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第一章 企み
7.嵌められた男は騎士となる
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一晩中、ジェイスはレアナの体を抱き続けた。
もう記憶にないぐらい腰を振り、レアナが生きているかどうかも確かめずにその体をむさぼった。
朝方近く、突然扉が開いた。
柔らかな肉を押し開き、無心に腰を使っていた男は、まだ激しく寝台を軋ませていた。
「ジェイス、俺の妻とお楽しみじゃないか」
悪意のこもった声が一晩中漂っていた寝室の淫靡な空気を切り裂いた。
ジェイスははっとして体を起こし、唐突に自分を取り戻した。
状況が把握できないまま、ジェイスは自分が組み敷いている女の顔に直面し、表情を凍り付かせる。
レアナが荒く息をしながら、恍惚とした眼差しでジェイスを見上げている。
その体はむせるような色香を漂わせ、汗に濡れ、寝具は言い訳もできないほど、二人の体液でちゃぐちゃだった。
「ひどい匂いだ」
誰かが窓を開け、朝の清涼な風が部屋に吹き込んだ。
カーテンが窓辺ではためき、鳥のさえずりが聞こえてくる。
欲望に蒸れた体温が急速に冷まされ、昨夜のおぞましい記憶がぼんやりと蘇る。
と同時に、ジェイスは自分を殺したくなった。
理性と共に脳裏に戻ってきたのはジェイスを見送っていたローゼの寂しそうな姿だ。
ジェイスはレアナから離れ、よろよろと立ち上がりズボンを探した。
床の上に金の刺繍を施したハンカチが落ちている。
それを目にした途端、ジェイスの胸に熱いものが込み上げた。
血が滲むほど拳を握りしめ、大きく息を吐きだしたジェイスは、ズボンを拾いあげ身に着けた。
レアナは掛け布を投げてもくれないジェイスに、わずかな寂しさを感じながら乱れたシーツを引き寄せ体を隠した。
ケビンはその様子を車いすに座り、にやにやしながら眺めている。
車いすを押しているのはアルマンで、ジェイスの浅ましい痴態から顔を背けている。
その傍らにはドリーンもいる。
「報酬は妻の体で払った。治癒師の派遣を要請し、俺の代わりに騎士となれ。お前はフォスター家に仕えるのだ」
ケビンが当主らしく声高に命じる。
乱れた髪をかきあげ、ジェイスは刺繍入りのハンカチを拾い上げた。
込み上げる涙を堪え、床に片膝をつくと、ジェイスはそのハンカチを無言でポケットにねじ込んだ。
その時、床に転がっている空の小瓶が目に入った。
森の小屋でローゼにみせられた媚薬の小瓶に似ている。
「俺に媚薬を使ったのか?!」
激しい怒りをたぎらせ、ジェイスはレアナを振り返った。
愛など一欠けらもない、ジェイスの怒りの形相にレアナは怯え、固く口を閉ざした。
「往生際が悪いぞ、ジェイス!お前が弟の妻に手を出したのは事実だ。不名誉極まりないな」
ケビンの勝ち誇った声が響く。
用心を怠った自身のせいだとジェイスは考えた。
ここに味方はいない。もっと用心するべきだった。
「俺には……約束した女性がいる」
「お前が俺に従う限り、秘密にしておける話だ」
さらにジェイスの弱みが握れると、ケビンは上機嫌になった。妻を寝取られたことなどなんとも思っていないような明るい口調で、ケビンは続ける。
「お前がこの家に仕えるなら、その女性も呼んだらいい。レアナにはお前の子が宿ったかもしれないし。両方ここに置いておけば守りやすいじゃないか」
子供と聞き、ジェイスはさらに胸が痛んだ。
ローゼになんと説明したらいいだろう。
愛していると告げたことはない。愛だと確信も持てなかった。
だけど、孤独でどこか幼い魂は愛おしく、守りたいと思っていた。
