だから故あって勇者のお仕事を代行するのさ

沙崎あやし

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【009】それが勇者の務めってもんだぜ

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 まだ窓の外は薄暗い。夜明け前で、うっすらと朝日の気配だけが漂っている。セレドはいつもより早く目が覚めた。ベッドに寝転がったまま、天井を見つめる。

「ん……んぐ、なんだこの香り……?」

 良い香りがした。普段嗅いでいる、少し癖になるようなおっさんの匂いでは無い。柑橘系のちょっと甘い香りだ。それが寝起きのセレドの鼻腔をくすぐる。

 ある意味、それは暴力であった。セレドの中にまだ残っている男としての本能を、まるで首根っこを捕まえてガクガクと揺さ振ってくる。そういう香りだ。

(……ああ、勘弁してくれ……これは、きつい……)

 それは本能と理性のバトルだ。寝起きで本能が優勢で、しかも本能の波に任せた方が楽できっと気持ちが良い。かつての「桜炎の魔王」との戦いは生涯で一番の激戦だったが、一番精神的にキツかったのはと問われれば「……淫魔との戦い(ぼそり」と答えるだろう。これは、そういう戦いであった。

「ッふぬっ!」

 セレドは一気に起き上がり、ベッドから転げ落ちる様に抜け出す。勝った! 自分は本能に勝ったのだ! セレドは自分で自分を褒めながら立ち上がり、横目で抜け出したベッドに残る人物を見つめる。

 ——シエラだ。金髪の美少女がすやすやと寝息を立てている。

 今回は全裸ではない。下着姿だ。そして柑橘系の香りはシエラから漂ってくるものだった。普段は無臭だから、あえて仕込んだのだろう。

「……この娘……」

 セレドは忌々しそうにシエラの寝顔を見る。非常に——控えめにいって、とてもたちが悪い。なぜ柑橘系の香りなのか? それはきっとシエラの母であり、セレドの思い人だったセレティアが愛用していた香りだからだ。シエラはそれを理解した上で、あえてその香りをチョイスしたのだ。

 同じ顔で同じ香り、しかも寝起き。——かつての淫魔戦を越える、男としてとてもツラい戦いだった。だがヤバかった。あともう一押しで、通常であれば自分の子供ほどの歳の子に——していた可能性は否定出来ない。それはセレドの理性が拒否反応を示す。そして今回は辛うじて理性が勝ったのだ。

 しかし。これからずっと続くのか、これが……。そう思うとセレドはげっそりとした表情を浮かべた。その戦い、セレドにあまりも分が悪い。

「勘弁してくれ……」

 頭を搔きながら、セレドは顔を洗いに部屋を出ていった。ドアがバタリと閉まると、むくりとベッドの上でシエラが起き上がる。

「……チキン野郎」

 むすっとした声。その呟きは、セレドには聞こえなかった。


 —— ※ —— ※ ——


「今回もダメだったわ。でも結構効いていたみたい。ケダモノみたいなオーラが出てたわ」
「そうかー、さすがのチキンでもコレなら襲いかかると思ったんだがなー。さすがは元勇者というべきか。精神力が常人より強い」
「その精神力、母さまの時に発揮してもらいたかったわ。肝心な時に強さを発揮できなければ、やっぱりただのチキン野郎よ」
「はっはは、これは手厳しい」
「……本人の前で感想戦するの、やめてもらえませんかね……」

 セレドはシエラとビスケーの顔を交互に見てから溜息をつく。シエラはツンとすました顔で炒り卵を食べ、ビスケーはとてもにこやかな笑顔を浮かべている。何かと入れ知恵をしているのはこの老魔術師である。セレドは苦々しい表情を浮かべて、定番のサンドイッチを囓った。具材はチキンだった。

 三人は酒場で朝食を摂っている。周囲のテーブルには仕事前の冒険者たちでごった返している。ここ最近、西の王国に来訪する冒険者の数が増えた。

 魔王討伐を前にして仕事や依頼が増えているせいでもあるし、王国側が優勢であるとの見立てが広まって勝ち馬に乗ろうという輩が増えたせいでもある。やはり南の森の魔竜を斃したのは大きかった。白銀の勇者の勇名はうなぎ登りだ。

「しかし大分賑やかになってきたな。この調子であれば、魔王討伐は順当にいけるかも知れんな」

 ビスケーがナッツを食べながら周囲の喧騒を見回す。セレドも値踏みをする。勇者クラスはさすがに歩いていないが、同行者になれるぐらいの実力者はちらほらと見受けられる。これぐらいいれば、道中の露払いぐらいは出来るだろう。——魔王と会敵するまでに、いかに勇者の体力を温存出来るか? それが討伐の成功率に直結する。

