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第三章 孤独な女の未来
27.喜びを教えた男
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半年後、東渓谷の中央にある開けた場所に案内所が建った。
そこが最後の選択者が開いた店だと知る者はごくわずかだった。
雨の少ない地域であり、晴れの日が長く続くと乾いた砂と日差しに参ってしまう旅人も多い。
入り組んだ東渓谷の迷路のような谷に建てられた小さな案内所は、適度に日陰もあり旅人が休むのにぴったりの休憩所でもあった。
砂埃の中、一人の旅人が案内所に向かって歩いてきた。
案内所の店主が、すかさず声をかける。
「こんにちは、旅人さん。この先に行くなら地図を持って行った方がいいよ。マウリの町にはこれから?近道もあるけど、この辺りはがけ崩れも多くて危険なの」
疲れ果てた様子の行商人が、ほっとしたようにフードを落とした。
旅のお得な情報を教えてもらえると旅先で教えられやってきた商人は、出てきた女店主に軽く用向きを告げる。
店主は旅人に飲み物を出すと、木陰に置かれたテーブルの上に地図を広げた。
「霊薬を探しているのね。ここで買うと高くなるから、こっちから回って東の店で買った方がいい。価格の秘密は彼らが薬草農家であることよ。ああ、ズイールに戻るなら、これは仕入れた方が良いかもね。あと、最近この辺りに野盗が出るとかで、物流が滞っている。この道を通って……」
店主はマウリの町と周辺の地図を二枚並べ、懇切丁寧に説明する。
「ところで、危険な道はなかった?最近北のほうから馬車が来なくなってね」
今度は新たな情報を店主の方が仕入れると、旅人は購入した地図を片手にお礼を言って立ち去った。
そんな旅人が数組通過し、夕暮れになると外に探索に出ていた奴隷が帰ってきた。
「ステラ、食材をとってきた」
頑なに奴隷の首輪を外さないイールは、開拓中の農地からとってきた野菜を腕に抱えている。
「イール、もう収穫?やっぱり乾燥に強い作物だったのね。美味しそう」
店主に言われ、奴隷の男は少しだけうれしそうに頬を赤くした。
その時、背後から店主を呼ぶ大きな声がした。
「ステラ」
振り返ったステラは、夕刻の日差しを背景に近づいてくる男の影に大きく手を振った。
あらわれたのは、店が閉まる頃合いを待ち構えていたエルダムだった。
背後には護衛の騎士達が二人の邪魔にならないように距離を空けて待っている。
一時期とはいえ王妃になったステラのために、多くの物資を運ばせ、この店を建てたのはエルダムだった。
店の奥には住まいの小屋もある。
不便なく暮らせているか時々様子を見に来ては、ステラを抱いていくのだ。
ステラが願ったことではないが、エルダムがそうしてやるべきだと思って始めたことだった。しかし最近ではその考えも少しずつ変わってきていた。
「そんなに頻繁に来てもいいの?奥さんは?」
王妃の席は空いている。
エルダムはステラの腰を抱き、馬の手綱をいつものように奴隷に手渡す。
「王妃の座は災いの元だ。俺は持つ気がない。後宮の女達はそうは思っていないようだが、いろいろとうんざりだ」
それでも王の道を下りたりはしないのだ。
二人は連れ立って小屋に入った。
それほど広くはない玄関口は居間になっており、奥が食堂兼台所だ。右手の奥には寝室がある。玄関横の小さなスペースは物入れになっていた。
豪華にしないでくれとステラがエルダムに頼んだため、部屋もそれほど広くない。
ステラは居間にエルダムを通し、お湯を沸かす。
エルダムが王城から持ってきた包みをステラに渡すと、それをいつものように台所で解き、火を入れてテーブルに並べた。
「イールにも渡してくるね」
「ああ、彼用の小屋は気に入ってもらえているか?」
