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第一章 骨師を守る騎士
9.買った奴隷
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デルマド軍の野営地から少し離れた暗がりに馬車を止めていたジルドは、火の爆ぜる音でふと目を覚ました。
軍の近くにいた方が意外にも安全で、最近は見張りもさぼりがちだった。
すっかり商人の顔になったジルドは、鼻をすすりながらマントを体にまいて立ち上がり、馬車の中を覗き込んだ。
荷台の側面には荷物がならび、ステラは中央で毛布にくるまって眠っている。
毛布の膨らみを確かめ、ジルドは荷台に乗り込んだ。
「ステラ、寒くないか?」
そろそろ夜明けであり、兵士達も動き出す。
酔い止めや寝不足に聞く精力剤はこんな時によく売れる。
ジルドは積み上げられた木箱の中を確認し、目的の品を探し始めた。
馬車の中は薄暗く、さらに中央にステラが寝ているため動ける範囲が狭い。
腰を屈めて箱をいくつか引き出した時、ジルドの足が毛布をひっかけた。
すぐにずれた毛布を直そうと身を屈めたジルドは驚愕した。
毛布の下から丸められた寝袋が出て来たのだ。
そこにステラの姿はなかった。
生真面目なマウリア国の元騎士は、染みついた命令に忠実に動いた。
骨師を守らなければならない。
馬車を飛び出したジルドは、薄暗い夜霧の中、兵士たちの野営地から人影が近づいてくるのに気が付いた。
華奢な容姿で見覚えのあるスカートが揺れている。
ほっとしたジルドはステラの方へ歩き出そうとして、反射的に腰の剣を握り身構えた。
「ステラ!何をしている!」
ステラの後ろから体躯の大きな男がついてきている。
黒い泥に汚れ、全裸で腰布を一つ巻いている。
ただものではない雰囲気に、警戒したジルドは、すぐにそれが奴隷だと気が付いた。
奴隷用の首輪が嵌められ、そこから鎖が伸びている。
鎖の先はステラの手の中だ。
ステラは疲れた様子で歩いてくると、ジルドの前で足を止め、鞄から丸めた紙を取り出した。
「そろそろ護衛が必要だって言っていたじゃない。だから、買ってきたの」
ひったくるようにジルドはステラの差し出した書類を開き、それが奴隷契約書であるのを知ると、ステラに掴みかかった。
「どういうことだ!何をした!金は?どこから払った!まさか全部」
「大丈夫。払いは自分で稼いだから」
ぼんやりとした口調で恐ろしく簡単に説明し、ステラは握っていた鎖を地面に落とすと馬車の荷台によじ登る。
真っ青になったジルドがステラを追いかけた。
「ステラ!何をした!一体、何を考えている!」
ステラは寝袋から毛布を引きはがし、その中に隠れてしまった。
だんまりを決め込んだステラに苛立ちながら、ジルドは落ちた奴隷の鎖を拾い上げ、奴隷契約書に再び目を落とす。
その間、連れてこられた奴隷の男は彫像のように立っている。
ジルドは焚火の傍に行き、契約書の字を確かめた。
神力を使わない魔力使い作成の正式な契約書で、奴隷用の首輪とその効果が連動するようにできている。
正式に売買された奴隷であることを確かめ、それから金額の欄で眉をひそめた。
こんな大金をステラに持たせたことはない。
さらに名前の欄を見ると、ジルドはその見覚えのある名前に首を傾けた。
顔を上げ、立ち尽くす奴隷の男を観察する。
泥だらけで、全身に血が滲んでいる。
逞しい体つきだが、髪は伸び放題で髭も濃く、人相はよくわからない。
しかし見覚えはあった。
まさかと、ジルドは立ち上がり、馬車に乗り込むと荷物を漁り、ペン型の魔道具を取り出した。
かつてステラを裏切った男の映像が記録されている。
結界内でステラを愛していないと宣言したその男の映像が馬車の幌越しに浮かび上がる。
