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第二章 許しを請う奴隷
22.思いがけない訪れ
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聖なる山に到着して二日目、ステラはあっさり旅立ちを決めた。
神官たちは穏やかにステラとイールを見送った。
「いつでもお戻りください。私たちはあなたをいつでも受け入れます」
ステラは丁寧に頭を下げた。
歩き始めたステラの後ろをイールもついてきた。
「まだ恩を返していない」
頑なに隷属の首輪を外そうとしないイールをステラは不思議そうに見上げた。
「そういうもの?」
ジルドも滅びた国の命令を頑なに守った。イールも奴隷であることを頑なに守りたいのかもしれない。
ステラには理解できない考え方だったが、そういうものなのだろうと、ステラはなんとなくイールを受け入れた。
誰かに暗殺される可能性を考えての旅だったが、大陸はずいぶん落ち着きを取り戻していた。
神力の結晶が消滅したことは思ったより一般の人々に受け入れられていた。
戦争がなくなり、安心して暮らせる場所が増えたのだ。
大切に育てた農作物は奪われないし、家畜も殖やせるようになる。
希望を持ち、前向きに生きようとする人々がいる一方で、悪党ものさばっていた。守ってくれる国もなく、人々は自分たちの暮らしを守ろうと自警団を作った。
規格外の力を生む神力の結晶が消滅したため、脅威になる力も減ったのだ。
ステラは情報収集から始め、こつこつと商売を始めた。
最初はイールの探索に頼り、利益をあげると仕入れては売る商売に切り替えた。
路銀を稼ぎ、ステラは旧マウリア国の西渓谷に向かった。
多少危険なことはあったが、旅の仕方はジルドに教わっていた。
時々涙ぐみながらも、ステラは懸命に前に進んだ。
数日かけて、二人はようやくその入り組んだ崖の西端に到着した。
木陰に作られた石を積んだだけのそのお墓を前に、ステラは崩れるように座り込んだ。
両手で顔を覆い、ステラは長い間泣き続けた。
月に二度しかやってこないステラを管理する騎士だった。
十年の付き合いで、最後の三年は毎日一緒にいた。
「ジルド……旅の仕方や商売のことを教えてくれてありがとう……だけど、心細いよ……」
大粒の涙を袖で拭い、か細い声でステラは訴えた。
ジルドは唯一ステラを裏切らず、守り抜いた男だった。
ステラを裏切り、傷つけたイールでは、ジルドの代わりにはなれない。
イールは拳を固く握り、後ろに立っていた。
その夜、崖下を少し離れ野宿をすることにした二人は、火を囲み今後の話をした。
「骨屋に帰ろうと思うの。ジルドとの思い出も多いし、ここは落石が多くて危険でしょう?
それにマウリの町が近くにあって、最近市場がたつようになったのですって。
そこでお店を出そうと思って。ジルドが残してくれた商品がいろいろあるし」
「俺も探索に出る。何か欲しい物や、売れそうなものなど、情報があれば探してくる」
イールは器用に飛びウサギを捕まえ、火で焼いていた。
「ねぇ、イールは?シリラさんのお墓に行かなくていいの?」
聞かれるまですっかりシリラのことを忘れていたイールは、しばらく考えて首を横に振った。
「彼女に関しては……今は何の後悔もない。既にこの世を旅立ち、空にあがった人だ。あるいは、もうどこかで新しく生き始めているかもしれない」
イールの言葉に、ステラはなんとなく空を見上げた。
「ステラ……女一人では苦労する。俺を使ってくれ……」
ステラは首を傾けた。
イールの隷属の首輪に手を伸ばし、外そうとすると、イールはぱっと退きそれを阻止した。
やはりイールもジルドみたいに貫くのかと、ステラは困ったように微笑んだ。
東渓谷の中央にある骨屋のあった場所にステラは戻った。
最初はテントだったが、イールが少しずつ材料を運んできて小さな家を建てた。
マウリの町は完全に破壊され、そこには一本の道しか残っていなかった。
しかしかつて人が暮らしていた場所にはまた人が戻ってくる。
少しずつ市場の規模が大きくなり、商売人たちは顔見知りになり、情報が集まった。
新しく暮らしを始める人に、ステラはその情報を教え、商売をしたい人には口利きまで始めた。
イールは探索に出た。水場や狩場、乏しい土地に育ちそうな作物、果実などを探し、ステラにその情報を持ち帰った。
火の傍でステラは地図を広げ、イールの探索した場所を確認しその詳細を書きこんだ。
