獣人王と番の寵妃

沖田弥子

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猩猩緋

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「そういえば好きなものに、鳥って言ったことがあったな……」

 月や星などは贈り物として難しいので苦慮したとエドは話してくれたが、鳥は贈り物にすることができる。バシリオが天の好きなものを知っているはずはないので、鳥を贈ってくれたのは偶然だろう。
 廊下から軽やかな靴音が聞こえて、天はふと顔を上げた。

「天! あ、いや天妃さま」
「黎、ふたりのときは天でいいよ。どうかしたの?」

 寵妃の宮男に昇格した黎は宿舎を出て、宮殿の敷地内にある棟に住みながら天の世話をしてくれている。小間物が入った籠を抱えているので、王宮へ使いに行った帰りらしい。
 息せき切った黎は、天の手首を掴んで急かした。

「はやく、はやく! 王がそこまで来てるんだ、見に行こう」
「えっ……でも」

 獣人王が宮殿を訪れるのだろうか。まだ心の準備がなにもできていない。
 黎に連れられて宮殿を出ると、路を通り抜け、庭園の端にある竹林に辿り着いた。

「ほら、あそこ」

 庭園は小高い丘に造られているので眼下に池を臨む。林の隙間から窺えば、池端の路を軍装の獣人たちが列を形成して整然と歩いていた。

「あっ、エ……」

 エド、と叫ぼうとして慌てて口を噤む。
 獣人の最前列にいるのはエドだ。その隣にバシリオがいて、ふたりは歩きながら話し合いをしているようだった。距離が遠いので会話の内容は聞こえない。ふたりの後ろには軍人らしき屈強な獣人たちが付き従っている。彼らは路の向こうにある軍部へ移動するようだ。
 天は瞬きをするのも忘れて、エドの姿を目に焼き付けた。
 いつもは優しげな微笑みをむけてくれるエドだが、今は厳しい顔つきをしている。そんな表情も精悍で、とても素敵だ。訓練を行うためか武装しており、重厚な鎧に、篭手と脚絆を装着していた。青褐色の毛並みと鉄紺の装備が、陽の光を撥ねている。
 エドの後ろ姿が路の向こうに消えるまで天は見惚れていた。ようやく乾いた瞳を瞬かせ、淡い吐息を零す。同様に行列の様子を見守っていた黎は闊達な声を上げた。

「格好良かったな、バシリオさま。緋色の篭手がすごく似合ってた」

 その言葉に息を呑む。天はぎこちなく声を絞り出した。

「あ……う、うん。そうだね……」

 本来は獣人王であるバシリオに着目するべきだったのだ。それなのに天はエドしか目に入らなかった。彼の鉄紺の篭手が瞼の裏に焼き付いて、バシリオの篭手の色が緋だったことは言われて初めて知った。
 宮殿へ戻る道すがら、黎は不誠実な天を戦慄させる言葉を発した。

「いつになるのかな、初夜は」
「……え」
「ルカスさまと相談して初夜用の衣装を拵えてあるんだ。稀少な花の染料を使った猩猩緋しょうじょうひの豪華な着物だよ。さっきのバシリオさまの篭手と同じ色だからさ、天もきっと気に入るよ」

 初夜という儀式は、いつ行われても不思議ではないのだ。髪の毛の一筋に至るまで、寵妃となったこの身は獣人王のものなのだから。
 幸いと言うべきか今は軍部の仕事で忙しいようだが、子孫を残すことは王としての義務である。今夜にでも王からのお召しがあるかもしれない。
 急に呼吸が苦しくなって、胸を喘がせる。
 どうしよう。エドへの想いを抱えたまま、バシリオに抱かれるなんて果たしてできるのだろうか。それよりもこのような不実な天が寵妃だなんて、許されるのだろうか。
 夜でもないのに目の前が暗くなり、ぐらりと視界が揺れる。黎に悟られないよう、必死に背筋を伸ばして足を踏みしめた。
 宮殿へ入ると、黎に着替えの間へ導かれる。そこは王から贈られた豪奢な着物や装身具で埋め尽くされていた。
 華麗な百花繚乱や、緋綸子の山桜など、名匠が手がけた数々の衣装。そして黄金の菊花簪、精巧な象牙細工の腕輪、黒漆雪の螺鈿櫛。
 どれもとてつもなく高価な代物で、寵妃の身を飾るのに相応しいものばかり。
 けれどどんなに豪奢な贈り物でも、天の心を弾ませることはなかった。
 エドと毎日川辺で会えることに喜んでいたときのほうがよほど心躍っていた。
 こんなに豪華で何不自由ない暮らしをさせてもらっているのに、嬉しくないだなんて、とても口にはできない。自分は寵妃に相応しくない。けれどエドが勧めてくれたことや彼の立場を思えば、辞退することなど考えられなかった。
 その葛藤がいっそう天を憂鬱にさせる。
 豪華な贈り物の中でも、ひときわ美しい輝きを放つ着物が衣桁に飾られていた。黎は鮮やかな緋色の着物を、誇らしげに紹介する。

「これが初夜の着物だよ。綺麗だろう?」

 伝説の霊獣「猩猩」の血で紅を染めたという言い伝えのある猩猩緋は、禍々しいほどの存在感を放つ。
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