 魔王や高位の魔物討伐に勇者が必要されるのは、討伐する側に単騎での強さが必要とされるからだ。

 例えば見通しの良い平原で魔王と戦えるのであれば、軍隊の方が勝率は高いだろう。兵士一人一人は魔王に遠く及ばない。だが万の軍勢で昼夜休みなく攻め続ければ、巨大な敵とていずれは失血死する。数の暴力だ。

 だが、だからこそ魔王はそんなところには出てこない。配下である魔物たちもいる。魔王は支配地の深奥で座し、その魔力が大地を蚕食するのただ待っていればいい。

 だから勇者が必要とされるのだ。僅かな仲間の助力だけで魔王を討ち果たせる実力と、そしてその決死行を行うだけの勇気。故に「勇者」なのだ。

「この分だと、オレらの出番はないかも知れないなあ」
「そうでもないわ。あくまで陛下の望みは「白銀の勇者が魔王を討伐する」ことよ。こっちが有利なのは良いことだけど、それはそれで別の心配が出てくるわ」
「……あー、なるほど」

 シエラの懸念に、セレドはぴしゃりと膝を叩く。

「別の誰かさんが、魔王を討伐しちゃうかも知れないってことだ」
「そういうこと。だからあたしだちは、あくまで白銀の勇者ちゃんが魔王を討伐出来る様にお膳立てするのが目的ね」
「……それはお前さんの目的なんじゃないのか?」

 セレドがそう言ったら、ぎろりとシエラに睨まれた。怖い。しかしシエラはすぐに表情を笑顔に変える。すごい加虐的な笑みだ。

「あたしは別にいいわよ。陛下との約束でダメなら、故郷に戻って結婚式挙げるだけだから。——そんなにあたしの父親に会いたいんだ?」
「い、いえ……ゴメンナサイ」
「分かればいいのよ。わ・か・れ・ば」

 セレドは怖くなって視線を外した。ふと、その視界の隅に気になるものが入り込んだ。フードを被った人物——背は低いが恐らく男。それがすうっと冒険者組合の事務所から外へと出て行く。

(……なんだ?)

 セレドは何かが引っかかる思いがした。足捌きからして職業は斥候。獲物は小剣か投げナイフ。利き腕は右。そして、恐らく相当に腕が立つ。

 ……なんだ、何がそんなに気に掛かる? セレドは後を追おうとして腰を上げかけたが、不意に腕を掴まれて席に戻された。シエラだ。シエラがまだ説教は終わってないとばかりに、にこやかな笑顔を見せている。

「それと、あんたが魔王討伐するのも禁止よ? 分かってる?」
「うえっ? お、オレにそんな力残ってないよ……」
「ウソ。あんたがここの魔王討伐しちゃったら、誓約が被って大変なことになるわ。最悪、西の王国と北方王国の間で戦争よ?」
「ま、まさか。そんな大袈裟な」
「だから王族の誓約舐めんなっていってんの」

 詰め寄るシエラをどうどうといなしながら、セレドはちらりとフードの男の姿を探すが、もうその時には気配すら残ってはいなかった。


 —— ※ —— ※ ——


 日が高くなりつつある。路地裏の奥にまで届いていた光も、今は男の足元を照らすのみである。

 フードを被った男が三人居る。一人は背が高く、金属製の槍を背負っている。残りの二人はそれぞれ剣と杖を持っていた。フードで顔は見えないが、一見して冒険者と分かる風体の者たちであった。

 そこへ背の低いフードの男が合流する。剣を持った男が声を掛ける。若い。

「どうだ、予定通りか?」
「ああ。勇者様御一行は明日出発するそうだ」
「北の谷の魔竜か。いいぞ、オレたちはすぐに出発しよう。あのお坊ちゃんの為に、ちっとは露払いしてやらんとな」

 剣の男がそう話しかけると、フードの男たちは肩を揺らして笑った。

「南の森の魔竜の件はどうだった?」
「あの野郎、やっぱり自分の手柄にしていたぜ。国王から表彰されていたから間違いねえ」
「は。思った通りだ。所詮勇者様って言ってもその程度よ。一皮剥けば意地汚い本性が見えてくる」
「いや、いいんじゃねえのか。オレは見直したね? 人間そうでなきゃ。逆に親近感が湧くってもんだ」
「はは、違いねえ」

 剣の男は一頻り笑うと、さっと身を翻した。日の当たる場所から、路地裏の暗がりへと。ゆっくりと歩いていく。そしてそれに続く、残りの男たち。

「さあこれから、魔物退治としゃれこもうじゃねえか。それが勇者の務めってもんだぜ」

 その言葉を残して、フードの男たちは路地裏の暗がりーと消えていった。

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