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35.隠し部屋
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バザの率いる傭兵団が占拠した教会に登ってきたのは、オーブ国のバイア将軍率いる第二本隊だった。
赤々と燃える松明をかかげ、まるで火の大群のように押し寄せる。
分厚い髭をたくわえたバイア将軍は、ぴかぴかの甲冑を身につけ、悠々と馬を進めて教会の前で止まった。
冬の日暮れは早い。空はあっという間に暗くなり、一番星が輝きだしていた。
バザは教会の正面扉から外に出て、恭しくバイア将軍にお辞儀をした。
使い捨ての傭兵を雇ったバイア将軍は、さっさとここを明け渡すようにと命令した。
「西国境の要塞は第一本隊が占拠した。ここは俺の軍隊の駐留地とする」
バザは腕組みをして、自分を最前線に送りだしたバイア将軍を見上げ、不敵に笑った。
「俺達は国境を一番に突破し、真っ先に高台のここを占拠した。その働きに見合った報酬をまずは支払って頂きたい」
「現地で略奪を許していたはずだ」
「ところが、ここにはがらくたばかりだ。足の悪い女はいたが、売れそうな物はない」
女と聞き、バイア将軍の目が鋭く細められた。
「女だと?そうだ。忘れていた。この教会に見事な腕をもつ彫刻家がいるらしい。王国が保護している職人とのことだ。もとは棺桶職人だったらしいが、その女であれば高く買い取ろう」
そんな話は聞いたこともなかったバザは、動揺し視線を泳がせた。
「まさか殺したのではあるまいな?」
そんなことをしたら処罰ものだぞと、脅すようにバイア将軍が問いかける。
「いや、まさか……どこに閉じ込めたかな……ちょっと待っていてくれ」
返答を濁したバザは、慌てたように踵を返すと、教会内に引き返した。
部下達がまだ殺していないことを願いながら階段を駆け上がる。
聖女が描かれた扉を乱暴に押し開き、中に飛び込んだ。
女の姿は見えなかった。
寝台には大勢の尻を出した傭兵達が群がっており、枕元と足元では女の体を完全に物として扱い、乱暴に腰を打ち付ける二人の傭兵の姿があった。
次の順番である傭兵たちは股間のものをこすりながら、女の乳房やその先端をいじって遊んでいる。
他の傭兵達も女の体をいじりまわし、下品な笑い声を立てて話している。
「お前達!そこをどけ!その女は金になる!」
突然のバザの怒声に、傭兵たちはびっくりして股間の物を瞬時に縮めた。
気分よく腰を振っていた二人の傭兵も、渋々といった様子で後ろに退いた。
寝台の上に壊れた人形のように横たわる女が残された。
顔も股間も男達の体液に濡れ、胸は浅く上下しているが、死んだように動かない。
全身に乱暴に扱われたために出来た痣がある。
小さく舌打ちし、バザは女に近づくと、その髪を掴んでひっぱりあげた。
「お前、有名な彫刻家なのか?棺職人か?」
かすかに女は頷いた。
無理矢理開かされた口元は赤く切れ、唇は腫れている。
誰かが殴ったのか顔の反面にも殴られた跡があった。
「くそっ。指は大丈夫だろうな。腕は?」
強く押さえつけられていたため、腕も痣だらけだ。
「この女を高く買うとバイア将軍が言っている。とりあえず何か布で拭いて連れてこい」
どろどろのシーツを諦め、傭兵たちは女を床に落ちていた毛布でくるんだ。
バザは自分の足で歩けない女を引きずり、階段に向かう。
その時、女が弱々しく抵抗した。
「ま、待ってください。私は職人です。道具を取りに行かせてください。それに服も……あの小屋に……」
