静かなる戦い

丸井竹

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第三章 奪われた男

44.今度こそ失敗できない男の選択

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「結婚したい女性を連れてきているだと?」

ロナウスの不機嫌な声が聞こえ、エリオは我に返った。
目を上げると、そこはドウェイン城の謁見の間で、正面の豪華な椅子にはロナウスが座り、側近たちが両脇を固めている。

灯りが焚かれているが薄暗く、季節は冬だと唸る風の音が教えている。

自分の姿を見下ろして、エリオは瞬時に先ほどの奇妙な体験を思い出した。

あの時に戻してくれと得体の知れない精霊に頼んだのだ。
それはエリオがロナウスに結婚相手を連れてきていると告白した日だった。

エリオは周囲をちらりと見回した。全てが見覚えのある光景だった。

今まさに、あの瞬間に立っている。
本当だろうかと疑う気持ちもあるが、それでも信じたい気持ちが勝った。
となれば全力で取り返さなければならない。

まずは過去を思い出し、当時の失敗を繰り返さないようにすることだ。

一年以上も前、エリオは確かにここにいた。
金色の髪と青い目、ロナウスと同じ外見の特徴をもつ娘を少しでも気に入るように願っていた。
ヴェリエが産んだ子供をロナウスはきっと気に入るはずだと思っていた。

エリオは顔を上げ、父上と呼び続けたロナウスの姿を目に焼き付けた。ヴェリエを捨て、父からの信頼を得て、自分の居場所をこの城に確立した。
その過去の全てを今切り捨てる必要がある。
エリオは立ち上がった。

「父上、明日、私の妻を連れてきます。そのうえでお話を聞いて頂きたい」

「妻だと?!俺の許しを得ずにそんなことが出来ると思っているのか!」

怒号が轟き、ロナウスの非情さを知る部下達の顔に緊張が走った。
しかしエリオは真っすぐに立った。

「父上。私は父上を心から敬愛しております。この一年、親不孝をしたことを申し訳なく思っておりました。それでも呼び戻してくださったこと、心から感謝しております。しかし、こればかりは譲れません。父上も妻を目にすればわかってくださるはず。明日、また参ります」

ロナウスは唖然としたが、エリオは一礼し、素早く身を翻し謁見の間を飛び出した。
厩に走ると、レイドが心配そうな顔をしながら黙ってエリオの馬を引っ張り出してきた。
父親の怒りを恐れ、言葉を交わすこともなくなった幼少時代の友だった。

「エリオ様、こちらに」

言葉少なにレイドが手綱を差し出す。
それを受け取り、エリオは微笑んだ。

「レイド、ありがとう。いつも俺を気にかけてくれていること知っている。邪険にするような態度を後悔してきた。すまなかった。もしよければ、父上の目の届かないところではまた昔のように話してくれ。ローグや、モルド、昔の仲間たちは元気か?」

エリオの周りにいた年の近い少年たちはすべてロナウスに取り上げられていた。
それでも時を戻す前、従者を募った時に真っ先に駆け付けたのは幼い時に遊んだ友人たちだったのだ。

レイドはあっけにとられたような顔をしたが、顔をくしゃくしゃにして困惑したような笑みを浮かべた。

「とんでもない……。俺は……いや私は、いや。俺はロナウス様が怖くてあなたに冷たい態度を取り続けた。俺の方こそ悪かった……皆も口に出しては言わないが、ロナウス様のあなたへの態度に胸を痛めている。あなたが誰よりも努力していることを何人もの従者たちが知っている」

「ロナウス様の態度は当然のものだ。だから気にしないでくれ。俺も気にしていない。レイド、この近くで、城壁の外で結婚の宣誓が行える場所を知らないか?魔鉱石の石板を使うきちんとした教会だ」

エリオは馬にまたがり、レイドの困惑した顔を見下ろした。

「何をする気だ?ここから南東にルコール村があり地方言止め所が隣接する教会があるが……そこで宣誓をすればそれは国が認める正式な結婚になる。ここらの貧しい者たちはそこを頼るが、お前は城内に教会があるだろう。領主の息子ならばそこの司祭が執り行う結婚で宣誓をしなければいけない」