『シリラを取り戻すためならどんなことでもするさ。俺の魂はシリラだけのものだ。偽りの愛を囁き、体だってくれてやる。俺達の国を滅ぼした敵国の女のことなど、誰が本気で愛するものか。俺が愛を捧げるのは生涯ただ一人、シリラにだけだ。
もしシリラがそこで死ぬようなことがあれば、ジルド、お前の大切なステラはシリラよりずっと残酷な方法で死ぬことになる。俺はステラを使って復讐するぞ』
胸を引き裂くような残酷な言葉が突然幌内で響きだし、ステラは毛布の中から飛び出した。
「やめてよ!」
「思い出させてやっているだけだ!やはりこの男か!何をしている!正気か?お前を裏切った男だろう。なぜ助けてきた!」
「使えると思っただけよ!」
ステラはジルドの手から装置を奪おうとジルドに掴みかかった。
「よせ!離せ!」
ジルドは手を振り上げたが、大切に守らなければならない骨師だと言う意識が抜けず躊躇った。
その隙にステラはジルドの手からその装置を奪い、馬車を飛び出すと、燃え残っていた焚火の中に投げ込んだ。
「あっ!何をする!また使うかもしれないだろうが!」
飛んでくるジルドをステラが全身で止めようと火の前に、立ちふさがる。
「奴隷!拾え!」
ジルドの命令に、まだ立っていた奴隷の男が躊躇いもなく火の中に手を入れようとする。
「駄目よ!」
ステラは叫び、今度は放り出されていた奴隷契約書を取り上げ炎の中に投げ込んだ。
「うわ!」
ジルドは焚火を蹴り上げ、火を踏みつけて消しながら契約書の方を拾い上げた。
燃え損ねた装置を素手で取ろうとしている奴隷の手をステラが払いのけた。
装置を足で踏みつけ、ぼろぼろに壊してしまう。
ジルドがステラの腕をつかみ後ろに引き倒す。
土の上に投げ飛ばされたステラは、地面を這ってジルドが拾い上げようとした物に飛びついた。
「こんな物持っている方が危険じゃない!」
確かに敵に見つかれば危険なものだが、神力の結晶で結界を張り、再び骨屋をやるときに必要だ。
もし国が再興し、上官に命じられた通り守りぬいた骨師を連れて帰ることができれば、また骨屋をするかもしれない。
それは未練なのか、それとも希望なのか。
ジルドは踏みつけられ、土の中で割れ、ぼろぼろになった装置を見下ろしてぼんやりと考えた。
その時、野営地の方から勇ましい行軍の足音が聞こえてきた。
兵士たちが起き出し、整列を始めたのだ。
途端に表情を引き締め、ジルドは焚火の始末をしながら、泥だらけの奴隷に命令した。
「いいか、俺達は行商人の夫婦だ。お前はそこで買われた奴隷だ。焚火の始末をしたら荷物を積み込め」
奴隷は鎖を引きずりながら命令通りに動いた。
その時、ステラがその鎖を引っ張った。
動きを止めた奴隷の首元に伸びあがり、ステラはその鎖を外した。
商売の用意にとりかかろうとしていたジルドが驚愕して引き返してきた。
「何をしている!」
「奴隷である必要はないでしょう」
奴隷を解放しようとしているのだと気づき、ジルドは今度こそ怒りの形相でステラの体を抱え上げた。
「奴隷を解放した途端、この男は俺達を売って逃げるぞ?なぜそうも危機感がない。俺がどれだけ苦労してここまでお前を守ってきたと思っている」
「命令だからでしょう!とっくに消えた国の命令だからよ!私を売ったらいいじゃない。お金になるし自由になる。それに強い国に仕えて働くことだって可能かもしれない」
ステラを売ればデルマド国の騎士になることさえ可能かもしれない。
ジルドは忌々し気に舌打ちした。
愛国心も忠誠心もない。ただ楽な仕事だから骨師を監視する部隊に入った。
骨師を守れという最後の命令を受けてから、ついに二年以上も経ってしまった。
多くの国が消えた。デルマド国以外にも残った国はあるが、どうなっているのかよくわかっていない。
そんな混沌とした時代で、生き抜く以外の目的を持つのは大変だ。
ジルドは頭を抱えた。
とにかく今はもめ事を起こすわけにはいかない。
一度ステラを裏切り、さらにジルドから骨師を奪った男を自由の身にするなど危険すぎる。
