陽廻りの書

日村透

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薄れやすい現実感

35. ソーン

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 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

 本日、間に合えば2話目も投稿予定です。

※初っ端から陰険に飛ばしていますので、2話目の投稿後にまとめ読みをしていただくのがいいかもしれません(汗)

----------------------------




『レッドフォード中央交換台です。番号をお願――』

「長い!」

『……はい? 申し訳ございませんが――』

「はい? ではないだろう。前回かけた時はもっと早く交換手が出たぞ。待たせておいて最初に出るのがそんな間抜けでくだらない言葉かね」

『大変失礼いたしました。恐れ入りますが、番号を――』

「どうでもいいからさっさと繋げ。おまえの謝罪など何の意味もない、こちらは忙しいんだ」

『かしこまりました。お繋ぎいたしますので、番号をお願いいたします』

「前回かけた相手だ」

『恐れ入りますが、もう一度番号をお願いいたします』

「……私の時間をどれだけ無駄にすれば気が済む? 頭の悪い女どもが、花形とちやほやされていい気になっているのではないか? しょせんおまえ達など、座って喋っているだけでいいのだから気楽なものだ。言ってやるからさっさと繋げろ」

『…………』




 数分後、ソーンはコートを着込んで帽子を被った。
 ターナーの家政婦と下宿人の家政婦、両方から物言いたげな視線を感じる。きっと「頭の悪い女ども」と言い放った瞬間を耳にしていたのだろう。

(だからなんだ。事実を口にして何が悪い)

 この館の使用人どもと馴れ合う気はない。
 フォローのひとつもせず、彼は館の玄関を出た。
 ウィルフレッドはいつも通り外出している。ソーンが長時間出かけられるのは、このタイミングしかない。
 通りに出て辻馬車を拾い、電話の相手から聞いた待ち合わせ場所を告げる。
 乗り込んですぐに車輪の音が響き始め、ソーンは薄暗く濁った景色をむっつりと睨みつけながら、今も不便に耐えているであろう己の主人を思い浮かべた。

 グレイヴ子爵。
 それがずっと昔から、仕えている人物である。

 あの家がまだ栄光に満ちていた頃、ソーンは下っ端の使用人として働き始めた。
 下っ端でも主人は貴族であり、それに相応しくあるよう躾けられている。用を言いつけられて外に出た時、人々は『あの』子爵家の使いとして丁重な対応をした。
 それがなんと誇らしく、心地よいことであったか。

 いつか、この輝かしい家を管理する頂点に立ちたい。
 すべての使用人が敬意を払い、大勢の人間が一斉に動く景色を見たい。
 若い頃に芽生えた夢は、努力に努力を重ねた結果、あと一歩で手が届くところまできていた――それなのに。

(ターナーのせいだ。何もかも……!)

 あの成金のせいで水の泡と化した。
 グレイヴ子爵は最大の収入源であった『レッドフォード・タイムズ』の権利を売却せざるを得なくなり、しかもその権利を購入したのが、よりによってターナーだというではないか?

『私の財産を奪う目的で、裏で奴が手を引いていたのだ。そうとしか思えぬ』

 真っ暗に穿うがたれたうろのような目でソーンを見据え、グレイヴ子爵は命じた。

『あの家に潜入し、見聞きしたものを細やかに報告せよ。そして……』

 折よくターナーの家では、上級使用人がひとり引退予定になっている。そしてソーンはターナーの関係者に顔と名を知られていない。
 グレイヴ子爵は上流社会の伝手つてを使い、無関係の家を装って紹介状を書かせた。
 平民が次々と財を得て、大きな顔をし始めた現状を苦々しく思っている者は少なくない。
 協力者を得るのにさほど労力は必要とせず、ソーンはつつがなくターナー家の使用人のトップとなり、完璧に仕事をこなしてきた。

(成金ごときの家の頂点など、恥ずかしくて自慢にすらならん)

 通いのメイドは口調も態度もまったくなっておらず、庭師は庭師の分際で当主の家族と気安く口をきく。
 それを許す軽薄な若造も論外だ。
 当主の代理などと偉そうに、実態はろくな権限など与えられていないくせに。

 腹の底から湧き出る汚泥にえんえんと浸かっていたら、いつの間にか約束の場所に到着したようだ。
 人通りの少ない道の向こう側に、二頭立ての箱馬車が停まっている。
 ソーンは辻馬車を降り、小走りで道を横切った。

 馬車の扉を軽くノックすると、内側からノックが返る。事前に取り決めていた入室許可の合図だ。
 扉を開けて素早く飛び込み、急いで閉じる。
 中にいたのは予想にたがわず、グレイヴ子爵その人だった。
 供の者はおらず、二人きりである。

「旦那様、このたびは――」
「挨拶はよい。報告を」
「はっ」

 恐縮する間も惜しんで対面に腰を下ろし、前回の報告からこれまでの期間にあったことを簡潔に話すと、暗い疑念に満ちた瞳がソーンを捉えた。

かんばしい話は何もないということか。貴様、例のものは間違いなく仕掛けたのだな?」
「はい。ターナーの一家全員分、とりわけ次男の周辺には多く仕込みました」
「その割に何ら効果がないではないか。不在の奴らも旅先で病にでもかかればよいと思うたに、一向にその気配すらない」
「悪運だけは強い者どもです」

 神妙な顔でソーンは頷く。
 強い呪いの念を込め、今もこんなに憎んでいるのに、奴らは平然と生きているのだ。

「もしかしたら、不在の時間が長いため効果が弱いのかもしれません。次男も頻繁に出歩いておりますから」
「かもしれんな。……あるいはきさま、しくじったのではないか? 私との関わりを疑われているのでは」
「いいえ、そのようなことは断じてございません!」

 エドワードとその子らの前で、ソーンは非の打ちどころのない仕事ぶりを見せてきた。
 何ひとつ疑われてはいないし、ミスもしていないと断言できる。

(それ以外の人間の前でまで、完璧な私でいてやる必要などない。たかが使用人がいくら騒ごうと、私が疑われる道理など……)

 うっすらと芽生えそうになる、「本当はしくじったかもしれない」という自覚に、ソーンは強引に蓋をする。
 いつも見下している者の口から、彼の普段の言動が伝わり、人情家気取りの若造が正義を執行する気になったとしたら……

「旦那様。私はいつまで、あの平民の家で従順なふりをしていなければならないのでしょう?」

 不安がポロリと口からこぼれ、ソーンは主人の冷ややかな視線に恥じ入って顔を伏せた。

「……今しばし待て。雪辱を果たした暁には、再び我が家の使用人に戻し、おまえを統括者に任じてやろう」
「っ! 身に余る栄誉、喜びの極みにございます!」

 感激したソーンは感謝の言葉を並べ立て、すっかり晴れやかな気分になって馬車を降りた。
 貴族の箱馬車があまりに長く居座っていると、さすがに注目されてしまう。

(そうだ、私はしくじってなどいない。もしそうであれば解雇の話が出ているはずなのに、そうなってはいないのだから)

 来た時とは打って変わって足取りも軽く、辻馬車を拾ってターナー邸の住所を伝えた。
 背後で己の主人が、

「平民ごときが勘違いをしおって。弱みのひとつも探し出せん役立たずが」

 己の背に向けてそんな風に呟いていたことなど、ソーンには永遠に知る由もなかった。


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