最後の選択者

丸井竹

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第三章 孤独な女の未来

29.封じられた言葉

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 翌朝、井戸で水を汲んでいるイールにエルダムは声をかけた。

「イール、十日ほどかけて墓参りに行くと聞いた。ヴェルス平原の向こうだな」

相変わらず暗い表情のイールはすぐに俯き、両膝をついた。
奴隷が王を正面から見ることは無い。

「これを持って行け」

ヴァルタ国の紋章を刻んだ剣を差し出すと、イールは頭を下げたまま両手で丁寧に受け取った。
その様子をエルダムは鋭く観察した。
頭をあげることはなかったが、腕を上げた時に、ちらりと見えたその目元は赤く腫れ、瞳も充血しているように見えた。
昨夜は、ステラが疲れ果て眠りに落ちるまで、抱き続けた。

その声も物音も真夜中になるまで続いたのだ。
イールはその間起きていたに違いないとエルダムは考えた。

「イール、昨夜は少し無理をさせた。後でステラの様子を見にいってくれ」

「はい……」

頭をさらに低く下げたイールに背を向け、裏庭を出ていこうとしたエルダムは足を止めた。

「そうだ。イール、戻ってきたらステラにまた城に来てくれないかと頼むつもりだ。王妃という立場に戻って欲しいが、彼女は私の申し出を受けると思うか?」

大きな体を縮め、肩を震わせながらイールは首を小さく横に振った。

「わ、わかりません……」

権力も金もある男が最愛の女性に求婚すると知って、奴隷の男が何を決断出来るだろう。
エルダムは悠然と笑みを浮かべた。

「そうだな。奴隷のお前に聞いても詮無きことだったな」

エルダムはステラが起きてくる前に部下達と城に戻っていった。
それを見送ったイールは様子を見て欲しいとエルダムに頼まれた通り、ステラのもとへ向かった。

イール用の小屋が出来たため、夜はもう台所で寝ることはないが、エルダムがいない日は一緒に食事をとっている。最初は二人の家だった。
居間を抜け、食堂を横切ると奥が寝室になっている。

扉を叩くまでもなく、寝室の扉はまるでイールに見せつけるように開いていた。
寝台にステラが眠っている。
乱れた寝具の中に丸まり、起きる気配もない。

床に落ちている寝具から淫靡な香りが漂っている。
寝室に足を踏み入れ、イールは床に落ちている濡れた寝具を拾い上げた。
頭をあげる瞬間、毛布を抱えるステラの白い胸元が視界に入った。

花びらのような口づけの跡がその体を彩っている。
すぐに目を逸らし、イールは寝具を抱えて裏庭に回った。
水を汲み上げ洗い物を始める。

イールは一心不乱に洗濯を続けようとした。
どうしても考えてしまうのだ。この寝具の上でステラがどんな風に乱れたのか。
昨夜のステラの声が耳を離れない。

少し乱暴に交わったせいか、ステラの声は悲鳴のように聞こえ、何度も止めに行くべきか迷った。
よせばいいのに、小屋を出て闇に包まれた裏庭からステラの寝室を覗き込んだ。
寝台横のテーブルにランプが置かれ、二人の姿は丸見えだった。

喜びに染まるステラの姿に衝撃を受けた。
愛を偽っていた時でさえ、そんなステラの姿は見たことがなかった。
もしエルダムが今度こそステラを大切にするというなら、これ以上の男はいないだろう。

イールは手元のシーツを石鹸でこすりながら、袖をまくった腕で何度も目元を拭った。

 

 昼近くになってもステラは起きてこなかった。
店が開いていないのに、ふらりと訪れてしまった旅人や買い物客をイールが相手をし、しばらく留守にすることを告げた。

日が高くなり、昼休憩の看板を出すと、イールは再びステラの小屋に入った。
ステラはまだ眠っている。
日差しに温められ、少し熱くなったのか、ステラは抱きしめていた毛布を床に落とし、全裸で横たわっていた。

その足の間からどろりとした大量の白い粘液が溢れだしていた。
すぐに部屋を出てひざ掛けを抱えると寝室に引き返し、ステラの体にかける。
床に落ちている毛布を拾い上げると、足で挟んでいた部分はやはりエルダムの痕跡が染み対いている。

それを抱え、イールは再び裏庭に洗いに出た。
ステラは愛を注げる相手を探している。純粋に自分だけを愛してくれる誰かを。

イールが与えた愛は偽りだった。ステラは愛がどんなものかわからなくなったのだ。
利用され続けてきたステラは自分が愛される価値のある人間だと気づいていないのかもしれない。

今度、ステラの信頼を裏切るようなことをすれば、それこそステラを酷く傷つけ、生涯失った信頼を取り戻すことはできなくなる。
桶の中に涙の雫が落ちる。

涙を拭おうと持ち上げた手が止まり、イールは首元の隷属の首輪に触れた。
奴隷でなくなれば、傍にいる理由を失ってしまう。逆に奴隷であれば、ステラがまた王の妻に戻っても傍にいられる。

毛布を干し終える頃、ステラが起きてきた。

「イール、お店をしてくれていた?ありがとう。お休みの札も作ってくれたのね。良かった」

振り返ったイールの目に飛び込んできたステラは、女神のように輝いて見えた。

「イール?」

無意識にすすり上げた鼻を腕で擦り、イールは頭を下げた。

「馬車の用意も出来ている……」

少し様子のおかしいイールに、ステラは心配そうな眼差しを向けたが、イールを長い時間待たせていることに気が付いた。今回はイールが最愛の女性に会いに行くための旅なのだ。