この小屋には寝室が一つしかない。イールは奴隷だからと台所の隅で藁を敷いて眠っていたのだ。それを見かねてエルダムがすぐ裏手に奴隷用の小屋を建てた。
「ええ、覗いたことはないけど、毎日そこで寝ているの。食事を渡してくるね」
お盆を抱え、ステラは裏口から外に出た。
厩舎に馬を入れ、世話を終えて出てきたイールが井戸にバケツを戻していた。
「イール、今日の食事よ。エルダムが来た日は少し豪華になるね」
相変らず寡黙なイールは黙って頷き、お盆を受け取る。
「建ててもらった小屋は快適に使えている?エルダムが気にしていたの」
イールの喉が大きく動いた。それからぎこちなく口を開く。
「ああ……快適に眠れている……感謝していたと……」
「わかった。伝えておくね」
ステラはあっさり背を向けて家に戻っていく。
その後姿を見送り、イールはお盆を持ってエルダムに建ててもらった裏の小屋に入った。そこはステラの寝室のちょうど裏手にあった。
裏口から出てすぐに井戸を掘ったため、隣接する場所に建てるにはそこしか場所がなかった。反対側には厩舎がある。
窓辺のテーブルに置かれたランプをつけると、小さな寝台が浮かび上がる。
その壁の向こう側には両手を開いたぐらいの空間を挟み、ステラの眠る部屋がある。
普段、そこはイールにとって幸福な寝床だ。
ステラが眠ると寝室の明かりが落ちる。それを見届けて、イールも寝台に横たわる。
窓から月が見える日は、ステラも眺めているだろうかと思いながらイールは眠りにつく。
行き場のない思いを募らせながら、イールはただ傍にいられる幸福に感謝する。
そんなささやかな幸せは、エルダムが訪れた夜は少しだけ脅かされる。
ステラの寝室から漏れてくるのはランプの明かりだけではない。
愛する女性が他の男に抱かれている甘い声や、淫らな想像をかきたてる物音までもが漏れ聞こえてくる。
王城の離宮を出る前に、エルダムは三日間ステラを抱いたが、ステラはやはり子供を身ごもらなかった。
ここに店と住まいを建てた少し後に、エルダムはそれを確認に訪れた。
ステラから子供は出来なかったと聞くと、エルダムはそれから定期的にここに通うようになったのだ。
最初はぎこちなかったステラの嬌声は、少しずつ自然なものになり、最近は幸福そうなうっとりとした声にかわっていた。
エルダムはステラに肉体的な女の喜びを教えたのだ。
時々エルダムのそんな声も聞こえてくる。
恥ずかしがるステラに、胸を見せてもいいのだと教え、足を開かせて中を愛撫する。
逃げるステラを押さえつけ、優しく体の感じ方を教える。
イールはそんな声や物音を聞きながら、何年も前に犯した過ちに苦しんだ。
ステラの体を最初に抱いたのはイールだが、愛は与えなかった。
いつも他の女のことを考え、ステラを適当に満足させていた。
誰かから愛情をもらったことのないステラはそんなイールにしがみつき、愛だと錯覚した。
エルダムに真の愛があるかどうかはわからないが、それでもその当時のイールより百倍ましだ。
エルダムはステラを喜ばそうと力を尽くしている。
それがわかるだけに、イールは苦しかった。
窓越しに、ステラの声が聞こえてきた。
――エルダム……あっ……待って……入れるだけでいいのに……。
それではだめだとエルダムが答える。
――そこ……気持ちがいい……そこは、だめっ……あんっ……
ゆったりと愛撫を受けているステラの姿が目に浮かび、イールは鼻をすすりながら食事を食べようと椅子に座った。
テーブルは窓辺にある。
王城から運ばれてきた食事はいつも豪華で、絶妙な火加減で焼かれた肉や魔力使いが手を加えまるまると肥やした野菜などが皿の上に並べられている。
――あっ……あっ……うっ……あっあっ……
甘い声と共に寝台が規則的に軋む音が聞こえてくる。
耳を覆ってしまいたいが、ステラが満足しているかどうか確認せずにはいられないのだ。
