聖なる衣

丸井竹

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37.別れの時

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 王国の西の町に巣くっていた反逆者達は処刑され、レイフの指揮のもと新たな騎士団が要塞にやってきた。国境沿いの壁には侵略者たちの生首が並べられた。

しかしそれだけでは終わらなかった。王の失墜を狙った犯人は王都にいた。
王族の中に手引きをしたものがいると女に聞いたレイフは、その証言をもって王女の協力を得て今回の反乱の首謀者をあぶり出すことに成功した。

王国の上層部で行われた静かな権力闘争は春先まで続き、その経緯も結果も、平和を取り戻した西の町には届かなかった。

教会も日常を取り戻し、女は相変わらず小屋で作品を作り、注文が入れば棺桶を作った。
弟子が数名入り、棺桶の組み立ては女の仕事ではなくなっていた。

結婚の約束をしたレイフは、残念ながら女の傍にいなかった。
騎士としての仕事が忙しすぎて戻れなかったからだ。
そのかわり、多くの召使がやってきた。
レイフの部下も二人やってきて、女を守っていた。

教会の棺桶職人の護衛としてはあまりにも立派な身分の騎士だったが、専属の治癒師や身の回りの世話をする侍女もやってくると、さすがにロベルは墓に住むのは無理ではないかと女のもとに相談に訪れた。

狭い小屋には召使が二人いて、護衛の騎士が部屋の中と外で見張っている。
さらに、女の治療のために薬師が居間の片隅で薬を作っていた。
ロベルと女が向き合って座ると、狭い部屋に六人も大人がいる事態になった。

「エリン、ここを出てはどうだ?西の屋敷に住んでも良いとレイフ様から言われているのだろう?」

「でも、ここには……」

子供のお墓があるのだ。

「ルカに相談してみたらどうだ?」

「え?!」

女は驚いたが、ロベルは真剣な表情だった。

「ルカはお前の家族だ。相談相手にはぴったりだし、子供の気持ちは子供に聞くのが一番だ」

散々冷たくしてきたのに、今更頼るような真似は出来ないと臆病になる女の手をロベルは優しく両手で包んだ。

「思っているほど彼は子供ではない。もう母親を支えられる歳だ。親も弱い人間であり、間違えることもあると彼は知っている。それに、そろそろ成長しても良い頃だ」

止まっていた時を動かす時が来たのだと、ロベルは女にそう告げた。
その途端、女はロベルの前で泣き崩れた。
思いがけず込み上げてきたのはロベルと離れる寂しさだった。

まだ親離れしていなかった自分の弱さに気づき、女は肩を震わせて泣き続けた。
その背中を、ロベルは優しく撫でてやり、老いた声で女に語り掛けた。

「エリン、私は君ほど長くは生きられない。レイフ様を頼って外に出なさい。ルカもきっとそう勧めるだろう」

その言葉に背中を押され、その日、女は思い切って町に出た。


 春を間近に控え、町は少しずつ活気を取り戻しつつあった。
敵国の襲撃で多少被害は出たが、国が修繕を約束し、王都から多くの業者がやってきて、あっという間に工事は終わってしまった。
死人も出たが、多少の補助金が出ていた。平民の命とはそんなものなのだ。

大門の近くの騎獣屋も忙しくなり、男は店頭で馬車の修理の依頼を受けていた。
使えなくなった馬車のかわりに客は騎獣を借りて行き、男はわずかな金を大切に財布にしまった。
そこに、見事な軍馬が近づいてきた。

預かるとなれば責任が生じる。
緊張の面持ちで顔を上げた男は、馬上にまたがる女の姿に呆然とした。
女は護衛の騎士の手を借りて、馬から下りてくると、男の前で軽く頭を下げた。

