こじらせ邪神と紅の星玉師

沖田弥子

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第一章

解放

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「ヘンな名前」

 青年にひと睨みされて、パナはもぞもぞと布を被った。
 確かに珍しい響きの名だ。偽名かもしれない、とルウリは何となく思った。クシャトリヤではないそうだが、顔を隠すようにすっぽりと頭からローブを被っているのも、身分を隠しているのかも。隙間から見え隠れする眼帯は恐ろしくもあるが、目を痛めているのだろうから、怖いなんて思っては失礼だ。

「エルナ村なら、陽が落ちる前に着く。星玉の様子はどうだ」

 言われて、腰袋に入れていた星玉を取り出す。小鳥は、ぱちりと瞬きをした。

「大丈夫みたい」
「そうか」

 短く返事をしたラークは、それきり前を見て沈黙する。
 星玉を気にかけてくれるなんて、口数は少ないが意外と良い人なのかもしれない。
 ほっと安堵の息を漏らしたルウリは、ぎゅっと星玉を握りしめながら、傾いていく陽光に目を眇めた。



 ラークの言うとおり、日暮れ前にエルナ村に辿り着いた。ちいさな村の外れ、丘の上にルウリの住む家と併設された工房がある。色褪せた赤煉瓦の壁が残照に淡く滲んでいる。御者台を降りたルウリが荷台から麻袋を抱えようとすると、横から手が伸びてくる。

「工房に運ぶんだろう。どこだ」
「こっちです」

 送ってくれただけでなく、手伝ってくれるようだ。そういえば、馬車の代金はいくらなのだろう。結局答えてもらっていない。

「馬車代、おいくらかしら?」

 工房の扉を開けると、独特の香りが漂う。深みのある土のにおい、鉱石のにおい。棚にはずらりと鉱石が並び、下段には工具の入った道具箱が詰め込まれている。中央には作業台。その周りに置かれた麻袋の数々。ひとつだけあるちいさな窓から、ほのかな陽の光が漏れている。

「おまえはどうしても金を払いたいらしいな」

 ラークは手にした麻袋を作業台の周辺、他の麻袋のあたりに置いた。ルウリの肩から飛んだパナは、隅に渡してある止り木に足を乗せて羽根を落ち着ける。

「タダでいいんだろ? 自前の馬車だもん」
「貴様が言うな、鳥」

 鳥呼ばわりされて、パナはくわっとくちばしを開いた。自分のテリトリーに入ったせいか、外出では比較的大人しくしていたパナは本領を発揮する。

「鳥いうな! 僕は鳥精霊だぞ、人とおなじ知能を持ってるんだぞ、経費計算だってできるんだ!」
「はい、パナ。お菓子」

 ひとつまみの砂糖菓子を差し出すと、パナは文句の飛び出すくちばしを食事用に変えた。もぐもぐと美味しそうに咀嚼している。
 相棒を黙らせて、ルウリは中央の作業台に小鳥の星玉を乗せた。砂金の入った小瓶を引き寄せる。このサイズなら、十五アル程度の砂金が必要だ。解放には必ず砂金を融合させなければならない。玉が歪んだ際に補強する屑星玉も多めに用意しておこう。早速購入してきた麻袋の口を緩める。
 準備をしながらふと見遣れば、ラークは黙って壁に凭れていた。見学するらしい。

「見ていてね」
「そのつもりだ」

 にこりと微笑みかけると、ぷいと横を向かれる。屋内でもローブを取らないラークの表情は、よく見えない。
 準備は完了した。椅子に腰掛けて星玉を手に取る。
 精神を集中させれば、すうと心が星玉に染み込んでいく感覚。
 掌を通して、じわりと温もりが伝わってくる。星玉の、声が聞こえる。
 ……いたい、小鳥……、ああ死んじゃう、イタイ、……だして……、ここからだしてあげて……。
 星玉は、小鳥を抱えて苦しんでいる。
 いま、だしてあげる。
 大丈夫、うごいて、ほんのすこしでいい。
 ルウリはひとつまみの砂金を振りかける。変化がない。もうひとつまみ。
 そうして幾度かの問いかけを繰り返す。煌めく砂金が、星玉と眸を閉じるルウリを包み込む。
 ピキリ。
 ヒビが入った箇所が弾けそうになる。
 まって、ゆっくり。
 星玉が切れたら、小鳥の羽根も切れてしまう。
 ゆる、と水が流れるように星玉が揺れる。柔らかく捏ねられて、徐々に小鳥の体を押し出していく。
 星玉の形が変化した。硬いはずの鉱石がまるで粘土のように丸く歪む。やがて小鳥は、ぽとんと台に滑り落ちた。
 ゆるり、ゆるりとくねりながら、星玉は次第に元の形に戻っていく。ルウリは小鳥が出て空いた箇所を埋めるため、屑星玉を指先で素早く詰め込み、なぞりあげた。
 星玉が小鳥を呑む以前の形状に戻り、完全に息を潜めた頃、小鳥は羽根を震わせた。ちいさく一声啼く。

「良かった。もう大丈夫よ」
「やったね、ルウリ。僕のお水、飲ませてあげようよ」

 パナは嬉しそうに自らの水入れを咥えて作業台に飛び乗る。小鳥が水を美味しそうに飲む姿を見て、安堵の息が漏れた。

「この子は、ふつうの小鳥みたいね」
「そりゃそうだよ。僕みたいなレア精霊がそこらに沢山いるわけないだろ」

 胸を反らすパナの純白の羽毛を、つんと指先で突いてやる。残った砂金と星玉の欠片が舞い散り、星の輪舞を織り成す。夢の残り香のように。

「ごはんにしようか。この子にも何か食べさせてあげないとね」
「僕おなかペコペコだよ! シチューがいいなぁ」
「そうね。ラークも一緒に……」

 振り向くと、壁際にラークの姿はなかった。扉が少し開いている。ルウリが外へ出ると、丘を下る路に幌馬車の屋根が遠く見えた。
 もう帰ってしまった。彼は、星玉に興味があったのだろうか。何者なんだろう。
 なんだか不思議な人……。
 宵闇が世界を覆い、天空を星たちが飾る。星玉のもとと謳われている星々を、ルウリは仰いだ。今宵も、瞬く幾千もの星は静かに世界を見守っている。
 工房に戻り、角灯に火をともす。明かりに照らされて、棚の一角がきらりと輝いた。
 丁度ラークが立っていた壁の隣だ。
 近づいたルウリは、棚にそっと置かれていた緑色の指輪を手にした。
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