体はぼろぼろで、疲れ切っていたが、女は遺体安置所の息子のことしか考えていなかった。
なんとか閂だけでも抜いて出口を作らなければならない。
隙をみて一人になれないだろうかと必死に言葉を探した。
バザは舌打ちし、部下達に裏口はあるかと聞いた。
教会内を探索して金目の物を集めた部下の一人が案内し、バザは女を抱えて裏口を出た。
バイア将軍を足止めしておけと言い捨て、再び作業小屋のある方へ歩き出す。
「確かに服は必要だな……。お前をなるべくきれいな状態にして、やつに高く売りつける」
白い息を吐きながら、バザは天上を見上げた。
すっかり暗くなり、灯り無しでは足元も見えなくなってきている。
ざくざくと力強く雪を踏み、バザはあっという間に先ほどの棺桶が並ぶ小屋に辿り着いた。
表と裏の扉は両方壊され、風がビュンビュン通り抜けている。
「あ……あの、道具を取りに行きます」
女はふらふらと作業小屋に入り、足を引きずりながら左の壁に備え付けられている棚に近づく。
そこには彫刻刀や金槌、棺桶を組み立てるための金具が並んでいる。
バザはゴミのように犯され、全身痣だらけの女が脅威になるとは考えもしなかった。
「いいから急げ!殺すぞ!」
バザの怒号に、怯えたふりをしながら、女は彫刻刀の入った箱の後ろに金槌を隠し持った。
戦えるだろうかと考えた途端、体が震え出す。
金槌で襲い掛かって返り討ちにされたら、それこそ遺体安置所の扉を開けることは出来ない。
または、扉を開けようとしていることに気づかれ、地下に人が隠れていることがばれたら、仲間を呼ばれ皆殺しにされてしまう。
「あ……服は隣の家なので取ってきます……」
裏口から外に出ようとする女をバザが引きずり倒した。
「ここで待て」
バザは一人で表側に向かう。
床に這いつくばり、女は金槌を握りしめながらちらりと裏口を見た。
バザが服を探している間に裏から出られたら、閂を外すことが出来る。
少しずつ後ろに動けないかと足に力をこめたが、女の体は動かなかった。
回復傾向にあった片足は寒さでほとんど感覚がなくなっていた。
正面から外に出ようとしたバザが引き返してきて、作業台に置いてあったランプを手探りで掴んだ。
ついさっきまで、かろうじて手元ぐらいは見えていたが、外はすっかり闇に包まれていた。
暗い小屋の中で、バザはなんとかランプに火をつけた。
ぼっと火の燃える音がして悪党の顔がランプの灯り越しに浮かび上がる。
女は金槌を強く握りしめ、暗がりからその様子を食い入るように見つめた。
この男の足を壊せば、傭兵仲間が駆け付ける前に、外壁の西扉から逃げられるかもしれない。
床に座り込んだ姿勢のまま、女は金槌を後ろに大きくふりかぶった。
その時、正面側の入り口から、鋭い音を立てて風が吹き込んだ。
同時にランプの炎が大きく揺れ、影が室内の壁を舐めるように動いた。
「ぐっ……」
声とは思えないような奇妙な音が聞こえた。
灯りの中に、さきほどまではなかったものが現れた。
それは鋭い刃の切っ先で、ちょうどバザの首の真ん中から突き出していた。
鈍く光るその刃は、さらに後ろから押し出されたように長く伸びたかと思うと、あっという間に後ろに引き抜かれる。
その瞬間、大量の血が滝のようにバザの首元から溢れだした。
目を見開いたまま絶命したバザは、出来たばかりの血だまりの中に倒れ込んだ。
大きな音と共に血しぶきが飛び、その背後から人影が飛び出した。
灯りの中に端正な顔立ちが浮かび上がる。
「れ、レイフさま……」
かすかに声を発した女の口をレイフは素早く手で塞ぎ、痛ましい体を抱き寄せた。
「エリン、もう大丈夫だ。ここにいてくれ。今、部下達が動いている」
