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第一章
謎のカフェ 1
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僕の記憶の中で、長年固く閉ざされていた扉は呆気なく開いた。
カラン、という軽やかなベルが頭上で鳴る。その音と共に、男性の低い声音が室内に響く。
「いらっしゃい」
僕が夢にまで見たいと願ったその店の風景は……ひどく寂れた喫茶店だった。
狭くて薄暗い店内にカウンターが設置され、三脚ほどスツールが置かれている。カウンター内には白い冷蔵庫が置かれているのがちらりと見えた。隅に古びた本棚があるが、漫画が綺麗に並んでいるわけではなく、雑誌などが雑然と積まれていた。テレビはない。BGMは流れていない。飾り気もない。
古めかしい喫茶店ならば、レトロなランプや絵画などを飾るものかと思うが、そういった装飾は皆無だった。唯一の飾りといえば、カウンターの奥にウミネコの剥製が置かれていることだ。壁紙が色褪せているためか、ウミネコの白い羽毛がやたらと目に付く。
廃墟でもいいとは思ったけれど、あまりにも殺風景なので、僕は唖然としてしまう。
こざっぱりとしたシャツを身につけている男性は、カウンターの中に入っていた。ひとりしかいないので、おそらく彼が店主なのだろう。
意外にも若い男で、僕と変わらないくらいの年齢だ。艶のある黒髪はさらさらで、目は大きいのに眦が切れ上がっており、鼻筋はすっと通っている。唇の形が整っているためか、どこか大人びた雰囲気を纏わせていた。
すらりとした肢体で姿勢が良く、僕より頭ひとつ高い。日本人男性の平均身長より五センチほど足りない僕は、背丈だけでなく顔も童顔なので、未だに高校生に間違われる。そんな僕にとって彼のようなイケメンは羨ましい限りだ。
廃墟のような場所にいるのに似つかわしくない美形なので、僕は目を瞬かせる。
「あの……ここは、喫茶店ですか?」
「そうだな」
おずおずと訊ねると、廃墟のイケメンが尊大に答える。
すいと掌をかざした彼は、カウンターのスツールを勧めた。その仕草は妙に洗練されていて品がある。
勧められたからには仕方ないので、僕は入り口からもっとも近い、手前のスツールに腰を下ろした。
その途端スツールが、ギシッ……とひどく軋んだ。
僕は華奢なので、椅子が悲鳴を上げたのは体重のせいではない。よほど古い椅子らしい。大丈夫か、このスツール。壊れないだろうな?
目を落とすと、飴色の木材で造られたカウンターは綺麗に磨き上げられていた。檜だろうか。寂れた店に似合わない高級そうな代物だ。相当な年代物のようだが、埃が被っているようなことはない。
僕の正面に立った店主が重々しい口調で告げる。
「注文は珈琲でよいかな? もっとも、本日は珈琲しかないので、他に選択の余地はない」
「はあ……」
なんだろう、この押しの強さは。
東京に住んでいたとき、もちろん喫茶店に入ったことはあるけれど、どの店主よりも群を抜いた態度の大きさだ。
とはいえ、ここは飛島。
物品を船で輸送しなければならない島暮らしの事情は心得ているつもりだ。
納得したけれど、店主らしき彼は端麗な相貌で僕を見下ろす。
「返事はいかに?」
「えっ」
「珈琲でよいかという問いに対する返事を聞いているのだが」
どうやら、僕の曖昧な返答がお気に召さなかったらしい。
でも、他に選択の余地はないとか言ってなかった?
