5 / 56
五話
しおりを挟む
なぜ私まで名前で……と思うが、友人という設定なら、どちらかだけ名前で呼ぶのも不自然だろう。
「悠司さん。いつの間に、私とふたりきりで飲む約束になってるんですか?」
「ああ、あれね。その場で俺が決めたんだ」
「……その場で、ですか」
「そう。ふたりで飲もうと誘っても、紗英は断るだろう? だから約束していることにした」
紗英は呆れてしまい、言葉が出てこない。
確かに苦手な悠司に、いくら仕事の話だからと言われても、事前に誘われていたら、なんとか理由をつけて断っていたかもしれない。
悠司の強引さには呆れてしまうが、嫌ではなかった。
それに、仕事の話があるんだから、仕方ないよね……。
そう自分に言い聞かせていると、悠司は、すいと紗英の手を取る。
彼はそのまま、エレベーターホールへ導いた。
まるで淑女に対するようなエスコートをされて紗英は戸惑うが、この手を振り払うのは失礼なのではないかと思い、顔を熱くしながらも悠司に手を預ける。
「きみには、いろいろと聞きたいこともあるしね」
「仕事のことですか」
彼は誘いかける木村に、「仕事の話なので遠慮してくれ」と言っていた。
ところが悠司は、あっさりと言い放つ。
「いや? プライベートなことだ」
「え? だって木村さんには……」
フッと笑った悠司は、双眸を細める。まるで愛しいものを見るように紗英に視線を注ぐので、どきりと胸の鼓動が鳴る。
エレベーターに乗り込んだ悠司は、六階のボタンを押した。
片方の手に握りしめた紗英の手を、彼は離そうとしない。
「あれはね、嘘だよ。きみとふたりきりになりたかった」
ふたりきりの箱の中で、甘い声で囁かれる。
「えっ……なんで……?」
「なんでって、ふたりきりになりたかったからだよ」
思わず問い返してしまった紗英に、再び鼓膜を甘く震わせる声で、二度も言われた。
どきどきと早鐘のように鼓動が鳴り響いてしまう。
紗英はつないだ手から緊張が伝わってしまわないよう、息を詰めた。
悠司はどういうつもりなのだろう。
ふたりきりになりたい、なんて言われたら、勘違いしてしまいそうになるからやめてほしい。
私は彼のことが苦手なはずなのに、どうしてこんなにどきどきするの……?
紗英は戸惑いつつも、悠司に対して嫌悪はなかった。それどころか、甘いものが胸に染みていて、心地よくすらある。
ややあって六階に到着し、レストランに入店する。
そこは有名シェフが手がけるフレンチの名店だった。
一般的な会社員が食事するには、少々敷居が高い。
臆した紗英は、こっそりと悠司の耳元に囁く。
「あの、悠司さん。このお店、すごく高いんじゃないですか?」
ところが悠司は料金の心配などしていないのか、肩を震わせて笑いをこらえている。
「ちょっと、くすぐったい。嬉しいけど」
「だから、私、持ち合わせがあまりなくてですね……」
紗英はさらに悠司の耳元に近づく。入店してから支払いの相談をするなんて、ほかの誰にも聞かれるわけにはいかない。
「ちょっ、紗英、もう勘弁して。嬉しいけど」
彼の耳元に近づくほど、悠司は身を震わせて口元を緩ませた。
嫌なら体を離せばよいと思うのだが、直立した彼はぎゅっと紗英の手を握りしめている。
紗英が耳元から顔を離すと、一息ついた悠司は笑みを見せた。
「心配しなくていいよ。俺の奢りだから」
「え、でも……」
「俺が誘った女性に金を払わせるなんて無粋な真似をするわけないだろう。きみは景色と料理を楽しめばそれでいいから」
お仕着せをまとったスタッフがふたりを案内するために待っているので、ここで立ち止まるのもマナー違反だろう。
紗英は悠司にエスコートされ、窓際の席に案内された。
悠司に椅子を引かれて腰を下ろす。男性にエスコートしてもらうなんて初めてなので、緊張と高揚で、胸のどきどきはなかなか収まってくれない。
ふと窓の外に目をやると、そこには煌めく夜景が広がっていた。
「わあ……綺麗……」
「気に入ってくれた?」
向かいの席に腰かけた悠司は、優しい微笑みを見せる。
「はい、とっても。こんな素敵な夜景は初めて見ました」
店内の装飾は落ち着いた紫色でまとめられ、各テーブルにクリスタルライトが灯されていた。橙色の明かりが純白のテーブルクロスを浮かび上がらせている。気品に満ちた幻想的な雰囲気だ。
紗英の誕生日であろうとも、今までの彼氏はこのようなレストランに連れてきてはくれなかった。それどころかプレゼントさえくれなかった。
嫌なことを思い出しそうになり、紗英は慌てて脳内から追いやる。
「悠司さん。いつの間に、私とふたりきりで飲む約束になってるんですか?」
「ああ、あれね。その場で俺が決めたんだ」
「……その場で、ですか」
「そう。ふたりで飲もうと誘っても、紗英は断るだろう? だから約束していることにした」
紗英は呆れてしまい、言葉が出てこない。
確かに苦手な悠司に、いくら仕事の話だからと言われても、事前に誘われていたら、なんとか理由をつけて断っていたかもしれない。
悠司の強引さには呆れてしまうが、嫌ではなかった。
それに、仕事の話があるんだから、仕方ないよね……。
そう自分に言い聞かせていると、悠司は、すいと紗英の手を取る。
彼はそのまま、エレベーターホールへ導いた。
まるで淑女に対するようなエスコートをされて紗英は戸惑うが、この手を振り払うのは失礼なのではないかと思い、顔を熱くしながらも悠司に手を預ける。
「きみには、いろいろと聞きたいこともあるしね」
「仕事のことですか」
