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11.侵入者達
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ドルバインの別荘近くに馬を止めたルータスは、柄の悪い仲間達と共に厩舎を目指した。
その腕にはごそごそと音のする大きな四角いかごが抱えられている。
彼らは速やかに、別荘の裏庭にある厩舎の中に入り込んだ。
そこは無人であり、馬の姿さえない。
「寒いな……ここでは炎虫が死んでしまうかもしれないぞ」
白い息を吐きだし、仲間の一人がルータスに囁いた。
「さっき馬車も出て行ったし、ドルバインたちもまだまだ戻ってこない。今のうちにこいつが生きられる環境づくりをしておこう。
藁を積み上げて、保温しておけばすぐには死なない。役人たちが来るまで生きていればいい。あるいは死骸になっていても構わないかもしれない。どちらにしても、役人たちは悪名高いドルバインがこの虫をばらまいたと信じるさ」
ドルバインは、徴税管理官を引退しているが、その理由は領主不在の間に、違法な税のとりたてを行ったからだとされていた。しかしその真相は、ドルバインが領主の評判を高めるため、わざと悪名を被り追放されたと見せかけ引退したのだ。
その真相は、当然ながら市井の人々に知らされることはなかった。
ドルバインが噂通りの悪人だと信じているルータスは、悪名高いドルバインであれば、犯人にしたてることが可能だと思っていた。
「厨房の台所に入れたらどうだ?例の会は終わったと聞いている。客も、もう来ないだろう」
仲間の言葉にルータスも同意し、厩舎を出て厨房の裏口に向かう。
と、その進行方向に人影が飛び出した。
「あなた達が……虫をばらまいていたの?」
威勢の良い女の声に、悪党たちは驚いたが、ルータスはその顔を見てすぐに落ち着きを取り戻した。
「アロナ……まだここで働いていたのか。村に戻っていたはずじゃなかったのか?」
「追加の仕事があって、また働きに来ていたの。あなたが持っているその箱、この辺りの農地をダメにする南国の虫が入っているのね。なぜそんなものを持ち込んでいるの?」
厩舎裏に回り込み、彼らの話をこっそり聞いていたアロナは、厨房に男達を入れまいと先回りして扉の前で待っていたのだ。
どうするのかと、仲間達がルータスに目配せした。
ルータスは唇を舐め回し、じりじりとアロナに近づいた。
「なぜって?抱きたい女がいるからだよ。農地がだめになれば収穫が減り、女は体を売りに行く。俺が金を貸すといえば、夫たちは喜んで娘や妻を差し出すだろう?」
あまりの非道な話に、アロナは怒りを通り越し、恐怖すら覚え青ざめた。
「なんてひどい……。生活の糧を奪い、それを脅しの材料に誰かの奥さんを奪っていたというの?そんな、酷いこと、許されるわけがない。
逆の立場だったらどう思うか考えたことがないの?あなただって、奥さんや娘さんがいるでしょう?生活のために娘を売れと脅されたらどうするの?しかも何の非もないのに、理不尽にそんなことを迫られたら!」
「逆の立場だって?考える必要はないだろう。俺は次の村長だぞ?俺が掟だ。税だって、お前らがおさめる義務があるのであって、俺じゃない。
俺の妻はぶすだし、娘もどうでもいい。俺は……お前より村では力があるし、お前はただの女だろう?貴族に雇われているといっても、貴族じゃない。ただの村人だ。その地位は俺より低い」
アロナに見られたぐらい、ルータスにはどうでもいいことだった。
村長の息子であるルータスは、自分より力のない人々は簡単に黙らせることが出来ると本気で信じていた。
町の悪い連中と手を組み、娼館で貧しい女達を少ない賃金で働かせ、その上前は自分達の懐に入れ、好きなだけ稼いできて気も大きくなっていた。
ちょっとずるい手を使えば、欲望を我慢することなく、好きな女を抱いて遊べるのだ。
アロナのことも黙らせるのは簡単だとルータスは考えた。
「こ、ここは貴族様のお屋敷よ。ドルバイン様だって、そりゃ……悪い噂もあるけど実際はそうじゃないし、誰も信じないわ!」
「信じるさ。国の役人たちがここでこの虫を発見する。ドルバインが黒幕だと信じ、王都に連れていかれたら領主様だって口は出せない。だいたい、ここで何が行われているか尋問されて、正直に話せるのか?
