47 / 99
巡る世界
46. もう一人の兎への誓い
しおりを挟む兎の装備品、手袋って少なかったんだよな……。
基本的に生産職向けの装備ばかりが充実していて、戦闘兎向けの手袋があまりなかったんだ。
だけど防御力が紙程度しかなくても、しておいたほうがよかっただろうか。この指輪にも破壊不可の特性があるから、壊れるのを心配しているんじゃなく、隠すために。
でも視界を誤魔化したところで、ウォルの嗅覚は誤魔化せないか。
気付けばフードが外れて、顔も晒している。色こそ同じだけれど、『レン』とは全然違う顔立ちだ。
幻滅されるかな。騙された、こんなの詐欺だって責められたらどうしよう。
もし嫌われたら……。
僕の耳がへにょんと萎れた。この耳の動き、自分の意思じゃどうにもできないんだよ。犬族や狼族が、機嫌のいい時に尾を振るのを止められないのと同じだ。
彼の視線が何をとらえているのか、訊かなくてもわかる。僕はぎゅっと左手を握りしめ、この手を背中に回して隠そうかどうか迷った。
でも隠したって今さらだった。もう既に見られているんだから、そんな行動は火に油を注ぐだけだ。
彼がいま怒っているのか、戦闘直後で気が立っているだけなのか判断がつかない。彼はずっと表情もなく無言で、頼みの綱の嗅覚も、たくさんのにおいが充満していてわかりづらかった。
「ガリオン! その実は全部回収しといてくれ。こいつの戦利品だ」
「お、おおう? りょうかーい」
ウォルが指輪を見つめたまま、急に大声でそんなことを言った。向こうで返事をしたのは、獣人達の中心で指示を出しているあの獅子族。ガリオンさんていうのか。
ところで実の回収? 戦利品って? こいつって僕のことだよね? ――ああダメだ、現実逃避している場合じゃないのに。こら僕の耳、何を元気にピンと立ってるんだ! こいつ現金な奴だなって呆れられるだろ!
ウォルの視線が僕の耳に移った。あ、やっぱり少し呆れてる……。
匂いでも表情でも「なんだコイツは」と言っているのがありありとわかった。どこかに穴があったら隠れたい。自分で掘ろうかな。
「……野外とおまえの部屋、落ち着くのはどっちだ」
ピリついていた雰囲気をやわらげ、ウォルが唐突に尋ねた。
「え? ……じ、自分の部屋?」
「わかった。行くぞ」
そう言うなり、彼は先に立って歩き始めた。
「あれ? デューラー、どこに……」
「シッ! 邪魔すんな」
「えぇ? でもあの兎さん……」
イヴォニーとロルフのそんな会話が聞こえ、僕の片耳がぴくりと後ろを向いた。そういえばあの二人、どうしてあんなところにいたのかな。怪我はなさそうだけど――あったとしてもウォルの回復魔法で治ったか。
それよりもウォル、行くぞって、どこに? 声をかけていいかもわからずに、僕は戸惑いながら彼のあとをついて行くしかない。
何も言えず黙々と歩きながら、僕はふと、目を見開いた。
――切れている。
あちらの世界との繋がりが、いつの間にか消えていた。
とっくに一時間が過ぎていたんだ。
試しに意識してみたけれど、ログアウトを問うメッセージは浮かばない。そもそも、どうやってシステムに呼びかけていたのか、あの感覚すら思い出せなかった。
僕の中にある『向坂蓮』としての記憶も感情も何ひとつ失われてはいないけれど、あの世界とこの世界は、もう完全に切り離されているのがわかる。
吉野さんが言っていたように、多分彼らはゲームを作っているつもりで、本当にどこかの異世界と――異世界の『何か』と接触してしまったんだろう。その『出入口』であったゲームが、あちらの世界で完全に消去されてしまったとしても、もはやこの世界には何ら影響がない。
何故なら既に、ここは彼らの手を完全に離れた、独立した別の世界だったのだから。
僕は目を閉じた。寂しさも悲しさも不安もなかった。
僕はここにいる。ここが僕の世界。新しい故郷。
どうしてか、それがわかった。
今の僕にとって、怖いものはひとつだけ。
目の前を歩く狼に、嫌われてしまうことだ。
あの討伐に参加していた誰かが、僕らを追い越して冒険者ギルドへ報告に走っていたみたいだ。大物を少しでも無駄にしないよう、からっぽの荷馬車が何台も慌てて平原へ向かうのとすれ違った。
のんびり歩いて帰ったからか、僕らがネーベルハイム市に着いた頃には夕方になっていた。
結局あれから彼は何も言わず、僕は気まずい思いで、市門の手前からフードを被り直した。
マナスポットが出現し、そこから大物が出たということで市内は大騒ぎになっていたけれど、ウォルと僕は隠形を使ってひっそりと騒ぎの横を通り過ぎた。
どこへ行くんだろう、なんて、訊くまでもないことだった。彼はもう、僕が誰なのかを確信している。
案の定、彼の足は宿場街へ向かい、やがて『レン』の時に借りた宿の建物が見えてきた。
女将さんはこの時間帯、庭で洗濯物を取り込んでいる頃だろうか。勝手知ったる宿の、日が沈むまでは常に開けっぱなしの入り口を通り、すぐ左手側にある一階奥のドアの前で、初めてウォルが僕を振り返った。
「入るぞ?」
「う、うん。――あっ!」
その時になってハタと気付いた。ノブに手をかけようとしたウォルの耳が僕の声に反応し、彼はもう一度振り返った。
「なんだ?」
「ごめん、僕、鍵を持ってない」
鍵を持っていたのは『レン』だ。この部屋に入って鍵を閉めてからログアウトをした。
説明しようがなくて困っている僕をよそに、ウォルは「なくしたのか?」とどうでもよさそうな顔で訊いたあと、答えを待たずノブに触れ、何故かそこに魔力を流した。
――カシッ、と鍵の開く音がした。
ノブは僕の目の前で、何の抵抗もなくカチャリと回る。
……この人、殺人窃盗なんでもありな殺伐ゲームの出身でしたね、そういえば。
侵入防止魔法があったなら、『侵入魔法』も存在したってことで合ってる!?
