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番外・後日談2
あの時、オルフェオの見た夢は (2)
「だんなさま、あさですよ。おはようございます。おきてください」
「……ああ、おはよう」
ベッドの外側から、ちびアレッシオが舌足らずな声をかけてくる。
俺の返事に満足そうに頷き、彼はちょこちょこ歩いて窓のカーテンを開け始めた。
格子窓からサッと差し込んだ清浄な朝の光に目を眇めつつ、俺は思った―――いつの間に寝たんだっけ、と。
いきなり昨日から今日になっていても、普通に世界が進んでいく。
それを自覚しつつ違和感もなく受け入れているんだから、夢とは不思議なものだ。
そして今朝も、アレッシオは七歳のまま。
ふっくら丸い桃のごとき頬。お子様だから頭が大きめで、歩き方が『スタスタ』ではなく『とてとて』である。
「だんなさま? どうしたんですか? ごきぶんでもよくないんですか?」
「いや……大丈夫、大丈夫だ。気にしないでくれ」
毛布に顔面を押し付けて悶えているせいで、心配そうに覗き込まれてしまった。
「健康状態に問題はない。むしろ気分が良過ぎて困っている。だから案ずるな……」
「……はあ?」
不思議そうにおめめをパチリと瞬かせる様子が、本当~にあどけなくてもう(以下略)。
今日は一緒にお昼寝しない? などと、あやうく口から出そうになった。
この俺がこのアレッシオ少年にそれを提案するのは、なんとなく危ない響きがあってイカン気がする。
なので今朝も、この子の頭をなでなでしながら気を静めた。
「だんなさま、けさはごようすがヘンですよ?」
などと言いながら、内心ではちょっぴり嬉しそうな少年。
男の子が誉められたり撫でられたりする行為を「大袈裟」と嫌がり始める年齢って、何歳ぐらいからだっけ? イヤイヤ期とは違い、だんだん素直に受け止められなくなってくる年齢だ。
少なくともこの子は今、照れ照れしつつも嫌がる素振りはなく、ひたすらかわゆいのである。永遠にこのままでいてほしい……と、ついつい願ってしまいそうになるが、大人アレッシオに会えなくなっても困るしな。
「それはさておき、アレッシオ。本日の私のスケジュールはどうなっている?」
「きょうはお休みです。わたしは、おべんきょうの日です」
「お勉強か! なんなら私が見てやるぞ?」
「いいのですか?」
おっ、なんか乗り気だな? 大人アレッシオだったら、ここはやんわり断るところなのに。
ということで、俺はホクホクしながら今日一日、先生をやることになった。
幼い頃のアレッシオが、己を虐待していた母親から父親のブルーノに救い出されるまで、勉強なんてやれる環境はなかったはず。
そもそも今この世界に、平民の通える学校がどこかにあるとは聞いたことがない。
将来的にはアルティスタ王国の学園が平民を受け入れ始めそうな予感はあれど、現時点ではなかった。
アレッシオは読み書きと算術の基本、執事としてのさまざまな知識をブルーノに教わり、それ以降はすべて独学で学んできたと聞いている。
だからなのか、七歳のアレッシオ少年がいそいそと俺の部屋に持ってきたのは、読み書きの練習用の紙とペンとインク―――それだけだった。
ジルベルトがこの年齢の頃、もうそこそこ身についていたことを考えると、やはり身分のハンデが……って、これは全部俺の妄想上の世界なんだってば。
いろいろ突っ込みどころはありつつ、勉強部屋ではなく明るい窓辺のテーブルセットでお勉強を開始した。
朝食? 食ってないねそういえば。
まあ気にしない気にしない。
「基本の文字だけはもう書けるようだな。なら次は、この詩文の一節を書き写してみようか」
「はい」
言われた通り、一生懸命書き写し始める少年。
習いたてで、まだ慣れていない筆跡が実に可愛らしい。
……しかし俺は詩なんぞ読まねぇってのに、なんで七つのお子様に恋のポエムなんぞ書き取りさせてんだよ。
だって気付いたらテーブルの上にこれがあったんだもん。
ポエム以外に何かないかなと探したら、いつの間にかそこには恋愛小説が置かれてあった。
……ポエムもそうだが、なんかこの恋愛小説も記憶にあるぞ。
これらはむかーし、情緒の足りない俺のためにアレッシオとエルメリンダが出してきたやつだ。
ポエム以上に、この略奪恋愛物語を七歳児に書き写させてはいかん。
教育に悪すぎる。
「…………」
「ん?」
何やらアレッシオ少年が、手を止めて俺をじっと見上げている。
彼が手を止めている箇所を見やると、ポエムの登場人物が狂おしい愛を囁く場面だった。
なんちゅうもんを七歳児に書かせてやがるんだ俺。
そりゃアレッシオくんも赤くなるわ。
むしろ平気で全部書かれたら、こっちが気まずさに赤面するところだわ!
「すまん。別の本を探し―――」
「だんなさま。おれ、すぐにおおきくなります」
「うん?」
アレッシオ少年がペンを置いて、何やら俺の手を両手できゅっと握りしめてきた。
な、なんだどうした。
必死そうな瞳に、ついごくりと唾を飲み込む。
「おれ、おおきくなりますから」
「うむ。そうなるだろうな?」
念を押してくる少年に、知っているよと頷いた。
おまえの背はぐんぐん伸びるんだよ。俺よりもずっと。
「それから、たくさんおべんきょうして、いまよりあたまがよくなります」
「なるだろうな、おまえは」
「すごくつよくなります。なんでもできるようになって、あなたをお守りできるようになりますから」
「……うん。そうだな?」
「だから、あなたのとなりを、あけておいてください」
「―――……」
う……おおおっ……?
こ、こ、これは……?
「ずっと、ごいっしょにいたいです。いちばん近くにいるの、おれじゃないといやです」
真剣に見上げてくるアレッシオ少年…………も、も、もしやこれは……告白!?
俺、この子の初恋!? 初恋なの!?
「やくそくしてください、だんなさま」
「あ、アレッシオ」
可愛いよ~! カッコいいよ~!
やべ、こんなちびっこなのに胸がドキドキしてきたんだが!?
大人の俺はこれにどう答えるのが正解なんだ……!!
■ ■ ■
などと葛藤していたら、パカリと瞼が開いた。
―――夢か。
うん、夢の中でもわかっていたよ。
今回は夢の中で起きたわけじゃなく、本当に現実に目が覚めたのだ。ベッドの隣には、俺以外の重みで沈んだ感覚がしっかりとある。
何度か瞬きをしてから、笑い出しそうになった。
「なんという夢を……」
小っさくて超かわいいアレッシオに、真剣に迫られてしまったぞ。
こらえ切れずにくふくふ含み笑いをしていると、「楽しそうですね」と低い囁きが耳に吹き込まれた。
起き抜けの不意打ちで沼ボイスはやめんか。ぶるるっと震えてしまったではないか。
大人になった俺の恋人に、笑みの余韻の残った顔を向けたら、何やら早朝の薄明かりの中で、アレッシオが微妙な顔をしている。
「どうした?」
「少々、妙な夢を見まして。悪い夢ではなかったと思うのですが」
「へぇ。どんな?」
「……あまり覚えていないのです」
俺のはめちゃくちゃ楽しい夢だったのに、アレッシオの夢はそうでもなかったのか。
なぐさめるつもりで彼の頭をさらさらと撫でたら、大きな腕に抱き込まれ、口付けが降りてきた。
重なる唇から、胸の奥めがけて幸福感を吹き込まれ、ひたひたと満たされる。
アレッシオには悪いが、俺にとっては最高の目覚めだった。
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