「この水を引けばここに畑が作れるかもね」
ジルドがそうしていたように、ステラも自分だけの地図を作った。
朝になると、ステラはまた市場に向かい、イールは商品を運んだ。
店を組み立てるとイールは探索に行き、夕方に帰ってきた。
二人で店を畳み、荷馬車を引いて骨屋のあった場所に戻った。
一見穏やかな暮らしに見えたが、やはり国や軍隊が消えたため悪党も増えていた。
何度か強盗団に町が襲われ、市場が荒らされる事態になった。
人がさらわれたこともあり、平和な暮らしはまだまだ遠かった。
そんなある日、マウリの町に一人の男が訪れた。
緑の目をした長身の男は、ステラの店の前で馬を下りた。
「まさか、最後の選択者がこんなところで店を出しているとは」
それはリーダム軍の指揮官エルダムだった。
「神殿に行ったら、君が去ったと聞き驚いた。危険な目にはあっていないのか?」
ステラは明るく微笑んだ。
「他の人達と同じよ」
それはエルダムが覚えているステラの姿とは少し異なっていた。
「そうか……元気そうでよかった。少し話せないか?」
店が終わったらとステラは約束した。
その日の夕刻、店じまいをしていると本当にエルダムは戻ってきた。
店を畳む手伝いをしていたイールは、困惑したようにエルダムとステラを見比べた。
「あの時の奴隷か、この時代では貴重なものだ。まだ使っていたのだな」
イールの首輪を目にしてエルダムはそう言った。
大抵の場合、戦争で奪われた人々が奴隷になるのだ。
「イール、お店の片づけをお願いできる?」
ステラの言葉にイールは無言で頷いた。
夕暮れの空の下、馬に乗った二人をイールは一人見送った。
その影は長く伸び、間もなく夜が訪れることを告げていた。
東渓谷を少し離れ、古代の遺跡がある場所まで馬を走らせると、エルダムはステラを馬から下ろした。
空はすっかり薄暗くなり、藍色の夜のとばりが薄紅色の空に透けている。
ステラはかすかに聞こえる滝の音に気づき、後ろを振り返った。
遠くの崖に滝が見える。
その後ろに洞窟があることを唐突に思い出し、ステラはわずかに体を震わせた。
エルダムがステラをさりげなく抱き寄せ、マントにくるんだ。
「寒いか?」
ステラは無言で横に首を振る。
二人は荒れた岩場を登り、わずかな草木に囲まれた祭壇の前に立った。
崩れた円柱が横倒しになり、屋根も半分落ちているが、宣誓用の台はしっかり残っていた。
昔は草木に覆われていたが、神力の結晶の力が消えてからはそのほとんどが枯れてしまった。
「ステラ、君のおかげで大陸の人々は同じ映像を見た。人の良心を思い出し、かつて手を取り合っていた時代を現実として受け入れた。簡単にはいかないが、君の選択を支持する者は多い。どうだろう?
より平和な時代のために、俺と結婚してくれないだろうか?」
突然の申し出に、ステラは目を丸くした。
「な、なぜ?」
「君は平和の象徴だ。多少世界を不便なものに変えたが、神力の結晶とは無縁の暮らしを送っていた人々の方が多い。権力を持つ者には大きな損失だったが、戦で多くのものを奪われた者達にとっては、平和に近づいたと言える。
俺には何もない……。幸い仲間に恵まれ、支えてくれる人々はいるが、大陸の人々を納得させられるだけの力や身分があるわけではない。
戦で焼け出され、苦しい生活を強いられていれば、何かにすがろうとするが、暮らしが脅かされなければ誰が王になっても構わないと考えるものも多い。
君は、ある意味とても有名だ。君の選択を全ての人々が知った。
ステラ、回りくどいことは言わない。俺に手を貸して欲しい。出来る限り君を大切にしよう」
王になる大義名分が欲しいのだとステラは気づいたが、それを隠そうともしないエルダムの言葉に悪い気はしなかった。
エルダムなら町の治安を守ってくれる。多くの人々がさらに安心して暮らせる世の中になる。
ステラは壮大な理想を抱くエルダムを見上げた。
「私は……」
世界のため、人の為、平和のため、そんな風に考えようとしてもステラにはよくわからない。
ただ、その申し出はステラにも一つの希望をもたらした。
ステラの揺れる眼差しを薄明りの中に見て、エルダムは静かに告げた。
「三日後、答えを聞きに来る。いいか?」
ステラは無言で頷いた。
その日の夜、火の傍でいつも通り食事を終えたステラは、ぼんやりと空をみあげていた。
あまり食の進まないステラに、イールはさらに食べるようにと促したが、ステラはもういらないと首を横に振った。
「ステラ、あの男に何か言われたのか?」
