取り残された聖女

丸井竹

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第三章 呪われた聖女

51.罠

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灯りを消した寝室で、ルナは窓越しに月を見上げ、イグルの事を考えた。

イグルは周りのことなど気にするなと言っていたが、自分のために大好きな人が苦しむのはやはり嫌だった。

ルナはこれまで男たちと数えきれないほど交わってきたが、一度も子供が出来たことがなかった。
これも呪いの一部なのだろうと思っていた。

扉が鳴らされた。

「ルナ、入っていいか?」

床のきしむ音と共に入ってきたトリスは後ろ手に扉を閉めた。
灯りのない部屋には窓から差し込むわずかな月明かりしかない。

窓を正面に置いて寝台の上に座り込んでいる少女の顔が青白く浮かんでいる。

「ルナ、傍に行ってもいいか?」

優しい声が静かに響いた。ルナは肯定するように微笑んだ。

トリスは寝台に上がると、ルナの体を抱き寄せた。丸みを帯びてきた少女の体に少しほっとする。
細すぎる子供の体で大人の男を相手にするのは癒せるとはいえ肉体的な負担が大きいだろうと心配していたのだ。

「イグルは心配ない。必ず戻って来る」

ルナは首を横に振った。

「私の体を治してくれる前、君から一緒になって欲しいと言ってくれたね。私にではなくて、そうした気持ちはもうないのか?」

「あの時は、呪いを解きたいとばかり思っていた。たぶん、私はそんな風に思っていなかったけどすごく疲れて大変で、少し気を抜けば泣きそうなぐらい辛かったの。
愛してくれる人をなんとしてでも手に入れなければとばかり思っていた。
でも、今は……呪いを解く人が何よりも欲しいと思えないの。
大事にされて愛されて…でも大事にしてくれている皆の一度きりの貴重な人生を私のせいで犠牲にさせているみたいで、そんな風に思えなくなっちゃった。だって、私は……またやり直せるから……」

ルナの体が強く抱きしめられた。
思わず息を飲んでルナはトリスを見上げた。

「もう二度とはない。ルナ、君だってこれが最後だとわかっているはずだ。やり直せることなんて一つもないだろう?」

やり直せてももう誰とも会えないのだ。

黙り込んだルナの体を抱きしめたまま、トリスはルナの心が閉ざされていくのを感じていた。
言うべき言葉を探したが、何も思いつかなかった。

ただ、遠ざかるルナを引き留めるために囁いた。

「ルナ、私が傍にいたいのだ。愛している。それを重荷に感じないでほしい」

しばらくして、ルナは眠りについた。
控えめなノックがして、エイアスが顔を出した。

外は既に朝を迎え、室内に差し込む光だけで部屋の中が見渡せた。
トリスはルナを起こさぬよう寝台を離れ、エイアスと共に外に出ると静かに扉を閉じた。

ルナは一人寝室に残されまだ夢の中だった。


__


純白の寝室には真っ白な寝具に包まれた寝台が置かれ、聖女に相応しい設えの装飾がなされている。

横たわったルナの上に覆いかぶさっているのはルナの最愛の男だった。

「ルナ……ルナ……」

苦しそうにその名を呼びながらグレインはルナを何度も抱いていた。
それでもルナの飢えは静まらないのだ。

「なぜ俺だけじゃダメなんだ」

叩きつけた腕が寝台を割り、もっと欲しいとねだるルナに振り上げたこぶしが天蓋を支える柱を全部へし折った。

泣きながらも淫らに腰を揺らし、卑猥な仕草で男を誘おうとするルナの髪をつかみ上げ床の上にその体を叩きつけた。

「ちょっと!何事なの!」

外からの音に、ルナは急いで体を癒した。
部屋の扉が開くと光の中にシスが立っていた。

「ルナ?!」

入ってこようとしたシスの体が吹き飛んだ。
グレインの手がかつての仲間の体を殴り飛ばしたのだ。

ルナがその衝撃をすぐに緩和して痛みを取り除いた。
シスは床から飛び起きた。

「グレイン!ルナから離れて!」

グレインの目が燃え上がる前に、ルナが飛び出した。

「シス、大丈夫。お願い、放っておいて!」

信じられないというようにシスは怒りに燃えてルナを連れて部屋を出ようとした。
グレインがそれを阻止しようと手が飛んだ。

吹き飛ばされたのはルナだった。
グレインはシスに目もくれず今度はルナを抱き上げた。
顔を腫らし、頭から血を流したルナの姿を目にし、シスが叫んだ。

「グレイン!ルナの治癒が間に合っていない!」

グレインの体を引き剥がしにかかったのはギオンだった。

「グレイン、離れろ!」

大陸で最強と呼ばれた魔王を葬った男を引きはがすのは至難の業だった。

「ルナが本当に死ぬぞ!」

ギオンの言葉にわずかにグレインの腕の力が緩み、その隙にシスがルナの体を引っ張りだした。
部屋から脱出する寸前、ギオンとシスだけが跳ね飛ばされるように外にはじき出された。