手酷く扱われるようなことがあれば、助けに行かなければならない。
エルダムはステラを妻にしておきながら、他の女との間に子供を作り、ステラを捨てた男だ。ステラは愛の無い結婚だったから仕方がないと思っていたようだが、夫の帰ってこない離宮で寂しそうに待っていたステラの姿はいまだにイールの瞼に焼き付いていた。
そんな男を恨みもせず、子種をねだらなければならないほど、ステラは孤独で愛に飢えている。
ステラの恍惚とした声が漏れ聞こえてくると、イールはほっとしながらも泣いていた。
少なくともシリラとイールの間にはもっと健全な愛があった。
それはもうイールにとって大昔のことであり、その頃のような、いやそれ以上の愛でステラを想っている。
ただ、それは望まれない愛だ。
ステラは男が一度決めたことは貫くものだと思っている。
だからイールも奴隷としてステラの傍にいられるのだ。
ステラにとってイールはシリラだけを愛し続ける奴隷に過ぎない。
味も感じない豪華な食事を、イールは無心に飲み込み、窓辺からその向こうの寝室を見つめていた。
その頃、隣のステラの寝室では、一度目の交わりを終えたエルダムが腕に抱いたステラから店で仕入れた情報を聞いていた。
「治安が良くないのは事実だろうな……。ズイール小国では後継者争いが始まっている。
俺が口を出したことはないが、助けを求める声があれば動かなければならない」
ヴァルタ国の王になれなかったかつてのズイール国の王族は、ただでさえ仲が悪く、小国内には争いが尽きなかった。
「気を付けてね……」
何気ない一言だったが、エルダムは胸を熱くしてステラを見おろした。
細すぎた体は少しばかりふっくらとしてきたが、まだ華奢で心配になる。
「ステラ、君を手放しておきながら虫がいいことだが、俺が信じられるのは君の言葉だけだ」
エルダムの言葉にステラは怪訝な顔をした。
「嘘でしょう?私より付き合いの長いお友達がたくさんいるじゃない」
どこか遠い目をしてエルダムは窓の外を見た。
テーブルの明かりを落とすと、月明かりだけが窓辺を照らす。
「そうだな……。思ったより道が険しくてね。君が話していた男のことを時々思い出す。あの時代、君を抱えて逃げるのは大変なことだった。彼はやりきったのだと思うとね、俺も投げ出せない気持ちになる。
だけど、ここに来るとその道から少しだけ離れる事が出来る。君は身分や権力にこだわる人々から最も遠いところにいる。ここに来て君と言葉を交わすと、リーダム軍を立ち上げた時の強い気持ちを思い出す。
その時と変わらぬ志をもつ友は誰なのか、切り捨てなければならないものは何なのか」
貫く道を決めた男の言葉をステラは静かに聞いていた。
「そういえば、裏の男はずっとここにいるのか?」
エルダムが思い出したように、イールのことを問いかけた。
「奴隷でいたいのですって。自由も幸せも知っている人なのに、もったいない気がしているの」
エルダムは別の心配をしていた。この距離であればステラとエルダムが交わる音や声が聞こえているはずだ。
「厩舎と場所を入れ替えて建てるべきだったと思ってね。まだ若い男だろう。女を買いに行ったりはしないのか?俺が来ている間だけでも町に遊びに行ってもいいのではないか?護衛も外にたんまりいるしな」
エルダムが連れてきた護衛達は少し離れたところで野営をしている。
普段はステラの護衛として必要な奴隷だが、エルダムが来た時ぐらいはその役目を離れても良い。
ステラは野盗に襲われ、イールが囮になって連れ去られた時のことを思い出した。
一晩、娼婦の女に迫られても性欲を発散しようとしなかったのだ。
「そうね……。別に町に行って遊んでも良いし、首輪も外していいのだけど、たぶんそんな気分にならないのよ。彼、最愛の人がいるの」
驚いてエルダムは眉間に皺を刻む。
