淫神の孕み贄

沖田弥子

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救援

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鞘から引き抜いたダガーを高く掲げたマルドゥクが、空いた方の手でセナの顎を捉える。無理やりに上向かせられると体が吊られてしまい、淫紋のすべてが人々の目に晒された。
短剣の切っ先が真紅の淫紋に、ぴたりと宛がわれる。
死を覚悟したセナは震える声音を絞り出した。

「僕が死んでも、イルハーム神は貴方の行いを見ています。平和を乱す貴方を、イルハームさまは決してお許しにならないでしょう」
「……命乞いでもするかと思えば生意気な。腹の子共々死ね!」

叫んだマルドゥクは腕に力を込めた。
淫紋が白刃に散らされるのを、誰もが眸を見開いて見入る。
衝撃に襲われる刹那、一閃が走った。
跳ね飛ばされたダガーが宙高く舞う。
手首を押さえたマルドゥクの目が血走る。

「何をする、貴様!」

セナの体は、押さえつけていたはずの兵士により庇われていた。
彼の右腕には剣が掲げられている。この兵士が助けてくれたのだ。

「悪人を成敗して、俺の嫁と子を取り返しにきたのさ」

その声は、まさか。
聞き覚えのある声音だと思ったが、不遜な物言いに確信した。
兵士は顔を覆い隠していた兜を取り去る。
赤銅色の髪に、垂れた薄茶の眸。精悍なハリルの面差しは不敵な笑みを湛えていた。

「ハリルさま!」
「迎えに来たぞ、セナ」

助けに来てくれた。嬉しさに、眦から涙が零れ落ちる。
トルキア国の騎士団長が現れたことに、広間には動揺が伝わる。マルドゥクは歯噛みしながら腰に佩いた長剣を抜いた。兵士の扮装をして紛れ込んでいたハリルを剣先で指す。

「こやつも淫紋の一族だ。我らから国を奪った簒奪者だ。殺せ!」

号令により、男たちが一斉に剣を抜く。
ハリルはセナを背に隠すと身構えた。
そのとき、城塞の外から怒号が鳴り響く。
激しく地を踏み荒らす靴音。交わる剣戟。驚嘆の声と共に広間の一角が崩れる。鎧を纏ったトルキア国の騎士団が、剣を掲げてなだれ込んできた。

「神の贄を殺めんとする裏切り者を捕らえよ。トルキアに仇なす者どもを一人残らず逃がすな!」

先陣を切って現れた王の命を受けて、騎士団は次々に逃げ惑う男たちを捕らえていく。

「ラシードさま!」

王自ら、セナを救うために騎士団を率いて駆けつけてくれた。ラシードは果敢に剣を振りかざして、襲い来る男たちの剣戟を薙ぎ払っていく。
ラシードの後から現れた副団長は、槍を振り回して男たちを薙ぎ倒しながらこちらに笑みをむけた。

「お待たせしました、贄さま。雑魚どもはお任せください!」

多勢の騎士団に押されて、抵抗を試みていた者たちは投降していった。戦いの経験のない男たちが、訓練を受けた騎士団に適うはずもない。
やがて反乱を企てていたマルドゥクの一族は、多くが広間から外へ引き出された。後に残るのは、首謀のマルドゥクひとりになる。
ラシードは広間の隅に逃げていたマルドゥクに対峙した。

「貴様の企みは以前より察知していた。罪を贖い、心を入れ替える気があるのなら、イルハーム神は側近の裏切りを許すだろう」
「おのれ……ラシード。よくも偉そうに。私こそ王であるべきなのだ。貴様のような若造に頭を下げる屈辱は永劫に受け入れられん!」

ぎらりと目を光らせたマルドゥクは剣を構える。地を蹴ると方向を変えて、セナに猛進してきた。
鋭い刃がセナの裸身に襲いかかる。
咄嗟にラシードとハリルが身構えたが、間に合わない。
白刃が薄い肌を切り裂く寸前、傍らに鎮座していた神像が音もなく崩れ落ちる。
あっと息を呑んだマルドゥクの体は、イルハーム神の石像に押し潰された。
自らが叩きつけた傷が入っていたのかもしれない。
もしくは、神の怒りに触れたのかもしれない。
重い石の下敷きになったマルドゥクの手から、握っていた剣が落ちる。それきり彼は動かなくなった。
手首の脈を確認したハリルは、首を左右に振った。立ち上がった彼は剣を鞘に収め、マルドゥクの遺骸を見下ろす。

「己の血をイルハーム神に捧げたか。裏切り者らしい末路だな」

ラシードも剣を収めて、神妙に頷いた。

「自らが行った冒涜を、その身に受けたのだ」

セナはマルドゥクの死を痛ましい思いで見守ると、破壊されたイルハームの神像を見上げた。神の像は腰から上が無くなっている。

「イルハームさま……。僕を助けてくださったんですね」

手を合わせ、深く感謝を捧げた。そしてマルドゥクが冥府で改心してくれることを願う。祈るセナの体は、ラシードの熱い腕に包み込まれた。
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