「ごめんなさい。すぐに支度をしてくるから」

小屋に戻るステラの背中をイールはじっと見送った。

 その日の夕刻前、無事に二人は馬車で店を出発した。

昨夜の疲れもあり、ステラはすぐに眠りに落ちた。
イールは黙々と馬車を走らせた。

日が暮れてくるとイールは小さな宿場町に馬車を止めた。
宿を決め、食堂に向かうとそこは多くの旅人たちでにぎわっていた。

その様子を眺め、ステラはイールに語り掛けた。

「イール、私には無縁のことだと思っていたけど、エルダムがしていることってすごいことなのね。権力を持つって大切なことね。彼が上にいれば安心できるもの。皆、そんな王を求めているのね」

誰もが安心して暮らせる戦の無い国を作る。そんな偉大な仕事をしてのけたエルダムがステラを妻に望むなら、イールの入る隙などあるはずがない。
イールはステラの話に黙って頷いた。

別々の部屋で休み、二人は夜が明ける前に出立した。
昼前に旅に少し退屈した様子のステラが御者席の後ろにやってきた。

「ねぇ、イール、故郷の話を聞かせてくれる?シリラさんとはどうやって出会ったの?」

それはイールにとって辛い質問だった。シリラのことはもう忘れて欲しかったのだ。
過去のことであり、イールは命をかけてその想いを貫いた。それは終わったことだ。
今あるのは、ステラを傷つけた後悔と、募っていくステラへの想いだ。

「特別なことじゃない……」

様々な想いを飲み込み、イールは口を開いた。

「物心ついた時にはそこにいた。同じ村で、同じ年頃で、仲良くなって、なんとなく一緒にいるものだと思っていた」

「最後は一緒にいられたのよね?」

「ああ……数日で消える命と思ったが、一年生きて、幸せだと何度も言っていた……」

イールの声は次第に小さくなり、最後の言葉は馬車の車輪の音にかき消された。
ステラは気にした様子もなく、膝を抱えて座り、ヴェルス平原の先を眺めた。

「私たちは幸せになるように作られていないけど、幸せに生きた骨師もいたのね。
私は骨師以外の道は生きられなかった。森で倒れて死にかけていたところを拾われたの。
その人は骨師を探していて、もし私が骨師でなければまた捨てられるか、あるいは殺されることになっていたの。
師匠は長生きしたのよ。幸せだったかどうかわからないけど、生きる長さを決められたのは良かったのかな」

もう骨師ではないが、ステラはその呪縛がこれからも続くと思っているような口調だった。
イールはステラの存在を背中に感じ、二人きりで旅が出来るそのささやかな幸せを噛みしめた。

 旅を初めて三日目、ヴェルス平原を抜け、赤茶色の山脈が迫る小さな集落に到着した。
そこはすっかり様変わりしてしまい、イールの知り合いは一人もいなかった。
村は戦で崩壊したのだ。

残っていたのはシリラの墓と、一緒に過ごした小屋の残骸だけだった。

イールについてそのお墓に辿り着いたステラは、きれいに整えられたそのお墓の様子に知らず胸を押さえた。
ジルドのお墓よりずっと立派で、小さいが花も咲いている。
それはイールの愛の証だ。
誰かに愛され、幸福に命を落とした女性が眠っているのだ。

骨師となり洪水を前にした人々の無償の愛を脳裏に見たこともあるのに、ステラには実感できる愛がない。
愛とはどんなものなのだろうとステラはぼんやりと思った。

イールはシリラの墓の前に膝を付き、軽く頭を下げた。
声に出して何か話し出したりはしなかったが、ステラはイールがシリラに対して変わらぬ愛を誓っているのだろうと思った。

近くに宿をとるか、ここで一泊しようとステラは提案したが、イールはその必要はないと言い張った。

「でも、イールは久しぶりでしょう?私は馬車の中にいるから二人きりで時間を過ごしたら?」

イールは苦痛の表情で胸に込み上げる言葉を飲み込んだ。
シリラの墓の前で、今愛しているのはステラなのだと告白すれば、ステラにその想いを信じてもらえるのではないかと思っていた。
しかし、エルダムがステラをもう一度王城に連れていくというのなら、イールの想いは不要のものだ。

エルダムに愛される以上の幸せはないだろう。

旅立ちの直前、裏庭でエルダムがイールだけに告げた言葉はあまりにも重くイールの気持ちにのしかかり、本当に告げたい言葉を封じていた。

「ステラ……俺は……もうここに来る必要はないと思っている……彼女はもう天上の世界にいる。既に幸せに旅立った。俺達は子供で、広い世界を知らなかった。
君のことも、君の国のことも、自分たちの世界が、心に感じるものが絶対に正しいと信じて疑わなかった。道は一つではなかったのだと気づくまで時間がかかった。俺は、もし時が戻るなら、同じ道は選ばない……」

ステラは首を傾ける。

イールは言葉を閉ざし、心の中で自身に言い聞かせた。
ステラには幸せになって欲しい。本当の幸せを知って欲しい。自分が壊した幸せや愛をどこかで見つけ、その喜びに微笑むステラが見たい。
その相手がエルダムであるならば、それは応援するべきだ。

エルダムはステラが戻ってきたら王城に連れていくと言っていた。
今度こそステラは大切にしてもらえるはずだ。
イールは不思議そうに自分を見返しているステラに、何でもないと微笑んだ。

「早く帰ろう……」

胸を痛めながら、イールはステラにそう告げた。
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