「好きな女がいるのか?それなのにここにいる?」
「そうなの。命をかけて愛した人がいるの。ジルドのお墓ばかりじゃなくて、シリラさんのお墓にも行ってあげないと」
ますます妙な顔をして、エルダムは首をひねった。
「死んだ女なのか?いつ死んだ?奴隷になる前か、後か?」
「ええと……四年以上前かしら……五年かな?その人が亡くなって、奴隷になったのもたぶんその頃ね。
私はそんなつもりはなかったのに、生き方を決めたみたいにこだわって……。その人無しの人生を考えるのが辛くなったのかもしれない」
「そんな昔なのか?!」
そんな一途な男がいるのだろうかと、エルダムは考え込んだ。
世捨て人なのだろうかと考え、そんな男がなぜステラと一緒にいるのかとさらに疑問が深まった。
しかし、男女の関係ではない奴隷の男は使い勝手がいい。
エルダムにとってステラは癒しを与えてくれる女性であり、結婚している間には感じたこともなかった愛情を抱き始めている。
傍に護衛を置きたいが、騎士や物々しい兵士では旅人が気軽に立ち寄ることが出来ない。
そう考えると、体躯の大きく強そうな奴隷は護衛にぴったりだ。
「あの奴隷は、剣術はどうなのだ?実際戦えるのか?」
「戦えるかどうかはわからないけど、ここに来る前に野盗に襲われて、囮になって私を逃がしてくれたの。警備兵を呼びに行って助けてもらったけど、戦わずに私を助けてくれたのよ」
それは知らない話だった。
エルダムは寝台の下に手を伸ばし、ベルトから短剣を抜き出した。
新たに作られたヴァルタ国の印が刻まれている。
「何かあれば、俺の名前を出してこれを見せろ。この辺りは俺の管轄だ。君は最後の選択者であるだけでなく、俺の妻だった女性だ。それに……」
ステラへの気持ちは育っているが、王城に戻すことはやはり難しい。
エルダムは口を閉ざし、ステラの上に覆いかぶさった。
「さて、そろそろもう一度始めるか」
子種をくれるのはエルダムだけだ。ステラはうれしそうに微笑み、今度こそと願いを込めてエルダムの体に抱き着いた。
そこが最後の選択者が開いた店だと知る者はごくわずかだった。
雨の少ない地域であり、晴れの日が長く続くと乾いた砂と日差しに参ってしまう旅人も多い。
入り組んだ東渓谷の迷路のような谷に建てられた小さな案内所は、適度に日陰もあり旅人が休むのにぴったりの休憩所でもあった。
砂埃の中、一人の旅人が案内所に向かって歩いてきた。
案内所の店主が、すかさず声をかける。
「こんにちは、旅人さん。この先に行くなら地図を持って行った方がいいよ。マウリの町にはこれから?近道もあるけど、この辺りはがけ崩れも多くて危険なの」
疲れ果てた様子の行商人が、ほっとしたようにフードを落とした。
旅のお得な情報を教えてもらえると旅先で教えられやってきた商人は、出てきた女店主に軽く用向きを告げる。
店主は旅人に飲み物を出すと、木陰に置かれたテーブルの上に地図を広げた。
「霊薬を探しているのね。ここで買うと高くなるから、こっちから回って東の店で買った方がいい。価格の秘密は彼らが薬草農家であることよ。ああ、ズイールに戻るなら、これは仕入れた方が良いかもね。あと、最近この辺りに野盗が出るとかで、物流が滞っている。この道を通って……」
店主はマウリの町と周辺の地図を二枚並べ、懇切丁寧に説明する。
「ところで、危険な道はなかった?最近北のほうから馬車が来なくなってね」
今度は新たな情報を店主の方が仕入れると、旅人は購入した地図を片手にお礼を言って立ち去った。
そんな旅人が数組通過し、夕暮れになると外に探索に出ていた奴隷が帰ってきた。
「ステラ、食材をとってきた」
頑なに奴隷の首輪を外さないイールは、開拓中の農地からとってきた野菜を腕に抱えている。
「イール、もう収穫?やっぱり乾燥に強い作物だったのね。美味しそう」