淫らな男女を集めて、乱交パーティーをしていると評判だ。わざとそんな怪しい噂を立てて、その陰でこの土地をだめにする虫を育て、問題になったところでそれを退治し、手柄顔で報酬を受け取り、元の地位に戻ろうと企んでいたと役人たちは考えるはずだ。
人々は噂好きで、考えるのが面倒な役人は犯人さえ捕まれば、それをさっさと手柄にして出世したがる。
この辺りで評判の悪いドルバインの言い分を、王国の偉い役人たちが信じると思うか?お前を可愛がってくれているドルバインは貴族だが、所詮は田舎貴族。
中央の国家権力には太刀打ちできない、田舎の成り上がりものが一人処刑されても誰も気にも留めないさ」
それは誰かの入れ知恵だったが、ルータスは心からその言葉を信じていた。
話し終えたと同時に、目をぎらつかせ、アロナに飛びかかろうとする。
すぐにアロナは背後の裏口から厨房に逃げ込み、扉を閉めた。
そのまま走り出すと、すぐに扉をこじあける音が背中に聞こえてきた。
アロナは大勢の足音に追われながら、必死に隠れる場所を探した。
証人である自分が捕まるわけにはいかない。
階段を駆け上がり、二階に上がった時、表玄関が乱暴に開く音がして、大勢の気配が入ってきた。
ルータスの仲間はまだ他にもいたのだ。
厨房からも通路を抜けてルータス達が迫っている。
全部合わせて三十人近くいるかもしれない。
アロナは大急ぎで従業員用の通路を使って三階に逃げた。
大部屋に飛び込み、鍵をかけると奥の部屋の衣装棚に飛び込んだ。
扉を閉め、奥に隠れる。
そこにあった毛布を頭からかぶり、扉の隙間から室内の様子を窺う。扉は横板を並べて張り合わせた形であるため、扉を閉めた中からも外が見える。
通路の方からばたばたと足音が聞こえ、廊下に面した扉を開けて室内を確かめていく男達の声が聞こえてきた。
「鍵がかかっている部屋だ。そこを探せばいい」
鍵がかかっている部屋はアロナが逃げ込んだ部屋だけだ。
しまったと思ったが、もう遅かった。
アロナは震えながらさらに奥に移動し、タオルやガウンの山の後ろに隠れた。
扉に体当たりをする音が室内に響きだし、男達の怒号が聞こえてきた。
殺されてしまえば、ドルバインに殺人の容疑までかかってしまう。
アロナは震える体を両腕で抱きしめた。
後先考えずに、屋敷を守ろうと無謀にも彼らの前に飛び出してしまったことを、心の底から後悔した。
なぜ大声を上げれば、ルータス達が驚いて逃げ出してしまうと思ったのか。
なぜ彼らの企みを聞いた時に、すぐに逃げて助けを呼びに行かなかったのか。
アロナは短絡的な自分の行動を死ぬほど悔いたが、今更のことだった。
ナリアがカインを裸にして吊り下げていた時も、我慢しきれず飛び込んでしまった。
ドルバインが間に合わなければ、どちらかが死ぬことだってあり得たのに。
感情的になると、すぐに体が動いてしまう。
アロナはポケットから折り畳んで入れていた、今朝カインからもらった注意書きの紙を取り出した。
それを床に置き、爪で紙の上から犯人の名前を刻み込んでいく。
木炭でこすればその名前が浮かび上がるし、ドルバインであればきっとこの印に気づくはずだ。
扉が破壊されていく音をすぐ間近で聞きながら、アロナは薄暗い衣装棚の中で、ルータスの卑劣な計画に抗うために他に何が出来るか考えた。
もし死んでも、何か残さなければならない。
ドルバインの名誉と、それから自分の生きた証のために、アロナは折り畳んだ紙を床の隙間に押し込んだ。
――
ドルバインの別荘を離れたナリアたち一行は、馬車に揺られて町に向かっていた。
春先の陽気な日差しは、憂鬱な心まで温めてくれるようで、ナリアは窓越しにのどかな田舎の光景を見つめていた。
侍女のミリーとケイラが向かいに座り、ペイジーは後ろの馬車に乗っていた。
護衛のジーンは御者席に、ドムは馬に乗って馬車の前後にいた。
「待って、馬車を止めて」
窓の外を見ていたナリアが突然命じ、急いでミリーが反対側の扉を開け、御者席に向かって馬車を止めるように告げた。
馬車が止まり、ナリアは黒ずんだ雪の残る荒野の向こうに目を凝らした。
そこには馬を駆るドルバインと、その後ろを追いかけるカインの姿があった。