その想いはどこにいくのか。
ジェイスは打ちひしがれ、背中を丸めた。
「早く行け!聞こえないのか!」
ケビンの言葉にジェイスは従った。よれよれのシャツを拾い上げ、身に着けると、寝台の上にいるレアナを振り返る。
レアナを責め、怒りを吐きだしたところで、起こってしまったことが消えるわけではない。
悲しみと怒り、それから果てしない失望をジェイスの表情に読み取り、レアナは自分のしでかしたことに怯えた。
なんとかジェイスの心を取り戻そうと、「愛している」と叫びたかった。
「こんなことをしてまでも、あなたに愛されたかったのだ」と告げたかった。
しかしレアナはそこまで自分を捨てきれない。
ケビンとドリーンがレアナを敵だと認識すれば、この屋敷を追い出されてしまうかもしれない。
それでも昨夜は何度も愛し合った。
ジェイスが自分を抱いたのは媚薬のせいだけじゃなかったとレアナは信じようとした。
レアナは声を絞り出した。
「もし、子供が出来ていたら、私は産むわ」
苦しみに沈んだ表情で、ジェイスは黙って出て行った。
「うまくやったじゃないか」
ケビンは寝室の惨状を眺めやり、意地悪い笑みを浮かべた。
「下品な女ね」
ケビンの後ろからレアナの乱れた様子を眺め、ドリーンが冷やかに言った。
「せいぜい、その体でジェイスをこの家に縛り付けておくことね。娼婦のように」
同じ空気を吸うのも耐えがたいというように、ケビンとドリーンは部屋にも入らず寝室を出て行き、レアナは一人、寝台の上に残された。
床には空になった媚薬の瓶が転がっている。
媚薬を売ってくれた占い師の言葉を思い出し、レアナは顔を歪めた。
本当に、欲しいものが手に入ったのだろうか。
貴族の身分に、豊かな生活、それから愛している人に愛される喜び。
ジェイスは何度も愛していると口にしてレアナを抱いたが、理性を取り戻したジェイスの目には一欠けらの愛情も残っていなかった。むしろ憎まれているようにさえ感じた。
昨夜は確かにジェイスの愛を取り戻したと思った。
欲しいものは手に入ったはずなのに、幸福な気持ちは戻らない。
レアナは長い間、そこに呆然と座っていた。
その日、ケビンのもとには国の治癒師が派遣された。
ケビンは再びもとの健康な体を取り戻せると聞き、満面の笑みを見せた。
そして傍らに立つレアナを見上げ、夫らしく声をかけた。
「体が治ったら、妻を存分に可愛がってやらなければ」
ぞっとして体を震わせたレアナに、ドリーンが囁いた。
「子供と引き離されたくなければ、夫に従順であることよ」
生まれた子がジェイスの子であろうとケビンの子であろうと、この親子はジェイスの子だということにして、優秀な騎士を手元で飼い殺す気なのだ。
その時、レアナは初めてジェイスをこの地獄に引きずり込んだのだと悟った。
レアナがここにいるのは自分の選択だ。外の生活が怖くてジェイスを捨てたのだ。
それなのに犠牲にした愛と幸せを取り戻そうとした。
ジェイスもレアナが幸せになることを望んでくれると思い込んでいた。
そのために身を引いて出ていったのだから。
今回も不倫になるが喜んで一緒に苦しんでくれると思っていた。
しかし、ジェイスの幸せについては考えたことがなかった。
レアナがここで苦しむことは自分が選択した結果であり、自業自得だが、ジェイスは違う。
媚薬のせいで意思を捻じ曲げられ、脅されてここに縛り付けられたのだ。
占い師の言葉が蘇る。
媚薬は数回分だと言っていた。分量を間違えた。もっと賢く使うべきだった。
ジェイスに憎まれてしまう恐怖にレアナは怯え泣き崩れた。
――
「弟の尻ぬぐいか、大変だな」
ザウリの騎士団要塞にいたのは、ジェイスの父親の上官であり、ジェイスを後継者にしたいと書かれた覚書を発見したイーガンという男だった。