ところが、女は毛布を跳ねのけ、全裸にも関わらず、這うように裏に向かった。
指で床をかき、必死に前に進みながら、囁き声で訴える。
「レイフ様、遺体安置所の扉をあけてください。息子が隠れているのです」
レイフは毛布を掴み、女の上に被せるとすぐに裏から出て、重い閂を扉の金具から抜き取った。
慎重に閂を雪の上におろし、扉に手をかけると音を立てないように持ち上げていく。
鼻を突きさすような異臭が地上に溢れ出たが、レイフは構わず扉を左右に開ききると、ランプを掲げ下を覗き込んだ。
雪の中を這ってきた女は、すぐに小さな声で呼びかけた。
「ルカ、ルカ、無事なの?出てきてちょうだい!もう大丈夫よ」
沈黙が続き、やがて小さな物音がした。
灯りの中に、紺色の聖衣を着た老人の姿が現れた。
階段の下に出てきたロベルは、眩しそうに目を細めながら腕を掲げ、頭上の人物の顔を確かめようとした。
その様子を、男は隠し部屋の穴を塞ぐブロックの隙間から窺っていた。
奥には息子とヴィーナが息を殺して、男の合図を待っている。
ロベルから出ても大丈夫だと合図があれば、男がそれを奥に知らせ、それから息子とヴィーナが出てくることになっていた。
そこは遺体安置所の最奥部の壁を一枚崩した裏にあり、ロベルだけがその部屋の存在を知っていた。
女が鉄扉を閉め、雪の上の足跡を消しに戻った後、ロベルは壁の一部を落ちていたブロックで崩し、他の二人の大人に手伝わせて穴を空けた。
熱で焼けていたため、積んであったブロックの隙間に入り込んだ塵などは燃え、後付けの壁はもろくなっていた。
中には古い遺体が一体とランプ、それから当時使用したスコップなどがあり、ロベルは灯りが外に漏れないように気を付けながら、死体を階段下に並べるなどして、人が入った痕跡を消した。
死体処理のための薬品や、この間焼けた遺体などを使い異臭を発生させ、その匂いから最も離れた隠し部屋の奥に逃げると、その入り口を崩した壁や落ちていたガラクタで内側から埋めたのだ。
バザ達がやってきて、鉄扉が開かれた時、隠し部屋にいる彼らにもその音は聞こえていた。
見つかるのではないかという恐怖の中、彼らは息を殺し動かなかった。
ランプの灯りが落ちてきたが、彼らのところまでは届かなかった。
傭兵の一人が階段を数段下りてきた時、その物音は隠れている彼らのすぐそばまで迫った。
柄の悪そうな傭兵達の声に続き、エリンの声が聞こえると、男は動揺しわずかに動いたが、ロベルが男の腕を掴んだ。
「お前のせいで、ルカが見つかれば、彼女はお前を二度と許さないぞ」
多勢に無勢の中、女を助けにいけば、女も息子も殺されてしまう。ここを乗り切れば、女は殺されるかもしれないが、息子は助かる。
男はまた女を見捨てることになるのだと覚悟を決めた。
息子は男の腕の中にいて、一言も発することなく震えていた。
足手まといになっている自覚もあったし、誰かに守ってもらうばかりであることに不甲斐なさも感じていた。
ヴィーナは密かにルカが一緒で良かったと思っていた。
エリンは子供を見捨てない。ヴィーナとは違い、どんなことをしても生きて戻り、助けにくるはずだと皮肉交じりに考えた。
灯りが遠ざかり、閂が嵌る重々しい音が響くと、再び完全な闇が訪れた。
彼らの足音が聞こえなくなるのを待ってヴィーナが囁いた。
「ここから出てきた死体って、あの男でしょう?」
幼いエリンを食い物にした悪魔のような男は、エリンを取り返そうとロベルのところを訪ねてきて消息を断ったのだ。金を持って消えたその男の行方を仲間の悪党たちが探していた。そのために、パイクはヴィーナに接触してきた。
