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交流を深めましょう
32. オヤジ達の人生相談
しおりを挟むところでリシェルは、味覚の『甘い』を理解していた。ということは、ヴェルク邸での生活では、甘い料理も出ていたということだろうか?
訊いてみれば、意味合いがかなり違っていた。公爵令息たる者、甘い・からい・しょっぱいの違いぐらい理解しておかなければならないと、授業の一環で出されていたのだ。
お子様のリシェルは『甘い』ものが大好きだったけれど、ひと口食べただけで、残りは全部目の前で使用人に食べられてしまったらしい。
ま、じ、で、おまえら小学生からやり直せ! って言いたいわ。
強制労働――あるいは怪しげなダンスレッスン――で魂を燃やし尽くして、今度は真人間に転生するがいい。
俺の古傷がうずくわぁ……。母上様に悪人を成敗してもらうあの日以前、甘いものを食べたのは記憶にある限り三歳ぐらいだったかな? なのに、実は俺用のメニューには毎回デザートも含まれていたっていうんだから。
全部、今は監獄にいるあいつらの腹におさまっていたわけだね。
楽しい朝食を終えたら、三人それぞれお勉強の開始だ。三人とも進み具合が違うもんで、一緒にお勉強とはならないけれど、昼食も一緒に食べようということになった。
お姉様はこれまで母上様がスパルタだったから、一般的な貴族令嬢とは比較にならないぐらい授業が進んでいる。現在はゆとりが出来て、お好きなピアノの授業も再開したと喜んでいるけれど、内容を聞いてみたらそれでも凄まじい授業量だった。
今までがキツキツだった分、少し減らしただけでも楽に感じる比較の罠。それを難なくこなされているお姉様、素敵です。
一番授業が遅れているのは、やはりリシェルだ。内容が偏っているし、わざと出来なくなるように仕向けられていたふしもあったので、特にマナーや一般教養は基本からじっくり教え直されることになった。
それでも以前の教師より遥かに優しく教え方も巧いということで、リシェルは授業をそれなりに楽しみつつ、やる気になって頑張ってくれているらしい。
いつか俺のおよめさんになる時、恥ずかしくない大人になりたいから、なんだと。
く……俺のおよめさん、か……。
ぐおぉ……可愛いを叫びてぇ……。
我慢しようとすると表情がフリーズし、そのたびにミッテちゃんが嘴で突っついて正気に戻してくれるのだが、今日は足でチクチクと顔面を刺された。ヒヨコキック、そんなに痛くはないけれど心が地味に痛いです。
「いつも突っついてばかりでは、私の口がすり減ってしまいますよっ」
ピヨッ! と怒られてしまった。
それは大変だ。ならキックで妥協するわ。
しかしどうも、俺は自分の身体が六歳になっているせいか、好みや感覚が『俺』に比べて実年齢寄りになっている気がする。アデリナお姉様にしても、今は俺よりずっと大きいものだから、年下の女の子という感覚があまりない。お姉様が大人びているという点を除いても、ちゃんとお姉様という感じがしている。
リシェルに関しては、自分より一~二歳ぐらい年下の子に見えていた。実際はひとつ上なんだが、俺より小柄だからそう見えている。そして、『親子ぐらい離れた年下の子』にはまったく見えない。人格は完全に『俺』なのに、そういう感覚は本来の『ランハート』のままというのが、少々不思議な感じだった。
「失礼いたします、ランハート坊ちゃま。……あのお方が、また……」
「またか」
知らぬ間に虐げられていた息子に、今さらどう接すればいいかわからず柱の陰からコソコソ見守りたがるオヤジが一匹。
発見次第俺に報告が来て、追い払うのはもう何回目だろうか。
リシェルが怯えるし先生も緊張するからやめろっつってんのに懲りねぇな。
そして今日もまた俺が出動しますよ。俺の授業の進捗、マナーと音楽以外は一番先へ行っているからね。八歳のお姉様に負けていたら、社会人『俺』の記憶が泣くよ。
そして俺は今日もまた、うざい義父上様の背後から声をかけてお茶に誘うのだった。
「ダメだと何度申し上げればわかるんですか」
「それは、わかっているのだが……」
接近禁止は母上様公認なので、遠慮なく妨害させてもらっている。そのたびに俺の部屋で茶を飲みながら、何故か親より五歳ぐらい年上のおっさんから人生相談を受けている俺。
「リシェルは返しませんよ。返せると思っていませんよね、まさか」
「それも、重々わかっている」
義父上様はリシェルを一時我が家へ預けるだけのつもりでいたようだが、自宅の病んだ内情を知り、いくらなんでもあれでは連れ帰ることはできないと悟ったようだ。
ヴェルク邸の病巣は、上位の使用人のほぼ全員に及んでおり、それをごっそり取り除いたからといって、まだリシェルにとって安全な場所とは言い難い。そうでなくともあの子に強烈なトラウマを植え付けた場所であり、おまけに人手不足だ。