「俺が……逃げなければこんな不名誉なことは起こりませんでした」
ジェイスの暗く沈んだ表情を前に、イーガンはお前のせいじゃないと慰めたが、ジェイスの表情は硬いままだった。
「時期が悪かったな」
イーガンはさらに慰めようとしたが、ジェイスは首を横に振った。
ジェイスの父親があと一年遅く死んでいたら状況は違っていた。
「いいえ。私の覚悟が甘かった。それだけです。フォスター家の騎士として国に仕えます」
「俺の部隊で働くか?行き先は魔の森だ。危険な任務だぞ」
魔の森は魔力濃度が高く、魔力抵抗のない普通の人間は、滞在時間に気を付けなければ魔力に飲まれ、正気を失ってしまう。
魔法使いたちの争いの地、最果てと王国を隔てる大切な森でもあり、人間達に危害を加えないと約束した魔法使いたちが塔を建てて暮らしている。
彼らが森の魔力を押さえてくれていれば、人々も比較的安全に魔の森に入り、魔法素材を収集し、暮らしに役立てることが出来る。しかし魔法使いたちは最果てから逃げてきた力のない者が多く、時折魔力は暴走し魔獣を生み、周辺の村や町に入り込む。
今年は魔の森から溢れる魔力が収まらず、村が一つ消えたという話も入っていた。
「どうも、魔の森で実験をしている魔法使いがいるようだ。彼らに人間の常識は通用しないからな。もしかしたら塔持ちではない可能性がある」
「塔持ちではない?ではなぜ魔の森で暮らせているのでしょう?」
「塔持ちの魔法使いは結界でもある塔を使い魔力をうまく制御できる。
魔法使いにとって塔持ちであることは敵対する魔法使いから自身を守ることと、豊富な魔力の中で生命を安全に維持できることを意味する。
それ故、塔を持てない魔法使いも、塔をなんとか手に入れようと画策するのだ。
それが塔無しの魔法使いによる残酷な事件に繋がる」
古い事件だがと前置きし、イーガンは二十年近く前の討伐記録を棚のファイルから抜き出した。
黄ばんだ書類の束をジェイスに差しだす。
「最近起きた事件の中では一番残忍なものだ。
見慣れない塔が建ったと、魔の森の塔持ちの魔法使いから連絡が入り、騎士団が塔を取り囲む形で結界内に侵入した。
塔無しの魔法使いが建てる塔は歪で壊れやすい。
その未完成の塔はまるでキノコのように伸び続けていた。
その核として集められていたのは人間の子供達だった。
魔の森に長く滞在できる魔力耐性を持つ子供ばかりだ。何をしようとしていたのか、どんな実験だったのか、実のところ解明することはできなかった。
なぜならその実験を行っていた塔無しの魔法使いを取り逃したからだ。
彼らは罪の意識もなく人間を道具に使う。塔の監視はそのためにもかかせない」
ジェイスは資料に目を通しながら、生存者の欄に目を止めた。
「魔力耐性を持った生き残りの子供達はどうなったのですか?」
「貴重な魔力使いとして王国が引き取った。王国付きの魔道師や魔術師になったものもいる。霊薬師もいるが……大半が多くの魔力を吸収しなければ生きられない体に変わってしまっていた。
だが幸い彼らは人間だ。教育すれば人の感情を理解し、国の機関で問題なく仕事が出来た。うまく馴染むことが出来ない子供は死んでもらうしかなかったな」
嫌な仕事になるかもしれないとイーガンは繰り返した。
「これから向かう場所も、恐らく塔無しの魔法使いが人間を実験台にして無理矢理建てた塔だ。魔力を安定させるのにもっとも適した素材は人間の魂だという話もある。貧しい農村から売られた子供や、町に溢れる孤児、あるいはたまたま見つかってしまった魔力抵抗の高い子供、塔無しは塔を手に入れるためにそうした素材を探している」
悲惨な事件の記録に目を通し、ジェイスは決然と顔をあげた。