躊躇いがちにイールは問いかけた。
虚空を見上げるステラは、ぼんやりと答えた。
「結婚してくれないかって……」
手にしていたお椀を地面に落とし、イールは慌てて拾い上げた。
ステラはその音にも気づかなかった様子で空を見上げている。
震えながらイールはその椀を持って洗い場に向かった。
闇の中に隠れると、イールは膝を付き、地面にうずくまった。
心臓が耳元で鳴り、呼吸が荒くなる。
地面に四つん這いになり、イールは大きく肩を上下させて息を何度も吸い込んでは吐き出した。
ついに地面に尻を付き、イールは太古の時代からそこにある空を見上げた。
気づけばイールの両目から音もなく涙が溢れ落ちていた。
漏れそうになる声を堪えるため、イールは手のひらに噛みついた。
「ふっ……うっ……」
鼻をすする音もたてられず、イールの顔は涙と鼻水で濡れていく。
空いている方の手で首輪に触れる。
それはステラがイールを買った証であり、イールとステラを繋ぐ唯一の物だ。
イールがステラの奴隷である限り、イールはステラの傍にいられる。
これが自分に与えられた罰なのだろうかとイールは静かに考えた。
夜闇に紛れ、イールは息を潜め、焚火の傍に座るステラの姿を遠目に見つめた。
ステラはしばらくすると立ち上がり、粗末な小屋に入って行った。
それを見届け、イールは音を立てて鼻をすすり、小さく嗚咽を漏らした。
翌日から三日間、何事もなかったかのようにステラは市場に店を出した。
イールもいつも通りその手伝いをして、日中は探索に出た。
三日目の夕方、約束通りエルダムがステラの店を訪れた。
「そろそろ店を閉めるか?」
イールは密かにその容姿を観察し、もてる男だろうと考えた。
亡国の兵士だったと聞くが、たった一人で仲間を募り、二つの大国と渡り合った男は堂々とした物腰で、強い眼差しを持ち、顔立ちも悪くない。
ステラに店じまいを頼まれると、イールは黙って頭を下げた。
それを一瞥し、エルダムはステラの手を取り、馬に乗せた。
二人は夕暮れの町を遠ざかる。
その後姿をイールは黙って見送った。
神官たちは穏やかにステラとイールを見送った。
「いつでもお戻りください。私たちはあなたをいつでも受け入れます」
ステラは丁寧に頭を下げた。
歩き始めたステラの後ろをイールもついてきた。
「まだ恩を返していない」
頑なに隷属の首輪を外そうとしないイールをステラは不思議そうに見上げた。
「そういうもの?」
ジルドも滅びた国の命令を頑なに守った。イールも奴隷であることを頑なに守りたいのかもしれない。
ステラには理解できない考え方だったが、そういうものなのだろうと、ステラはなんとなくイールを受け入れた。
誰かに暗殺される可能性を考えての旅だったが、大陸はずいぶん落ち着きを取り戻していた。
神力の結晶が消滅したことは思ったより一般の人々に受け入れられていた。
戦争がなくなり、安心して暮らせる場所が増えたのだ。
大切に育てた農作物は奪われないし、家畜も殖やせるようになる。
希望を持ち、前向きに生きようとする人々がいる一方で、悪党ものさばっていた。守ってくれる国もなく、人々は自分たちの暮らしを守ろうと自警団を作った。
規格外の力を生む神力の結晶が消滅したため、脅威になる力も減ったのだ。
ステラは情報収集から始め、こつこつと商売を始めた。
最初はイールの探索に頼り、利益をあげると仕入れては売る商売に切り替えた。
路銀を稼ぎ、ステラは旧マウリア国の西渓谷に向かった。
多少危険なことはあったが、旅の仕方はジルドに教わっていた。
時々涙ぐみながらも、ステラは懸命に前に進んだ。
数日かけて、二人はようやくその入り組んだ崖の西端に到着した。
木陰に作られた石を積んだだけのそのお墓を前に、ステラは崩れるように座り込んだ。
両手で顔を覆い、ステラは長い間泣き続けた。
月に二度しかやってこないステラを管理する騎士だった。
十年の付き合いで、最後の三年は毎日一緒にいた。
「ジルド……旅の仕方や商売のことを教えてくれてありがとう……だけど、心細いよ……」
大粒の涙を袖で拭い、か細い声でステラは訴えた。
ジルドは唯一ステラを裏切らず、守り抜いた男だった。
ステラを裏切り、傷つけたイールでは、ジルドの代わりにはなれない。
イールは拳を固く握り、後ろに立っていた。
その夜、崖下を少し離れ野宿をすることにした二人は、火を囲み今後の話をした。
「骨屋に帰ろうと思うの。ジルドとの思い出も多いし、ここは落石が多くて危険でしょう?
