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第一章 引きこもり伯爵の受難
新任の警部アルセーヌ・アラン
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天空の星を、取り戻したい。そして盗んだ賊を見つけ出したい。
それが、失意のまま亡くなった父にできる唯一のことだとノエルは思った。
宝石を盗んだらどこかへ売り飛ばすのが定石のはずだが、天空の星はどの市場にも出回った形跡がなかった。そもそも冠を着けていれば盗品だと触れ回るようなもので、もはや天空の星という名は使用されていないと考えられる。カラットや種類などの詳細がわかれば対象も絞れるのだが、残念なことに詳しい資料はコレット家に残されていなかった。
頼りになるものは、幼い頃に握りしめた宝石の感覚のみ。
あの独特の感触から記憶を呼び覚ますことができればきっと、これこそ天空の星だと認識できるはずだ。
それには、国中の盗品と疑わしい宝石を握りしめて確かめる必要がある。
フランソワに相談したとき、彼は世にも綺麗な微笑を浮かべて、こう言い放った。
「乙女怪盗、はじめませんか?」
販売しているものでもない宝石を触らせてくれと申し出て許可されるはずもない。まして盗品ならば尚更だ。
ならば、盗めばいい。今度はこちらが盗み返してやるのだ。
ノエルはフランソワの手を借りて、天空の星ではないかと疑われる宝石を盗み出した。乙女怪盗として名を馳せれば、天空の星を盗んだ賊に繋がる手掛かりが得られるかもしれないという期待もある。盗んだ宝石は、今はコレクションとして保管しているが、いずれ天空の星を取り戻せた暁にはすべて持主に返すつもりだ。
「いたっ」
次の狂気人形を作成しようと縫い始めた途端、人差し指に針を刺してしまった。小さな傷口から鮮血が、ぷくりと膨れ上がる。普段はこんな失敗はしないのに、どうしたことだろう。
手当をして包帯を巻いてくれたフランソワが心配げな眸をむける。
「なんということでしょう。日陰の身なので白雪のような坊ちゃまの肌に傷がついてしまうとはお労しい。まるで牢獄で育つもやしが萎れたようでございます」
「誤解を招きそうな表現やめてくれる?」
半眼で純白の包帯を眺めていると、玄関の呼び鈴が鳴った。来客とは珍しい。瞬足で玄関へ向かった一応執事のフランソワは、ややあって部屋へ戻ってきた。
「お客様です。警察の方がいらっしゃいました」
慇懃に礼をして厳かに告げられる。
シャンポリオン国の警察は無能なので、ノエルが乙女怪盗ジョゼフィーヌであると繋げられるわけがない。
「お通しして」
ノエルは余裕の表情で応接間へ足をむけた。
国家警察の泥棒課には乙女怪盗専属の担当者が配置されている。バルスバストル刑事という目尻の垂れた人の良さそうな男で、昨夜は警官隊に揉まれて転んでいた。無駄に騒がしく、毎回警備のお荷物のようなので、左遷されないかこちらが心配になるほどである。
フランソワの手により応接間の扉が開かれる。警察の制服を纏った男ふたりが、すぐさま起立した。
奥にいるのはバルスバストルだが、手前の鋭い双眸の男には見覚えがない。
端正な面立ちを彩るダークグリーンの眸は強い眼差しを湛えている。鼻筋は高く通り、唇は薄い。背が高くすらりとして、漆黒の制服に包まれた体は鍛え上げられているとわかる。
秀麗だが、酷薄そうな印象を受けた。
「はじめまして、コレット伯爵。アルセーヌ・アランと申します。新しく泥棒課の乙女怪盗担当に所属いたしました」
威圧感のある低い声音で名を告げた男は掌を差し出した。ノエルはそれを首を左右に振って拒絶する。握手は誰ともしないことにしている。
「良いお名前ですね。アラン刑事」
「どうも。警部です」
某怪盗を彷彿とさせるが、警察だとは皮肉なものだ。
アラン警部は気を悪くした様子もなく、すいと手を戻す。
「どうぞ、お掛けになってください。昨夜も乙女怪盗が出たらしいですが、宝石は持ち去られたそうですね」
フランソワが給仕する紅茶のカップから、温かい湯気が立ち上る。ソファに向かい合わせになると、早速バルスバストルが身を乗り出した。
「そうなんですよお、昨日は雨が降ったので屋根が濡れていたじゃないですか。それなのにジョゼフィーヌが屋根から飛んじゃうから危ないって叫んだ途端に僕のほうが転んじゃったんですよ~ンフッフ」
軽く一息で楽しそうに語る。最後に鼻息のおまけが付くのは彼の癖らしい。アラン警部は、じろりと隣のバルスバストルを睨みつけた。
「バルス刑事はどちらの味方なんだ」
「でも大丈夫です~ちょっとした捻挫ですから。その代わり本日からアラン警部がジョゼフィーヌ担当主任になってくださいます。特殊犯罪課からいらっしゃったエリートですから頼りがいありますよ~ンフ」
それって捻挫のせいというより、逮捕できないから担当おろされたのでは?
