僕と愛しい獣人と、やさしい世界の物語

日村透

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巡る世界

46. もう一人の兎への誓い

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 兎の装備品、手袋って少なかったんだよな……。
 基本的に生産職向けの装備ばかりが充実していて、戦闘兎向けの手袋があまりなかったんだ。
 だけど防御力が紙程度しかなくても、しておいたほうがよかっただろうか。この指輪にも破壊不可の特性があるから、壊れるのを心配しているんじゃなく、隠すために。
 でも視界を誤魔化したところで、ウォルの嗅覚は誤魔化せないか。

 気付けばフードが外れて、顔も晒している。色こそ同じだけれど、『レン』とは全然違う顔立ちだ。
 幻滅されるかな。騙された、こんなの詐欺だって責められたらどうしよう。
 もし嫌われたら……。

 僕の耳がへにょんとしおれた。この耳の動き、自分の意思じゃどうにもできないんだよ。犬族や狼族が、機嫌のいい時に尾を振るのを止められないのと同じだ。
 彼の視線が何をとらえているのか、訊かなくてもわかる。僕はぎゅっと左手を握りしめ、この手を背中に回して隠そうかどうか迷った。
 でも隠したって今さらだった。もう既に見られているんだから、そんな行動は火に油を注ぐだけだ。
 彼がいま怒っているのか、戦闘直後で気が立っているだけなのか判断がつかない。彼はずっと表情もなく無言で、頼みの綱の嗅覚も、たくさんのにおいが充満していてわかりづらかった。

「ガリオン! その実は全部回収しといてくれ。こいつの戦利品だ」
「お、おおう? りょうかーい」

 ウォルが指輪を見つめたまま、急に大声でそんなことを言った。向こうで返事をしたのは、獣人達の中心で指示を出しているあの獅子族。ガリオンさんていうのか。
 ところで実の回収? 戦利品って? こいつって僕のことだよね? ――ああダメだ、現実逃避している場合じゃないのに。こら僕の耳、何を元気にピンと立ってるんだ! こいつ現金な奴だなって呆れられるだろ!
 ウォルの視線が僕の耳に移った。あ、やっぱり少し呆れてる……。
 匂いでも表情でも「なんだコイツは」と言っているのがありありとわかった。どこかに穴があったら隠れたい。自分で掘ろうかな。

「……野外とおまえの部屋、落ち着くのはどっちだ」

 ピリついていた雰囲気をやわらげ、ウォルが唐突に尋ねた。

「え? ……じ、自分の部屋?」
「わかった。行くぞ」

 そう言うなり、彼は先に立って歩き始めた。

「あれ? デューラー、どこに……」
「シッ! 邪魔すんな」
「えぇ? でもあの兎さん……」

 イヴォニーとロルフのそんな会話が聞こえ、僕の片耳がぴくりと後ろを向いた。そういえばあの二人、どうしてあんなところにいたのかな。怪我はなさそうだけど――あったとしてもウォルの回復魔法で治ったか。
 それよりもウォル、行くぞって、どこに? 声をかけていいかもわからずに、僕は戸惑いながら彼のあとをついて行くしかない。
 何も言えず黙々と歩きながら、僕はふと、目を見開いた。

 ――切れている。
 あちらの世界との繋がりが、いつの間にか消えていた。

 とっくに一時間が過ぎていたんだ。
 試しに意識してみたけれど、ログアウトを問うメッセージは浮かばない。そもそも、どうやってシステムに呼びかけていたのか、あの感覚すら思い出せなかった。
 僕の中にある『向坂蓮こうさかれん』としての記憶も感情も何ひとつ失われてはいないけれど、あの世界とこの世界は、もう完全に切り離されているのがわかる。
 吉野さんが言っていたように、多分彼らはゲームを作っているつもりで、本当にどこかの異世界と――異世界の『何か』と接触してしまったんだろう。その『出入口』であったゲームが、あちらの世界で完全に消去されてしまったとしても、もはやこの世界には何ら影響がない。
 何故なら既に、ここは彼らの手を完全に離れた、独立した別の世界だったのだから。

