが凝視した先で、コロさんは重い足取りで来た道を引き返していく。がくりと項垂うなだれて、ひどく落ち込んでいるようだ。

「動きがあったというより、あれは宿に帰るんだな。そろそろコロが帰ってくる時間だろ」
「あ……そういえば、もうそんな時間ですね」

 コロさんは毎日駅に来て、ずっとお座りをして、最後に落胆していたのだろうか。夕方になって花湯屋に帰ってきたときはいつも朗らかで、充実した一日を過ごしたように見えたのに。

「コロさんは誰かを待っていたんでしょうか?」
「本人に聞いてみるか」
「えっ、圭史郎さん⁉」

 軽トラックを発進させた圭史郎さんはハンドルを切ると窓を開けた。とぼとぼと駅を去るコロさんの脇に車をつけて、声をかける。

「コロ、のれよ」

 はっとして顔を上げたコロさんの黒い瞳は、夕陽を映して潤んでいる。

「圭史郎さん……若女将さん。ぐ、偶然だね。ふたりでお買い物?」

 ぎこちなく答えたコロさんの声音こわねには、自分の姿を見られていたのではないかという恐れがにじんでいた。
 それなのに。

「実はな、俺たちは今日一日、コロが何してるのか確かめようと、そこで張り込んでたんだ。昼飯も抜きだから腹ぺこだよ」

 明るく暴露する圭史郎さんに度肝を抜かれる。
 ひい、と私は息を呑む。
 コロさんは驚愕に目を見開いていた。

「け、圭史郎さん……! どうして言っちゃうんですか⁉」

 コロさんは散歩としか告げていなかったから、きっと駅にいることは知られたくなかったのではないだろうか。それなのに何をしているのか確かめようと好奇心で張り込んでたなんて言えば、気を悪くしてしまう。
 けれどコロさんは目線を下げると、諦めたようにぽつりと呟いた。

「そっか……。見られちゃったか……」
「まあ、のれよ。コロが座りながら怨念おんねんを飛ばしてたって言えば、俺の勝ちも有り得る」

 軽口を叩いた圭史郎さんはどうやら賭けを諦めていないらしい。
 私はもう賭けなんてどうでもよくなっていた。ドアを開けてりると、悄然しょうぜんとしているコロさんの体を抱えた。
 軽トラックは座席がふたつしかないので、コロさんを抱っこする格好で車にのり込む。
 コロさんは、ちょこんと私の膝の上に収まってくれた。犬の体はふわふわだ。
 圭史郎さんの運転する軽トラックは茜色に染まる街並みを軽快に走行する。
 銀山温泉へ向かう県道に入ると、迫る山々は藍の天を背にして黒々とした姿を見せていた。山の夕暮れは早い。
 私たちは無言で暮れる景色を感じていたけれど、その沈黙を破るように、コロさんは明るい声を出した。

「僕ね、サトシを待ってたんだ」
「サトシ……?」
「うん。僕の友達だよ。サトシは遠くに引っ越しちゃったんだ。でもいつか、僕を迎えに来るって約束してくれたから、僕、ずっと駅でサトシが来るのを待ってるんだ」
「そうだったんですね」

 コロさんは友達を待っていたんだ。怨念おんねんなんて、抱えてなかった。そのことに私は胸をで下ろした。
 けれど、コロさんはどこか寂しげにうつむいていた。
 今日もサトシ君が現れなかったからだろうか。
 あやかしのコロさんの友達であるサトシ君とは何者なのだろう。
 まもなく軽トラックは銀山温泉に辿り着いた。静かな温泉街は藍のしゃに包まれており、天空には大粒の星がまたたいている。