「行かせてください。フォスター家の名誉を挽回します」
イーガンはその若く頼もしい顔に父親の面影を見出し、力強くうなづいた。
もう記憶にないぐらい腰を振り、レアナが生きているかどうかも確かめずにその体をむさぼった。
朝方近く、突然扉が開いた。
柔らかな肉を押し開き、無心に腰を使っていた男は、まだ激しく寝台を軋ませていた。
「ジェイス、俺の妻とお楽しみじゃないか」
悪意のこもった声が一晩中漂っていた寝室の淫靡な空気を切り裂いた。
ジェイスははっとして体を起こし、唐突に自分を取り戻した。
状況が把握できないまま、ジェイスは自分が組み敷いている女の顔に直面し、表情を凍り付かせる。
レアナが荒く息をしながら、恍惚とした眼差しでジェイスを見上げている。
その体はむせるような色香を漂わせ、汗に濡れ、寝具は言い訳もできないほど、二人の体液でちゃぐちゃだった。
「ひどい匂いだ」
誰かが窓を開け、朝の清涼な風が部屋に吹き込んだ。
カーテンが窓辺ではためき、鳥のさえずりが聞こえてくる。
欲望に蒸れた体温が急速に冷まされ、昨夜のおぞましい記憶がぼんやりと蘇る。
と同時に、ジェイスは自分を殺したくなった。
理性と共に脳裏に戻ってきたのはジェイスを見送っていたローゼの寂しそうな姿だ。
ジェイスはレアナから離れ、よろよろと立ち上がりズボンを探した。
床の上に金の刺繍を施したハンカチが落ちている。
それを目にした途端、ジェイスの胸に熱いものが込み上げた。
血が滲むほど拳を握りしめ、大きく息を吐きだしたジェイスは、ズボンを拾いあげ身に着けた。
レアナは掛け布を投げてもくれないジェイスに、わずかな寂しさを感じながら乱れたシーツを引き寄せ体を隠した。
ケビンはその様子を車いすに座り、にやにやしながら眺めている。
車いすを押しているのはアルマンで、ジェイスの浅ましい痴態から顔を背けている。
その傍らにはドリーンもいる。
「報酬は妻の体で払った。治癒師の派遣を要請し、俺の代わりに騎士となれ。お前はフォスター家に仕えるのだ」
ケビンが当主らしく声高に命じる。
乱れた髪をかきあげ、ジェイスは刺繍入りのハンカチを拾い上げた。
込み上げる涙を堪え、床に片膝をつくと、ジェイスはそのハンカチを無言でポケットにねじ込んだ。
その時、床に転がっている空の小瓶が目に入った。
森の小屋でローゼにみせられた媚薬の小瓶に似ている。
「俺に媚薬を使ったのか?!」
激しい怒りをたぎらせ、ジェイスはレアナを振り返った。
愛など一欠けらもない、ジェイスの怒りの形相にレアナは怯え、固く口を閉ざした。
「往生際が悪いぞ、ジェイス!お前が弟の妻に手を出したのは事実だ。不名誉極まりないな」
ケビンの勝ち誇った声が響く。
用心を怠った自身のせいだとジェイスは考えた。
ここに味方はいない。もっと用心するべきだった。
「俺には……約束した女性がいる」
「お前が俺に従う限り、秘密にしておける話だ」
さらにジェイスの弱みが握れると、ケビンは上機嫌になった。妻を寝取られたことなどなんとも思っていないような明るい口調で、ケビンは続ける。
「お前がこの家に仕えるなら、その女性も呼んだらいい。レアナにはお前の子が宿ったかもしれないし。両方ここに置いておけば守りやすいじゃないか」
子供と聞き、ジェイスはさらに胸が痛んだ。
ローゼになんと説明したらいいだろう。
愛していると告げたことはない。愛だと確信も持てなかった。
だけど、孤独でどこか幼い魂は愛おしく、守りたいと思っていた。
その想いはどこにいくのか。
ジェイスは打ちひしがれ、背中を丸めた。
「早く行け!聞こえないのか!」
ケビンの言葉にジェイスは従った。よれよれのシャツを拾い上げ、身に着けると、寝台の上にいるレアナを振り返る。
