僕と愛しい獣人と、やさしい世界の物語

日村透

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狼と寄り添う兎

23. 星の夜

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 今から急いで戻っても、到着した頃にはきっと市門が閉ざされている。かといって、野宿をするとトーマンには軽く言ったものの、僕は野外で泊まった経験がないのだった。
 ひとまず急ぐ必要はないので、走らず歩いて帰ることにした。仮に野外で寝ることになっても、迷宮の近くにいるよりいい。魔物は基本的に中から出てこないが、たまに出てくるものもいる。
 サク、サク、と踏むたびに、昼間とは異なる草と土の芳香が弾けた。太陽が沈むごとにそれは変化し、夕暮れから夜にかけて、目を瞑っていても時間の経過を知らせてくれる。

「もしかして、気温の変化のせい、かな」

 徐々に気温が下がって、昼間より冷えた空気が浸透する。一部を除いた数多の花々は花弁を閉ざし、水分の蒸発量も減って、すべてが内に蓄えるようになる。それが香りの変化の正体に違いなかった。
 肌寒いほどではなく、清々しさを覚える冷気を楽しみながら、いつもより緩慢かんまんに歩を進めた。
 時々目を閉じ、俯きがちに歩いていたせいで、しばらくそれに気付かなかった。

「うわ……!」

 不意に顔を上げた瞬間、足が止まった。
 月のない夜。雲ひとつない晴れ渡った空。遠い煌めきすらもギッシリと近くに見えるほど、濃密な星空がそこにあった。
 気まぐれに風がそよぎ、雑草がサラサラとさざ波を奏で、広大な闇の天井で無数に点滅する輝きに圧倒される。
 これは何なのだろうと、幾度となく胸の内で呟いた同じ問いが、以前の無粋な響きなど影も形もなく、ただ幼子のように純粋な感情の発露として生じた。

「こんなの、作れるものなのか?」

 自分の独白に違和感しかなかった。
 仮に作った者がいるとすれば、それは高村ではない。彼はを知りもしないはずだ。システムが自動生成した風景のひとつだったとしても、このゲームを幾度となくプレイした僕でさえ、を前にするのは初めてだった。
 そこに寝転がりたい衝動が芽生えた。けれど野宿用の道具など何も持ってきていない……と『収納空間』を意識したら、そこに入っているものが頭に浮かび、目が丸くなった。

「え、毛皮? なんで?」

 ためしに『収納空間』に手を突っ込んでみたら、いつも寝る時にかけている毛皮が入っていた。
 もしかして今朝、デューラーに声をかけてもらった時、動揺していた僕はここへ放り込んでしまったのだろうか。

「勝手に持ってきてしまった……ごめんデューラー」

 完全に無意識の行動で記憶にすらない。
 迷いつつ、後で洗うからと心の中で侘び、草の上に敷いた。
 そこに寝転がると、涼やかな草の芳香がますます強くなる。目で追いきれない無限の闇と煌めきを前に、僕は既にその中に吸い込まれているのではないかとさえ思えてきた。
 自分がとてもちっぽけな存在に過ぎず、延々とくだらないことで悩んでいた気がしてくる。

「夜空を見上げて悟るとか、なんだそのテンプレートな思考回路……」

 あそこにあるものは全部、本物かどうかすら怪しいのに。
 ――いや、違った。
 僕はあれを、と感じ始めている……。
 瞼を閉じれば星々は消えた。けれど、快い土や草の香りと、僕を包む彼の香りが消えることはなかった。



 ほどよい時間で現実に帰還すれば、住み慣れたはずの部屋の違和感が凄まじかった。
 空腹を覚えて顔をしかめ、冷蔵庫に入れていた市販の弁当をレンジで温めて食べた。既に何度かダイブをしていたので、その日は一旦そこまでとなり、何をする気力も湧かずぼんやりと過ごした。
 夜になり、ベランダに出た。風が生ぬるい。今夜も地上の灯りに侵略され、黄土色の膜越しに見える夜空は、運が良ければポツポツと光が見えるぐらいで、すぐに興味が失せて室内に戻った。
 シャワーを浴びて、寝室のベッドにもぐりこもうとすると、思い出すのはデューラーの部屋。意外と子供っぽい笑顔。それから……。