疑問を彼に投げたところで、ややこしくなるだけだと、会社で横暴な上司との付き合いを経験した僕の神経が素早く察知する。
僕は的確に答えた。
「はい。珈琲を一杯、お願いします」
「心得た」
にこりと微笑んだ彼の表情は、とても清々しいものだ。
なんだか古風な言い回しをする人だけれど、不思議な魅力を湛えている。男の僕でも、目で追ってしまいそうだ。
ところが、踵を返した彼は次に驚くべき行動を取った。
珈琲を注文したら、珈琲を淹れるものと想像する。
その方法はサイフォンでの抽出であったり、ペーパードリップであったりするはずだ。
それなのに計量スプーンで珈琲豆を掬い上げた彼は、カウンターの奥に置かれていた剥製のウミネコに向き合った。
ザラザラザラ……
大きく嘴を開けたウミネコの喉に、珈琲豆が軽快な音を立てて流し込まれていく。
僕は目を見開きながら、摩訶不思議なその光景を見守った。
もしかして、ウミネコの剥製と思ったものは、ちょっと変わった形のミルだろうか。
きっと、そうなんだ。珍しい物があるんだな……
やがてウミネコ型のミルは喉を震わせ、「ゲロゲロ……」という、眉をひそめさせる音を発生させた。豆が挽かれているらしい。
ややあって店内に、ふわりと濃密な芳香が満ちていく。
珈琲豆は粉砕された瞬間に、もっとも香りを立ち上らせるという。
ミルのデザインはどうかと思うけれど、珈琲豆の品質は確かなようだ。
しかし、安堵するのはまだ早かった。
店主は白い陶器のコーヒーカップを用意した。カップを温めるため、銀色のポットからお湯を注いでいる。まだ豆を挽いている段階なので、用意が早すぎるかと思うのだが。
このあとはドリップする工程があるはずだ。ドリッパーなどは準備しなくてよいのだろうか。
首を捻りながら店主とウミネコを交互に眺めていると、ふいにウミネコから発せられていた、磨り潰すような音がやんだ。
嘴を天に向けたウミネコの喉に、店主は銀色のポットから湯を注ぐ。ウミネコは、喉をぐびぐびと波打たせた。
コポコポと抽出するような小さな音が届く。
「え……まさか、サイフォンも兼ねているとか……?」
それにしても、ペーパーフィルターなどを店主は一切用意していない。フィルターは必ず取り付けるものだと思うが。
平然としている店主は、ウミネコの前に温められた空のカップを置いた。
すると次の瞬間、首を垂れたウミネコは嘴を開く。
「ゲロゲロゲ~!」
非常に不快な効果音を立てながら、漆黒の液体を滔々と吐き出す。
カラン、という軽やかなベルが頭上で鳴る。その音と共に、男性の低い声音が室内に響く。
「いらっしゃい」
僕が夢にまで見たいと願ったその店の風景は……ひどく寂れた喫茶店だった。
狭くて薄暗い店内にカウンターが設置され、三脚ほどスツールが置かれている。カウンター内には白い冷蔵庫が置かれているのがちらりと見えた。隅に古びた本棚があるが、漫画が綺麗に並んでいるわけではなく、雑誌などが雑然と積まれていた。テレビはない。BGMは流れていない。飾り気もない。
古めかしい喫茶店ならば、レトロなランプや絵画などを飾るものかと思うが、そういった装飾は皆無だった。唯一の飾りといえば、カウンターの奥にウミネコの剥製が置かれていることだ。壁紙が色褪せているためか、ウミネコの白い羽毛がやたらと目に付く。
廃墟でもいいとは思ったけれど、あまりにも殺風景なので、僕は唖然としてしまう。
こざっぱりとしたシャツを身につけている男性は、カウンターの中に入っていた。ひとりしかいないので、おそらく彼が店主なのだろう。
意外にも若い男で、僕と変わらないくらいの年齢だ。艶のある黒髪はさらさらで、目は大きいのに眦が切れ上がっており、鼻筋はすっと通っている。唇の形が整っているためか、どこか大人びた雰囲気を纏わせていた。
すらりとした肢体で姿勢が良く、僕より頭ひとつ高い。日本人男性の平均身長より五センチほど足りない僕は、背丈だけでなく顔も童顔なので、未だに高校生に間違われる。そんな僕にとって彼のようなイケメンは羨ましい限りだ。
廃墟のような場所にいるのに似つかわしくない美形なので、僕は目を瞬かせる。
「あの……ここは、喫茶店ですか?」
「そうだな」
おずおずと訊ねると、廃墟のイケメンが尊大に答える。
すいと掌をかざした彼は、カウンターのスツールを勧めた。その仕草は妙に洗練されていて品がある。
勧められたからには仕方ないので、僕は入り口からもっとも近い、手前のスツールに腰を下ろした。
その途端スツールが、ギシッ……とひどく軋んだ。
僕は華奢なので、椅子が悲鳴を上げたのは体重のせいではない。よほど古い椅子らしい。大丈夫か、このスツール。壊れないだろうな?