店主に言われ、奴隷の男は少しだけうれしそうに頬を赤くした。
その時、背後から店主を呼ぶ大きな声がした。
「ステラ」
振り返ったステラは、夕刻の日差しを背景に近づいてくる男の影に大きく手を振った。
あらわれたのは、店が閉まる頃合いを待ち構えていたエルダムだった。
背後には護衛の騎士達が二人の邪魔にならないように距離を空けて待っている。
一時期とはいえ王妃になったステラのために、多くの物資を運ばせ、この店を建てたのはエルダムだった。
店の奥には住まいの小屋もある。
不便なく暮らせているか時々様子を見に来ては、ステラを抱いていくのだ。
ステラが願ったことではないが、エルダムがそうしてやるべきだと思って始めたことだった。しかし最近ではその考えも少しずつ変わってきていた。
「そんなに頻繁に来てもいいの?奥さんは?」
王妃の席は空いている。
エルダムはステラの腰を抱き、馬の手綱をいつものように奴隷に手渡す。
「王妃の座は災いの元だ。俺は持つ気がない。後宮の女達はそうは思っていないようだが、いろいろとうんざりだ」
それでも王の道を下りたりはしないのだ。
二人は連れ立って小屋に入った。
それほど広くはない玄関口は居間になっており、奥が食堂兼台所だ。右手の奥には寝室がある。玄関横の小さなスペースは物入れになっていた。
豪華にしないでくれとステラがエルダムに頼んだため、部屋もそれほど広くない。
ステラは居間にエルダムを通し、お湯を沸かす。
エルダムが王城から持ってきた包みをステラに渡すと、それをいつものように台所で解き、火を入れてテーブルに並べた。
「イールにも渡してくるね」
「ああ、彼用の小屋は気に入ってもらえているか?」
この小屋には寝室が一つしかない。イールは奴隷だからと台所の隅で藁を敷いて眠っていたのだ。それを見かねてエルダムがすぐ裏手に奴隷用の小屋を建てた。
「ええ、覗いたことはないけど、毎日そこで寝ているの。食事を渡してくるね」
お盆を抱え、ステラは裏口から外に出た。
厩舎に馬を入れ、世話を終えて出てきたイールが井戸にバケツを戻していた。
「イール、今日の食事よ。エルダムが来た日は少し豪華になるね」
相変らず寡黙なイールは黙って頷き、お盆を受け取る。
「建ててもらった小屋は快適に使えている?エルダムが気にしていたの」
イールの喉が大きく動いた。それからぎこちなく口を開く。
「ああ……快適に眠れている……感謝していたと……」
「わかった。伝えておくね」
ステラはあっさり背を向けて家に戻っていく。
その後姿を見送り、イールはお盆を持ってエルダムに建ててもらった裏の小屋に入った。そこはステラの寝室のちょうど裏手にあった。
裏口から出てすぐに井戸を掘ったため、隣接する場所に建てるにはそこしか場所がなかった。反対側には厩舎がある。
窓辺のテーブルに置かれたランプをつけると、小さな寝台が浮かび上がる。
その壁の向こう側には両手を開いたぐらいの空間を挟み、ステラの眠る部屋がある。
普段、そこはイールにとって幸福な寝床だ。
ステラが眠ると寝室の明かりが落ちる。それを見届けて、イールも寝台に横たわる。
窓から月が見える日は、ステラも眺めているだろうかと思いながらイールは眠りにつく。
行き場のない思いを募らせながら、イールはただ傍にいられる幸福に感謝する。
そんなささやかな幸せは、エルダムが訪れた夜は少しだけ脅かされる。
ステラの寝室から漏れてくるのはランプの明かりだけではない。
愛する女性が他の男に抱かれている甘い声や、淫らな想像をかきたてる物音までもが漏れ聞こえてくる。
王城の離宮を出る前に、エルダムは三日間ステラを抱いたが、ステラはやはり子供を身ごもらなかった。
ここに店と住まいを建てた少し後に、エルダムはそれを確認に訪れた。
ステラから子供は出来なかったと聞くと、エルダムはそれから定期的にここに通うようになったのだ。