「金もここにある?」
暗がりの中で、ヴィーナが金を探し始めた。
「知らんな。余計な音を立てるな。上に誰かいたら物音を聞かれるぞ」
いつも温厚なロベルのものとは思えない凄みのある声音に、男は息子の耳を塞いだ。
「ここを出る方法はないのですか?」
男の囁き声に、ロベルがひっそりと答えた。
「出口はあの鉄扉だけだ。通気口から出る方法もあるが、鉄格子を壊す必要がある。今は音を立てるわけにはいかない。外に誰もいないことを確認してからではないと動けない」
声には出さなかったが、季節は冬であり、ここで一晩過ごせば互いの体温だけでは生き残れないかもしれないと大人たちは考えた。
幸い、通気口には木の板が置かれ、風が直接吹き込んでくることはないし、床も壁も土で出来ている隠し部屋は石造りの遺体安置所よりは温かく感じる。
それでも次第に冷え込みは強くなる。
子供を真ん中にして大人達は寒さに耐え、沈黙し続けた。
そんなとき、頭上で大きな音がした。
眠気と戦っていた大人たちは再び緊張の中で、耳を澄ませた。
女の声は小さく聞こえなかったが、バザの怒鳴り声は響いていた。
男は女を助けに行きたい気持ちを堪え、強く息子を抱いていた。
床に何かが倒れる大きな物音が響き、それからしばらくして、控えめに鉄扉が開く音が聞こえてきた。
彼らは動かずに待った。
そこに息子を呼ぶ女の声がした。
ロベルは素早く三人に動くなと告げ、本当に安全かどうか確かめるために壁を塞いでいる物をそっと除けると、一人で隠れ部屋から出た。
男が見守る中、ロベルの手がゆっくりと後ろに向かって動いた。
それは出てきても大丈夫だという合図だった。
淡いランプの灯り越しにレイフとエリンの姿をようやく確認し、ロベルはひっそりと奥に向かって声を発した。
「まだ危険だが味方はいる。出ても大丈夫だ」
ロベルの後ろから、隠し部屋にいた男と息子、そしてヴィーナも姿を現した。
赤々と燃える松明をかかげ、まるで火の大群のように押し寄せる。
分厚い髭をたくわえたバイア将軍は、ぴかぴかの甲冑を身につけ、悠々と馬を進めて教会の前で止まった。
冬の日暮れは早い。空はあっという間に暗くなり、一番星が輝きだしていた。
バザは教会の正面扉から外に出て、恭しくバイア将軍にお辞儀をした。
使い捨ての傭兵を雇ったバイア将軍は、さっさとここを明け渡すようにと命令した。
「西国境の要塞は第一本隊が占拠した。ここは俺の軍隊の駐留地とする」
バザは腕組みをして、自分を最前線に送りだしたバイア将軍を見上げ、不敵に笑った。
「俺達は国境を一番に突破し、真っ先に高台のここを占拠した。その働きに見合った報酬をまずは支払って頂きたい」
「現地で略奪を許していたはずだ」
「ところが、ここにはがらくたばかりだ。足の悪い女はいたが、売れそうな物はない」
女と聞き、バイア将軍の目が鋭く細められた。
「女だと?そうだ。忘れていた。この教会に見事な腕をもつ彫刻家がいるらしい。王国が保護している職人とのことだ。もとは棺桶職人だったらしいが、その女であれば高く買い取ろう」
そんな話は聞いたこともなかったバザは、動揺し視線を泳がせた。
「まさか殺したのではあるまいな?」
そんなことをしたら処罰ものだぞと、脅すようにバイア将軍が問いかける。
「いや、まさか……どこに閉じ込めたかな……ちょっと待っていてくれ」
返答を濁したバザは、慌てたように踵を返すと、教会内に引き返した。
部下達がまだ殺していないことを願いながら階段を駆け上がる。
聖女が描かれた扉を乱暴に押し開き、中に飛び込んだ。
女の姿は見えなかった。
寝台には大勢の尻を出した傭兵達が群がっており、枕元と足元では女の体を完全に物として扱い、乱暴に腰を打ち付ける二人の傭兵の姿があった。
次の順番である傭兵たちは股間のものをこすりながら、女の乳房やその先端をいじって遊んでいる。
他の傭兵達も女の体をいじりまわし、下品な笑い声を立てて話している。
「お前達!そこをどけ!その女は金になる!」
突然のバザの怒声に、傭兵たちはびっくりして股間の物を瞬時に縮めた。
気分よく腰を振っていた二人の傭兵も、渋々といった様子で後ろに退いた。
寝台の上に壊れた人形のように横たわる女が残された。
顔も股間も男達の体液に濡れ、胸は浅く上下しているが、死んだように動かない。
全身に乱暴に扱われたために出来た痣がある。
小さく舌打ちし、バザは女に近づくと、その髪を掴んでひっぱりあげた。
「お前、有名な彫刻家なのか?棺職人か?」
かすかに女は頷いた。
無理矢理開かされた口元は赤く切れ、唇は腫れている。
誰かが殴ったのか顔の反面にも殴られた跡があった。
「くそっ。指は大丈夫だろうな。腕は?」
強く押さえつけられていたため、腕も痣だらけだ。
「この女を高く買うとバイア将軍が言っている。とりあえず何か布で拭いて連れてこい」
どろどろのシーツを諦め、傭兵たちは女を床に落ちていた毛布でくるんだ。
バザは自分の足で歩けない女を引きずり、階段に向かう。
その時、女が弱々しく抵抗した。
「ま、待ってください。私は職人です。道具を取りに行かせてください。それに服も……あの小屋に……」
体はぼろぼろで、疲れ切っていたが、女は遺体安置所の息子のことしか考えていなかった。
なんとか閂だけでも抜いて出口を作らなければならない。
隙をみて一人になれないだろうかと必死に言葉を探した。
バザは舌打ちし、部下達に裏口はあるかと聞いた。
教会内を探索して金目の物を集めた部下の一人が案内し、バザは女を抱えて裏口を出た。
バイア将軍を足止めしておけと言い捨て、再び作業小屋のある方へ歩き出す。
「確かに服は必要だな……。お前をなるべくきれいな状態にして、やつに高く売りつける」
白い息を吐きながら、バザは天上を見上げた。
すっかり暗くなり、灯り無しでは足元も見えなくなってきている。
ざくざくと力強く雪を踏み、バザはあっという間に先ほどの棺桶が並ぶ小屋に辿り着いた。
表と裏の扉は両方壊され、風がビュンビュン通り抜けている。
「あ……あの、道具を取りに行きます」
女はふらふらと作業小屋に入り、足を引きずりながら左の壁に備え付けられている棚に近づく。
そこには彫刻刀や金槌、棺桶を組み立てるための金具が並んでいる。
バザはゴミのように犯され、全身痣だらけの女が脅威になるとは考えもしなかった。
「いいから急げ!殺すぞ!」
バザの怒号に、怯えたふりをしながら、女は彫刻刀の入った箱の後ろに金槌を隠し持った。
戦えるだろうかと考えた途端、体が震え出す。
金槌で襲い掛かって返り討ちにされたら、それこそ遺体安置所の扉を開けることは出来ない。
または、扉を開けようとしていることに気づかれ、地下に人が隠れていることがばれたら、仲間を呼ばれ皆殺しにされてしまう。
「あ……服は隣の家なので取ってきます……」
裏口から外に出ようとする女をバザが引きずり倒した。
「ここで待て」
バザは一人で表側に向かう。
床に這いつくばり、女は金槌を握りしめながらちらりと裏口を見た。
バザが服を探している間に裏から出られたら、閂を外すことが出来る。
少しずつ後ろに動けないかと足に力をこめたが、女の体は動かなかった。
回復傾向にあった片足は寒さでほとんど感覚がなくなっていた。
正面から外に出ようとしたバザが引き返してきて、作業台に置いてあったランプを手探りで掴んだ。
ついさっきまで、かろうじて手元ぐらいは見えていたが、外はすっかり闇に包まれていた。
暗い小屋の中で、バザはなんとかランプに火をつけた。
ぼっと火の燃える音がして悪党の顔がランプの灯り越しに浮かび上がる。
女は金槌を強く握りしめ、暗がりからその様子を食い入るように見つめた。
この男の足を壊せば、傭兵仲間が駆け付ける前に、外壁の西扉から逃げられるかもしれない。
床に座り込んだ姿勢のまま、女は金槌を後ろに大きくふりかぶった。
その時、正面側の入り口から、鋭い音を立てて風が吹き込んだ。
同時にランプの炎が大きく揺れ、影が室内の壁を舐めるように動いた。
「ぐっ……」
声とは思えないような奇妙な音が聞こえた。
灯りの中に、さきほどまではなかったものが現れた。
それは鋭い刃の切っ先で、ちょうどバザの首の真ん中から突き出していた。
鈍く光るその刃は、さらに後ろから押し出されたように長く伸びたかと思うと、あっという間に後ろに引き抜かれる。
その瞬間、大量の血が滝のようにバザの首元から溢れだした。
目を見開いたまま絶命したバザは、出来たばかりの血だまりの中に倒れ込んだ。
大きな音と共に血しぶきが飛び、その背後から人影が飛び出した。
灯りの中に端正な顔立ちが浮かび上がる。
「れ、レイフさま……」
かすかに声を発した女の口をレイフは素早く手で塞ぎ、痛ましい体を抱き寄せた。
「エリン、もう大丈夫だ。ここにいてくれ。今、部下達が動いている」
ところが、女は毛布を跳ねのけ、全裸にも関わらず、這うように裏に向かった。
指で床をかき、必死に前に進みながら、囁き声で訴える。
「レイフ様、遺体安置所の扉をあけてください。息子が隠れているのです」
レイフは毛布を掴み、女の上に被せるとすぐに裏から出て、重い閂を扉の金具から抜き取った。
慎重に閂を雪の上におろし、扉に手をかけると音を立てないように持ち上げていく。
鼻を突きさすような異臭が地上に溢れ出たが、レイフは構わず扉を左右に開ききると、ランプを掲げ下を覗き込んだ。
雪の中を這ってきた女は、すぐに小さな声で呼びかけた。
「ルカ、ルカ、無事なの?出てきてちょうだい!もう大丈夫よ」
沈黙が続き、やがて小さな物音がした。
灯りの中に、紺色の聖衣を着た老人の姿が現れた。
階段の下に出てきたロベルは、眩しそうに目を細めながら腕を掲げ、頭上の人物の顔を確かめようとした。
その様子を、男は隠し部屋の穴を塞ぐブロックの隙間から窺っていた。
奥には息子とヴィーナが息を殺して、男の合図を待っている。
ロベルから出ても大丈夫だと合図があれば、男がそれを奥に知らせ、それから息子とヴィーナが出てくることになっていた。
そこは遺体安置所の最奥部の壁を一枚崩した裏にあり、ロベルだけがその部屋の存在を知っていた。
女が鉄扉を閉め、雪の上の足跡を消しに戻った後、ロベルは壁の一部を落ちていたブロックで崩し、他の二人の大人に手伝わせて穴を空けた。
熱で焼けていたため、積んであったブロックの隙間に入り込んだ塵などは燃え、後付けの壁はもろくなっていた。
中には古い遺体が一体とランプ、それから当時使用したスコップなどがあり、ロベルは灯りが外に漏れないように気を付けながら、死体を階段下に並べるなどして、人が入った痕跡を消した。
死体処理のための薬品や、この間焼けた遺体などを使い異臭を発生させ、その匂いから最も離れた隠し部屋の奥に逃げると、その入り口を崩した壁や落ちていたガラクタで内側から埋めたのだ。