奴隷の枷である首輪は外させるわけにはいかない。
「ステラ、この男にとっても奴隷でいるのは安全なことだ。こんな体格の男が野放しになってみろ。どう見ても破れた国の兵士だ。捕まればまた檻に入れられる。俺達が買った奴隷であれば、その危険性はなくなる。確かに、俺達の商売は順調で荷物も増えてきたし護衛もそろそろ必要だと話していた。
だがそれは俺達の安全のためだ。こんな……」
敵だった男を信用するべきではないと続けたかったが、長々と話している時間はなかった。
野営地を畳み、行軍を始めた兵士たちの足音が迫っている。
「くそっ」
ジルドは悪態をついたが、確かに手は足りなかった。
「奴隷!馬車を見張っていろ!」
ジルドは叫び、ステラの腕を掴んだ。
「とにかく今を生き延びる。あとで話はするが、今は商売をするのが先だ。売り物の箱をとってこい」
ジルドも急いで馬車に走り、売り場にする台と簡単な屋根を運び出す。
それを組み立て、簡易的な店構えを作ると、そこに箱を置いてステラが後ろに立った。
兵士たちが通る道は賄賂を渡し、調査済みだ。
他の商人達の姿もちらほら見える。
ルース商会の旗を掲げ、ジルドが呼び込みを始めた。
「いつもお世話になっております。ルース商会です。本日の商品はビーナの粉薬、精力剤として有名なゾーイ水、眠気覚ましや二日酔い止めと揃っています。ご家族へのお土産品にぴったりな細工物もありますよ」
ジルドの呼び込みを聞き、ステラは走って馬車に向かう。
土産物の工芸品が入っている箱を引っ張りだして馬車から下ろそうとすると、箱がステラの前でひょいっと浮かび上がった。
後ろに立った奴隷の男が箱を持ち上げていた。
馬車から滑り降りたステラに、奴隷は持ち上げていた箱を差し出す。
「ありがとう、イール」
ステラはにっこりすると箱を抱えて売り場に戻る。
戦場を後にし、王都に向かう兵士たちは少し気が抜けている。
街道沿いにはいつのまにか商人達が増え、客の取り合いが始まっている。
奴隷は馬車を見張るように立ち、慣れた様子で商売を始めるジルドとステラの背中を黙って見つめていた。
軍の近くにいた方が意外にも安全で、最近は見張りもさぼりがちだった。
すっかり商人の顔になったジルドは、鼻をすすりながらマントを体にまいて立ち上がり、馬車の中を覗き込んだ。
荷台の側面には荷物がならび、ステラは中央で毛布にくるまって眠っている。
毛布の膨らみを確かめ、ジルドは荷台に乗り込んだ。
「ステラ、寒くないか?」
そろそろ夜明けであり、兵士達も動き出す。
酔い止めや寝不足に聞く精力剤はこんな時によく売れる。
ジルドは積み上げられた木箱の中を確認し、目的の品を探し始めた。
馬車の中は薄暗く、さらに中央にステラが寝ているため動ける範囲が狭い。
腰を屈めて箱をいくつか引き出した時、ジルドの足が毛布をひっかけた。
すぐにずれた毛布を直そうと身を屈めたジルドは驚愕した。
毛布の下から丸められた寝袋が出て来たのだ。
そこにステラの姿はなかった。
生真面目なマウリア国の元騎士は、染みついた命令に忠実に動いた。
骨師を守らなければならない。
馬車を飛び出したジルドは、薄暗い夜霧の中、兵士たちの野営地から人影が近づいてくるのに気が付いた。
華奢な容姿で見覚えのあるスカートが揺れている。
ほっとしたジルドはステラの方へ歩き出そうとして、反射的に腰の剣を握り身構えた。
「ステラ!何をしている!」
ステラの後ろから体躯の大きな男がついてきている。
黒い泥に汚れ、全裸で腰布を一つ巻いている。
ただものではない雰囲気に、警戒したジルドは、すぐにそれが奴隷だと気が付いた。
奴隷用の首輪が嵌められ、そこから鎖が伸びている。
鎖の先はステラの手の中だ。
ステラは疲れた様子で歩いてくると、ジルドの前で足を止め、鞄から丸めた紙を取り出した。