冬のこの時期にしては穏やかな天気だった。灰色の空から淡い光が地上に漏れ、視界も開けている。
エリオはレイドに静かに告げた。

「レイド、俺の味方はしなくていい。俺は困った立場になるだろう。でも気にしないでくれ。俺はこれから最高に幸せな男になる。心配をかけることを許してくれ」

エリオは鐙を蹴った。馬が待っていましたとばかりに走り出した。
北の国であるにも関わらず雪はそう深くはない。寒さで凍り付いた雪は軽く、風に容易に流される。馬がかければその勢いで砂埃のように雪がきらきらと舞い上がり、後方の視界を遮った。
レイドは凍てついた光の中、遠ざかるエリオの背中を心配そうに見つめていた。


 エリオを乗せた馬はアーダの森に向かう道を外れ、まばらな木立の中を進んだ。
膝ほどの雪に埋もれた小屋が現れると、エリオは馬を下りた。

窓から温かな暖炉の灯りが漏れている。
大きく深呼吸をし、エリオは震える手でドアノブに触れた。
耳元で心臓の鼓動が聞こえ、祈りの言葉が無意識に頭に浮かぶ。

切なる願いを込め、エリオは扉を開けた。温かな室内に一人の少女が立っている。
金色の髪に春先の空のような薄い青い瞳、戸口を振り返り、ふわりと笑う。

まるで長い夢をみているかのような不思議な感覚に襲われ、エリオは茫然とその姿を見つめた。
記憶にあるよりも幼い気がするが、そこにいるのは確かに長い間恋焦がれてきた最愛の女性だ。

「エリオ?ノックもしないで入ってくるなんて怖いじゃない。何かあったの?」

懐かしい声と共に、少女が近づくてくる。
エリオはそっと後ろ手に扉を閉めた。

「鍵がかかっていなかった」

消えてしまうのではと恐れるように、エリオの声は震えていた。

「誰も来ないし……ごめんなさい。忘れていたのかしら?」

言い訳をするのを諦め、少女は微笑みさらにエリオに近づく。
その手がエリオの外套の紐に触れ、張り付いた霜を軽く払いながら脱ぐのを手伝う。

エリオは黙ってそのほっそりとした手が動くさまを見つめていた。
少女が外套を壁にかけると、滴る水を受けとめるバケツを置いた。

エリオは温かな暖炉の火に目をやった。
めらめらと揺らめきながら薪を燃やし、その木切れはちゃんと小さくなっていく。
再びすぐに少女の動きを追う。

「寒くないか?」

「平気よ。ねえ、食事は……」

寒さも温かさも全てが本物だ。
それを確かめながら少女に近づき、エリオは震えながら少女を引き寄せ、抱きしめた。
温かい血肉を備えた本物の体だった。

「な、なあに?やっぱり何かあった?」

エリオは腕の中にヴェリエを閉じ込めそっと囁いた。

「ああ。いろいろあった。本当にたくさんのことがあった。だが、俺が大切にしたいものは一つだけだ。ヴェリエ……今すぐ結婚しよう」

ヴェリエはエリオの胸の中で不安そうに体を震わせた。

「今は無理でしょう?だってお父様が決めた人としか結婚できないって言っていなかった?私が選ばれたなら問題はないって言っていたけど、それでもお父様が……」

エリオは腕の中で話し続けるヴェリエの顔を覗き込んだ。
目の前で奪われ続けてきた最愛の女性の唇がそこにある。トーリ族の男達が次々に口づけをしたヴェリエの唇を、エリオは触れることも出来ず、見つめ続けるしかなかった。

「ねぇ、エリオ……聞いている?あなたの……」

ヴェリエの言葉を遮ったのは、エリオの唇だった。エリオの舌がヴェリエの唇を舐め、その口内を味わい、しゃぶるように唇を甘噛みした。
遠い昔に当たり前のようにそこにあった甘美な感触が蘇る。

この世界にたった一つしかないものなのだと、なぜ気が付かなかったのか。
さらに深く唇を重ねようとして、エリオはまだヴェリエと幸せに暮らせるわけではないのだと気が付いた。