という問いを、ノエルはかろうじて呑み込んだ。
あとね、ジョゼフィーヌって、僕の彼女ですみたいに馴れ馴れしく呼ばないでほしいな。
それが、失意のまま亡くなった父にできる唯一のことだとノエルは思った。
宝石を盗んだらどこかへ売り飛ばすのが定石のはずだが、天空の星はどの市場にも出回った形跡がなかった。そもそも冠を着けていれば盗品だと触れ回るようなもので、もはや天空の星という名は使用されていないと考えられる。カラットや種類などの詳細がわかれば対象も絞れるのだが、残念なことに詳しい資料はコレット家に残されていなかった。
頼りになるものは、幼い頃に握りしめた宝石の感覚のみ。
あの独特の感触から記憶を呼び覚ますことができればきっと、これこそ天空の星だと認識できるはずだ。
それには、国中の盗品と疑わしい宝石を握りしめて確かめる必要がある。
フランソワに相談したとき、彼は世にも綺麗な微笑を浮かべて、こう言い放った。
「乙女怪盗、はじめませんか?」
販売しているものでもない宝石を触らせてくれと申し出て許可されるはずもない。まして盗品ならば尚更だ。
ならば、盗めばいい。今度はこちらが盗み返してやるのだ。
ノエルはフランソワの手を借りて、天空の星ではないかと疑われる宝石を盗み出した。乙女怪盗として名を馳せれば、天空の星を盗んだ賊に繋がる手掛かりが得られるかもしれないという期待もある。盗んだ宝石は、今はコレクションとして保管しているが、いずれ天空の星を取り戻せた暁にはすべて持主に返すつもりだ。
「いたっ」
次の狂気人形を作成しようと縫い始めた途端、人差し指に針を刺してしまった。小さな傷口から鮮血が、ぷくりと膨れ上がる。普段はこんな失敗はしないのに、どうしたことだろう。
手当をして包帯を巻いてくれたフランソワが心配げな眸をむける。
「なんということでしょう。日陰の身なので白雪のような坊ちゃまの肌に傷がついてしまうとはお労しい。まるで牢獄で育つもやしが萎れたようでございます」
「誤解を招きそうな表現やめてくれる?」
半眼で純白の包帯を眺めていると、玄関の呼び鈴が鳴った。来客とは珍しい。瞬足で玄関へ向かった一応執事のフランソワは、ややあって部屋へ戻ってきた。
「お客様です。警察の方がいらっしゃいました」
慇懃に礼をして厳かに告げられる。
シャンポリオン国の警察は無能なので、ノエルが乙女怪盗ジョゼフィーヌであると繋げられるわけがない。
「お通しして」
ノエルは余裕の表情で応接間へ足をむけた。
国家警察の泥棒課には乙女怪盗専属の担当者が配置されている。バルスバストル刑事という目尻の垂れた人の良さそうな男で、昨夜は警官隊に揉まれて転んでいた。無駄に騒がしく、毎回警備のお荷物のようなので、左遷されないかこちらが心配になるほどである。
フランソワの手により応接間の扉が開かれる。警察の制服を纏った男ふたりが、すぐさま起立した。
奥にいるのはバルスバストルだが、手前の鋭い双眸の男には見覚えがない。
端正な面立ちを彩るダークグリーンの眸は強い眼差しを湛えている。鼻筋は高く通り、唇は薄い。背が高くすらりとして、漆黒の制服に包まれた体は鍛え上げられているとわかる。
秀麗だが、酷薄そうな印象を受けた。
「はじめまして、コレット伯爵。アルセーヌ・アランと申します。新しく泥棒課の乙女怪盗担当に所属いたしました」
威圧感のある低い声音で名を告げた男は掌を差し出した。ノエルはそれを首を左右に振って拒絶する。握手は誰ともしないことにしている。
「良いお名前ですね。アラン刑事」
「どうも。警部です」
某怪盗を彷彿とさせるが、警察だとは皮肉なものだ。
アラン警部は気を悪くした様子もなく、すいと手を戻す。
「どうぞ、お掛けになってください。昨夜も乙女怪盗が出たらしいですが、宝石は持ち去られたそうですね」
フランソワが給仕する紅茶のカップから、温かい湯気が立ち上る。ソファに向かい合わせになると、早速バルスバストルが身を乗り出した。
「そうなんですよお、昨日は雨が降ったので屋根が濡れていたじゃないですか。それなのにジョゼフィーヌが屋根から飛んじゃうから危ないって叫んだ途端に僕のほうが転んじゃったんですよ~ンフッフ」
軽く一息で楽しそうに語る。最後に鼻息のおまけが付くのは彼の癖らしい。アラン警部は、じろりと隣のバルスバストルを睨みつけた。
「バルス刑事はどちらの味方なんだ」
「でも大丈夫です~ちょっとした捻挫ですから。その代わり本日からアラン警部がジョゼフィーヌ担当主任になってくださいます。特殊犯罪課からいらっしゃったエリートですから頼りがいありますよ~ンフ」
それって捻挫のせいというより、逮捕できないから担当おろされたのでは?
という問いを、ノエルはかろうじて呑み込んだ。
あとね、ジョゼフィーヌって、僕の彼女ですみたいに馴れ馴れしく呼ばないでほしいな。
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