目を落とすと、飴色の木材で造られたカウンターは綺麗に磨き上げられていた。檜だろうか。寂れた店に似合わない高級そうな代物だ。相当な年代物のようだが、埃が被っているようなことはない。
僕の正面に立った店主が重々しい口調で告げる。
「注文は珈琲でよいかな? もっとも、本日は珈琲しかないので、他に選択の余地はない」
「はあ……」
なんだろう、この押しの強さは。
東京に住んでいたとき、もちろん喫茶店に入ったことはあるけれど、どの店主よりも群を抜いた態度の大きさだ。
とはいえ、ここは飛島。
物品を船で輸送しなければならない島暮らしの事情は心得ているつもりだ。
納得したけれど、店主らしき彼は端麗な相貌で僕を見下ろす。
「返事はいかに?」
「えっ」
「珈琲でよいかという問いに対する返事を聞いているのだが」
どうやら、僕の曖昧な返答がお気に召さなかったらしい。
でも、他に選択の余地はないとか言ってなかった?
疑問を彼に投げたところで、ややこしくなるだけだと、会社で横暴な上司との付き合いを経験した僕の神経が素早く察知する。
僕は的確に答えた。
「はい。珈琲を一杯、お願いします」
「心得た」
にこりと微笑んだ彼の表情は、とても清々しいものだ。
なんだか古風な言い回しをする人だけれど、不思議な魅力を湛えている。男の僕でも、目で追ってしまいそうだ。
ところが、踵を返した彼は次に驚くべき行動を取った。
珈琲を注文したら、珈琲を淹れるものと想像する。
その方法はサイフォンでの抽出であったり、ペーパードリップであったりするはずだ。
それなのに計量スプーンで珈琲豆を掬い上げた彼は、カウンターの奥に置かれていた剥製のウミネコに向き合った。
ザラザラザラ……
大きく嘴を開けたウミネコの喉に、珈琲豆が軽快な音を立てて流し込まれていく。
僕は目を見開きながら、摩訶不思議なその光景を見守った。
もしかして、ウミネコの剥製と思ったものは、ちょっと変わった形のミルだろうか。
きっと、そうなんだ。珍しい物があるんだな……
やがてウミネコ型のミルは喉を震わせ、「ゲロゲロ……」という、眉をひそめさせる音を発生させた。豆が挽かれているらしい。
ややあって店内に、ふわりと濃密な芳香が満ちていく。
珈琲豆は粉砕された瞬間に、もっとも香りを立ち上らせるという。
ミルのデザインはどうかと思うけれど、珈琲豆の品質は確かなようだ。
しかし、安堵するのはまだ早かった。
店主は白い陶器のコーヒーカップを用意した。カップを温めるため、銀色のポットからお湯を注いでいる。まだ豆を挽いている段階なので、用意が早すぎるかと思うのだが。
このあとはドリップする工程があるはずだ。ドリッパーなどは準備しなくてよいのだろうか。
首を捻りながら店主とウミネコを交互に眺めていると、ふいにウミネコから発せられていた、磨り潰すような音がやんだ。
嘴を天に向けたウミネコの喉に、店主は銀色のポットから湯を注ぐ。ウミネコは、喉をぐびぐびと波打たせた。
コポコポと抽出するような小さな音が届く。
「え……まさか、サイフォンも兼ねているとか……?」
それにしても、ペーパーフィルターなどを店主は一切用意していない。フィルターは必ず取り付けるものだと思うが。
平然としている店主は、ウミネコの前に温められた空のカップを置いた。
すると次の瞬間、首を垂れたウミネコは嘴を開く。
「ゲロゲロゲ~!」
非常に不快な効果音を立てながら、漆黒の液体を滔々と吐き出す。
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