レアナを責め、怒りを吐きだしたところで、起こってしまったことが消えるわけではない。
悲しみと怒り、それから果てしない失望をジェイスの表情に読み取り、レアナは自分のしでかしたことに怯えた。
なんとかジェイスの心を取り戻そうと、「愛している」と叫びたかった。
「こんなことをしてまでも、あなたに愛されたかったのだ」と告げたかった。
しかしレアナはそこまで自分を捨てきれない。
ケビンとドリーンがレアナを敵だと認識すれば、この屋敷を追い出されてしまうかもしれない。
それでも昨夜は何度も愛し合った。
ジェイスが自分を抱いたのは媚薬のせいだけじゃなかったとレアナは信じようとした。
レアナは声を絞り出した。
「もし、子供が出来ていたら、私は産むわ」
苦しみに沈んだ表情で、ジェイスは黙って出て行った。
「うまくやったじゃないか」
ケビンは寝室の惨状を眺めやり、意地悪い笑みを浮かべた。
「下品な女ね」
ケビンの後ろからレアナの乱れた様子を眺め、ドリーンが冷やかに言った。
「せいぜい、その体でジェイスをこの家に縛り付けておくことね。娼婦のように」
同じ空気を吸うのも耐えがたいというように、ケビンとドリーンは部屋にも入らず寝室を出て行き、レアナは一人、寝台の上に残された。
床には空になった媚薬の瓶が転がっている。
媚薬を売ってくれた占い師の言葉を思い出し、レアナは顔を歪めた。
本当に、欲しいものが手に入ったのだろうか。
貴族の身分に、豊かな生活、それから愛している人に愛される喜び。
ジェイスは何度も愛していると口にしてレアナを抱いたが、理性を取り戻したジェイスの目には一欠けらの愛情も残っていなかった。むしろ憎まれているようにさえ感じた。
昨夜は確かにジェイスの愛を取り戻したと思った。
欲しいものは手に入ったはずなのに、幸福な気持ちは戻らない。
レアナは長い間、そこに呆然と座っていた。
その日、ケビンのもとには国の治癒師が派遣された。
ケビンは再びもとの健康な体を取り戻せると聞き、満面の笑みを見せた。
そして傍らに立つレアナを見上げ、夫らしく声をかけた。
「体が治ったら、妻を存分に可愛がってやらなければ」
ぞっとして体を震わせたレアナに、ドリーンが囁いた。
「子供と引き離されたくなければ、夫に従順であることよ」
生まれた子がジェイスの子であろうとケビンの子であろうと、この親子はジェイスの子だということにして、優秀な騎士を手元で飼い殺す気なのだ。
その時、レアナは初めてジェイスをこの地獄に引きずり込んだのだと悟った。
レアナがここにいるのは自分の選択だ。外の生活が怖くてジェイスを捨てたのだ。
それなのに犠牲にした愛と幸せを取り戻そうとした。
ジェイスもレアナが幸せになることを望んでくれると思い込んでいた。
そのために身を引いて出ていったのだから。
今回も不倫になるが喜んで一緒に苦しんでくれると思っていた。
しかし、ジェイスの幸せについては考えたことがなかった。
レアナがここで苦しむことは自分が選択した結果であり、自業自得だが、ジェイスは違う。
媚薬のせいで意思を捻じ曲げられ、脅されてここに縛り付けられたのだ。
占い師の言葉が蘇る。
媚薬は数回分だと言っていた。分量を間違えた。もっと賢く使うべきだった。
ジェイスに憎まれてしまう恐怖にレアナは怯え泣き崩れた。
――
「弟の尻ぬぐいか、大変だな」
ザウリの騎士団要塞にいたのは、ジェイスの父親の上官であり、ジェイスを後継者にしたいと書かれた覚書を発見したイーガンという男だった。
「俺が……逃げなければこんな不名誉なことは起こりませんでした」
ジェイスの暗く沈んだ表情を前に、イーガンはお前のせいじゃないと慰めたが、ジェイスの表情は硬いままだった。