結局は弟のルーディが優先され、満足な世話を受けられず、あまり好転していない状況下で独りぼっちにされる。そうなるのが目に見えている場所に、今さらあの子を返せとは義父上様も言えないのだろう。
「リシェルが今より大きくなって、あなたに会っても構わない気持ちになれたら、その時は止めません。でも今はダメですよ。強引に会おうとしても、溝が大きくなるだけですからね」
「……ああ」
茶を飲みながら、今日もまた溜め息をつくオッサン。このやりとり、何回目だったかなぁ。俺も溜め息をつきたくなっちゃうよ。
義父上様の後悔は、『俺』の上司が口にしていた後悔とそっくりだ。
そのうち時間ができれば子供を構うからと、子育てを全部奥さんに任せきりにしていたら、いつの間にか子供が大きくなっていて、全然甘えてくれなくなっていたと。そんで、家事も育児も何ひとつ協力してもらえなかった奥さんからは、塩対応されるようになったと。
男は家事なんて得意じゃない生き物なんだ! というのが上司の言い分だったが、そんなわけがあるか。親父は家事も育児もこなしたシングルファーザーだし、『俺』もガキの頃には自力で弁当を作ってたんだぞ。
心の中では「アンタの自業自得っすよ」とお答えしつつ、口では「切ないですねぇ」と共感ぶりっこするのが社会人というものだ。
だがしかし、あいにく義父上様は俺の上司ではない。
「使用人にリシェルの様子を尋ね、健康面に問題はないと確認しただけで満足する。顔を見に行くでも、声をかけるでもない。実際リシェルと言葉を交わしたのは、この数年で数えるほどもなかったんでしょう? あなたにとって『たかが数年』は、僕らにとって『たかが』ではないんです」
たまに話した時も毎回、「家のために今後も精進せよ」みたいな言葉で締めくくっていたそうだ。
当主が息子へかける一般的なセリフではあるが、それは息子が正しくその家の子として大切にされていなければ、決してかけてはならない言葉だ。
リシェル本人に訊いてみれば案の定、彼はその言葉が命令に聞こえて怖かったそうだし、元使用人どもも「お家のために尽くすことだけがおまえの価値だ」とプレッシャーをかけまくっていたそうだ。
「すぐにでも会って親子の関係を修復したいというのは、あなたの独りよがりでしかありません。戻すべき親子関係すら、最初から無かったんですよ。新たに良い関係を構築したければ、あなたも我慢してください」
「そう……だな……」
リシェルは物心ついてからずっと耐えて耐えて耐え抜いたんだから、あんたも『たかが数年』ぐらい耐えろっての。
そんな感じで人生相談を重ね、数日後に義父上様はヴェルク領へ戻ることになった。母上様からの耳に痛過ぎる忠告を胸に、今後の体制を見直してゆくという。
見送りのために玄関ホールへ集まったムスター家の家族の中に、リシェルの姿はない。
俺は前日、あの子の意思を確認していた。
『会いたくなければ会わなくていい。リシェルの自由だ。どうする?』
『…………』
リシェルの顔から感情が消え、無機質な人形みたいになった。
彼は自分が今まで何をされていたのか、父親が自分のことを本当はどう思っていたのか、どうして自分があんな目に遭っていたのか、もう全部知っている。
はじめは半信半疑だったし、理解した今でも、悪夢のように現実感がないらしい。
寝室に待機する当番の者によれば、リシェルは俺がヴェルク領から戻るまで、ほぼ毎夜のようにうなされて飛び起きていたそうだ。その時は昼寝の時間を長めに取り、睡眠時間は確保してくれたようで、今はかなり減ったけれど、まだ時々報告が来ている。
リシェルは無言で、首を横に振った。
だから彼は、見送りの中には含まれていない。
義父上様も覚悟していたようで、その面からはぐだぐだオヤジの気配が消え、今後を見据える当主の目になっていた。
「これまでの数々の非礼をお詫びする、ムスター夫人。ランハート殿も迷惑をかけた」
「いいえ。これからはヴェルクが良い方向へ進めることをお祈りしております」
「わたくしのことはイゾルデで結構ですよ。こちらもレナード殿とお呼びしますから、何かご相談事があればいつでもどうぞ」
「うむ、イゾルデ殿。二人には重ねて感謝する。それとヨハン殿。『政略で結婚させられたのだから大切に思えずとも仕方がないのではないか』という貴殿の意見には賛同しかねる」
ギクリと顔を引きつらせる緑頭のオヤジが一匹。おめぇ、いつの間に。
「私と妻は子供の頃に祖父が決めた政略結婚だったぞ。意に添わぬ相手であろうと、せめて尊重はすべきだ」
「あ、はは……そう、ですね……」
義父上様のこれ、わざとじゃないんだよなぁ。扇子で口元を隠した母上様、氷点下の目元がとっても麗しいです。
今後の協力関係をしっかりと約束し合い、ヴェルクの騎士に守られた義父上様の馬車が見えなくなった後、我が家では玄関ホールの床で『お座り』をさせられている当主がいましたとさ。
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