「あの……ルカに会いたくて……」

母親が子供に会いたがるのは当然のことだが、男は最初、何を言われているのかわからなかった。
女が息子に自分から会いに来たことは一度もない。

「会えませんか?」

不安そうな女の声で、男はようやく意味を理解し、慌てて首を振った。

「いや、すぐに呼んでくる」

自分ではなく、やはり子供なのだ。
男は落ち込んだが、厩舎の裏に回り息子を呼んだ。

「エリンがお前に会いたいと訪ねてきた。出られるか?」

ウィルと一緒に緑トカゲに繋ぐ金具を組み立てていた息子も驚いた。
そんなことは一度もなかった。
表に回ると、見違えるように落ち着いた様子の女が待っていた。
息子と目を合わせた途端、少女のようにふんわりと笑う。

この人はいったい何歳なのだろうかと息子は考えた。
心を患っていただけあって、どうも浮世離れした危うさがある。

「どうしたの?母さん」

女より、よほど逞しく育っている息子は母親の手を引き、通りを歩きだした。

「そこの食堂で話を聞いた方がいい?それとも僕たちの家にいく?もう少し行くとベンチがあるけど」

町はすっかり息子の庭同然だった。

「そうね……二人で話せるところがある?」

息子は店の裏に回り、いつもお昼を食べるちょっとした木陰に女を連れてきた。
粗末な丸椅子を二つ並べ、慣れた様子で腰を下ろす。

「ロベル様に……教会の敷地を離れて、レイフ様のところに行ってみてはどうかと言われたの。でも……」

言葉を閉ざした女を見上げ、息子はちらりとこちらの気配を窺う父親の背中を見た。
だいたい女の用件はわかったが、父親想いの息子としては難しい問題だった。
しかし、聡い息子であるから、答えはわかっていた。

「僕もそうした方がいいと思うよ。たぶん、リースも応援している。あそこから一度離れた方が良いと思うし、それに、母さんレイフ様のこと好きでしょう?」

ぼっと燃えたように女の頬が赤くなった。
その込み上げるような感情が何なのか、女にはまだわかっていなかった。

「ウィルが言っていたよ。心が動いたら恋だって。ほら、あそこで金具を組み立てている人」

息子が厩舎の後ろを指さし、女はちらりと首を傾けてそちらを見た。
馬の尻尾のような長い黒髪を後ろで束ね、太い肩をむき出しにした男が水桶に手を突っ込み、金具をブラシでこすっている。

「あの人がウィルなのね。寒くないのかしら」

まだ上着が手放せない季節であり、女は心配そうに言ったが、息子は苦笑した。
女にもてるためのウィルの薄着は母親には通用しなかったのだ。

「とにかく、母さんは恋をして、いろいろ外に出て経験することだよ。リースのお墓には僕も行くし、ロベル様も来てくれる。それに、母さんのお弟子さんもいるから寂しくないよ。それに……」

もうリースはとっくに天国にいるんじゃないかなと息子は考えたが、母親の心からその存在が消えることはないのだと考え直した。

「僕も恋をしてみたいけど、その後の苦労を考えると気が重くなりそうだ」

本音をこぼしたルカを女は反射的に抱き寄せた。
母親に抱きしめられる歳はとっくに終わっている息子は、顔を赤くして母親の手を押しのけた。

「ごめんなさい。私のせいでしょう?」

「そうやってさ、全部自分のせいにして、責めるのも良くないよ。その、いろいろ守ってくれて感謝もしているけど、母さんも自分勝手に生きてほしいよ」

そう口にした途端、今度は勝手すぎるヴィーナの存在が頭に浮かび、息子は疲れたようにため息をついた。

「母さんの足を引っ張るだけの人生なんて僕は嫌だよ。いつも迷惑かけて、僕のために傷ついて、死にかけて。母さんが幸せになってくれないと、僕はそんな母さんしか知らないことになる。
新しいことに挑戦して、頑張って駄目だったら帰って来ればいいよ。母さんには、母親がいなかった。だから、僕が待っていてあげる」

木陰の湿った地面の上に涙がこぼれ落ち、瞬く間に吸い込まれて消えていった。
頼りない母親の背中を撫でながら、息子は甘えるようにその肩に頭を押し付けた。
抱きしめるのも抱きしめられるのも照れくさいが、これぐらいなら問題ない。