近隣の村々を回って走っているのだ。
その後ろに町の兵士の姿もあった。
何か事件が起こっているのかもしれないし、あるいはこの辺りに心配なことがあって見回っているだけかもしれない。
仕事熱心で、人に頼られていた元夫の姿を思い出し、ナリアはじっと考え込んだ。
ドルバインは自分の性癖を隠すことも出来たのに、誠実にナリアに告白してくれた。
しかも、それを周りに言いふらしてしまったのに、ドルバインはナリアの行為を咎めるようなこともしなかった。
「ドルバイン様は……誠実で素敵な夫だったと思うの……」
「今の旦那様も素敵だと思いますよ……」
控えめに、侍女のミリーが答えた。
ドルバインの紹介で出会った今の夫に不満があるわけではなかった。
ただ、ある種の違和感が消えなかったのだ。
「やっぱり、別荘に戻ってドルバイン様を待とうかしら……。お忙しそうだけど、私の相談に乗ってくださると思わない?」
「ドルバイン様なら、きっとそうしてくださると思いますけど……戻ります?」
あまり気が進まない様子でミリーが問いかける。
女主人が出かけるとなれば、侍女たちが付き合うのは当然であり、そこに疑問を抱いたことはないが、今回の旅行には少し疑問を感じていた。
ナリアがなぜ元夫に会いたがるのか、侍女たちにもよくわかっていない。
侍女たちは、黙り込んだ女主人の様子を見て腰をあげた。
「ナリア様、では馬車を戻すように言ってきますね。厨房を覗いたのですが、食料の備蓄が足りないように思いました。町も近いですし、少し食材を買ってきます。ドムを連れていってもいいですか?」
「ええ。もちろん。じゃあミリーとケイラが行きなさい。ペイジーはこっちの馬車に戻ってもらって」
二組に分かれ、ナリアたちは別荘に引き返し、ドムと侍女のミリーとケイラは町に買出しに向かうことになった。
車輪は軽快な音を立て、泥を跳ねのけながらゆっくり道を進みだした。
――
周辺の集落を回るドルバインとカインも、道を引き返し始めたナリアも、アロナを助けにくるには少し遠すぎる場所にいた。
衣装棚に隠れていたアロナはついに発見され、大きな寝台に押さえ込まれていた。
ルータスはずっとアロナを抱いてみたかったし、その部屋にはまさに女と交わるためだけに作られた巨大な寝台が置かれていた。
「貴族様に愛されたその体を味わってから殺してやろう。あるいは娼館で働かせてもいいが、いろいろあることないこと言いふらされても困る」
爪で名前を刻んだ紙もまんまとルータスの手の中にあった。
「これもドルバインが自分の罪を隠すために、わざと作ったものだということにしてもいいだろう。さらに女の死体があったとなれば、もう言い逃れはできない」
「なんて短絡的で頭が悪い作戦かしら!そんな出来過ぎた話ないわ!だからあんたはなかなか村長になれないのよ!」
寝台に縛り付けられているアロナは怒りの声をあげ、足でルータスを蹴り上げようと片足を振り上げた。
ところが、ルータスがその足を掴み、さっさと寝台の足から伸びているロープに縛り付けてしまう。
「実際こうして使うのだろう?変態にぴったりの寝台だな。四つ足にロープを繋ぐ金具がついているなんて、見たことが無いぞ」
「天井の金具も良い感じだな。娼館に付けてみないか?」
天井にも人を吊るせるだけの頑丈な金具が取り付けられている。
実際、そこで吊り下げられ、甘い愛撫を受けたことがあるアロナは顔を赤くして下劣な男達を睨んだ。
この部屋を使う男達は確かに変態と呼ばれるような性癖の持ち主だが、嫌がる女性を無理やり縛り付けるような野蛮なことは絶対にしない。
彼らは自分の欲望に忠実だが、身勝手な快楽のために他人を傷つけることは嫌っている。
変態なりの美学があるのだ。
ところが、ルータス達は相手の心を踏みにじり、自分の欲望を満たすことしか考えていない。野蛮で卑劣で、最低だ。ここを利用する変態たちの方がよっぽど高潔で素晴らしい人達だ。
そう考えれば特殊な性癖といっても、それは人格を構成する上で重要な要素にはならないのだ。
「あんた達は最低よ。その辺の変態たちの方がよっぽど人として優れている。となれば、あなた達なんて変態以下だし、人間以下よ。家畜にも劣るわ!」