「ああ、腹減ったな」

 花湯屋の駐車場に軽トラックを停めた圭史郎さんは脱力したように呟いた。
 私とコロさんも車をりる。コロさんはいつものように後ろ足で立ち上がった。

「お昼ごはん、食べてませんからね」
「僕もおなかへったな。今日の夕ごはんはなにかな?」

 調理担当でもある圭史郎さんに私たちの期待の眼差しが集まる。
 圭史郎さんは頭をくと、花湯屋の入口へ足を向けた。

「すぐに作ってやる。ちょっと待ってろ」


 花湯屋の臙脂えんじ暖簾のれんの向こうには、客室と大浴場、談話室の他にこぢんまりとした食堂もある。あやかし食堂と名付けられたそこで、朝夕の食事を提供する。
 いつもあやかしのお客様は少ないんだけどね。今は子鬼ふたりとコロさんのみだ。
 あやかしといえどかすみのようなものを食べるわけではなく、人間と同じ料理を食する。だから基本的には人間のお客様と同じメニューだ。
 圭史郎さんは、遊佐さんとはみ分けができているだとか言っていた。寡黙かもくな遊佐さんと偏屈そうな圭史郎さんだけれど、厨房ちゅうぼうでは仲良くしているのかな。
 私たち従業員は、普段はみずほさんたちと一緒に従業員用の食堂で食事を取る。
 けれど、圭史郎さんはなぜか鍋ごとあやかし食堂に運んできた。

「面倒だからまとめて食べるぞ。優香もそこに座れ」
「ええ? でもここはお客様の食堂ですけど……」

 と、言いながら私もお椀やお箸をのせた盆を人数分運んできた。もちろん圭史郎さんと私も数に含んである。そろそろ空腹が限界だ。
 それに圭史郎さんの作った鍋からは、食欲を刺激する濃厚なお醤油のいい香りが流れてきて……

「芋煮はな、みんなで食べるものなんだよ」

 芋煮と聞いた子鬼ふたりは飛び上がって喜ぶ。

「わあい、芋煮だ。おいしいよね」
「わあい、芋煮だいすき。おいしいよね」

 コロさんも鼻を近づけて、クンクンと匂いを嗅いでいた。
 一日中、駅の前で座り続けていたのだから、コロさんだって何も食べていないのだ。きっとおなかが空いているだろう。

「僕は芋煮は初めて食べるよ。おいしそうな匂いだね」
「私も初めてなんです。山形の郷土料理ですよね」

 蓋を開けると、湯気と共に濃密な香りが立ち上る。
 里芋と牛肉、こんにゃくにねぎを入れて、醤油味で煮込んだ山形の郷土料理が芋煮だ。煮物に近い素材だけれど、汁はたっぷりあるので鍋料理という分類みたい。
 東北地方各地に広まっている芋煮は、味付けや材料が地域によって異なるようで、宮城みやぎなら豚肉で味噌味、岩手いわてでは鶏肉で、とりすき風の芋煮が食べられているそう。

「芋煮のシーズンは秋だけどな。河原で芋煮作って、芋煮会をやるのが風物詩だ。でもまあ、芋煮は手っ取り早く家でも作れるから、山形の人は年中こうして芋煮を食べてるのさ」

 河原で秋を感じながらみんなで芋煮を食べるなんて、とても楽しそうだ。山形では大鍋を使用した芋煮会のイベントもあるらしい。
 芋煮会、機会があれば参加してみたいな。

「じゃあ、山形では一年を通して芋煮会ですね」
「そういうことだな」

 ひとつひとつのお椀に、おたまで芋煮をよそう。
 茜と蒼龍は小さいので、子鬼用の小さなお椀に盛り付けた。
 芋煮用の里芋は大きいので、ひとつが子鬼たちの体くらいだ。