その様子を、ウィルがちらりと盗みみて、少しだけ体の向きを反対側に向けた。
店の前から二人をちらちら見ていた男は、やはり女とは他人なのだと痛感していた。
息子と女の間には血の繋がりがあるし、家族の絆のようなものも存在しているが、男と女を繋ぐものはなにもない。

しばらくして、女はルカに微笑んでお別れを告げ、厩舎の表に回って、男に軽く頭を下げた。
その際に会話は無く、護衛の騎士に馬に乗せられ、女は教会に向けて去っていく。

それを見送りに出てきた息子は、申し訳なさそうに父親を見上げた。

「母さん、レイフ様のところに行くことになりそうだよ」

必死に平静を装う父親の腕を息子は強く引っ張った。

「安心してよ。僕がこの店を継ぐからさ」

一人ぼっちにならずに済んだ安堵感と、一人前の男が息子に心配されている不甲斐なさに、男は複雑な表情になったが、よく考えてみれば息子はまだ子供だ。
大きな手で息子の頭を真上から押さえこんだ。

「頼もしい言葉だが、まだまだ半人前だからな。店なんて任せられるわけがない」

息子は安心したように、無邪気に笑った。
子供っぽい母親の前では大人ぶっていたが、まだ子供でいられることへの安心感は健在だった。
父親はまだ息子を子供でいさせてくれる。

逞しい父親の背中を見上げ、息子は父親になら抱きしめられてもいいなと、ちょっとだけ考え、すぐにその気持ちを否定した。
おじさんに抱きしめられるより、やっぱりそろそろ可愛い女の子を抱きしめたい年頃だった。


 春の風が吹く前に、レイフが女を迎えに来た。
恥ずかしそうに俯く女を優しく抱き寄せ、レイフは女を馬車に乗せた。
ロベルが見送りに出てきて、女にここに残していくものに関しては何も心配はいらないと伝えた。

馬車の窓から手を出し、女はロベルの皺深い手を握った。
その時、老人だと思っていたロベルの背丈が思ったより大きいことに気が付いた。
体をすっぽり覆う聖衣を身につけているため、背筋を伸ばしているのか、丸めているのか見た目ではわからない。

「ロベル様、ありがとうございました」

女の頬を伝う涙を指で拭い、ロベルは優しく別れを告げた。

「楽しんでおいで。人生とは苦しく、辛いものでもあるが、自分の足で歩いた道は愛おしいものだ」

いつでも戻って来ても良いとロベルはこっそり女に囁いた。
レイフは二人の別れが終わると窓越しにロベルに軽く会釈し、部下に出発を告げた。
車輪が回りだし、隊列が動き出す。
後ろを振り返った女の肩をレイフが危なくないように支えていた。

「ロベル様!」

女は叫び、最後に大きく手を振った。
老人の姿が小さくなり、やがて見えなくなると女は前を向いて座り、レイフは窓を閉めた。


 遠ざかる馬車を見送っていたのはロベルだけではなかった。
女の旅立つ日を伝え聞いた男と息子も教会の窓からその一行を見送っていた。
息子は既に前日に別れを告げていたため、その日は父親の付き添いだった。

「別れを告げてこなくていいのか?あるいは、一緒に行きたいと言えば彼女は断らない。王都の学校に通えるぞ?」

女が馬車に乗り込む様子を見ていた男が息子に問いかけたが、息子は窓辺から動かなかった。

「昨日会ったし、これまでも結構会いに行っていたしね。それに学校はもういいや」

普段は頼もしいはずの父親は目を赤くしている。
息子にとって、父親は一番必要な時に傍にいてくれた人だった。

母親には国一番の騎士がついている。
遠ざかる馬車を見つめ、男は鼻をすすった。

「伝えるのが遅かったかもしれないが……俺は本当に……」

声を詰まらせ、男は何も言えなくなった。

どんなに世界が広くても、同じ人生は一つとして存在しない。
うまくいくこともあるし、うまくいかないときもある。
後悔し、失敗を取り戻そうとあがいても、徒労に終わることだってある。
それでも過去には戻れない。
そんな苦さを背負った震える父の背中に、息子はそっと寄り添った。

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