寝台に括り付けられ身動きが取れないくせに、口だけは達者なアロナを見おろし、ルータスは冷笑した。
その腕にはごそごそと音のする大きな四角いかごが抱えられている。
彼らは速やかに、別荘の裏庭にある厩舎の中に入り込んだ。
そこは無人であり、馬の姿さえない。
「寒いな……ここでは炎虫が死んでしまうかもしれないぞ」
白い息を吐きだし、仲間の一人がルータスに囁いた。
「さっき馬車も出て行ったし、ドルバインたちもまだまだ戻ってこない。今のうちにこいつが生きられる環境づくりをしておこう。
藁を積み上げて、保温しておけばすぐには死なない。役人たちが来るまで生きていればいい。あるいは死骸になっていても構わないかもしれない。どちらにしても、役人たちは悪名高いドルバインがこの虫をばらまいたと信じるさ」
ドルバインは、徴税管理官を引退しているが、その理由は領主不在の間に、違法な税のとりたてを行ったからだとされていた。しかしその真相は、ドルバインが領主の評判を高めるため、わざと悪名を被り追放されたと見せかけ引退したのだ。
その真相は、当然ながら市井の人々に知らされることはなかった。
ドルバインが噂通りの悪人だと信じているルータスは、悪名高いドルバインであれば、犯人にしたてることが可能だと思っていた。
「厨房の台所に入れたらどうだ?例の会は終わったと聞いている。客も、もう来ないだろう」
仲間の言葉にルータスも同意し、厩舎を出て厨房の裏口に向かう。
と、その進行方向に人影が飛び出した。
「あなた達が……虫をばらまいていたの?」
威勢の良い女の声に、悪党たちは驚いたが、ルータスはその顔を見てすぐに落ち着きを取り戻した。
「アロナ……まだここで働いていたのか。村に戻っていたはずじゃなかったのか?」
「追加の仕事があって、また働きに来ていたの。あなたが持っているその箱、この辺りの農地をダメにする南国の虫が入っているのね。なぜそんなものを持ち込んでいるの?」
厩舎裏に回り込み、彼らの話をこっそり聞いていたアロナは、厨房に男達を入れまいと先回りして扉の前で待っていたのだ。
どうするのかと、仲間達がルータスに目配せした。
ルータスは唇を舐め回し、じりじりとアロナに近づいた。
「なぜって?抱きたい女がいるからだよ。農地がだめになれば収穫が減り、女は体を売りに行く。俺が金を貸すといえば、夫たちは喜んで娘や妻を差し出すだろう?」
あまりの非道な話に、アロナは怒りを通り越し、恐怖すら覚え青ざめた。
「なんてひどい……。生活の糧を奪い、それを脅しの材料に誰かの奥さんを奪っていたというの?そんな、酷いこと、許されるわけがない。
逆の立場だったらどう思うか考えたことがないの?あなただって、奥さんや娘さんがいるでしょう?生活のために娘を売れと脅されたらどうするの?しかも何の非もないのに、理不尽にそんなことを迫られたら!」
「逆の立場だって?考える必要はないだろう。俺は次の村長だぞ?俺が掟だ。税だって、お前らがおさめる義務があるのであって、俺じゃない。
俺の妻はぶすだし、娘もどうでもいい。俺は……お前より村では力があるし、お前はただの女だろう?貴族に雇われているといっても、貴族じゃない。ただの村人だ。その地位は俺より低い」
アロナに見られたぐらい、ルータスにはどうでもいいことだった。
村長の息子であるルータスは、自分より力のない人々は簡単に黙らせることが出来ると本気で信じていた。
町の悪い連中と手を組み、娼館で貧しい女達を少ない賃金で働かせ、その上前は自分達の懐に入れ、好きなだけ稼いできて気も大きくなっていた。
ちょっとずるい手を使えば、欲望を我慢することなく、好きな女を抱いて遊べるのだ。
アロナのことも黙らせるのは簡単だとルータスは考えた。
「こ、ここは貴族様のお屋敷よ。ドルバイン様だって、そりゃ……悪い噂もあるけど実際はそうじゃないし、誰も信じないわ!」
「信じるさ。国の役人たちがここでこの虫を発見する。ドルバインが黒幕だと信じ、王都に連れていかれたら領主様だって口は出せない。だいたい、ここで何が行われているか尋問されて、正直に話せるのか?