あのゲーム、神聖魔法以外はほとんど見てなかったけれど、ウォルなら使えてもおかしくないよね!
「いい部屋だな」
「うん……」
初めて『レン』の部屋に足を踏み入れ、彼は興味深そうにきょろきょろ見回している。
複雑な気持ちを抱えながら僕も続いて入ったら、ふと彼が足を止めて床を見た。
あ、『レン』の服だ。くしゃくしゃになって落ちている。『収納魔法』に入れていたアイテムも、全部床に転がっていた。もはや無意味な金属の棒と化した鍵も一緒に。
「あの、ウォル……」
「…………」
彼は無言で僕の後ろに回り込み、ドアを閉ざして魔力を流した。そこから部屋全体に薄く魔力が走り、フッと掻き消える。
僕は目を瞠った。かけた瞬間を目の当たりにしたせいか、その魔法が何なのか説明されずともわかった。
許可がない者の侵入防止魔法、それから防音魔法も同時にかけている。
自分には絶対にできない高度な魔法に舌を巻いていると、ウォルがジ、と僕の目を見た。
何を言われるのか怖くてたまらず、ビクリと肩が跳ねてしまった。
「まず、最初に言っておくぞ」
「う、うん……あっ?」
彼はおもむろに手を伸ばし、怯える僕の腕を掴んで、ぐいと抱き寄せた。
両腕で僕の身体を包み込み、そして魔力でも包んでくる。さらりと清涼な魔力は、汗や装備についた汚れを綺麗に取り除いてくれた。
僕らの身体に染みついていた戦闘時の臭気も消え、そこには純粋なウォルの匂いだけが残る。
温かくて、甘い……。
「最初だけじゃなく、後でまた何度でも言ってやる。俺がおまえに幻滅することも嫌うことも一生ない。だからそう怯えるな」
低く優しい声でそう言うと、ずっと垂れていた僕の耳をはむ、と甘噛みした。
その言葉に一片の偽りもないことを、感情を乗せた匂いでも伝えてくれる。
さっきまでとは違う理由で胸を引き絞られ、視界がぼやけた。
1,631
あなたにおすすめの小説
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件
表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。
病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。
この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。
しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。
ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。
強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。
これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。
甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。
本編完結しました。
続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください
俺がこんなにモテるのはおかしいだろ!? 〜魔法と弟を愛でたいだけなのに、なぜそんなに執着してくるんだ!!!〜
小屋瀬
BL
「兄さんは僕に守られてればいい。ずっと、僕の側にいたらいい。」
魔法高等学校入学式。自覚ありのブラコン、レイ−クレシスは、今日入学してくる大好きな弟との再会に心を踊らせていた。“これからは毎日弟を愛でながら、大好きな魔法制作に明け暮れる日々を過ごせる”そう思っていたレイに待ち受けていたのは、波乱万丈な毎日で―――
義弟からの激しい束縛、王子からの謎の執着、親友からの重い愛⋯俺はただ、普通に過ごしたいだけなのにーーー!!!
僕だけの番
五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。
その中の獣人族にだけ存在する番。
でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。
僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。
それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。
出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。
そのうえ、彼には恋人もいて……。
後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。
世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました
芦田オグリ
BL
「ずっと、ずっと好きだった」
魔王討伐の祝宴の夜。
英雄の一人である《盗賊》ヒューは、一人静かに酒を飲んでいた。そこに現れた《勇者》アレックスに秘めた想いを告げられ、抱き締められてしまう。
酔いと熱に流され、彼と一夜を共にしてしまうが、盗賊の自分は勇者に相応しくないと、ヒューはその腕からそっと抜け出し、逃亡を決意した。
その体は魔族の地で浴び続けた《魔瘴》により、静かに蝕まれていた。
一方アレックスは、世界を救った栄誉を捨て、たった一人の大切な人を追い始める。
これは十年の想いを秘めた勇者パーティーの《勇者》と、病を抱えた《盗賊》の、世界を救ったあとの話。
小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
神獣様の森にて。
しゅ
BL
どこ、ここ.......?
俺は橋本 俊。
残業終わり、会社のエレベーターに乗ったはずだった。
そう。そのはずである。
いつもの日常から、急に非日常になり、日常に変わる、そんなお話。
7話完結。完結後、別のペアの話を更新致します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる