静かなる戦い

丸井竹

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第三章 奪われた男

43.古の湖

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アーダの森は異様な熱に覆われていた。それはドウェイン城からじわじわと近づいてくる地熱であった。

トーリ族の戦士達たちは北の女神の洞の前に集まり、完全に戦闘準備を整え族長の合図をまっていた。

その洞の奥では治療のため運ばれたニールとダインが横たわり、まじない師がその体を修復していた。

「報復をしなければならない」

そう主張したオロだったが、意識を取り戻したニールの目に怒りはなかった。

「ヴェリエが死んだせいだ。あの男は、ヴェリエの報復をするつもりだ」

不可解なことを言うと、かろうじて息を吹き返したダインが掠れた声で抗議した。

「ヴェリエの死はあの男には関係のないこと。一族の問題だ。なぜあの男が報復する必要がある」

「あの男は……ヴェリエに執着していた。トーリ族になる方法はないのかと聞かれたことがある。ヴェリエの夫になりたがっていた」

「そんな方法があるわけがない」

イダが否定した。

「それでも、ヴェリエの傍に居たがっていた。瀕死のヴェリエを助け、匿った。トーリ族に戻せば死んでしまうと言っていた」

「知らせねば良かった」

オロの言葉にニールは頷きながらも釈然としない表情だった。誰よりも早くエリオが知るべきだと思ったのだ。
エリオがかつてアーダの森の入り口で問いかけた言葉をニールは何度も思いだしていた。

『ヴェリエは笑っているか?』

確かにエリオと一緒にいるとヴェリエはよく笑った。アーダの森では見せたことのないような笑顔だった。
ヴェリエは時々ニールにも微笑んだ。

『ありがとう、ニール』

暖炉に火を入れてやったときに見せた笑顔を思いだし、ニールは不可解な感情に戸惑うように顔をしかめた。

「知らせなければあの男はこの森に探しに来たかもしれない……」

突然外の音が騒がしくなった。ぴたりと会話を止めた一同の耳にトーリ族の女達の悲鳴が聞こえてきた。
外界の男一人でトーリ族を滅ぼせるわけがないと思っていたが、「まさか」と男達の顔に緊張が走った。
女神の洞を飛び出すと、突き出た岩棚の下に集まったトーリ族の戦士達が悲鳴をあげていた。
中腹の奉納台に居た上位戦士達が叫んだ。

「族長!アーダの森が燃えています。東の端で炎が上がっています」

それはドウェイン城のある方角だった。
トーリ族はこの地を離れては生きてはいけない。族長は戦えない者はすぐに女神の洞に逃げ込むように叫んだ。

ニールはそこに立ち尽くし、燃え上がる炎を見つめていた。
その上空からは雨雲が重く垂れ込め、まるで火を消そうとするかのように雨が降っていた。
しかし、その雨雲を蹴散らすかのような風も吹いていた。

風に乗って舞い上がった火の粉が森に降り注ぎ、それは地下から燃え上がる炎と合流し、アーダの森を焼いていく。

いかにトーリ族が強くても、燃える地面の上では戦えない。
オロがニールの隣に立った。


男達は報復のためドウェイン城を目指す。

しかし、森が全て燃えてしまえば避難する場所も帰る場所も失うことになる。
トーリ族の男達はじっと燃え盛る森に視線を向けていた。



__________



アーダの森の地下深く、不思議な場所にエリオは立っていた。

そこは洞窟で、天井や地面から先端の尖った岩がいくつも突き出していた。
先ほどの壁の先かと思ったが、そこは普通の洞窟とは様子が全く違っていた。

目の前に広がるのは地底湖で、薄いピンク色をしていたが、時折薄い青や緑、そして紫と色を変えた。
鍾乳石の色も変わっている。それらはすべて水晶のような半透明でやはり薄いピンク色をしていた。
光源はその水晶と湖だった。どこもかしこもぼんやりと光り、洞窟内を照らしている。

呆然と立っていたエリオは不思議な気配を感じ振り返った。

そこには洞窟に不似合いな人工物があった。

磨き抜かれた黒い台座で、その上に人が座っている。

それは恐ろしく美しい顔立ちで、男にも女にも見えた。

「お前は誰だ?」

エリオの声が洞窟内に響き渡り、何度もこだまして消えた。

台座から立ちあがった人物は恐ろしく背が高く、そして肩幅も広かった。
長い薄ピンクの髪が床すれすれのところで揺れている。

その白い面がエリオの方を向いた。

その瞳の色は地底湖と同じ薄いピンク色だった。

伸びあがった影のように高かった背丈が今度はみるみる縮み、少女の姿になった。

エリオは夢ではないかと腕で目を擦った。

「この間とはまた違う人間だな。私はこの地に宿る魔力の精霊だ」


少女がしゃべった。どこか神々しい透き通るような声だった。
白ローブの少女は再び姿を変え、今度は少年になった。不思議なことに、ピンクの髪は背丈が変わっても常にかかとまでの長さだった。少年が台座に座ると、ローブの丈まで短くなった。

「その手の魔鉱石、それがお前をここにつなげたようだな。それは私が生み出している。魔力の滴りが落ち固まったものだ」

エリオはこの謎めいた少年の言葉を飲み込み切れず、黙り込んだ。
ピンク色の不思議な光景の中に強い魔力の霧が立ち上っている。

ヴェリエが念を込めた魔鉱石を取り出すと、周りの魔力と呼応するように淡いピンク色に光っていた。
エリオは少年の方を向いた。

「この間の男というのは誰だ?他にも誰か来たのか?トーリ族がここに来られるのか?」

「この間の男はトーリ族に国が滅ぼされそうだから一族を滅ぼして欲しいと願いにきたな」

「トーリ族を滅ぼすことが出来るのか?!」

憎しみに燃え、エリオは叫んだ。

「それは無理だと答えた。あれは私のために作られたもの。この地のガーディアンだ」

「お前が作った?」

少年は悠然と微笑んだ。
エリオはなぜかぞっとした。
微笑みであるのに、全く笑っているように見えない。

「あれは私とここを守るように作られた。私を生み出した女神がこの地を去る際、トーリ族を作成した。
彼らは地上でこの潤沢な魔力の泉を守っているのだ。
この地の魔力は私が作り、飽和すれば地上に流れトーリ族のもとで石になる。
彼らがその役割を覚えているかどうかはわからないが、とりあえず彼らにはここを守護するよう最低限の命令が埋め込まれている。あれを滅ぼすとお前達が地上で使っている魔力はすべて消えることになる」

魔力が消えれば治癒師や言止め、魔法使いも力を失う。トーリ族だけでなくエルドランド国の人々の生活すら立ち行かなくなるかもしれない。

「この間の男はそれを聞き、トーリ族に人間の心を持たせてほしいと願った。言葉で交渉出来るようにするためだと言っていたな。
ガーディアンは基本男であったが、増やすために多少の女も作っていた。それ故、人間の女と子供を産ませれば人に近い感情を持つ者が増えると勧めたのだ。そのために掟を多少変えたかな」

「掟を変えられるのか?」

「ガーディアン達は地上で生きるため、ある程度周りに合わせる必要がある。願いがあれば聞き届けることもある。先に来た男とも約束をした」

エリオは少年の座る台座の下に駆け寄った。

「お前がトーリ族を生みだし、掟を作っているというなら、どうかお願いだ。ヴェリエを奪われた。トーリ族の娘だ。外界の男と結ばれることが叶わず森で殺された娘だ。返してくれ!そして掟を変えて外界の人間とまた結ばれるようにしてくれ」

少年は面倒そうに細い眉を片方だけ上げ、小首を傾げた。

「死人を蘇らせるのは無理だ。掟はガーディアン達が役目を果たしながらも地上で生きるために作られている。彼らが変化を望まなければいけない。
彼らは守護する者として作られたため、強い者の意見を優先する。強さを望めばいい。
私はここにいることを望み、トーリは守護する役割を果たす。それだけは変えられない。
そのうえで望みを言え。三つまでかなえてやる」

滴る魔力の雫と、豊かな魔力を宿した湖、そしてその精霊だというこの少年の形をした不可思議な存在。この頭上にはトーリ族の森がある。
不意に、少年は立ちあがり、不愉快な目で前方を睨んだ。

「やっかいな物を連れて来たな。あれは炎竜か。あれも古の女神が産んだものだ。トーリは熱に弱い。ここも干上がるぞ」

それは困ると少年は歩き出し、その手を虚空に振り上げ炎竜が迫ってくる方向に手のひらを向けた。
魔力を湛えた湖の水が吸い上げられ炎竜の気配がする方向に水の壁を築き上げた。

「トーリ族に殺された娘は、炎竜を操れた。彼女は雪山羊を操るように彼らを操り、トーリ族や俺達を守った。彼女がいれば炎竜は遠ざけられる。俺が望むのは彼女か、あるいは報復だ。ヴェリエを殺したものを打倒すだけの力をくれ。おそらくトーリ族の中で一番強い者と戦うことになる」

ヴェリエが蘇らないというなら、やはり報復しかエリオの頭には残らない。

「強さか。お前がトーリ達を滅ぼさないと約束するなら与えてやろう。
私を守るものとしてトーリは必要だ。必要な優先順位は男のトーリだ。守護者として最初に作られた。
それから子孫を増やす女、地上の人間と子供を残すことも許したがあまり私には必要としないものだ。
しかし、面白い。ヴェリエというものがあの炎竜を操れたということは、魔力で作られた雪山羊からその能力を育てたのだろう。あの男が来てから面白いことが起きる。まさに地上に合わせた変化といえるだろう」

トーリ族の価値観を作っているのはこの少年の姿をした太古の精霊なのだとエリオはようやく気が付いた。
地を這う蟻を眺めるように外界の人間たちを眺め、退屈そうに小石を投げてはこれで満足だろうと決めつけ、変化のない悠久の時の中にいる。

この精霊は何もかもを見てきたのかもしれない。エリオはその疑問を口にした。

「大昔、トーリ族の森を支配しようとした王がいた。トーリ族の怒りを買い国が滅びかけた。その時、トーリ族の協力を得て国を治め、トーリ族を森に返した男がいた。その男は新しい王となり、干渉し合わない事でトーリ族と共存し続けてきた。お前が力を貸したのはその男か?」

「あの男が望んだものは、王位、トーリ族が外界の者と子孫を残せる機会、それからこの地に魔鉱石を落とすこと。一族に強い力を持つ者を増やしたかったようだな。だが、トーリは一族の血を継ぐ者を外に出さないからな、思うようにはいかなかったようだ。こんなはずではなかったと言っていたな」

数千年の時をまるで一瞬であるかのように語る精霊の言葉をエリオはぞっとしながら聞いていた。

それでも、彼女を救う以外に考えるべきことはなかった。

「彼女を蘇らせることが出来ないというなら……やり直させてくれ。あの時に。俺が選択を間違えた時だ。トーリ族として生きてもいい。誰よりも強い彼女を守れるトーリ族になる。俺の選択だ」

少年の姿をした魔力の精は珍しそうにエリオを眺め、ふわりと浮かび上がると湖の上に立った。驚くべき光景であったが、エリオはもう全てを受け入れていた。

怒りや復讐よりもなによりも、ヴェリエの愛が欲しかった。
一生に一度の一族から自由になれる機会を自分のために投げ捨て、ずっと欲しがっていた血の繋がりのある父まで捨てた。
一族の怒りを買うのも恐れず、戦士達を導き、炎竜を連れて城を助けに来た。
王都で無一文で行き倒れになっていたエリオを拾い、衣食住の世話までしてくれた。

何一つ持っていないのにあれほどまでに愛してくれた女はいない。

「なるほど。幸いここに時間の概念はない。それならできるだろう。お前の望む時はこの魔力の水たちが知っている。ではトーリと戦えるほどの力と、時を戻る機会……最後に何を望む?」

何一つたいしたことは起きていないというように太古の精霊は淡々と問いかけた。

エリオはヴェリエのことを考えた。欲しいのはそれだけだった。

最後の願いを告げると、温かな薄ピンク色の光が溢れエリオの全身を包み込んだ。
最大の過ちを犯したあの瞬間までの光景が頭のなかで風のように過ぎ去った。

それは果てしなく長い時を一瞬で巻き戻る、長くて短い旅だった。

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