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薄れやすい現実感
34. ネッド
しおりを挟む世情に明るく、人々の求めるものに敏感で、『売れる』ネタをいち早く察知できる人間がもうひとりいた。
ネッド・コールマンだ。
しばらくどこかの田舎に隠れている予定だったジェイムズが、一ヶ月も経たないうちに舞い戻った。
何事かと訝るネッドに、彼は分厚い原稿を渡し、語り始めたのは『正体不明の神秘学者』の構想。
原稿に目を通しながらその話を聞き、ネッドは確信した。
(売れる)
以前は知識階級の趣味に限定されていたオカルト主義の波は、人々の識字率の向上に伴い、どんどんその範囲を拡大している。
この先も市場が大きくなると予測され、何より読者は『正体不明』に弱い。
この手法を使っている著者は、ネッドの知る限り現時点では誰もおらず、内容も既存の書籍とは一線を画しているため、差別化にもなるはずだ。
その内容とは、いわば『教授』の半生を描いた自伝のようなもの。つまりは架空の主人公が、自分で自分の物語を書いているに等しい。
科学では説明のつかない神秘的な何か、それについて綴る指南書めいた自伝の体裁を取っておきながら、実態は小説である。
問題はこれが、読むに堪える読み物になっているかどうかだが……
(いける。いつもの記事の書き方を応用したんだな)
ネッドはにんまりと笑った。
読者好みの記事を研究し、読みやすくセンセーショナルな文を書くことは、ゴシップ記者の十八番だ。
それを『とある神秘学の教授』という登場人物の性格設定に合わせ、知的で上品で、押しつけがましさを抑えた文章にしてある。
「教授の名はどうする?」
「そうだな……『ヘリアントゥス』ってのはどうだ?」
「それでいいだろう。原稿量も申し分ない。校正と挿絵画家を急いで手配する」
書き上げたものが書籍になるまでの期間は、半年から二年ほどと大きく差がある。
しかしこういう初の試みは、ほかの人間が先にやってしまうと台無しだ。グズグズしているとネタを盗まれる恐れもあるから、遅くとも数ヶ月以内には世に出せるよう、急ピッチで進めなければ。
目立ってはいけないので頻繁にとはいかないが、定期的に打ち合わせを行う約束を交わし、ジェイムズはグレイウッドに戻った。
謎の教授による初の自伝が世に出るまでの数ヶ月、ジェイムズはその少年『オズワルド』と友人関係を続けながら話を聞き出し、早くも続編を手掛けていた。
その教授の人物像は、どうやらジェイムズの想像する『数十年後のオズワルド』なのだ。
教育を与えられ、大きな館に住み、使用人に指示を出しながら生活する、上位の人間として育った『オズワルド』。
同じ文章を書く職業でも、記者と小説家は違う。
後者はそこに登場する数々の人物を、自分の頭で考えねばならない。
記事を書けることと、物語を書けることは別問題であり、だからネッドも記事の文面ならばいくらでも考え付くが、物語は思い付かなかった。
そしてそれはジェイムズも同じ。
彼の物語は『オズワルド』というキャラクターありきなのだ。厳密に言えば、『オズワルドの語る物語』が欠かせない。
その少年の語る言葉を、その不思議な内容を、ジェイムズは自力で思い付くことができないのだから。
目論見通り、『ヘリアントゥスの書』は瞬く間に評判となった。
ネッドは大ボスであるエドワード・ターナーにのみ教授の正体を明かし、エドワードはジェイムズの今後の活動について、ネッドに一任してくれた。
ただしオズワルドの存在を明かしてはいない。もし知られたら、きっとエドワードはその子に興味を覚え、ジェイムズのアイデアの源泉が取り上げられてしまう。
「とはいえ、いつまでもそのままというわけにはいかんだろう。あとでエドワードが知ったら、儲け優先で子供を放置したのかと怒るぞ」
あの村でオズワルドは孤立している。その孤独から、大人の気を引こうと作り話をひねり出しているうちに、虚構と現実の区別がつかなくなってしまっているのだ――ネッドもジェイムズもそう考えていた。
そしてエドワードは「子供は学校に行かせろ」という主義であり、労働者階級の義務教育を推し進めている下院議員と仲が良い。
「それについちゃ考えがあるのさ」
以前よりも上等なスーツを着たジェイムズは、ネッドにニタリと笑いかけた。
いきなり大金が入った人間の多くは、それをいとも簡単に浪費してしまう。
根本的に上手な金の使い方、貯め方を知らない者ほどそうなる傾向があり、ジェイムズはその点について驚くほど慎重だった。
なのにある日、グレイウッドにある貴族の別荘をポンと購入。
「おいおい」と驚くネッドだったが、かかった費用を耳にして考えを改めた。
田舎は地価が安い。
都市部はどんどん地価が高騰し、逆に農村部は下落傾向が続いている。
レッドフォードにそこそこの民家を建てる額と、田舎に豪邸を建てる額がほぼ変わらないのだ。
さらにジェイムズはネッドに弁護士の手配を依頼し、オズワルドの出生日について調査させた。
「もうすぐ八歳? ってこたぁ、俺があいつと会った時は六歳だったってことかよ」
「酷いとこは四、五歳から働かせるからなぁ。その場合でも親に給金が払われるもんだが」
「誰も払ってねえよ、いねえんだから。――村の奴ら、そのうち青ざめることになるだろうぜ」
同時にジェイムズは使用人も集め始めた。
かつては上流階級の人間に仕え、事情があって職を失い、行き場をなくした者ばかりを。
「おいおい。おまえさんもしかして、教授を育てる気か?」
呆れるネッドに、ジェイムズはからりと笑った。
「そんなんじゃねぇよ。あいつが慣れた頃に種明かしして、びっくりさせてやるのさ」
「さんざ利用しといて、意地の悪い」
「だから礼をするんだろ? おまえのおかげで儲かったぜ! ってな」
ネッドに苦言を呈されてもジェイムズは気にせず、悪さを仕掛ける子供のようにカラカラと笑った。
――しかし、種明かしが実行されることはなかった。
(あの時はまだ、陽気に笑ってた)
ジェイムズの様子は少しずつおかしくなっていき、いつしか隠遁生活を送るようになってしまったのだ。
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読んでくださってありがとうございます。
次回がソーン、その次に主人公のターンに戻ります。
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