彼は誘いかける木村に、「仕事の話なので遠慮してくれ」と言っていた。
ところが悠司は、あっさりと言い放つ。
「いや? プライベートなことだ」
「え? だって木村さんには……」
フッと笑った悠司は、双眸を細める。まるで愛しいものを見るように紗英に視線を注ぐので、どきりと胸の鼓動が鳴る。
エレベーターに乗り込んだ悠司は、六階のボタンを押した。
片方の手に握りしめた紗英の手を、彼は離そうとしない。
「あれはね、嘘だよ。きみとふたりきりになりたかった」
ふたりきりの箱の中で、甘い声で囁かれる。
「えっ……なんで……?」
「なんでって、ふたりきりになりたかったからだよ」
思わず問い返してしまった紗英に、再び鼓膜を甘く震わせる声で、二度も言われた。
どきどきと早鐘のように鼓動が鳴り響いてしまう。
紗英はつないだ手から緊張が伝わってしまわないよう、息を詰めた。
悠司はどういうつもりなのだろう。
ふたりきりになりたい、なんて言われたら、勘違いしてしまいそうになるからやめてほしい。
私は彼のことが苦手なはずなのに、どうしてこんなにどきどきするの……?
紗英は戸惑いつつも、悠司に対して嫌悪はなかった。それどころか、甘いものが胸に染みていて、心地よくすらある。
ややあって六階に到着し、レストランに入店する。
そこは有名シェフが手がけるフレンチの名店だった。
一般的な会社員が食事するには、少々敷居が高い。
臆した紗英は、こっそりと悠司の耳元に囁く。
「あの、悠司さん。このお店、すごく高いんじゃないですか?」
ところが悠司は料金の心配などしていないのか、肩を震わせて笑いをこらえている。
「ちょっと、くすぐったい。嬉しいけど」
「だから、私、持ち合わせがあまりなくてですね……」
紗英はさらに悠司の耳元に近づく。入店してから支払いの相談をするなんて、ほかの誰にも聞かれるわけにはいかない。
「ちょっ、紗英、もう勘弁して。嬉しいけど」
彼の耳元に近づくほど、悠司は身を震わせて口元を緩ませた。
嫌なら体を離せばよいと思うのだが、直立した彼はぎゅっと紗英の手を握りしめている。
紗英が耳元から顔を離すと、一息ついた悠司は笑みを見せた。
「心配しなくていいよ。俺の奢りだから」
「え、でも……」
「俺が誘った女性に金を払わせるなんて無粋な真似をするわけないだろう。きみは景色と料理を楽しめばそれでいいから」
お仕着せをまとったスタッフがふたりを案内するために待っているので、ここで立ち止まるのもマナー違反だろう。
紗英は悠司にエスコートされ、窓際の席に案内された。
悠司に椅子を引かれて腰を下ろす。男性にエスコートしてもらうなんて初めてなので、緊張と高揚で、胸のどきどきはなかなか収まってくれない。
ふと窓の外に目をやると、そこには煌めく夜景が広がっていた。
「わあ……綺麗……」
「気に入ってくれた?」
向かいの席に腰かけた悠司は、優しい微笑みを見せる。
「はい、とっても。こんな素敵な夜景は初めて見ました」
店内の装飾は落ち着いた紫色でまとめられ、各テーブルにクリスタルライトが灯されていた。橙色の明かりが純白のテーブルクロスを浮かび上がらせている。気品に満ちた幻想的な雰囲気だ。
紗英の誕生日であろうとも、今までの彼氏はこのようなレストランに連れてきてはくれなかった。それどころかプレゼントさえくれなかった。
嫌なことを思い出しそうになり、紗英は慌てて脳内から追いやる。
5
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
泉野あおい
恋愛
人の気持ちに重い軽いがあるなんて変だと思ってた。
でも今、確かに思ってる。
―――この愛は、重い。
------------------------------------------
羽柴健人(30)
羽柴法律事務所所長 鳳凰グループ法律顧問
座右の銘『危ない橋ほど渡りたい。』
好き:柊みゆ
嫌い:褒められること
×
柊 みゆ(28)
弱小飲料メーカー→鳳凰グループ・ホウオウ総務部
座右の銘『石橋は叩いて渡りたい。』
好き:走ること
苦手:羽柴健人
------------------------------------------
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
絵麻
恋愛
桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。
父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。
理由は多額の結納金を手に入れるため。
相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。
放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。
地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。
Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜
yuzu
恋愛
人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて……
「オレを好きになるまで離してやんない。」
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる