陽廻りの書

日村透

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スリルを求める流行

15. プライドの高い使用人

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「――私の時間をどれだけ無駄にしてくれれば気が済むのかね? さっさと繋げと言っているだろう。こちらは忙しいんだ」

 ……ああ、またやっている。
 新聞から顔を上げると、シャーロットと目が合った。
 粘ついて耳に残るさげすみの声は、扉の外から聞こえてくる。

「『ですが』も『しかし』も必要ない。こちらの質問にだけ答え、要望だけを聞いていればいいんだ。そのぐらいわからんのか?」

 ソーンだ。玄関の近くで誰かと話している。
 相手の声は聞こえない。
 ウィルフレッドの言っていた、この部屋の数少ない『難点』だ。
 普通の話し声や物音であれば、そこまで意識に引っかからない。だが逆らえない者を精神的にいたぶろうとする声は、ざりざりと神経を逆撫でしながら耳にこびりつく。

「そうだ、さっさとそうすればいいんだ。愚図が……」

 オリヴァーは立ち上がった。
 シャーロットの溜め息を聞きながら、彼女の横を通り抜けて扉の前に立つ。
 足音を忍ばせずとも、靴音は絨毯じゅうたんが消してくれる。ノブに手をかける時だけ少々気を使った。

 慎重に回して、ゆっくりと手前に引く。
 まず見えたのは、オリヴァーの部屋のすぐ手前に置かれている大きな花瓶だ。玄関側から見れば、さりげなく目隠しの役割を果たしている。
 それから、玄関扉からさほど離れていないところに、黒い上着の背中を見つけた。
 ソーンだ。彼は壁を見ながら話している。
 今度は先ほどと別人のように声のトーンを変え、手元で何かメモを取ると、礼儀正しく会話を終えた。

(電話だ)

 ソーンがくるりと振り返った。そこで、オリヴァーと目が合う。

「…………」

 見られていたことを知っても気にする様子はなく、ソーンはおざなりな会釈をした。
 そして特に詫びを口にするでもなく、向こう側の廊下に姿を消す。
 オリヴァーは鼻白んだ。

(今日も陰険な奴)

 ソーンにとってオリヴァーは、下宿人であって『客』ではなかった。
 あのプライドの高い上級使用人の基準では、オリヴァーは敬意を払うに値しない人間に分類されている。それをこの一ヶ月の間、態度でも表情でも何度も示されていた。
 もちろんソーンのふるまいは、間違いではないが正しくもない。
 下宿人は永遠に下宿人のままではなく、ソーンはこの館の『使用人』なのだ。

(ここを出た時、己のふるまいが外でどう言われることになるのか、少し頭を働かせたらわかるだろうに)

 どうしてあの男は、オリヴァーよりも自分のほうが偉いと思っているのだろう?
 鼻から息を吐き、ドアを閉じようとしたところで、ふとその壁の機器が目に入った。
 たった今まで、ソーンが立っていた場所にあるもの。

 電話。
 この館では玄関扉の近く、柱の陰に設置されている。
 初めてこれを目にした瞬間、オリヴァーはぎょっとしたものだ。
 奇妙な異国の木彫り像が置かれていると錯覚したのである。
 けれどよくよく見つめると、それは木製の棚とも箱ともつかないものだった。そしてその正体が『電話』と呼ばれる最先端の道具だと気付き、衝撃とも感動とも言えない何かが胸に押し寄せた。

 ――遥か遠くにいる人間が、まるでそこにいるかのように会話ができる機械。

 限界まで見開いた両目のように見えたのは、ベルだ。
 金属製のタンブラーの底を口にくわえ、ひょうきんな顔をしていると思わせたのは、送話器と呼ばれる装置。
 ソーンはさっきまで、この固定式の送話器に向かって話しかけていたのだ。

 電話機自体が高価で、これは民間での契約者がまだ数百名しかいないとウィルフレッドは言っていた。
 そんな素晴らしい発明品に、あんな陰湿な嫌味を吐き続けていたとは、発明家の努力と進歩への冒涜としか思えない。
 今度こそドアを閉じると、そのタイミングでシャーロットが言った。

「電話でしたか?」
「ああ。相変わらず、自分の性格が悪いという自覚はなさそうだ」
「最初に難癖をつけていた相手は、きっと交換手でしょうね。『婦人日報』で女性の花形職業と書かれていましたから」

 オリヴァーは頷く。
 ソーンがウィルフレッドの前では決して出さない口癖は、「女ごとき」だ。

「あの人はここに来た時からずっとああなんですよ。雇われたのは何年も前なのに、私達とは今も親しくなる気がないんです。マディもドロシーもあからさまに見下されているんですけれど、仕事はきちんとしている人なので」

 ウィルフレッドや『客人』の前では完璧にふるまう。
 勤務態度が悪いわけではなく、むしろ勤勉で、己の仕事はきっちりこなす。
 だから仮に他の使用人が訴えても、ウィルフレッドが注意することはできない。

「あの人がいたらその場の空気が悪くなりますし、どうにかしてほしいと思いはしますけれど。私達が我慢すればいいだけですから」

 仕方ありません、と呟く声には、当たり前だが不満の響きがあった。
 ソーンの褒められたものではない言動は、オリヴァー自身何度も味わっている。

(ウィルフレッドにひとこと言ってみるか)


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