少年に恋した男は二度恋に落ちる

丸井竹

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2.戦う覚悟

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草むらから跳ねるように飛び出した悪漢たちに驚いて、まずクリスの馬が逃げた。
ルークの馬は数歩退いたが、逃げずにとどまった。

三人の悪漢は目配せし、裕福そうな身なりの子供に狙いを定めた。
二人の倍もあるような大男達が、大きな影となり迫ってくる。

武器は手にしている木刀だけだ。
それでも、草原から飛び出してきた賊たちにクリスは即座に反応した。

「ルーク!馬にのれ!」

叫びながら地面を蹴った。
正確に、その木刀の切っ先は人の命を奪うために突き出された。
子供をさらおうと腰を屈め近づいていた賊は、不意を打たれた。

「ぎゃああっ」

片目を押さえて倒れた賊の上に駆け上がりながら、クリスは木刀を薙ぎ払った。
横から襲い掛かってきたもう一人の賊も目を押さえて倒れ、間髪入れず、クリスはその上から真っすぐに木刀を立てて落とした。

何かが砕けるような、耳慣れない音がして二人目の賊の目に木刀が突き立った。
引き抜くとそこから鮮血が噴き出した。

最後の一人は長剣を抜いた。
あっという間に二人がやられたのを見て、目つきが変わる。
血に飢えた残忍な顔付きでクリスを睨みつけ、一気に襲ってきた。

木刀と長剣では分が悪い。
クリスは最初に倒した賊の腰から短剣を抜き取った。

後ろに転がりながら、敵の攻撃を避け、必死に隙を窺う。

ルークはそこでやっと我に返った。
木刀を握る手が震えている。

馬は動揺したように鼻を鳴らし足踏みしていたが、まだそこに留まっていた。
馬で逃げてしまえば助かると思ったが、クリスが大男を相手に戦っている。

体格差から見たら、大人相手に子猫が立ち向かっているような光景だったが、クリスの目は戦いを諦めていなかった。

そんなクリスの気迫に押され、ルークは馬から自分の剣をつかみ取り鞘を投げ捨てた。

本物の剣を人に使うのは初めてであり、まだ手が震えている。
それでもクリスを助けるべきだとルークは大男に向かって走った。

剣を奪われたのか、クリスは大男に押しつぶされ視界から消えている。
もしかしたらもうやられてしまったのかもしれないと思い、ルークは足がすくんだ。
殺されているとしたら、今は引き返して逃げるしかない。

その時、草の中から男の絶叫があがった。

「ぎゃあああああっ」

それはクリスの声ではなかった。
うつ伏せにクリスに覆いかぶさっていた大男の身体が、どさりと落ちた。

ゆっくりルークが近づくと、その巨体の下から細い手が這い出した。
ルークが助けに行こうと走り出す。
それより早く、クリスは巨体を足でけりながら自力で外に抜け出した。