「そろそろ護衛が必要だって言っていたじゃない。だから、買ってきたの」
ひったくるようにジルドはステラの差し出した書類を開き、それが奴隷契約書であるのを知ると、ステラに掴みかかった。
「どういうことだ!何をした!金は?どこから払った!まさか全部」
「大丈夫。払いは自分で稼いだから」
ぼんやりとした口調で恐ろしく簡単に説明し、ステラは握っていた鎖を地面に落とすと馬車の荷台によじ登る。
真っ青になったジルドがステラを追いかけた。
「ステラ!何をした!一体、何を考えている!」
ステラは寝袋から毛布を引きはがし、その中に隠れてしまった。
だんまりを決め込んだステラに苛立ちながら、ジルドは落ちた奴隷の鎖を拾い上げ、奴隷契約書に再び目を落とす。
その間、連れてこられた奴隷の男は彫像のように立っている。
ジルドは焚火の傍に行き、契約書の字を確かめた。
神力を使わない魔力使い作成の正式な契約書で、奴隷用の首輪とその効果が連動するようにできている。
正式に売買された奴隷であることを確かめ、それから金額の欄で眉をひそめた。
こんな大金をステラに持たせたことはない。
さらに名前の欄を見ると、ジルドはその見覚えのある名前に首を傾けた。
顔を上げ、立ち尽くす奴隷の男を観察する。
泥だらけで、全身に血が滲んでいる。
逞しい体つきだが、髪は伸び放題で髭も濃く、人相はよくわからない。
しかし見覚えはあった。
まさかと、ジルドは立ち上がり、馬車に乗り込むと荷物を漁り、ペン型の魔道具を取り出した。
かつてステラを裏切った男の映像が記録されている。
結界内でステラを愛していないと宣言したその男の映像が馬車の幌越しに浮かび上がる。
『シリラを取り戻すためならどんなことでもするさ。俺の魂はシリラだけのものだ。偽りの愛を囁き、体だってくれてやる。俺達の国を滅ぼした敵国の女のことなど、誰が本気で愛するものか。俺が愛を捧げるのは生涯ただ一人、シリラにだけだ。
もしシリラがそこで死ぬようなことがあれば、ジルド、お前の大切なステラはシリラよりずっと残酷な方法で死ぬことになる。俺はステラを使って復讐するぞ』
胸を引き裂くような残酷な言葉が突然幌内で響きだし、ステラは毛布の中から飛び出した。
「やめてよ!」
「思い出させてやっているだけだ!やはりこの男か!何をしている!正気か?お前を裏切った男だろう。なぜ助けてきた!」
「使えると思っただけよ!」
ステラはジルドの手から装置を奪おうとジルドに掴みかかった。
「よせ!離せ!」
ジルドは手を振り上げたが、大切に守らなければならない骨師だと言う意識が抜けず躊躇った。
その隙にステラはジルドの手からその装置を奪い、馬車を飛び出すと、燃え残っていた焚火の中に投げ込んだ。
「あっ!何をする!また使うかもしれないだろうが!」
飛んでくるジルドをステラが全身で止めようと火の前に、立ちふさがる。
「奴隷!拾え!」
ジルドの命令に、まだ立っていた奴隷の男が躊躇いもなく火の中に手を入れようとする。
「駄目よ!」
ステラは叫び、今度は放り出されていた奴隷契約書を取り上げ炎の中に投げ込んだ。
「うわ!」
ジルドは焚火を蹴り上げ、火を踏みつけて消しながら契約書の方を拾い上げた。
燃え損ねた装置を素手で取ろうとしている奴隷の手をステラが払いのけた。
装置を足で踏みつけ、ぼろぼろに壊してしまう。
ジルドがステラの腕をつかみ後ろに引き倒す。
土の上に投げ飛ばされたステラは、地面を這ってジルドが拾い上げようとした物に飛びついた。
「こんな物持っている方が危険じゃない!」
確かに敵に見つかれば危険なものだが、神力の結晶で結界を張り、再び骨屋をやるときに必要だ。
もし国が再興し、上官に命じられた通り守りぬいた骨師を連れて帰ることができれば、また骨屋をするかもしれない。
それは未練なのか、それとも希望なのか。
ジルドは踏みつけられ、土の中で割れ、ぼろぼろになった装置を見下ろしてぼんやりと考えた。