二人の体を跳ね飛ばし、扉を閉めたのはルナだった。

グレインは背後からルナを抱きしめていた。

「俺の物だ」

泣きながら呻いたグレインの声は救いようのない苦しみの中にあり、ルナの力でも癒せなかった。
グレインの乱暴な力に揺すぶられながら、グレインが正気に戻った時、どれだけ悲しむだろうかとルナは考えていた。

同時に理性を吹き飛ばされるほどの淫乱な欲望が突き上げていた。
もう少しで自分の本質さえ見失ってしまいそうだったのだ。
その前にグレインの記憶を封じるべきだとルナは決意した。
グレインを心の底から愛していた。嫉妬に狂う彼の姿をもうこれ以上見てはいられなかった。

__


千年も昔の夢から覚めた時、ルナは寝室に一人だった。
そして呟いた。

「駄目だわ。私やっぱり誰も愛せない」

窓を開けると、酒場の裏手の静かな路地裏が眼下にあり、斜面に面していることもあって店も家もなく人通りも無かった。

厩から馬の嘶きが聞こえ、そこから話し声が聞こえてきた。

「ユロ、久しぶりに遠乗りに行かないか?ルナは起きていないだろう?」

「でも今、私たちしかいないから、ルナを守っていないと」

どこでも迷惑ばかりかけているのだとルナはユロとゼムの会話を聞いて悲しくなった。

「ユロ」

窓の下に呼びかけるとすぐにユロが顔を出した。

「ルナ?珍しいね、そんなところから、上がろうか?」

彼らは暗殺魔法使いだから窓から入ってくるのもお手のものなのだ。

簡単に窓から入ってきたユロとゼムを前に、ルナは彼らの手をとった。

「ユロとゼムは私の奴隷なのよね」

「魔法の誓約上ね。でも待遇が良すぎてそんなこと忘れちゃうよ」

ユロはルナを浚い、殺しかけたことを反省していたし、仲間を殺されたことに関しても今は何も思ってはいなかった。
自分がルナの立場であればもっと酷い報復をしたはずだった。
ゼムにしても、数日で死を迎える呪いを解いてもらい命の恩を感じるばかりだった。

ルナは口を開いた。

「奴隷の契約を解除します」

二人は驚愕した。奴隷は主人を害せない。だからルナを守る男たちはこの二人を殺さないでおくことが出来たのだ。ルナが主人であり、その契約の解除権もルナにあった。
だがルナのその一言でその誓約は反故にされてしまったのだ。