バザ達がやってきて、鉄扉が開かれた時、隠し部屋にいる彼らにもその音は聞こえていた。
見つかるのではないかという恐怖の中、彼らは息を殺し動かなかった。
ランプの灯りが落ちてきたが、彼らのところまでは届かなかった。
傭兵の一人が階段を数段下りてきた時、その物音は隠れている彼らのすぐそばまで迫った。
柄の悪そうな傭兵達の声に続き、エリンの声が聞こえると、男は動揺しわずかに動いたが、ロベルが男の腕を掴んだ。
「お前のせいで、ルカが見つかれば、彼女はお前を二度と許さないぞ」
多勢に無勢の中、女を助けにいけば、女も息子も殺されてしまう。ここを乗り切れば、女は殺されるかもしれないが、息子は助かる。
男はまた女を見捨てることになるのだと覚悟を決めた。
息子は男の腕の中にいて、一言も発することなく震えていた。
足手まといになっている自覚もあったし、誰かに守ってもらうばかりであることに不甲斐なさも感じていた。
ヴィーナは密かにルカが一緒で良かったと思っていた。
エリンは子供を見捨てない。ヴィーナとは違い、どんなことをしても生きて戻り、助けにくるはずだと皮肉交じりに考えた。
灯りが遠ざかり、閂が嵌る重々しい音が響くと、再び完全な闇が訪れた。
彼らの足音が聞こえなくなるのを待ってヴィーナが囁いた。
「ここから出てきた死体って、あの男でしょう?」
幼いエリンを食い物にした悪魔のような男は、エリンを取り返そうとロベルのところを訪ねてきて消息を断ったのだ。金を持って消えたその男の行方を仲間の悪党たちが探していた。そのために、パイクはヴィーナに接触してきた。
「金もここにある?」
暗がりの中で、ヴィーナが金を探し始めた。
「知らんな。余計な音を立てるな。上に誰かいたら物音を聞かれるぞ」
いつも温厚なロベルのものとは思えない凄みのある声音に、男は息子の耳を塞いだ。
「ここを出る方法はないのですか?」
男の囁き声に、ロベルがひっそりと答えた。
「出口はあの鉄扉だけだ。通気口から出る方法もあるが、鉄格子を壊す必要がある。今は音を立てるわけにはいかない。外に誰もいないことを確認してからではないと動けない」
声には出さなかったが、季節は冬であり、ここで一晩過ごせば互いの体温だけでは生き残れないかもしれないと大人たちは考えた。
幸い、通気口には木の板が置かれ、風が直接吹き込んでくることはないし、床も壁も土で出来ている隠し部屋は石造りの遺体安置所よりは温かく感じる。
それでも次第に冷え込みは強くなる。
子供を真ん中にして大人達は寒さに耐え、沈黙し続けた。
そんなとき、頭上で大きな音がした。
眠気と戦っていた大人たちは再び緊張の中で、耳を澄ませた。
女の声は小さく聞こえなかったが、バザの怒鳴り声は響いていた。
男は女を助けに行きたい気持ちを堪え、強く息子を抱いていた。
床に何かが倒れる大きな物音が響き、それからしばらくして、控えめに鉄扉が開く音が聞こえてきた。
彼らは動かずに待った。
そこに息子を呼ぶ女の声がした。
ロベルは素早く三人に動くなと告げ、本当に安全かどうか確かめるために壁を塞いでいる物をそっと除けると、一人で隠れ部屋から出た。
男が見守る中、ロベルの手がゆっくりと後ろに向かって動いた。
それは出てきても大丈夫だという合図だった。
淡いランプの灯り越しにレイフとエリンの姿をようやく確認し、ロベルはひっそりと奥に向かって声を発した。
「まだ危険だが味方はいる。出ても大丈夫だ」
ロベルの後ろから、隠し部屋にいた男と息子、そしてヴィーナも姿を現した。
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