最初はぎこちなかったステラの嬌声は、少しずつ自然なものになり、最近は幸福そうなうっとりとした声にかわっていた。
エルダムはステラに肉体的な女の喜びを教えたのだ。
時々エルダムのそんな声も聞こえてくる。
恥ずかしがるステラに、胸を見せてもいいのだと教え、足を開かせて中を愛撫する。
逃げるステラを押さえつけ、優しく体の感じ方を教える。
イールはそんな声や物音を聞きながら、何年も前に犯した過ちに苦しんだ。
ステラの体を最初に抱いたのはイールだが、愛は与えなかった。
いつも他の女のことを考え、ステラを適当に満足させていた。
誰かから愛情をもらったことのないステラはそんなイールにしがみつき、愛だと錯覚した。
エルダムに真の愛があるかどうかはわからないが、それでもその当時のイールより百倍ましだ。
エルダムはステラを喜ばそうと力を尽くしている。
それがわかるだけに、イールは苦しかった。
窓越しに、ステラの声が聞こえてきた。
――エルダム……あっ……待って……入れるだけでいいのに……。
それではだめだとエルダムが答える。
――そこ……気持ちがいい……そこは、だめっ……あんっ……
ゆったりと愛撫を受けているステラの姿が目に浮かび、イールは鼻をすすりながら食事を食べようと椅子に座った。
テーブルは窓辺にある。
王城から運ばれてきた食事はいつも豪華で、絶妙な火加減で焼かれた肉や魔力使いが手を加えまるまると肥やした野菜などが皿の上に並べられている。
――あっ……あっ……うっ……あっあっ……
甘い声と共に寝台が規則的に軋む音が聞こえてくる。
耳を覆ってしまいたいが、ステラが満足しているかどうか確認せずにはいられないのだ。
手酷く扱われるようなことがあれば、助けに行かなければならない。
エルダムはステラを妻にしておきながら、他の女との間に子供を作り、ステラを捨てた男だ。ステラは愛の無い結婚だったから仕方がないと思っていたようだが、夫の帰ってこない離宮で寂しそうに待っていたステラの姿はいまだにイールの瞼に焼き付いていた。
そんな男を恨みもせず、子種をねだらなければならないほど、ステラは孤独で愛に飢えている。
ステラの恍惚とした声が漏れ聞こえてくると、イールはほっとしながらも泣いていた。
少なくともシリラとイールの間にはもっと健全な愛があった。
それはもうイールにとって大昔のことであり、その頃のような、いやそれ以上の愛でステラを想っている。
ただ、それは望まれない愛だ。
ステラは男が一度決めたことは貫くものだと思っている。
だからイールも奴隷としてステラの傍にいられるのだ。
ステラにとってイールはシリラだけを愛し続ける奴隷に過ぎない。
味も感じない豪華な食事を、イールは無心に飲み込み、窓辺からその向こうの寝室を見つめていた。
その頃、隣のステラの寝室では、一度目の交わりを終えたエルダムが腕に抱いたステラから店で仕入れた情報を聞いていた。
「治安が良くないのは事実だろうな……。ズイール小国では後継者争いが始まっている。
俺が口を出したことはないが、助けを求める声があれば動かなければならない」
ヴァルタ国の王になれなかったかつてのズイール国の王族は、ただでさえ仲が悪く、小国内には争いが尽きなかった。
「気を付けてね……」
何気ない一言だったが、エルダムは胸を熱くしてステラを見おろした。
細すぎた体は少しばかりふっくらとしてきたが、まだ華奢で心配になる。
「ステラ、君を手放しておきながら虫がいいことだが、俺が信じられるのは君の言葉だけだ」
エルダムの言葉にステラは怪訝な顔をした。
「嘘でしょう?私より付き合いの長いお友達がたくさんいるじゃない」
どこか遠い目をしてエルダムは窓の外を見た。
テーブルの明かりを落とすと、月明かりだけが窓辺を照らす。