 僕は目を閉じた。寂しさも悲しさも不安もなかった。
 僕はここにいる。ここが僕の世界。新しい故郷。
 どうしてか、それがわかった。

 今の僕にとって、怖いものはひとつだけ。
 目の前を歩く狼に、嫌われてしまうことだ。



 あの討伐に参加していた誰かが、僕らを追い越して冒険者ギルドへ報告に走っていたみたいだ。大物を少しでも無駄にしないよう、からっぽの荷馬車が何台も慌てて平原へ向かうのとすれ違った。
 のんびり歩いて帰ったからか、僕らがネーベルハイム市に着いた頃には夕方になっていた。
 結局あれから彼は何も言わず、僕は気まずい思いで、市門の手前からフードを被り直した。
 マナスポットが出現し、そこから大物が出たということで市内は大騒ぎになっていたけれど、ウォルと僕は隠形を使ってひっそりと騒ぎの横を通り過ぎた。

 どこへ行くんだろう、なんて、訊くまでもないことだった。彼はもう、僕が誰なのかを確信している。
 案の定、彼の足は宿場街へ向かい、やがて『レン』の時に借りた宿の建物が見えてきた。
 女将さんはこの時間帯、庭で洗濯物を取り込んでいる頃だろうか。勝手知ったる宿の、日が沈むまでは常に開けっぱなしの入り口を通り、すぐ左手側にある一階奥のドアの前で、初めてウォルが僕を振り返った。

「入るぞ?」
「う、うん。――あっ!」

 その時になってハタと気付いた。ノブに手をかけようとしたウォルの耳が僕の声に反応し、彼はもう一度振り返った。

「なんだ?」
「ごめん、僕、鍵を持ってない」

 鍵を持っていたのは『レン』だ。この部屋に入って鍵を閉めてからログアウトをした。
 説明しようがなくて困っている僕をよそに、ウォルは「なくしたのか?」とどうでもよさそうな顔で訊いたあと、答えを待たずノブに触れ、何故かそこに魔力を流した。
 ――カシッ、と鍵の開く音がした。
 ノブは僕の目の前で、何の抵抗もなくカチャリと回る。

 ……この人、殺人窃盗なんでもありな殺伐ゲームの出身でしたね、そういえば。
 侵入防止魔法があったなら、『侵入魔法』も存在したってことで合ってる!?
 あのゲーム、神聖魔法以外はほとんど見てなかったけれど、ウォルなら使えてもおかしくないよね!

「いい部屋だな」
「うん……」

 初めて『レン』の部屋に足を踏み入れ、彼は興味深そうにきょろきょろ見回している。
 複雑な気持ちを抱えながら僕も続いて入ったら、ふと彼が足を止めて床を見た。
 あ、『レン』の服だ。くしゃくしゃになって落ちている。『収納魔法』に入れていたアイテムも、全部床に転がっていた。もはや無意味な金属の棒と化した鍵も一緒に。

「あの、ウォル……」
「…………」

 彼は無言で僕の後ろに回り込み、ドアを閉ざして魔力を流した。そこから部屋全体に薄く魔力が走り、フッと掻き消える。
 僕は目をみはった。かけた瞬間を目の当たりにしたせいか、その魔法が何なのか説明されずともわかった。
 許可がない者の侵入防止魔法、それから防音魔法も同時にかけている。
 自分には絶対にできない高度な魔法に舌を巻いていると、ウォルがジ、と僕の目を見た。
 何を言われるのか怖くてたまらず、ビクリと肩が跳ねてしまった。

「まず、最初に言っておくぞ」
「う、うん……あっ?」

 彼はおもむろに手を伸ばし、怯える僕の腕を掴んで、ぐいと抱き寄せた。
 両腕で僕の身体を包み込み、そして魔力でも包んでくる。さらりと清涼な魔力は、汗や装備についた汚れを綺麗に取り除いてくれた。
 僕らの身体に染みついていた戦闘時の臭気も消え、そこには純粋なウォルの匂いだけが残る。
 温かくて、甘い……。

「最初だけじゃなく、後でまた何度でも言ってやる。俺がおまえに幻滅することも嫌うことも一生ない。だからそう怯えるな」

 低く優しい声でそう言うと、ずっと垂れていた僕の耳をはむ、と甘噛みした。
 その言葉に一片の偽りもないことを、感情を乗せた匂いでも伝えてくれる。
 さっきまでとは違う理由で胸を引き絞られ、視界がぼやけた。


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