「時期が悪かったな」
イーガンはさらに慰めようとしたが、ジェイスは首を横に振った。
ジェイスの父親があと一年遅く死んでいたら状況は違っていた。
「いいえ。私の覚悟が甘かった。それだけです。フォスター家の騎士として国に仕えます」
「俺の部隊で働くか?行き先は魔の森だ。危険な任務だぞ」
魔の森は魔力濃度が高く、魔力抵抗のない普通の人間は、滞在時間に気を付けなければ魔力に飲まれ、正気を失ってしまう。
魔法使いたちの争いの地、最果てと王国を隔てる大切な森でもあり、人間達に危害を加えないと約束した魔法使いたちが塔を建てて暮らしている。
彼らが森の魔力を押さえてくれていれば、人々も比較的安全に魔の森に入り、魔法素材を収集し、暮らしに役立てることが出来る。しかし魔法使いたちは最果てから逃げてきた力のない者が多く、時折魔力は暴走し魔獣を生み、周辺の村や町に入り込む。
今年は魔の森から溢れる魔力が収まらず、村が一つ消えたという話も入っていた。
「どうも、魔の森で実験をしている魔法使いがいるようだ。彼らに人間の常識は通用しないからな。もしかしたら塔持ちではない可能性がある」
「塔持ちではない?ではなぜ魔の森で暮らせているのでしょう?」
「塔持ちの魔法使いは結界でもある塔を使い魔力をうまく制御できる。
魔法使いにとって塔持ちであることは敵対する魔法使いから自身を守ることと、豊富な魔力の中で生命を安全に維持できることを意味する。
それ故、塔を持てない魔法使いも、塔をなんとか手に入れようと画策するのだ。
それが塔無しの魔法使いによる残酷な事件に繋がる」
古い事件だがと前置きし、イーガンは二十年近く前の討伐記録を棚のファイルから抜き出した。
黄ばんだ書類の束をジェイスに差しだす。
「最近起きた事件の中では一番残忍なものだ。
見慣れない塔が建ったと、魔の森の塔持ちの魔法使いから連絡が入り、騎士団が塔を取り囲む形で結界内に侵入した。
塔無しの魔法使いが建てる塔は歪で壊れやすい。
その未完成の塔はまるでキノコのように伸び続けていた。
その核として集められていたのは人間の子供達だった。
魔の森に長く滞在できる魔力耐性を持つ子供ばかりだ。何をしようとしていたのか、どんな実験だったのか、実のところ解明することはできなかった。
なぜならその実験を行っていた塔無しの魔法使いを取り逃したからだ。
彼らは罪の意識もなく人間を道具に使う。塔の監視はそのためにもかかせない」
ジェイスは資料に目を通しながら、生存者の欄に目を止めた。
「魔力耐性を持った生き残りの子供達はどうなったのですか?」
「貴重な魔力使いとして王国が引き取った。王国付きの魔道師や魔術師になったものもいる。霊薬師もいるが……大半が多くの魔力を吸収しなければ生きられない体に変わってしまっていた。
だが幸い彼らは人間だ。教育すれば人の感情を理解し、国の機関で問題なく仕事が出来た。うまく馴染むことが出来ない子供は死んでもらうしかなかったな」
嫌な仕事になるかもしれないとイーガンは繰り返した。
「これから向かう場所も、恐らく塔無しの魔法使いが人間を実験台にして無理矢理建てた塔だ。魔力を安定させるのにもっとも適した素材は人間の魂だという話もある。貧しい農村から売られた子供や、町に溢れる孤児、あるいはたまたま見つかってしまった魔力抵抗の高い子供、塔無しは塔を手に入れるためにそうした素材を探している」
悲惨な事件の記録に目を通し、ジェイスは決然と顔をあげた。
「行かせてください。フォスター家の名誉を挽回します」
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