「そうだな……。思ったより道が険しくてね。君が話していた男のことを時々思い出す。あの時代、君を抱えて逃げるのは大変なことだった。彼はやりきったのだと思うとね、俺も投げ出せない気持ちになる。
だけど、ここに来るとその道から少しだけ離れる事が出来る。君は身分や権力にこだわる人々から最も遠いところにいる。ここに来て君と言葉を交わすと、リーダム軍を立ち上げた時の強い気持ちを思い出す。
その時と変わらぬ志をもつ友は誰なのか、切り捨てなければならないものは何なのか」
貫く道を決めた男の言葉をステラは静かに聞いていた。
「そういえば、裏の男はずっとここにいるのか?」
エルダムが思い出したように、イールのことを問いかけた。
「奴隷でいたいのですって。自由も幸せも知っている人なのに、もったいない気がしているの」
エルダムは別の心配をしていた。この距離であればステラとエルダムが交わる音や声が聞こえているはずだ。
「厩舎と場所を入れ替えて建てるべきだったと思ってね。まだ若い男だろう。女を買いに行ったりはしないのか?俺が来ている間だけでも町に遊びに行ってもいいのではないか?護衛も外にたんまりいるしな」
エルダムが連れてきた護衛達は少し離れたところで野営をしている。
普段はステラの護衛として必要な奴隷だが、エルダムが来た時ぐらいはその役目を離れても良い。
ステラは野盗に襲われ、イールが囮になって連れ去られた時のことを思い出した。
一晩、娼婦の女に迫られても性欲を発散しようとしなかったのだ。
「そうね……。別に町に行って遊んでも良いし、首輪も外していいのだけど、たぶんそんな気分にならないのよ。彼、最愛の人がいるの」
驚いてエルダムは眉間に皺を刻む。
「好きな女がいるのか?それなのにここにいる?」
「そうなの。命をかけて愛した人がいるの。ジルドのお墓ばかりじゃなくて、シリラさんのお墓にも行ってあげないと」
ますます妙な顔をして、エルダムは首をひねった。
「死んだ女なのか?いつ死んだ?奴隷になる前か、後か?」
「ええと……四年以上前かしら……五年かな?その人が亡くなって、奴隷になったのもたぶんその頃ね。
私はそんなつもりはなかったのに、生き方を決めたみたいにこだわって……。その人無しの人生を考えるのが辛くなったのかもしれない」
「そんな昔なのか?!」
そんな一途な男がいるのだろうかと、エルダムは考え込んだ。
世捨て人なのだろうかと考え、そんな男がなぜステラと一緒にいるのかとさらに疑問が深まった。
しかし、男女の関係ではない奴隷の男は使い勝手がいい。
エルダムにとってステラは癒しを与えてくれる女性であり、結婚している間には感じたこともなかった愛情を抱き始めている。
傍に護衛を置きたいが、騎士や物々しい兵士では旅人が気軽に立ち寄ることが出来ない。
そう考えると、体躯の大きく強そうな奴隷は護衛にぴったりだ。
「あの奴隷は、剣術はどうなのだ?実際戦えるのか?」
「戦えるかどうかはわからないけど、ここに来る前に野盗に襲われて、囮になって私を逃がしてくれたの。警備兵を呼びに行って助けてもらったけど、戦わずに私を助けてくれたのよ」
それは知らない話だった。
エルダムは寝台の下に手を伸ばし、ベルトから短剣を抜き出した。
新たに作られたヴァルタ国の印が刻まれている。
「何かあれば、俺の名前を出してこれを見せろ。この辺りは俺の管轄だ。君は最後の選択者であるだけでなく、俺の妻だった女性だ。それに……」
ステラへの気持ちは育っているが、王城に戻すことはやはり難しい。
エルダムは口を閉ざし、ステラの上に覆いかぶさった。
「さて、そろそろもう一度始めるか」
子種をくれるのはエルダムだけだ。ステラはうれしそうに微笑み、今度こそと願いを込めてエルダムの体に抱き着いた。
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