「いただきます」

 みんなで唱和して、熱々の芋煮をいただく。
 里芋は柔らかく煮込まれていて、口の中でとろりととろけた。ゴボウが絶妙な風味をかもし出す。

「あつっ……里芋ってこんなにとろっとしてたんですね。初めて知りまし……はふっ」
「火傷しないよう気をつけろよ」

 醤油味の汁をすすれば、濃厚な旨味が口の中いっぱいに広がる。
 牛肉とねぎの、それぞれ違った食感も存分に楽しめた。
 子鬼たちとコロさんもおいしそうに芋煮を食べている。
 みんなで食べる芋煮はとてもおいしくて、心がほっこりした。食堂を満たす醤油の芳香とみんなの笑顔に、私は幸せという形がここにあることを、芋煮の味と共に噛み締めた。
 みんながお代わりをして、鍋が空になる頃、箸を置いた圭史郎さんはふいにたずねる。

「コロの友達のサトシってのは、どんなやつなんだ?」

 先程、コロさんが友達のサトシ君を待っていると話してくれたときは黙っていた圭史郎さんだけれど、やはりサトシ君が何者なのか気になっていたらしい。私もぜひ詳しく知りたい。
 おなかがいっぱいになったコロさんは嬉しそうに話し始めた。

「サトシはね、とってもいいやつなんだ。僕は小さい頃、ペットショップのガラスケースの中に閉じ込められてた。色んな人が僕を見て、可愛いって言ってくれるけど、そのまま通り過ぎていっちゃうんだ。誰も僕をガラスの中から出してくれない。でも、サトシは違った。サトシは僕と目が合うと、傍にいたお父さんに必死に頼んだんだ。その日は帰って行っちゃったけど、次の日すぐに来てくれて、僕をガラスから出してくれたんだよ!」
「それって……」

 サトシ君はコロさんを犬として、ペットショップから購入したということではないだろうか。それは友達といえるのか不思議に感じたけれど、圭史郎さんは疑問を述べかけた私に目で「待て」と合図した。
 私は口をつぐんで、コロさんの話を聞く。
 コロさんはサトシ君との様々な思い出を語ってくれた。
 毎日サトシ君と一緒に散歩したこと。家から脱走して、サトシ君の通う小学校まで迎えに行ったこと。家族で出かけるときに、サトシ君が両親の反対を押し切ってコロさんを車にのせてくれたこと。

「サトシは僕と一緒にお風呂に入ってくれたんだ。お父さんはペットとお風呂に入っちゃいけないって怒った。でもサトシは僕のこと、ペットじゃない、友達だって言ってくれた。僕は本当は犬なのに、ペットなのに……サトシは人間と同じだと認めてくれたんだ。そのとき僕は、何があってもずっとサトシの友達でいようって決めた」

 コロさんの黒い瞳に映っているであろう過去の思い出は、まばゆく輝いていた。コロさんとサトシ君の間には、飼い主とペットという関係を超えた、とても深い絆が生まれたのだ。

「じゃあ、花湯屋の大浴場で呟いていたのはもしかして、サトシ君のことですか?」
「そうだよ。サトシと一緒にお風呂に入ったこと、思い出したんだ。サトシはいたずらして僕にお湯をかけたから、僕も体を振ってお湯をはじいて、ふたりで大はしゃぎした。あのときは楽しかったなぁ……」

 本当に、サトシ君のこと好きだったんだな。コロさんのほころんだ表情がそれを物語っていた。
 けれど、幸せな思い出を語っていたコロさんの表情が陰りを帯びる。

「……でも、サトシは引っ越していっちゃった。僕は連れていけないんだって。でもいつか必ず迎えに来るよって、サトシは言ってくれた。僕は家でずっと待って、待ち続けて……そうしたらある日、大きな車にのった男の人たちがやって来たんだ。僕は檻に入れられて、知らない施設みたいなところに連れていかれた」