それにマウリの町が近くにあって、最近市場がたつようになったのですって。
そこでお店を出そうと思って。ジルドが残してくれた商品がいろいろあるし」
「俺も探索に出る。何か欲しい物や、売れそうなものなど、情報があれば探してくる」
イールは器用に飛びウサギを捕まえ、火で焼いていた。
「ねぇ、イールは?シリラさんのお墓に行かなくていいの?」
聞かれるまですっかりシリラのことを忘れていたイールは、しばらく考えて首を横に振った。
「彼女に関しては……今は何の後悔もない。既にこの世を旅立ち、空にあがった人だ。あるいは、もうどこかで新しく生き始めているかもしれない」
イールの言葉に、ステラはなんとなく空を見上げた。
「ステラ……女一人では苦労する。俺を使ってくれ……」
ステラは首を傾けた。
イールの隷属の首輪に手を伸ばし、外そうとすると、イールはぱっと退きそれを阻止した。
やはりイールもジルドみたいに貫くのかと、ステラは困ったように微笑んだ。
東渓谷の中央にある骨屋のあった場所にステラは戻った。
最初はテントだったが、イールが少しずつ材料を運んできて小さな家を建てた。
マウリの町は完全に破壊され、そこには一本の道しか残っていなかった。
しかしかつて人が暮らしていた場所にはまた人が戻ってくる。
少しずつ市場の規模が大きくなり、商売人たちは顔見知りになり、情報が集まった。
新しく暮らしを始める人に、ステラはその情報を教え、商売をしたい人には口利きまで始めた。
イールは探索に出た。水場や狩場、乏しい土地に育ちそうな作物、果実などを探し、ステラにその情報を持ち帰った。
火の傍でステラは地図を広げ、イールの探索した場所を確認しその詳細を書きこんだ。
「この水を引けばここに畑が作れるかもね」
ジルドがそうしていたように、ステラも自分だけの地図を作った。
朝になると、ステラはまた市場に向かい、イールは商品を運んだ。
店を組み立てるとイールは探索に行き、夕方に帰ってきた。
二人で店を畳み、荷馬車を引いて骨屋のあった場所に戻った。
一見穏やかな暮らしに見えたが、やはり国や軍隊が消えたため悪党も増えていた。
何度か強盗団に町が襲われ、市場が荒らされる事態になった。
人がさらわれたこともあり、平和な暮らしはまだまだ遠かった。
そんなある日、マウリの町に一人の男が訪れた。
緑の目をした長身の男は、ステラの店の前で馬を下りた。
「まさか、最後の選択者がこんなところで店を出しているとは」
それはリーダム軍の指揮官エルダムだった。
「神殿に行ったら、君が去ったと聞き驚いた。危険な目にはあっていないのか?」
ステラは明るく微笑んだ。
「他の人達と同じよ」
それはエルダムが覚えているステラの姿とは少し異なっていた。
「そうか……元気そうでよかった。少し話せないか?」
店が終わったらとステラは約束した。
その日の夕刻、店じまいをしていると本当にエルダムは戻ってきた。
店を畳む手伝いをしていたイールは、困惑したようにエルダムとステラを見比べた。
「あの時の奴隷か、この時代では貴重なものだ。まだ使っていたのだな」
イールの首輪を目にしてエルダムはそう言った。
大抵の場合、戦争で奪われた人々が奴隷になるのだ。
「イール、お店の片づけをお願いできる?」
ステラの言葉にイールは無言で頷いた。
夕暮れの空の下、馬に乗った二人をイールは一人見送った。
その影は長く伸び、間もなく夜が訪れることを告げていた。
東渓谷を少し離れ、古代の遺跡がある場所まで馬を走らせると、エルダムはステラを馬から下ろした。
空はすっかり薄暗くなり、藍色の夜のとばりが薄紅色の空に透けている。
ステラはかすかに聞こえる滝の音に気づき、後ろを振り返った。
遠くの崖に滝が見える。
その後ろに洞窟があることを唐突に思い出し、ステラはわずかに体を震わせた。
エルダムがステラをさりげなく抱き寄せ、マントにくるんだ。
「寒いか?」
ステラは無言で横に首を振る。
二人は荒れた岩場を登り、わずかな草木に囲まれた祭壇の前に立った。
崩れた円柱が横倒しになり、屋根も半分落ちているが、宣誓用の台はしっかり残っていた。
昔は草木に覆われていたが、神力の結晶の力が消えてからはそのほとんどが枯れてしまった。
「ステラ、君のおかげで大陸の人々は同じ映像を見た。人の良心を思い出し、かつて手を取り合っていた時代を現実として受け入れた。簡単にはいかないが、君の選択を支持する者は多い。どうだろう?