 翌朝九時、朝食にコンビニのサンドイッチを腹へ入れた後、連絡をすれば高村はすぐに出た。毎度毎度、いつでもすぐに出られるということは、やはりこの男は暇なのではないか。
 実は自宅で仕事をしているのではなく、オフィスにいるのは間違いない。彼以外の社員が時おり、忙しく背後を通りかかるのが一瞬だけ映り、会話もかすかにマイクが拾っている。
 考えてみれば、この会社がメインで売り出していたファンタジーRPGが配信停止中なのだから、今は相当多忙なはずだ。高村がどういう立場の人間なのか首を傾げつつ、今日も《巡る世界の創生記》 の中に戻る。
 何もかもが鮮明で、圧倒的な濃度の『世界』に。

 僕はあれから、結局は野宿をしたことになるのか。ずっと同じ場所で目を開けたまま横たわっていたので、野宿と呼んでいいのかどうか。
 市門が見えてくると、そこをくぐる前に一旦現実へ帰還した。そしてクールタイムを置き、またここに戻った。……だんだん、この一連の流れが面倒になってきた。
 一日ぐらいの徹夜ではそんなに疲労が溜まらないと思うけれど、体力回復薬と魔力回復薬を飲んでおいた。睡眠を取らなかったので、やはり気付かぬうちに消耗が速まっていたらしい。想定以上に軽くなった身体に、二日連続の徹夜は厳禁だと肝に銘じて、ギルドに向かった。

「お帰りなさい、レンさん!」

 役人風の山羊族のギルド職員が、パッと嬉しそうな笑顔で迎えてくれた。
 野宿の可能性は伝えていたけれど、それでも心配してくれていたのだろう。
 午前六時、ちらほら獣人の姿が増え始めているが、たまたまトーマンの受付は空いている。

「ただいま、トーマン。五件分の依頼完了の報告をしたい」
「えっ、もうですか?」

 目を丸くする彼に頷くと、カウンターに置かれたマナクリスタルへ、いつものように手で触れる。

「――完了です。すごいですね、一晩で。スランプは脱したということですか?」
「おかげさまでな。ウッドイーター以外の魔物は素材が必要ということだったから、『収納空間』に入れてある。解体所に持って行こうと思うんだが、魔石の買い取りはそこでも可能か?」
「魔石もあるんですね。ええ、可能ですよ。解体職員に伝えて、獲物を渡した後はまたこちらに来てくださいね。確認後に報酬をお渡ししますから」
「わかった」

 ウッドイーター以外はすべて魔獣の討伐依頼で、毛皮や牙が必要という指定があった。解体所で職員にウッドイーターの魔石を渡し、獲物を台に置いて行く。
 どれも首を風魔法の『風の斬刃ウインドカッター』でスパスパスパッとやっていた。頭も胴も、もちろん全部持ち帰っている。巨大猪の件がショック療法になっていたのか、鼻が鈍ったわけではないけれど、だいぶ耐性がついてきたようだ。

「綺麗なもんだなあ。どれも状態がいいぜ!」
「無駄に傷付けないよう、魔法で拘束して倒した。それに『収納空間』に入れたものは劣化しないようだ」
「おお、そういやそんなこと聞いたことあるぜ! 便利でいいな!」
「おい兎の兄ちゃん、多分こいつとこいつは魔石持ってやがるぜ」
「そうなのか?」
「ちょいっとこいつら早めに解体しちまうからよ、そこで待っててくれや」
「わ、わかった」

 彼らは言葉通り、手早く解体して魔石だけを取り出してくれた。高ランクの魔物だと解体を慎重に行うので、報酬の受け取りが数日後になることもあるらしい。

「普通の小魔石だな。こいつも買取りでいいかい?」
「た、たのむ」
「どうした兄ちゃんよ、顔色悪いぜ」
「すまん……どうやら俺は、嗅覚が鋭いようで」

 耐性はついてきたが、まだまだ解体現場では平気でいられないと思い知った。修行が足りんな。
 解体職員に礼を言い、トーマンの元に戻った。僕の顔色の悪さをやはり突っ込まれ、正直に話すと同情された。彼も新人の頃は大変だったそうで、だいたい草食系の獣人は皆こうなるようだ。

「だから解体所に草食の職員はいないんですよ」
「無理もないな。絶対に仕事にならないぞ」
「――おっと、そうでした。お仕事の話をしなければ。すみませんレンさん、もう一度マナクリスタルに触ってもらえます?」

 言われた通りに触れると、トーマンはふむふむと頷いた。

「推奨ランクがBになってますね。依頼の達成率もいいですし、ランクアップの手続きをしておきます。これからは難易度BまたはCを受けるようにお願いしますね」
「わかった」

 別にランクアップはしなくてもよかったんだがな……。
 仕方ない。Cランクから地道に受けるとしよう。


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