淫らな男女を集めて、乱交パーティーをしていると評判だ。わざとそんな怪しい噂を立てて、その陰でこの土地をだめにする虫を育て、問題になったところでそれを退治し、手柄顔で報酬を受け取り、元の地位に戻ろうと企んでいたと役人たちは考えるはずだ。
人々は噂好きで、考えるのが面倒な役人は犯人さえ捕まれば、それをさっさと手柄にして出世したがる。
この辺りで評判の悪いドルバインの言い分を、王国の偉い役人たちが信じると思うか?お前を可愛がってくれているドルバインは貴族だが、所詮は田舎貴族。
中央の国家権力には太刀打ちできない、田舎の成り上がりものが一人処刑されても誰も気にも留めないさ」
それは誰かの入れ知恵だったが、ルータスは心からその言葉を信じていた。
話し終えたと同時に、目をぎらつかせ、アロナに飛びかかろうとする。
すぐにアロナは背後の裏口から厨房に逃げ込み、扉を閉めた。
そのまま走り出すと、すぐに扉をこじあける音が背中に聞こえてきた。
アロナは大勢の足音に追われながら、必死に隠れる場所を探した。
証人である自分が捕まるわけにはいかない。
階段を駆け上がり、二階に上がった時、表玄関が乱暴に開く音がして、大勢の気配が入ってきた。
ルータスの仲間はまだ他にもいたのだ。
厨房からも通路を抜けてルータス達が迫っている。
全部合わせて三十人近くいるかもしれない。
アロナは大急ぎで従業員用の通路を使って三階に逃げた。
大部屋に飛び込み、鍵をかけると奥の部屋の衣装棚に飛び込んだ。
扉を閉め、奥に隠れる。
そこにあった毛布を頭からかぶり、扉の隙間から室内の様子を窺う。扉は横板を並べて張り合わせた形であるため、扉を閉めた中からも外が見える。
通路の方からばたばたと足音が聞こえ、廊下に面した扉を開けて室内を確かめていく男達の声が聞こえてきた。
「鍵がかかっている部屋だ。そこを探せばいい」
鍵がかかっている部屋はアロナが逃げ込んだ部屋だけだ。
しまったと思ったが、もう遅かった。
アロナは震えながらさらに奥に移動し、タオルやガウンの山の後ろに隠れた。
扉に体当たりをする音が室内に響きだし、男達の怒号が聞こえてきた。
殺されてしまえば、ドルバインに殺人の容疑までかかってしまう。
アロナは震える体を両腕で抱きしめた。
後先考えずに、屋敷を守ろうと無謀にも彼らの前に飛び出してしまったことを、心の底から後悔した。
なぜ大声を上げれば、ルータス達が驚いて逃げ出してしまうと思ったのか。
なぜ彼らの企みを聞いた時に、すぐに逃げて助けを呼びに行かなかったのか。
アロナは短絡的な自分の行動を死ぬほど悔いたが、今更のことだった。
ナリアがカインを裸にして吊り下げていた時も、我慢しきれず飛び込んでしまった。
ドルバインが間に合わなければ、どちらかが死ぬことだってあり得たのに。
感情的になると、すぐに体が動いてしまう。
アロナはポケットから折り畳んで入れていた、今朝カインからもらった注意書きの紙を取り出した。
それを床に置き、爪で紙の上から犯人の名前を刻み込んでいく。
木炭でこすればその名前が浮かび上がるし、ドルバインであればきっとこの印に気づくはずだ。
扉が破壊されていく音をすぐ間近で聞きながら、アロナは薄暗い衣装棚の中で、ルータスの卑劣な計画に抗うために他に何が出来るか考えた。
もし死んでも、何か残さなければならない。
ドルバインの名誉と、それから自分の生きた証のために、アロナは折り畳んだ紙を床の隙間に押し込んだ。
――
ドルバインの別荘を離れたナリアたち一行は、馬車に揺られて町に向かっていた。
春先の陽気な日差しは、憂鬱な心まで温めてくれるようで、ナリアは窓越しにのどかな田舎の光景を見つめていた。
侍女のミリーとケイラが向かいに座り、ペイジーは後ろの馬車に乗っていた。
護衛のジーンは御者席に、ドムは馬に乗って馬車の前後にいた。
「待って、馬車を止めて」
窓の外を見ていたナリアが突然命じ、急いでミリーが反対側の扉を開け、御者席に向かって馬車を止めるように告げた。
馬車が止まり、ナリアは黒ずんだ雪の残る荒野の向こうに目を凝らした。
そこには馬を駆るドルバインと、その後ろを追いかけるカインの姿があった。
近隣の村々を回って走っているのだ。
その後ろに町の兵士の姿もあった。