より平和な時代のために、俺と結婚してくれないだろうか?」
突然の申し出に、ステラは目を丸くした。
「な、なぜ?」
「君は平和の象徴だ。多少世界を不便なものに変えたが、神力の結晶とは無縁の暮らしを送っていた人々の方が多い。権力を持つ者には大きな損失だったが、戦で多くのものを奪われた者達にとっては、平和に近づいたと言える。
俺には何もない……。幸い仲間に恵まれ、支えてくれる人々はいるが、大陸の人々を納得させられるだけの力や身分があるわけではない。
戦で焼け出され、苦しい生活を強いられていれば、何かにすがろうとするが、暮らしが脅かされなければ誰が王になっても構わないと考えるものも多い。
君は、ある意味とても有名だ。君の選択を全ての人々が知った。
ステラ、回りくどいことは言わない。俺に手を貸して欲しい。出来る限り君を大切にしよう」
王になる大義名分が欲しいのだとステラは気づいたが、それを隠そうともしないエルダムの言葉に悪い気はしなかった。
エルダムなら町の治安を守ってくれる。多くの人々がさらに安心して暮らせる世の中になる。
ステラは壮大な理想を抱くエルダムを見上げた。
「私は……」
世界のため、人の為、平和のため、そんな風に考えようとしてもステラにはよくわからない。
ただ、その申し出はステラにも一つの希望をもたらした。
ステラの揺れる眼差しを薄明りの中に見て、エルダムは静かに告げた。
「三日後、答えを聞きに来る。いいか?」
ステラは無言で頷いた。
その日の夜、火の傍でいつも通り食事を終えたステラは、ぼんやりと空をみあげていた。
あまり食の進まないステラに、イールはさらに食べるようにと促したが、ステラはもういらないと首を横に振った。
「ステラ、あの男に何か言われたのか?」
躊躇いがちにイールは問いかけた。
虚空を見上げるステラは、ぼんやりと答えた。
「結婚してくれないかって……」
手にしていたお椀を地面に落とし、イールは慌てて拾い上げた。
ステラはその音にも気づかなかった様子で空を見上げている。
震えながらイールはその椀を持って洗い場に向かった。
闇の中に隠れると、イールは膝を付き、地面にうずくまった。
心臓が耳元で鳴り、呼吸が荒くなる。
地面に四つん這いになり、イールは大きく肩を上下させて息を何度も吸い込んでは吐き出した。
ついに地面に尻を付き、イールは太古の時代からそこにある空を見上げた。
気づけばイールの両目から音もなく涙が溢れ落ちていた。
漏れそうになる声を堪えるため、イールは手のひらに噛みついた。
「ふっ……うっ……」
鼻をすする音もたてられず、イールの顔は涙と鼻水で濡れていく。
空いている方の手で首輪に触れる。
それはステラがイールを買った証であり、イールとステラを繋ぐ唯一の物だ。
イールがステラの奴隷である限り、イールはステラの傍にいられる。
これが自分に与えられた罰なのだろうかとイールは静かに考えた。
夜闇に紛れ、イールは息を潜め、焚火の傍に座るステラの姿を遠目に見つめた。
ステラはしばらくすると立ち上がり、粗末な小屋に入って行った。
それを見届け、イールは音を立てて鼻をすすり、小さく嗚咽を漏らした。
翌日から三日間、何事もなかったかのようにステラは市場に店を出した。
イールもいつも通りその手伝いをして、日中は探索に出た。
三日目の夕方、約束通りエルダムがステラの店を訪れた。
「そろそろ店を閉めるか?」
イールは密かにその容姿を観察し、もてる男だろうと考えた。
亡国の兵士だったと聞くが、たった一人で仲間を募り、二つの大国と渡り合った男は堂々とした物腰で、強い眼差しを持ち、顔立ちも悪くない。
ステラに店じまいを頼まれると、イールは黙って頭を下げた。
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