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三十八話
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「間接キスだな」
「え……あっ!」
味見をしたとき、小皿の同じ箇所に口をつけてしまった。
そのことに気づいた紗英の顔は、真っ赤に染まる。
なんだか本当に新婚みたいな初々しさがあって、恥ずかしくなる。
「も、もう。悠司さんったら」
赤い顔を隠すようにうつむいた紗英の頤を、すいと悠司は掬い上げる。
チュ、とふたりが唇を重ね合わせると、炊飯器の米が炊けた音が鳴った。
無事に肉じゃがは完成し、米とともにふたり分を食器によそう。
悠司が即席の味噌汁も用意してくれたので、食卓は理想的な昼食となった。
ダイニングテーブルに向かい合わせに座ったふたりは、手を合わせて合唱する。
「いただきます」
出来上がった肉じゃがは、じゃがいもやニンジンが艶めいていて、とても美味しそうだ。醤油とみりんの甘い香りが食欲を誘う。
肉じゃがに箸をつけた悠司は、感嘆の声を上げた。
「うまい! 肉じゃがって、こんなに美味しいんだな」
「よかったです、美味しくできあがって。気を抜くと、よく煮崩れするんですよね」
ほくほくしたじゃがいもが口の中で、ほろりと蕩ける。ニンジンは甘く柔らかく、牛肉は噛むと旨味のある肉汁が溢れ出した。タマネギとインゲンもキラキラと輝き、美味しさに華を添えている。
悠司が炊いてくれた米も、とても美味しかった。きっと名産品の新米なのだろう。
食事を味わっていると、突然悠司が「あっ」と声を上げる。
「これは……」
彼はハート型のニンジンを、箸で摘んでいた。
くすりと微笑んだ紗英は、イタズラの正体を伝える。
「それは『当たり』です」
「紗英の気持ち、受け取ったよ」
「えっと……そういうつもりじゃなかったんですけど……」
ハートだったので、まるで告白のようになってしまった。恥ずかしくなった紗英は、うろうろと視線をさまよわせる。
悠司は愛しげに目を細めて、紗英を見つめた。
「結婚したいな」
「えっ⁉」
「紗英を、俺の嫁さんにしたい。だめか?」
突然プロポーズのようなことを言われて、紗英は混乱した。驚いたり嬉しかったり、様々な感情が入り乱れる。
だが、自分がかりそめの恋人であったという事実を思い出し、喜びは急速に冷めた。
悠司は本気ではない。
仮の恋人だからこそ、重要なことでも軽く言えるのだ。
冗談だから――。
「な、なに言ってるんですか。私が悠司さんと結婚できるわけありませんよ」
「どうして?」
「だって、あなたは御曹司だし、私は一介の会社員です。身分が違います」
「身分ね……。俺は気にしない」
「そ、それに私たちはかりそめの恋人でしょう? 勝負がついたら、終わる関係ですよね?」
紗英は自分で説明していて、悲しくなった。
こうして恋人のように接していても、所詮この関係は悠司が飽きたらそれで終わってしまうような刹那的なものなのだ。
箸を置いた悠司は、まっすぐに紗英を見た。
「紗英は、それでいいのか?」
「え……」
「きみは、どうしたいんだ」
問われた紗英は、目を瞬かせてその意味を噛み砕いた。
私が、どうしたいか……。
紗英に選択権などあるのだろうか。そんなものはないとわかっているからこそ、悠司次第だと思って、彼に委ねてきたのだ。
「私は……」
突然、そんなことを問われても、咄嗟に答えは出ない。
紗英の人生は母親の躾けのおかげで、クズ男に利用されるばかりで、そこに自分の意思が介在する余地がなかった。どうにかしたいとは思っていても、どうにもならないことばかりだった。
でも、もし、すべてのしがらみを考えずに、紗英がどうしたいか言えるのだとしたら。
――悠司さんと、本当の恋人になりたい。そして、結婚したい。
その望みが初めて、紗英の胸の奥に生まれた。
けれど、彼とそのような関係になれないことはわかっている。
大体において、身分が違うのだ。
それに、もし紗英が本音を言ったとき、悠司から「冗談に決まってるだろ」と返されるのが怖い。だから本音なんて、とても言えなかった。
「よく、わかりません……」