その時、野営地の方から勇ましい行軍の足音が聞こえてきた。
兵士たちが起き出し、整列を始めたのだ。
途端に表情を引き締め、ジルドは焚火の始末をしながら、泥だらけの奴隷に命令した。
「いいか、俺達は行商人の夫婦だ。お前はそこで買われた奴隷だ。焚火の始末をしたら荷物を積み込め」
奴隷は鎖を引きずりながら命令通りに動いた。
その時、ステラがその鎖を引っ張った。
動きを止めた奴隷の首元に伸びあがり、ステラはその鎖を外した。
商売の用意にとりかかろうとしていたジルドが驚愕して引き返してきた。
「何をしている!」
「奴隷である必要はないでしょう」
奴隷を解放しようとしているのだと気づき、ジルドは今度こそ怒りの形相でステラの体を抱え上げた。
「奴隷を解放した途端、この男は俺達を売って逃げるぞ?なぜそうも危機感がない。俺がどれだけ苦労してここまでお前を守ってきたと思っている」
「命令だからでしょう!とっくに消えた国の命令だからよ!私を売ったらいいじゃない。お金になるし自由になる。それに強い国に仕えて働くことだって可能かもしれない」
ステラを売ればデルマド国の騎士になることさえ可能かもしれない。
ジルドは忌々し気に舌打ちした。
愛国心も忠誠心もない。ただ楽な仕事だから骨師を監視する部隊に入った。
骨師を守れという最後の命令を受けてから、ついに二年以上も経ってしまった。
多くの国が消えた。デルマド国以外にも残った国はあるが、どうなっているのかよくわかっていない。
そんな混沌とした時代で、生き抜く以外の目的を持つのは大変だ。
ジルドは頭を抱えた。
とにかく今はもめ事を起こすわけにはいかない。
一度ステラを裏切り、さらにジルドから骨師を奪った男を自由の身にするなど危険すぎる。
奴隷の枷である首輪は外させるわけにはいかない。
「ステラ、この男にとっても奴隷でいるのは安全なことだ。こんな体格の男が野放しになってみろ。どう見ても破れた国の兵士だ。捕まればまた檻に入れられる。俺達が買った奴隷であれば、その危険性はなくなる。確かに、俺達の商売は順調で荷物も増えてきたし護衛もそろそろ必要だと話していた。
だがそれは俺達の安全のためだ。こんな……」
敵だった男を信用するべきではないと続けたかったが、長々と話している時間はなかった。
野営地を畳み、行軍を始めた兵士たちの足音が迫っている。
「くそっ」
ジルドは悪態をついたが、確かに手は足りなかった。
「奴隷!馬車を見張っていろ!」
ジルドは叫び、ステラの腕を掴んだ。
「とにかく今を生き延びる。あとで話はするが、今は商売をするのが先だ。売り物の箱をとってこい」
ジルドも急いで馬車に走り、売り場にする台と簡単な屋根を運び出す。
それを組み立て、簡易的な店構えを作ると、そこに箱を置いてステラが後ろに立った。
兵士たちが通る道は賄賂を渡し、調査済みだ。
他の商人達の姿もちらほら見える。
ルース商会の旗を掲げ、ジルドが呼び込みを始めた。
「いつもお世話になっております。ルース商会です。本日の商品はビーナの粉薬、精力剤として有名なゾーイ水、眠気覚ましや二日酔い止めと揃っています。ご家族へのお土産品にぴったりな細工物もありますよ」
ジルドの呼び込みを聞き、ステラは走って馬車に向かう。
土産物の工芸品が入っている箱を引っ張りだして馬車から下ろそうとすると、箱がステラの前でひょいっと浮かび上がった。
後ろに立った奴隷の男が箱を持ち上げていた。
馬車から滑り降りたステラに、奴隷は持ち上げていた箱を差し出す。
「ありがとう、イール」
ステラはにっこりすると箱を抱えて売り場に戻る。
戦場を後にし、王都に向かう兵士たちは少し気が抜けている。
街道沿いにはいつのまにか商人達が増え、客の取り合いが始まっている。
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