何か事件が起こっているのかもしれないし、あるいはこの辺りに心配なことがあって見回っているだけかもしれない。
仕事熱心で、人に頼られていた元夫の姿を思い出し、ナリアはじっと考え込んだ。
ドルバインは自分の性癖を隠すことも出来たのに、誠実にナリアに告白してくれた。
しかも、それを周りに言いふらしてしまったのに、ドルバインはナリアの行為を咎めるようなこともしなかった。
「ドルバイン様は……誠実で素敵な夫だったと思うの……」
「今の旦那様も素敵だと思いますよ……」
控えめに、侍女のミリーが答えた。
ドルバインの紹介で出会った今の夫に不満があるわけではなかった。
ただ、ある種の違和感が消えなかったのだ。
「やっぱり、別荘に戻ってドルバイン様を待とうかしら……。お忙しそうだけど、私の相談に乗ってくださると思わない?」
「ドルバイン様なら、きっとそうしてくださると思いますけど……戻ります?」
あまり気が進まない様子でミリーが問いかける。
女主人が出かけるとなれば、侍女たちが付き合うのは当然であり、そこに疑問を抱いたことはないが、今回の旅行には少し疑問を感じていた。
ナリアがなぜ元夫に会いたがるのか、侍女たちにもよくわかっていない。
侍女たちは、黙り込んだ女主人の様子を見て腰をあげた。
「ナリア様、では馬車を戻すように言ってきますね。厨房を覗いたのですが、食料の備蓄が足りないように思いました。町も近いですし、少し食材を買ってきます。ドムを連れていってもいいですか?」
「ええ。もちろん。じゃあミリーとケイラが行きなさい。ペイジーはこっちの馬車に戻ってもらって」
二組に分かれ、ナリアたちは別荘に引き返し、ドムと侍女のミリーとケイラは町に買出しに向かうことになった。
車輪は軽快な音を立て、泥を跳ねのけながらゆっくり道を進みだした。
――
周辺の集落を回るドルバインとカインも、道を引き返し始めたナリアも、アロナを助けにくるには少し遠すぎる場所にいた。
衣装棚に隠れていたアロナはついに発見され、大きな寝台に押さえ込まれていた。
ルータスはずっとアロナを抱いてみたかったし、その部屋にはまさに女と交わるためだけに作られた巨大な寝台が置かれていた。
「貴族様に愛されたその体を味わってから殺してやろう。あるいは娼館で働かせてもいいが、いろいろあることないこと言いふらされても困る」
爪で名前を刻んだ紙もまんまとルータスの手の中にあった。
「これもドルバインが自分の罪を隠すために、わざと作ったものだということにしてもいいだろう。さらに女の死体があったとなれば、もう言い逃れはできない」
「なんて短絡的で頭が悪い作戦かしら!そんな出来過ぎた話ないわ!だからあんたはなかなか村長になれないのよ!」
寝台に縛り付けられているアロナは怒りの声をあげ、足でルータスを蹴り上げようと片足を振り上げた。
ところが、ルータスがその足を掴み、さっさと寝台の足から伸びているロープに縛り付けてしまう。
「実際こうして使うのだろう?変態にぴったりの寝台だな。四つ足にロープを繋ぐ金具がついているなんて、見たことが無いぞ」
「天井の金具も良い感じだな。娼館に付けてみないか?」
天井にも人を吊るせるだけの頑丈な金具が取り付けられている。
実際、そこで吊り下げられ、甘い愛撫を受けたことがあるアロナは顔を赤くして下劣な男達を睨んだ。
この部屋を使う男達は確かに変態と呼ばれるような性癖の持ち主だが、嫌がる女性を無理やり縛り付けるような野蛮なことは絶対にしない。
彼らは自分の欲望に忠実だが、身勝手な快楽のために他人を傷つけることは嫌っている。
変態なりの美学があるのだ。
ところが、ルータス達は相手の心を踏みにじり、自分の欲望を満たすことしか考えていない。野蛮で卑劣で、最低だ。ここを利用する変態たちの方がよっぽど高潔で素晴らしい人達だ。
そう考えれば特殊な性癖といっても、それは人格を構成する上で重要な要素にはならないのだ。
「あんた達は最低よ。その辺の変態たちの方がよっぽど人として優れている。となれば、あなた達なんて変態以下だし、人間以下よ。家畜にも劣るわ!」
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