ヴェリエは少し困ったようにエリオを見上げている。

「今すぐ抱きたい。ヴェリエ、だがどうしてもその前に行かなければ。温かくしてくれ。外に出る」

エリオは再び壁から外套を取り上げ、戸惑ったように立ち尽くすヴェリエの肩にも上着をかけた。

「でも、エリオ、お父様に怒られるのではない?その、うれしいけど、でもエリオが幸せになってくれないと」

エリオは膝を付き、ヴェリエの両手をとった。驚いて口を閉じたヴェリエはいつになく真剣なエリオの眼差しにさらに不安そうな表情を浮かべた。

「ヴェリエ、頼みがある。俺のためだ。俺の幸せのためなんだ」

今選択を間違えれば、ヴェリエは夫を逃し、一族の男達に慰み者にされるのだ。
そんな未来はもう絶対に選ばせてはいけない。

「ヴェリエ、俺の幸せはお前と一緒になることだけだ。いいか。恐らく簡単にはいかない。
邪魔をするものや、意地悪なことを言う者がいるかもしれない。だけど、絶対に俺から離れるな。
俺を諦めるようなことはしないでくれ。俺は、生涯諦めない。ヴェリエ、俺の妻は君だけだ。どうか、約束してくれ。どんなことがあっても俺を夫にすると決めてくれ」

ヴェリエの目に涙が溢れた。

「でもいいの?本当に?私は……うれしいけど……無理していない?だってお父様が……」

エリオは苦笑した。当時の自分がどれだけロナウスの愛を得ることに囚われていたか思いだした。
その滑稽なまでの執着は、今はさっぱり消えていた。

「私が未来を共にするのは父上とではない。ヴェリエ、君と一緒に生きたい。迷っていた時期があったのは確かだ。父上に似た金色の髪と目の色、それにもこだわった。
だけど、今は逆に君が赤毛で黒い目であったらよかったのにとすら思う。父上に勘当してもらいやすくなる。俺は領地を離れてもいい。君の田舎に一緒に帰り、一緒に暮らしてもいい」

驚いた表情のヴェリエを見上げ、エリオはその手を引っ張り再び胸に抱きしめた。その腕の中からか細いヴェリエの涙声が漏れ聞こえた。

「知っていたわ……。私の髪と目の色にこだわっていること……。それでもよかったけど、生まれてきた子供が黒髪だったらどうしようって心配だったの。だってエリオの髪は黒いから……」

長いこと不安な思いをさせてきたのだとエリオは改めて感じながらヴェリエの頭を撫でた。

「もうそれは気にしないでいい。気づいたんだ。遅すぎるぐらいだ。そんなものは俺にとって大切なことじゃない。約束して欲しい。俺の妻になると。どんなことがあっても身を引かないでくれ」

鼻をすすりながらヴェリエが頷くのを確認し、エリオはヴェリエの腕をとった。
表に出るとエリオは馬にまたがり、ヴェリエを前に引っ張り上げた。

 二人を乗せた馬は天気が崩れる前にルコールの村に到着した。

エリオは表に出ていた村人を捕まえて教会の場所を聞き、すぐにそこへ向かった。
神官が二人を出迎えた。

「花もドレスも無くて申し訳ないが、今はこれで許してくれ」

魔鉱石を埋め込んだ宣誓の石板に二人で手を並べる時、ヴェリエは少し躊躇った。

「すごくうれしいけど、私、やっぱりなんだか悪いわ……その前に話さなきゃいけないことがあるの……私……」

エリオは強引にヴェリエの手を取り石板に並べて置いた。その上からしっかりと手を重ね、ヴェリエの頬に口づけをした。

「それは後でいい。君がどんな事情を抱えていようと、どんな家族を持っていようと、どこの出身であろうと関係ない。君が俺を愛してくれたらそれでいい」

ヴェリエはまるで自分がこれから告白しようとしていることを知っているかのように欲しい言葉をくれるエリオに不思議そうな顔をしたが、やがて幸せそうに微笑んだ。

「ありがとう。エリオ、私もあなたの愛に相応しい妻になれるように頑張る」

もう十分だという言葉を飲み込み、エリオは期待していると告げた。
王都から派遣されてきた言止めが記録を取り、神官が宣誓の言葉を石板に刻んだ。

まずは一つ目の壁を通過したのだと、エリオは安堵したが、同時に新しい未来が走り出していた。
まだ少し不安そうなヴェリエに微笑みかけながら、エリオはその手を取って教会を出た。
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