竜の毒

日村透

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9. 昔話

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「ロシータ様は、陛下がどのような幼少期を過ごされ、どのような経緯があって即位されたのかはご存じでしょうか?」
「……私の知っていることなど、さほどありません」

 目を合わせぬまま答えるロシータに、ギジェルモ司教は頷いて言葉を続けた。

「昔の陛下は、今の陛下のようではなかったのです。ほがらかに笑う御方だったのですよ」



 リカルドは幼い頃から文武両道で知られ、見目麗しく、そして性格の明るい皇子だった。
 皇帝夫妻は自慢の息子を可愛がっており、誰もが彼の将来を楽しみにしていたのだが……
 ある日、皇帝夫妻が流行り病で他界。リカルドはたった十四歳の若さで帝位を継がねばならなくなった。

「私も陛下の相談役として、常に若き皇帝をお支えしてまいりましたが、陛下に降りかかった困難の数々すべてからお守りすることは叶わなかったのです」

 あまりにも若い皇帝を誰もが侮り、時には本人が目の前にいても鼻で嗤う者がいるほどだった。
 ゆえにリカルドは誰よりも厳しく、恐ろしい皇帝になる必要に迫られたのだ。
 そうしていつしか、冷酷で血を好む性質の皇帝が出来上がってしまった。

「少年期からそのような過酷な日々を過ごされたため、疲れ果て、人としての心が削ぎ落ちてしまったのでしょう」

 リカルドが二十歳はたちにもならない頃だ。
 この年齢になれば、当然のように婚姻の話が出てくる。
 彼は日頃からそれに乗り気ではなく、周囲があまりにうるさく騒ぐもので、とうとうその話題を出すことを禁じた。
 ところが、それを破った者がいた。

『聖竜皇国の未来のため、民のため、何より陛下の御為に申し上げておるのです。そのようにお子様じみたかたくななことを仰るものではありません。幾久しい民の安寧のために、どうかお妃様をお迎えください』

 その男が勝手に選んで挙げた皇妃候補の名は、その男の親族だった。
 一人が抜け駆けをすると、ほかの者も「我も我も」と押し寄せる。せっかく話題を禁じて静かになったのに、ほんの数日だけの平穏だった。
 やがて彼らは皇帝そっちのけで皇妃候補選定の会議を行うようになり、ようやく十名ほど決まると、皇帝の前にずらりと集まった。

『どうぞ、この中よりお選びください』

 謁見の間で膝を突く彼らを見下ろし、リカルドはふわりと微笑んだ。
 おもむろに立ち上がると、献上品の目録のように紙を捧げ持っている男の前に立つ。

『初めにこの話を蒸し返したのは、おまえだったと記憶しているが』
『陛下。これは陛下のため、皇国の未来のために必要な――』

 それが男の最期の言葉になった。
 皇帝の剣が赤く塗れ、男の首がごとりと落ちる。

『私は話題にすることを禁じた。それをこの者は堂々と破った。皇帝たる者の言葉を軽んじ、秩序を無視しておきながら、皇国の未来、民の安寧だと? そして選んだ候補とやらは、どうせ全員きさまらの娘か親族、ゆかりある娘であろうな』

 唇の端に笑みを乗せているが、目は笑っていない。
 幼子に言い聞かせるような声音が、いっそう薄ら寒い恐怖をき立てた。

『へ、陛下……』
『お、お許しを……ご慈悲を!』

 数分後、謁見の間は彼ら全員の血で染まった。



「血みどろの皇帝という印象を、あの出来事が決定付けてしまったのです。ですが、陛下だけに非があるのではありません。事実、あの者達が選んだ者は、すべて己の娘や親族の娘でした。影響力を持つ娘を陛下のお傍に送り込まんと、陛下を無視して強引に推し進めていたのです」

 リカルドが根負けすればこっちのもの。彼らはそう思っていた。

「陛下はそれを謀反と断じようとなされたのですが、そこはわたくしがお止めしました。暴走した者達は自業自得でありましょうが、一族郎党すべてが死罪となれば、無関係の者達があまりに哀れでございますので」

 そこまでこだわりがなかったのか、およそ十名の見せしめだけで充分と判断したか、リカルドはただの命令不服従への減刑で納得した。
 それ以来、皇帝に妃の話を蒸し返す者はいない。

「……何故そのような話を、私に?」

 ロシータの感情のこもらない問いに、ギジェルモ司教は詫びた。

「妙な意図はございませんので、内容が誤解を招いたのでしたらお詫びいたします。あなた様を陛下のお妃様にと望んでいるわけではなく、ただ、あの御方についてお話しする際には避けて通れぬ話題だったのです」
「それでしたら、別に構いません」
「寛容なお言葉、感謝いたします。……要は年寄りの、つまらぬ感傷でございますよ。陛下はあなた様がいらしてから、いつになく楽しそうにしておいでです。つい最近まで、何もかも飽いて膿んだ目をなさっておりましたのに」

 ギジェルモ司教は少し言葉を切り、慎重に尋ねた。

「一度あなた様の世界へお戻りになったあと、またこの世界に来ていただくことはできませんかな?」

 そこで初めてロシータは立ち上がり、おせっかいな老人を見もせずに答える。

「考えておきます」



   ◇  ◇  ◇ 



 教会区から離れ、ロシータは小さく息を吐いた。
 すべて知っている話だったのだ。聞き飽きて、新鮮味などこれっぽっちもない。

(空振りだった。この世界のギジェルモ司教は、あれの存在を知らないの?)

 竜にまつわるものの気配、匂い、予感めいたもの。
 ギジェルモ司教や、小声の会話が聞こえない程度の距離で控えていた司祭達、それに教会内部まで集中して探ってみたのに、何も引っかからなかった。
 気配だけでなく、ギジェルモ司教の声の抑揚にも耳を澄まし、慎重に様子を窺ったのだが、どうやら彼は本当に心当たりがないようだ。

 ギジェルモは知っているはずだったのに。まだあれの存在を知る時期に来ていないか、もしくはあちらの世界との誤差なのか。
 変に興味を持たれないほうが安心できるとはいえ、進まない宝探しに暗澹あんたんたる気持ちになった。


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