濁した紗英は、食事を続けた。
訝しげにしながらも、悠司も箸を取る。
「え……あっ!」
味見をしたとき、小皿の同じ箇所に口をつけてしまった。
そのことに気づいた紗英の顔は、真っ赤に染まる。
なんだか本当に新婚みたいな初々しさがあって、恥ずかしくなる。
「も、もう。悠司さんったら」
赤い顔を隠すようにうつむいた紗英の頤を、すいと悠司は掬い上げる。
チュ、とふたりが唇を重ね合わせると、炊飯器の米が炊けた音が鳴った。
無事に肉じゃがは完成し、米とともにふたり分を食器によそう。
悠司が即席の味噌汁も用意してくれたので、食卓は理想的な昼食となった。
ダイニングテーブルに向かい合わせに座ったふたりは、手を合わせて合唱する。
「いただきます」
出来上がった肉じゃがは、じゃがいもやニンジンが艶めいていて、とても美味しそうだ。醤油とみりんの甘い香りが食欲を誘う。
肉じゃがに箸をつけた悠司は、感嘆の声を上げた。
「うまい! 肉じゃがって、こんなに美味しいんだな」
「よかったです、美味しくできあがって。気を抜くと、よく煮崩れするんですよね」
ほくほくしたじゃがいもが口の中で、ほろりと蕩ける。ニンジンは甘く柔らかく、牛肉は噛むと旨味のある肉汁が溢れ出した。タマネギとインゲンもキラキラと輝き、美味しさに華を添えている。
悠司が炊いてくれた米も、とても美味しかった。きっと名産品の新米なのだろう。
食事を味わっていると、突然悠司が「あっ」と声を上げる。
「これは……」
彼はハート型のニンジンを、箸で摘んでいた。
くすりと微笑んだ紗英は、イタズラの正体を伝える。
「それは『当たり』です」
「紗英の気持ち、受け取ったよ」
「えっと……そういうつもりじゃなかったんですけど……」
ハートだったので、まるで告白のようになってしまった。恥ずかしくなった紗英は、うろうろと視線をさまよわせる。
悠司は愛しげに目を細めて、紗英を見つめた。
「結婚したいな」
「えっ⁉」
「紗英を、俺の嫁さんにしたい。だめか?」
突然プロポーズのようなことを言われて、紗英は混乱した。驚いたり嬉しかったり、様々な感情が入り乱れる。
だが、自分がかりそめの恋人であったという事実を思い出し、喜びは急速に冷めた。
悠司は本気ではない。
仮の恋人だからこそ、重要なことでも軽く言えるのだ。
冗談だから――。
「な、なに言ってるんですか。私が悠司さんと結婚できるわけありませんよ」
「どうして?」
「だって、あなたは御曹司だし、私は一介の会社員です。身分が違います」
「身分ね……。俺は気にしない」
「そ、それに私たちはかりそめの恋人でしょう? 勝負がついたら、終わる関係ですよね?」
紗英は自分で説明していて、悲しくなった。
こうして恋人のように接していても、所詮この関係は悠司が飽きたらそれで終わってしまうような刹那的なものなのだ。
箸を置いた悠司は、まっすぐに紗英を見た。
「紗英は、それでいいのか?」
「え……」
「きみは、どうしたいんだ」
問われた紗英は、目を瞬かせてその意味を噛み砕いた。
私が、どうしたいか……。
紗英に選択権などあるのだろうか。そんなものはないとわかっているからこそ、悠司次第だと思って、彼に委ねてきたのだ。
「私は……」
突然、そんなことを問われても、咄嗟に答えは出ない。
紗英の人生は母親の躾けのおかげで、クズ男に利用されるばかりで、そこに自分の意思が介在する余地がなかった。どうにかしたいとは思っていても、どうにもならないことばかりだった。
でも、もし、すべてのしがらみを考えずに、紗英がどうしたいか言えるのだとしたら。
――悠司さんと、本当の恋人になりたい。そして、結婚したい。
その望みが初めて、紗英の胸の奥に生まれた。
けれど、彼とそのような関係になれないことはわかっている。
大体において、身分が違うのだ。
それに、もし紗英が本音を言ったとき、悠司から「冗談に決まってるだろ」と返されるのが怖い。だから本音なんて、とても言えなかった。
「よく、わかりません……」
濁した紗英は、食事を続けた。
訝しげにしながらも、悠司も箸を取る。
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