 私は嫌な予感がして、ごくりと息を呑んだ。放置された犬が連れていかれる施設とは、保健所ではないだろうか。
 圭史郎さんは黙然として眉根を寄せている。

「ここにいたら、サトシは僕を見つけられないんじゃないかって、すごく不安だった。檻の中には他の犬や猫もいて、みんなおびえてた。でも何日か経ったら、みんな檻から出してもらえたんだ。やっと家に帰れるんだ! そう思ったけど……すぐにみんな別の箱の中に入れられた。箱の中は汚れていて、嫌な匂いがして、男の人は僕たちを押し込んだら扉を閉めた。みんなは出口を爪で引っいたり、吠えたりしたけど、出口は開かないんだ。そのうち、息が苦しくなって……みんな立っていられなくなって倒れた。僕はサトシ、サトシって呼び続けた。僕は死んじゃうのかな? でもサトシは迎えに来るって約束してくれたから、僕は死ねないんだ。そうしたらね、奇跡が起きたんだ!」

 私は目からあふれる涙を指先でぬぐいつつ、再び嬉しそうに笑んでいるコロさんに、声が震えないよう気をつけながら返事をした。

「……どんな奇跡ですか?」
「気がついたら、僕は施設の外にいたんだ。しかも二本足で立てるようになって、言葉も喋れるようになってた。きっとサトシのことを呼び続けたから、施設から出してもらえたんだよ!」

 コロさんは気づいていないようだが、犬のコロさんは、保健所で殺処分されたのだ。
 けれどサトシ君に会いたいという一念が、肉体が滅びたのち、あやかしとして生まれ変わらせた。
 人間の勝手な都合を恨まない無垢むくなコロさんの笑顔が、哀しかった。

「でも家へ帰る道がわからなくて、あちこち迷い歩いてたとき、駅を見つけたんだ。僕は前に電車からりてきたサトシを迎えに行ったこともあるんだよ。だからきっとまた、サトシは駅に来てくれると思った。毎日サトシを待ってる僕を見た猫さんが、花湯屋に行けば温泉に入れるよって教えてくれたんだよ」

 コロさんは嬉しそうに目許めもとを緩め、尻尾を振っている。まるで明日サトシ君が迎えに来てくれると決まっているかのように。
 とても口にすることはできないけれど、コロさんは、飼い主であるサトシ君とその一家に捨てられた。放置していくくらいだから、サトシ君が今後コロさんを迎えに来る可能性は薄い。本当に迎えに来る気があるのなら、誰かに預けていくはずだ。
 それなのにコロさんは疑うことなく、サトシ君が迎えに来ると信じ切っている。
 サトシ君の口約束がコロさんの胸にいつまでも期待を持たせて、縛りつけているのだ。なんて残酷なんだろう。
 私はコロさんに、なんと言ってよいのかわからなくなり、曖昧あいまいうなずいた。

「そう……ですね。サトシ君はきっと来てく……」
「サトシは来ないぞ。コロ」

 断言する圭史郎さんに吃驚びっくりさせられる。

「圭史郎さん⁉ なんてこと言うんですか、そんなことわからないじゃないですか!」
「コロも本当はわかってるんだろ。サトシはもう見捨てた犬のことなんて忘れてる。だから迎えに来ない。おまえの駅での落ち込みようも、それを俺たちに知られたくなかったのも、真実を見抜いてるからだろ」

 コロさんは力なく項垂うなだれた。それは圭史郎さんの指摘が的を射ていることを証明した。
 確かに圭史郎さんの言うとおりかもしれない。サトシ君が迎えに来ないことが、真実を表しているのかもしれない。
 けれど、誰だって希望を持ちたい。
 いつか必ずという希望を持つのは無駄なんかじゃないはず。
 何より、ずっとサトシ君を待ち続けているコロさんが報われてほしい。
 サトシ君だってきっと約束したことを覚えているはずだ。私はそう信じたかった。

「サトシ君は、来ます!」

 大声で叫びながら席から立ち上がった私に、一同は驚きの目を向けた。

「若女将さん……」
「おい。無駄に期待を持たせるなよ。それじゃサトシと同じだぞ」
「圭史郎さんこそ、サトシ君が来ないとどうして言えるんですか。本人に確かめたんですか?」