素早く立ちあがり、他に賊が隠れていないか周りを見渡す。
その体は返り血で赤く染まっている。

クリスがルークの方を向いた瞬間、電光石火のごとくその手が伸びた。
先ほどまで手にしていた短剣は悪党の体を貫くのに使ってしまっている。

「貸せ」

短く叫び、クリスがルークの手から本物の剣を奪い取り、ルークの肩越しに鋭く突き出した。

「ぎゃあああっ」

突き出された剣の先から悲鳴が上がり、生暖かい液体がルークの頬にびしゃっとかかった。

ルークが振り返ると、片目を剣に貫かれた悪党が痛みに耐えかね後ろに倒れていくところだった。

クリスは茫然と立ち尽くすルークを押しのけ、背後からルークを狙っていた賊の剣を取り上げると、痛みにのたうちまわる男の股間を蹴り上げた。

目を押さえ、股間の痛みに体を丸めた男に近づき、クリスは渾身の力でその喉に剣を突き刺した。

短い絶叫が上がり、男はついに動かなくなる。
突如襲い掛かってきた野盗をあっという間に全員倒したクリスは、大きく肩で息をしながらルークを振り返る。

「馬に乗れといっただろう!役人を連れてくるんだよ。俺達二人じゃかなわない時は俺が足止めだ。お前は助けを呼べ」

叫ぶと、即座にクリスは転がった男達にとどめを刺して回り始めた。

赤く染まった体はまだ小さい子供のものだ。

「体を洗いに行く。ルーク、警備兵を呼びに行けるか?一人で戻るなよ」

クリスはルークの手からもぎとった剣を押し付けるように返した。

「お前専用の剣だろう?子供用で軽くて助かったよ。さすがにあいつらの剣を奪って戦えるほどの力はないからな」

汚れた顔に笑みを浮かべたクリスは変わらず輝いて見えたが、返り血に濡れ、完全に戦った者の表情だった。
主人としてあまりにも不甲斐なく、ルークは言葉も出ない。

クリスはてきぱきと周囲を確認し馬をひっぱってくると、ルークを馬に押し上げた。そしてもう一度、警備兵と一緒に戻ってくるようにと念を押す。

ルークはなんとか頷き、しばらくして門に常駐している兵士たちを連れて戻ったが、クリスはもうそこにはいなかった。
夕暮れの草原には、物言わぬ無残な死体が転がっているだけだった。

赤く染まった夕日を背にし、ルークはクリスを危険に晒したことを恥じていた。

戦う訓練をしていながら、実際に戦う覚悟は出来ていなかったのだ。
悔しさに拳を握りしめ、ルークは強くなろうと心に決めた。


クリスはその日、初めて剣で人を斬った。
少女は冷たい川に身を沈め、全身を洗い流しながら必死に涙をこらえた。
誰かを守っている身で泣いて崩れ落ちるようなことはできなかった。

込み上げる熱い塊をいくつも飲み込みながら、無心で体と服を洗うと、洞に隠しておいた着替えを引っ張り出した。
血の匂いも糞の匂いもそうかわらない。

鼻につく、嫌なにおいだった。

そろそろ日の落ちる刻限であり、川の周辺にも闇が迫っている。
川沿いの茂みに隠れていたクリスは、遠目からルークが警備兵達と町に戻るのを見届けて、帰宅の途についた。


温かな日が灯る家では、母親は暖炉の前で鍋をかき回していた。

「母さん!」

少しずつ微笑みを取り戻してきた母親にクリスは駆け寄った。

「買い物に行ったの?俺が買いにいくから外に出るなって言ったじゃないか」

「行っていないわ。残り物よ」

母親の返答に安堵して、クリスは母親と食事作りを代わろうとした。

「休んでいてよ。俺がやるよ」

母親はクリスの手が触れると驚いたように目を見開き、クリスの手を包み込んだ。
その手は母親の手よりずっと小さく、氷のように冷たく震えていた。

「さっき川で体を洗ってきたんだ。ほら、厩の糞運びしているって言っただろう?今日はとくに臭くてさ。長いこと川に入っていたから」

母親から自分の手を取り戻し、クリスは食材の包みをテーブルの上に置いて中身を広げ始めた。

「今日はハムが安くてさ。バルバルの肉だよ。俺もいつか一人でとれるようになりたいな」

「危ないことをしているの?」

「していないよ!」

クリスはむきになって叫んだ。

「母さんは何もしないでいいんだ。うちにいてくれよ。もう、家にいてくれ」

母親は寂しそうに微笑んで、無言で頷いた。
その日、母親がクリスの変化に気づき、声をかけるようなことはなかった。
食事を終え、灯りを落とすと、母親が先にベッドに入った。
クリスは母親が眠ったかどうか確認してから、その傍らに潜りこんだ。

母親に抱かれて眠れば、無力な子供に戻ってしまう。
それでは、二人の生活は支えられない。

幼くとも、クリスは母親よりも、強い存在でなければならなかったのだ。


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