白熊皇帝と伝説の妃

沖田弥子

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丘の下の村 4

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「今日はありがとう、結羽。ユリアンがあんなに笑顔で遊んでいるところを、私は初めて見た。物怖じして村の子たちには混ざれなかったのが嘘のようだ」

 共にユリアンの寝顔を眺めていたレオニートに感謝を告げられて、緩くかぶりを振る。

「僕のほうこそ、お礼を言わなければなりません。ユリアンや子どもたちの笑顔を見ることができて、心が温まりました。かき氷を食べたことがみんなの笑顔の一端だとしたら、こんなに嬉しいことはないです」

 身体も心も、心地良い疲れに包まれていた。素晴らしい充実感を得られたのも、村へ来ることを提案してくれたレオニートのおかげだ。
 礼を述べる結羽を眩しそうに双眸を細めて見つめたレオニートは、馬の手綱を確認していたダニイルに告げた。

「少し待っていてくれ。結羽と散歩してくる」
「承知しました」

 レオニートはなぜか、装着していた革手袋を片方だけ外した。素手で結羽の手を取り、広場のむこうへ歩き出す。
 結羽の手袋はポケットに入れたままだ。ふたりの体温が、剥き出しの皮膚を通して混じり合う。
 乾いた大きな手のひらに、結羽の手はすっぽりと収められていた。レオニートの手のひらは硬くて、男らしい手だ。きっと剣の稽古で硬くなったのだろう。肉刺の痕が手のひらをくすぐる。結羽はその手を、とても好ましいと思えた。

「この先に、小さな湖があるのだ。夕暮れが美しい。見に行こう」

 日暮れが近いので風が出てきた。
 けれどレオニートの手のひらから伝わる熱が、じわりと結羽の身体に染み込んでいくようで寒さを感じない。
 昼間は暖かいこともあり、かき氷を作っていたので互いに手袋をしていなかった。
 だから、器を介して手を触れ合わせてしまった。
 それは不可抗力だったはずなのに、なぜレオニートは、あえて手袋を外したのだろうか。それも片方だけ。
 
 僕と、手を繫ぐために……?
 なぜか結羽は、息苦しいような、胸が締めつけられるような、それでいて甘い心地に満たされた。
 繫いだ手から、彼の想いまで伝わってきてしまいそうで。
 それが、結羽の都合の良い希望に取り違えてしまいそうで。
 結羽は無心になり、ただただレオニートの温かな手のひらに意識を集中させた。
 今はなにも考えず、彼のぬくもりを感じていたい。

「ここだ。……夕陽が雲に隠れてしまったな」

 辿り着いた湖畔は白樺に囲まれた静かな場所で、地平に沈もうとしている夕陽は厚い雲間にその雄姿を滲ませていた。
 雲がないときはきっと、橙色の夕陽が凍った湖に射し込んで、純白の氷を赤々と染め上げてくれることだろう。

「静かで、素敵なところですね」
「冬は湖が凍っているのでスケートができる。……滑りたいな。昔はここで滑ったものだが、もう何年も来ていなかった」
「また来ましょう。今度はスケート靴を持って」
「そうだな。結羽は、スケートは滑れるのか?」
「少しだけ。でも僕も、ずっと滑ってないです」

 スケートリンクで滑った経験はあるが、昔のことだ。それも初心者なのでスケート靴は重くて刃が氷に引っかかり、前に進めなかったと記憶している。
 レオニートは繫いだ手を、きゅっと握りしめた。
 結羽よりも頭ひとつ高いレオニートが腰を屈めると、耳許に彼の呼気がかかる。

「私と一緒に、スケートを滑ろう。転ばないように、手を繫いで。そのときには晴れて美しい夕陽が見られるかもしれない」
「ええ、ぜひ」
「約束だ」

 嬉しそうに微笑むレオニートの端正な顔が近すぎて、結羽は息をするのも苦慮するほど胸を喘がせた。
 それは、彼が綺麗な人だから。
 手を繫ぐのは、転ばないためだ。
 そう結論付けた結羽だが、スケートでレオニートとまた手を繫ぐことができるという未来に、どうしようもなく胸が弾んでしまうのだった。
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