 圭史郎さんは視線を逸らして頭をいた。
 サトシ君がコロさんを迎えに来ることはないと断定できる証拠は何もないはずだ。

「そりゃあ、知り合いじゃないけどな。状況をかんがみればわかるだろ。小学生が玩具おもちゃをほしがって、飽きたら捨てる。そういうことだ」
「違いますね。サトシ君はコロさんを友達だと言ったんです。ペットじゃない、玩具おもちゃでもない。離れていても友達のことを忘れたりしませんよ。来られないのは、きっと何か理由があるんです」

 私はコロさんの手をしっかりと握りしめる。肉球の付いた手はふかふかだ。
 サトシ君だって、コロさんの毛並みの心地良さや一心に慕ってくれる無垢むくさが大好きだったに違いない。忘れたりしない、きっと。
 それまで、じっと見守っていた茜と蒼龍が小走りでテーブルを横切り、私とコロさんの傍へやってきた。

「あたしも、サトシは来ると思うね」
「オレも。ともだちを忘れたりしないんだぞ」

 茜と蒼龍はコロさんの前で左右対称のポーズを決める。
 子鬼たちの援軍を得た私は力強く宣言した。

「私が、サトシ君を捜しますから! だからきっと再会できます!」

 コロさんは驚いたように私を見上げた。垂れていた尻尾が、ゆるりと持ち上がる。

「若女将さん……ほんと? サトシに会えるの?」
「もちろんです。一緒にサトシ君を捜しに行きましょうね」
「ありがとう……若女将さん。それに子鬼さんたち。僕、もしかしてもう二度とサトシに会えないんじゃないかって不安になることもあったけど、でも、そう言ってもらえて元気出たよ。そうだよね、きっと会えるよね」

 迎えに来ないなら、こちらから捜して会いに行けばいい。
 喜んで尻尾を振るコロさんと私、そして嬉しそうに飛び跳ねる子鬼たちを尻目に、圭史郎さんは重い溜息を吐いて空の鍋を片付けた。


 生前のコロさんがサトシ君を大石田駅まで迎えに行ったことがあるということは、サトシ君とコロさんが住んでいた家は尾花沢市内か、あるいは大石田町であると推測される。
 以前住んでいた家の所在がわかれば、何らかの手がかりが掴めるのではないだろうか。
 そう考えた私は、コロさんと共に家の捜索を開始した。
 住んでいた家がどこなのかわからなくなってしまったというコロさんだが、家の周辺に来れば景色で思い出せるのではないだろうか。犬には帰巣本能が備わっていると聞いたことがある。

「どう? コロさん」
「うーん……。こっちかなぁ?」

 コロさんと私は銀山温泉を拠点として、コロさんの記憶を頼りにあちらこちらを歩いて捜した。尾花沢市全域と大石田町を含めると、とても広範囲にわたる。その中から一軒の家を捜し出すなんて、砂漠から一粒の砂金を見つけるようなものかもしれない。
 でも、きっと見つかるはずだ。
 ときにはコロさんは地面の匂いを嗅いでいるけれど、これといった手がかりは得られないようだった。

「この近くじゃないみたい。家の近所はこういう匂いじゃなかったよ」
「そうですか……。ここからは結構遠いところなのかな?」

 銀山温泉から街のほうまで足を伸ばすには、徒歩ではかなり遠い。コロさんなら走って行けるだろうから、私はバスを利用しようか。でもそうすると、途中で手がかりがあったら合流するのが難しくなる。
 困っていると、後ろから軽快なクラクションが鳴らされた。
 驚いて振り向けば、軽トラックの窓から顔を出しているのは圭史郎さんだ。

「のれよ」
「圭史郎さん! のせてくれるんですか」
「そう言ってるだろ。徒歩じゃすぐに限界が来ると思ってな」


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