「ルナ?!何をしているの!そんなことしたら他の男達が怒るよ」

「殺しに来るかもしれない」

ルナに危害を加える可能性を少しでも持った人間は殺されるとゼムは知っていた。
とくにイグルという男なら情け容赦なくそれをするだろう。

「私の友達でいてくれるのに奴隷の契約はいらないでしょう?それにたまには二人で自由に楽しんできたらいいわ。せっかく自由になったのに」

その前にとルナは付け加えた。

「私も少し気晴らしがしたいの。この上の高台に連れていってくれる?」

ユロとゼムは目を見合わせ、それからゼムがルナの体を抱き上げた。
窓から滑るように部屋を抜け出すと、二人はルナを高台に連れていった。




芝生の上に座り、明るい日差しの下でルナは膝を抱いて海を眺めた。
ユロとゼムは並んで座り、肩を寄せ合い何かささやき合って楽しそうにじゃれている。

彼らは自分たちの人生を取り戻したばかりなのだ。若い恋人たちの姿は見ていてほほえましかった。

ふと、ルナの頭上に影がおちた。何も考えず顔を上げる寸前、ユロの声が飛んだ。

「ルナ!」

後ろに体が引っ張られ、ユロが目の前に背を向け立ちはだかっていた。
ルナを後ろから抱いているのはゼムだった。

その前方に一人の男が立っていた。

「やあルナ」

にっこりと笑ったその男の名前をルナは知っていた。最近熱心に通ってくれる若い客だ。

「アレクシオ?」

外で会いたいと何度も誘われていたが、ルナは断り続けていた。

「ただの娼婦が護衛を二人もつけているなんて不思議だね」

「ルナ!この男なんか怪しいよ」

ユロが警告し、その手に術棒を握った。

「聖女様を守っているというわけだね」

アレクシオの言葉に、秘密を知っているとみて、さらに殺気を強め、ユロの魔法が発動した。
ゼムもその手に武器を握っていた。

黒い炎の玉がアレクシオに放たれたが、それは当たる直前に白い楕円のシールドに弾かれた。

「ルナ?!なんでこいつを守るの!危ないよ!」

弾いたのはルナの力だったのだ。

「まだ何もされていないのに攻撃する必要ないでしょう?」

「何かされてからじゃ遅いでしょう!」

ユロは仕方なく防衛の魔法に切り替えた。ルナを連れ去られたらそれこそルナを守っている男たちに特に、イグルに殺される。

「聖女の性だね。ルナ、私は君の秘密を知っているだけじゃないんだ。君の呪いを解くこともできる」

はっとしてユロは警戒を強めたが、ルナはゼムの腕から逃れようと身を乗り出した。

「本当に?」

「嘘に決まっているじゃない!ルナ!騙されちゃだめよ!」

ユロが叫んだ。だが、ルナは藁にもすがる思いでアレクシオの言葉を聞いたのだ。

「本当に?どうやって?愛を得ずに呪いを解ける?」

アレクシオは落ち着き払い、ルナをじっと見つめていた。

「出来るよ。私の国は海の向こう、シルガルドなんだ。深海の女神の国。聖女がいるのさ」

「聖女?」

ユロとゼムは異口同音に叫んだ。

地上に一人と聞く聖女が海の向こうにいるというのだ。

「聖女が地上に一人しか存在しないなど誰が断言できるのかな。我が国には長いこと一人の聖女が存在し、国の平和を守っている。彼女ならルナに解けなかった呪いを解けるかもしれない」

「でも……私の呪いは心臓に絡みついている」

ルナは胸を両手で抑えた。

「一人では解けない呪いも聖女二人の力なら解けるかもしれない」

アレクシオの言葉の誘惑に抗えるわけがなかった。ルナにはもう道がない。
呪いが解ければ、ただ一度の人生を犠牲にして自分に尽くしてくれている男達を自由にしてあげられる。しかも愛してもらっているのに愛を返せないのだ。

「会わせてくれるの?その聖女に」

ルナの言葉にユロが焦った。ゼムは行かせまいとルナを後ろから抱きしめている。

「そのつもりで誘っていたのだけど、なかなか守りが固くてね」

「見返りは?!ただでそんな話もってくるわけないよねえ?」

ユロが叫んだ。

「それは後で話すよ」

ユロとゼムは素早く目配せし戦闘に備えた。周囲に無数の気配を感じていた。
その気配は既に二人を取り囲んでいる。

逃がす気はないのだ。
二人なら逃げられるかもしれないが、ルナを守りながらではどちらかが死ぬかもしれない。

と、ルナが口を開いた。

「二人を無事に返してくれる?話を聞きたいわ」

取り囲んでいた気配がわずかに遠ざかった。

「ルナ……だめだよ……」

ユロの声はわずかに揺らいでいた。二人なら逃げられる。一瞬心に過ったその思いが離れない。

「ゼムと仲良くね。二人のお友達を助けてあげられなかったこと申し訳なかったと思っていたの。だから気にしないで」

ルナの手が自分を押さえつけているゼムの腕を引きはがした。
ゼムはわずかに力を込めたが、ユロが振り返り、生きて帰りたいと訴えているのをみてとると力を抜いた。
せっかく取り戻した二人の人生なのだ。

「ルナ、話を聞き終えるまでここにいる」

ゼムとユロが手を取り合う姿を前に、ルナは微笑んだ。それは本心じゃない。

「じゃあ二人で酒場に戻って、トリスに伝えて。探しに来ないでねって。私の命令なら問題ないでしょう?」

「イグルが黙っていない」

ルナは首を振った。もう何を言ってもルナは心を決めているのだと知ると、二人はしぶりながらもやっとそこを離れた。いつの間にかアレクシオの周りには異国風の装備に身を固めた男たちが並んでいた。

「じゃあ行きましょうか」

アレクシオの差し出した手にルナは自身の手を重ねた。

転送ゲートが開かれた。
アレクシオに導かれ、ルナはその中に足を踏み入れた。


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